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Accumu Vol.17

卒業生特集 マッチロック(株) 代表取締役 藤本文彦さん

マッチロック(株) 代表取締役 〈東京都渋谷区〉
2002年KCGゲーム開発科卒 京都府立洛水高校出身
藤本文彦さん(29)

マッチロック(株) 代表取締役 〈東京都渋谷区〉 2002年KCGゲーム開発科卒 京都府立洛水高校出身 藤本文彦さん

目標の第一段階は20代にしてはや実現した慣れない営業も少しずつ板に付き売り上げに結びつくようになったまずはこの調子で事業を軌道に乗せ会社を大きくすること業界に残る技術と製品をつくり上げることそしてゆくゆくは…



自分で決定し自分でしかける 責任も自分で負う社長という職に非常にやりがいを感じている

東京・恵比寿にあるマッチロックの本社にて
東京恵比寿にあるマッチロックの本社にて

藤本文彦さんは2008年3月ゲームのエフェクト関連制作ツール販売を軸とした「マッチロック株式会社」を設立東京JR恵比寿に程近いビル内に本社を構えた業界では「アーケード」と呼ばれるゲームセンターに置かれる大型ゲーム機を開発する会社(東京秋葉原)の技術支援部長を務めて数年自らが率いるチームが開発した技術を譲り受け独立する形での夢の実現だった藤本さんは「可能性があるうちに勝負に出たかった」と会社を設立した理由をさらりと話すそして「自分で決定し自分でしかけるもちろん責任もすべて自分で負うそんな社長という職に非常にやりがいを感じています」と熱を込めて加えた

「ダメなものはダメと明快ただやると決めたら全く迷いがないんです前を向いて突き進むのみそんなところに強く魅かれています」取締役として事業関係のほか財務などを任される竹中信広さんは藤本さんをこう評する

学費が安かったそれに最新の設備が揃っているゲーム開発を学べる2年課程の学科があるというのも魅力でしたね」藤本さんは高校卒業後にKCGを選んだ理由をこう話す

「絵を描くのが好きで芸術大学に行くことも考えていました高校の先生からも勧められましたしね」しかし当時家が経済的に苦しかった「早く働いて自ら稼がなければ」と強い思いを抱える一方コンピュータゲームの魅力も感じていたそしてある友人の「絵を描きたいという気持ちがあるなら自分一人でも描けるんじゃないか」という言葉が決め手になった「自分がつくった世界で多くの人が楽しんでくれるのはゲームも絵も同じそれなら早く仕事が始められるゲームの世界で生きていこうそしてゆくゆくは社長になろう」もう迷いはなかった

高校時代はカードなどを使ったオリジナルのアナログゲームを自らつくり友達と楽しんだこともあったしかしコンピュータの知識技術は全くないKCGでは一からのスタートだ「特にプログラミングは経験者との差が歴然としていたでもKCGでは基礎からみっちりと教えてくれたので必ずその差をなくし追い越してやろうと思った」と当時を振り返る

アルバイトと奨学金で学費はできるだけ自分で捻出した「肌に合っていたのでしょうか」というプログラミングはめきめき上達「プログラミング技術はKCG全学科の同期で2番目トップになれず悔しかったけれど学校から“優秀賞”をもらえたのでたぶん首席卒業でしょう」と笑う企業説明会での社長の話に感銘を受けたという秋葉原のゲーム制作会社に就職が決定まずは「自分にしかできないモノをつくり上げよう」という目標を据えた

目標を持てば成長のスピードは速い
より広く遠く具体的に持てば違ったと気づいたときにもすぐ修正できる

「独立」という第一の目標を実現させた
「独立」という第一の目標を実現させた

入社後も藤本さんはめきめきと実力をつけていく若くして技術支援部長という要職を任され自分が率いるチームが斬新なエフェクトを次々に開発していく自ら外販にも足を運び付き合いも多くなっていくにつれ第一の夢だった「独立」が現実味を帯びてきた「可能性があるうちに決断しよう」2007年暮れ同僚ら5人の思いがそろった

ただ会社設立への道は決して平坦ではなかった「正直ギブアップしようと弱気になったこともありました」と振り返る会社ではあくまで組織の一員だったにすぎない自らのチームが開発した商品とはいえそれは会社の財産だその財産を引きはがし独立するというのは通常では難しい

とにかく誠意を持ってそしてあるときはがむしゃらに会社を説得したその熱意に会社は「頑張ってみろ」との激励の言葉を添えて事業部門の譲渡を決定条件を提示してくれたそれまでの礎をつくってくれた会社に今は感謝の気持ちでいっぱいだという

しかし次は譲渡費と設立資金の確保が課題として大きく立ちふさがったそれまでに蓄えてきたお金では到底足りない出資者を探さなければならない足を棒にして付き合いがあった会社を訪ねお願いしたところ東京都渋谷区恵比寿にあるゲーム映像用ミドルウェア制作販売のシリコンスタジオ株式会社が出資を承諾本社内のブースを貸してくれることにもなったそして2008年3月マッチロック株式会社が誕生した

社名の意味は「火縄銃」ゲームのエフェクトに一部通じるところもあるさらに「信長の時代にそうだったように戦い方を変えるようなものを世に出していきたい」と藤本さんは説明自らが好きだった戦国大名の戦略にならってゲーム業界で展開していこうという強い思いを込めたようだ

着実に業績を伸ばすマッチロック株式会社もう一人KCGの卒業生が加わりスタッフは9人になった和気あいあいとした雰囲気ながらも若いスタッフが新しい感性で技術を磨き開発している

社員管理に技術開発にそして営業にと忙しい毎日を送る藤本さんはKCGの学生にこのようなメッセージを寄せてくれた「とにかく目標を持ってくださいやっぱり違ったでもいいんですよ目標を持っていれば成長のスピードは速いただ目標もあまりに身近すぎるのではダメより広く遠く具体的にそうすれば若干角度が変わってもすぐ修正できますから」

藤本さんに次なる目標をたずねると目を輝かせ貪欲ともいえる表情でこう語った「ビルゲイツのようになることです」

エフェクト関連ツールの開発でマッチロックは着実に業績を伸ばす
エフェクト関連ツールの開発でマッチロックは着実に業績を伸ばす