京都コンピュータ学院(KCG)と京都情報大学院大学(KCGI)などKCGグループが京都駅前校の「KCG資料館」で保存・展示しているDigital Equipment Corporation社(DEC社,米国)製のミニコンピュータ「PDP-8/I」と東京芝浦電気株式会社(現:東芝)製のオフィスコンピュータ「TOSBAC-1100D」が,一般社団法人 情報処理学会から「情報処理技術遺産」の「認定機器」に相次いで選ばれた。KCG資料館の認定機種はこれで7機種。これだけ多くの貴重なコレクションを保有する資料館は,国内の他の学術研究機関の追随を許さない。日本最古のコンピュータ教育機関で,創立以来50年以上の永きにわたって教育・実習・研究で使用してきた過去のコンピュータ等を保存しているKCGは,「コンピュータ博物館」構想を進めているが,構想実現に向けた弾みとなりそうだ。
「PDP-8/I」(2014年度認定機器)は1971年の製造とされている。DEC社あきるの工場DECミュージアム,国立情報研究所に展示されていた後,同研究所からの機器保管継続の要請を受け入れ,KCG資料館に2010年12月に搬入,保存展示を開始した。同学会は認定の理由として「PDP-8/Iは,ミニコンピュータというカテゴリーを創出した機種である。製造会社消滅で保存数は少ない」ためとしている。2015年3月17日に京都大学吉田キャンパスで開催の第77回全国大会で,KCGの長谷川晶理事長が,同学会から認定証を受けた。地元京都での開催となった第77回全国大会では,長谷川靖子KCG学院長が「コンピュータ教育創造と普及の歩み」と題して講演した。パイオニア精神を礎にしたKCGの50年以上に及ぶ教育活動の歩みや,コンピュータは機械ではなく文化的価値を持つものと位置付け,学内で使用したコンピュータを日本の高度成長を支えた技術を次世代に継承していくために保存していこうとした取り組み,使用済みパソコンを発展途上国に贈り,合わせて現地の技術指導者を養成するIDCE(海外コンピュータ教育支援活動)についてなどを,当時のエピソードを交えながら紹介した。KCGグループは大会のゴールドスポンサーとして,会場内に展示ブースを設け,KCG資料館やグループの取り組みについて紹介,同資料館の見学ツアーも実施し,大勢の参加者を集めた。教職員がガイド役を務め,展示機器について解説した。
「TOSBAC-1100D」(2015年度認定機器)は1964年に開発・発表され,KCG洛北校が1970年からコンピュータ教育のため使用していた。同学会は認定の理由として「初期のオフィスコンピュータのひとつで,中小企業でも導入しやすいレンタル価格を低く設定し,コストダウンと業務環境の確保を実現した貴重な機器」と評価している。2016年3月10日に横浜市港北区の慶應義塾大学 日吉キャンパスで開催された同学会第78回全国大会で長谷川晶理事長が認定証を受けた。
「国内屈指の貴重なコレクションを有している」との理由で2008年に情報処理学会から「分散コンピュータ博物館」の全国第一号認定を受けたKCG資料館。KCG京都駅前校には,同学会「情報処理技術遺産・認定機器」第一号の「OKITAC 4300Cシステム」や「TOSBAC-3400」などの機器が次々と運び込まれ,日本の高度成長を支えた技術を間近で知ることができる場として着々と整備,教育の場と共生している。学生やコンピュータ関連企業関係者らをはじめとするKCG資料館への来場者は年々増加している。
コンピュータ技術の急速な進化に伴い,情報処理機器の変遷も急。KCGでは十数年前から,次世代に継承すべき重要な意義を持つ技術や製品の保存と活用を図る必要があると認識し,博物館整備構想を温めてきた。KCGはこれまで,教育に活用した汎用コンピュータ,ミニコンピュータ,オフィスコンピュータ,パーソナルコンピュータ,周辺装置などを多数保存している。わが国が技術立国として今後も世界をリードしていくことが期待される今こそ,技術の歴史を顧みることができる博物館実現に向けて大きな一歩を踏み出す時と意欲を新たにしている。
KCGは京都駅前校を,わが国が誇る「コンピュータ博物館」として認可が得られるよう,また,運営のための財団法人設立が実現できるよう,国や京都府,京都市,学会・教育界・企業など関係者に支援と協力を呼び掛けている。
PDP-8はDigital Equipment Corporation(DEC社)が1965年に発売した12ビット・ミニコンピュータである。本機が商業的に大成功することで,ミニコンピュータのカテゴリーが確立し,またDEC社はその代表メーカとして認知されるに至った。内部はフリップ・チップという基板モジュール群を自動ワイヤーラッピング配線することで構成されており,低価格で製造できた。PDP-8は約5万台生産された。
当時のコンピュータは大型機ほど高性能で,かつ相対的に低コストであるとされ,価格や規模は肥大化の一途であった。顧客にリース契約で貸与するのが基本で,所有権はメーカにあったため,顧客はコンピュータを自由に改造して使うことはできなかった。その中でDECのミニコンは売切り販売の形態で,価格も1.8万ドルと安価であったため,大学の研究室等でも購入できた。また構造も公開されており,自由に改造できた。これがPDP-8の成功の要因となった。多彩な改造パーツは他メーカから多く供給され,またPDP-8自体を他装置の制御用に組み込むOEM販売も多く行われた。
しかし1970年代後半になると,その用途にはIC化されたマイクロプロセッサが使われるようになり,ミニコンは衰退していった。
出典・情報処理学会ウェブサイト:
http://museum.ipsj.or.jp/heritage/PDP-8_I.html
東京芝浦電気 株式会社が開発したTOSBAC-1100シリーズのモデルのひとつ。このシリーズは初期のオフィスコンピュータに位置付けられ,最初のモデルは1963年6月に発表,TOSBAC-1100Dモデルはその翌年1964年4月に発表された。紙テープにせん孔されたプログラムを一命令ずつ読み込んで実行する,いわゆる外部プログラム方式を採用し,その主要内部素子にはトランジスタ,ダイオード,磁気コアを用いた。機器構成はタイプライタ,プロセッサ,プログラムリーダ(紙テープ読み取り装置),データパンチ(紙テープさん孔装置),データリーダ(紙テープ/エッジカード読み取り装置)である。
中小企業での導入のしやすさを狙いレンタル月額を当時の事務員1人の人件費を意識した7万7千円に設定した。また,使用条件も一般の電子計算機よりも許容範囲を広く取り,温度は20±15℃,電源は電圧100±10ボルト,周波数50Hz/60Hzであった。
一般社団法人 情報処理学会発刊「情報処理技術遺産 2015年度」より