ちょうど21世紀に入ったころから,専門職大学院を作ろうという動きがございました。そのとき現学院長の長谷川靖子さんがお越しになり,京都に情報系の専門職大学院第一号をぜひ創りたいと熱心にお話しされました。私もそれにほだされまして設立の発起人の一人としてお受けいたしました。当時は同様の学校を作る動きもあり,一方におきましては相当な反対もございました。この反対者を一人ひとり説得いたしまして,無事,2003年に京都情報大学院大学が誕生いたしました。まさに日本で第一号の大学でございました。
それから早10年。京都情報大学院大学があるということは,単に京都コンピュータ学院の関係者のみならず,京都市民にとっても,府民にとっても誇らしいことであると思います。
長谷川靖子さんがFORTRAN研究会を作られた1963年当時,ロサンゼルスではスモッグによる大気汚染が問題になっていました。その原因は自動車の排気ガスであるということから,私どもの会社は自動車の排気ガスを測定するという仕事を始めました。
これは非常に精密度を要し,様々な種類のガスを定量的に分析するためには複雑な計算が必要になります。しかし,その計算のソフトウェアを作ることは私どもの専門外ということで,大型のコンピュータを作っている会社にその仕事を依頼いたしました。
ところが,なかなかできません。「どうしてだ」と突っ込んでみると,なんと,そこはギブアップして長谷川さんのところへそのソフトを持ち込んでいたということでした。
結果的に長谷川さんに我々の分析系のデータ処理のソフトを全て作っていただきました。
それは非常に素晴らしく,日本中はおろか世界中で爆発的にその機械が売れまして,大変私は恩義を感じております。
その後,学生や入社する人々の教育等につきましても大変なご支援をいただきました。当時,だんだんとコンピュータが一般化されてきて,大学でもそのような学部,学科,あるいは講座が開かれてまいりました。その卒業生を採用するわけですが,その人たちは理屈こそ言うのですが,実際には,全然オペレーションはできないし,ソフトウェアも作れないのです。
「これはなんとかしないといけない」と思いました。
当時,よく言われていたことですが,情報系だけでなく,電子工学科を卒業した人が半田付けができない,機械工学科を卒業した人がフライスや旋盤を使ったことがない,など,サイエンスとテクノロジーのギャップが大変大きかったのです。
そのようなことを長谷川さんと話していましたら,「いや,そのとおりです。我々の建学の精神は正に,理論と技術そしてフィロソフィー,この三つが揃わないと完全なものはできない,というものです」とお話しされました。
正に,それは私がずっと思い続けた考えと全く一致いたしました。そういう意味におきまして,私は長谷川さんのお仕事がどんどん伸びていったことを大変うれしく思います。その建学の精神はずっと50年間,京都コンピュータ学院のフィロソフィーとなり,そして新しく10年前に誕生した京都情報大学院大学のフィロソフィーにもつながっているということで,この事業がこれからもますます,日本だけでなく世界的に広がっていくことを期待しています。
最後に一つお願いしたいことがございます。それは先ほどのビデオでも見ていただいたように,1963年以降,日本国内外で作られたコンピュータが,京都コンピュータ学院に多数保存されていまして,これをぜひコンピュータミュージアムとして公開したいと考えております。
京都の宝,京都の名所として,これをもっともっと一般の方々に見てもらえるように,そしてこれからこの関係の仕事をする人たちの大いなる刺激になるように,立派なミュージアムができたらいいと思っております。どうか本日ご参列の皆様におかれましては,このコンピュータミュージアムの建設につきましてもご支援を頂戴いたしたく存じます。