1.はじめに
私は1972年4月に京大の情報工学科に入学しました。3回生の時に,萩原先生の計算機システムを受講しましたので,今からちょうど40年前に,萩原先生に初めてお会いしたことになります。4回生の研究室配属では,コンピュータの全体像を知りたいと思い,萩原研究室を希望して,配属されました。1976年から1980年まで京都コンピュータ学院の講師をさせて頂き,PL/I,データ構造とアルゴリズムを担当したと記憶しています。当時,私の講義を受けてくれた方々も,50代になられていることと思います。
2.萩原先生の教え
萩原先生から学んだことは多々ありますが,時間を守ること,及び正しい日本語の文章を書くことの二つが,私の中で最大のものです。最近の学生さんには,ゼミに遅刻して当たり前,無断で欠席しても音沙汰なしの人をまま見かけます。社会人になったときに,果たして毎日,定時に仕事に行けるようになるのかどうか大いに心配になります。
最近,グローバル人材の育成が社会のキーワードになっています。グローバル人材とは何かを考えるとき,すぐに英語ができること,小学校からの早期の英語教育に行きがちですが,それだけでいいのでしょうか。
今まで,ベトナムや中国からの大学院生を数名指導しました。2名は学位取得まで面倒をみました。彼らは私より数段上手に英語を話しましたが,私は細かい議論まで十分英語で言えず,はがゆい思いをしました。それが英会話を何とかしたいという私の動機になっています。私はFMαステーションの佐藤弘樹氏のワンポイントイングリッシュの大ファンで,毎朝,通勤時に聞いています。
グローバル化とは,文化や価値観の異なる(常識の違う)外国人と,互いの価値観を認め合った上で仲良くやっていくことと,私は思っています。日本に興味をもつ外国人と友達になったとして,日本の文化や習慣,例えば,京都や滋賀の見どころはどこかと聞かれたとき,それを英語で十分に説明できるでしょうか。
言語は文化です。まず,日本語を正しく話し,正しい日本語の文章を書くことが基本と思います。そのためには,日本の社会,文化,歴史,風俗,習慣,政治,経済,…などを深く学ぶことが,前提として必要です。IT全盛で,多くの人が手のひらコンピュータを持つようになったせいか,文章も何もかもが安直になっているような気がします。私は斎藤茂太氏の「良い言葉は良い人生を作る」の考え方に大賛成です。他人との会話においても,共通の楽しい話題を見つけて,話していると楽しい,おもしろいと思えるようにしたいと思っています。萩原先生の二つの教えは,生きる上での最も基本的な要素であると思われます。
3.教育とは何か
萩原研時代には,毎年7月下旬に若狭和田に2泊3日で海水浴に行きました。当時,萩原先生は50代前半だったと思いますが,何をやるか分からない若者と,よくぞ毎年つきあって頂いたことだと,今になって感心しています。
ビールを飲んで夕食後にお話ししていた時に,「君らを指導しながら,修行を積んでるんや」と言われた記憶があります。また,「君たちには将来がある」というお言葉もよく聞きました。
私は数年前からゴーヤのカーテンを作っています。日に当てるだけですくすくと育つ木,いろいろと手を加えてもなかなか育たない木。教育はガーデニングに似ていると思います。手のかかる学生に出会うと,これは私に与えられた修行と考えるようにしています。
私も教員になって30年以上経ち,およそ300名以上の学生,院生が研究室から巣立っていったと思います。研究室に所属した1年か3年の間に,彼らに多少なりとも良い影響を与えることができたかどうか,おおいに反省する必要がありそうです。私はまだまだ修行が足りませんので,神様が今も修行の機会を与えてくれます。
4.おわりに
私は昨年,還暦を迎えました。今まで多くの先生方,諸先輩,友人,出会った方々,…にご指導頂き,感謝の念に堪えません。萩原先生は第一の恩師であり,40年間おつきあいさせて頂きました。思い出すと数えきれないエピソードがあり,多大な薫陶を受けられたことに幸せを感じます。萩原先生は漢詩がご趣味で,自作の漢詩の色紙も戴きました。また,中国に行かれたときのお話も何度か伺いました。私は川柳と囲碁がおもしろいと思っています。自分の生き方・考え方に大きな影響を与えていることを改めて感じました。これが研究室の遺伝子と呼べるものかもしれません。ご指導有難うございました。どうか天国からも我々を見守っていただきますようお願いします。