「来年の秋にヘール・ボップ彗星並みの大彗星がやって来る,近日点通過前後には満月くらいに明るくなるらしい。」金環日食の興奮から覚めたころ,こんな情報に接した。この彗星は2012年9月に発見され,アイソン彗星と名づけられ,2013年11月29日に太陽に最も近づくことがわかった。その時,太陽までの距離はわずか190万km,太陽の直径は110万kmだから太陽上空をかすめるわけだ。
そのような彗星はサングレーザーと言われ,これまで非常に明るくなった例がいくつか観測されている。12月初めには日の出前の東の空が楽しみだ。京都コンピュータ学院創立50周年記念にふさわしい天文イベントをやろう,彗星の専門家,国立天文台副台長の渡部潤一さんに講演してもらって,天文教育研究会の近畿メンバー何人かとパネルディスカッションを開こう,とすぐに思いついた。このような試みとしては「さよならプルート〜冥王星の76年間〜」(2006年秋/冥王星が惑星から除外され準惑星に分類された)「おかえり『はやぶさ君』〜奇跡の生還〜」(2010年冬/小惑星探査機はやぶさが苦難の旅の末,地球に帰還)を開いた経験があるので進行は大体わかる。
11月9日という日程は早すぎるかもしれないと思いつつも,11月後半になると渡部さんは目いっぱい予定が詰まって来るだろうから早くも3月に予約した。パネリストは有本淳一さん(京都市立洛陽工業高校),茶木恵子さん(子ども達に星空を観せる会),向井正さん(本学)に依頼した。天文教育研究会,NPO法人花山星空ネットワークに後援をお願いし,9月には募集用のポスターができた。
さて問題は人集めだ。チラシを印刷して配布するよりも今やSNSを利用する時代である。Facebook,Twitter,各種ML,もちろんブログや個人のウェブサイト。天文情報サイトパオナビ(http://paonavi.com/)にも載せてもらった。
ところが,10月になってから心配になってきた。肝腎のアイソン彗星が明るくならない。世界中のアイちゃん(愛son,愛孫)ファンはヤキモキ。Facebookは一喜一憂の,あるいは自らに大丈夫と言い聞かせているような記事ばかり。これじゃうまくいくかなぁ?
当日は予定通り13時に開始。参加者数は学内外から310名で,目標の300名は超えた(当日,JR東海道線の事故のため滋賀県からの参加者が来られなかったのが残念だった)。本学には札幌と東京にサテライトが設置されていて,このイベントはそこにもリアルタイムで配信される。
初めの1時間は渡部さんの講演。例の慣れた口調で聴衆を魅了する。2012年の金環日食や金星の日面通過,2013年2月のロシア・チェリャビンスクの隕石落下や小惑星(2012DA14)の地球接近といった最近起こった天文の話題が取り上げられた。次いで,古来人間は彗星とどう関わってきたかについて,「これまで彗星の訪れは,姿が不気味に見えたのか災いを招く〝凶兆〞ととられていたケースが多かったのですが,他方で稲穂をイメージさせるため豊作につながる〝瑞兆〞とされたこともあります」という一節は印象に残った。彗星の起源,運動について今までどのように解明されてきたかの解説があり,20世紀後半からの大彗星が紹介され,そして今回アイソン彗星はいつごろどのように見えるかの予想である。「12月初旬の東の空に,金星並みの明るさで見られるでしょう。
天候に恵まれることを祈りながら,長い尾を引く姿を楽しみにしていてください」という呼び掛けで終わった。今となってはかなり希望的観測だったが。
休憩をはさんで第2部は,渡部氏に4人のパネリストが加わってパネルディスカッションである。有本さんは,ハレー彗星の出現で天文に興味を持ち始めたとし,「アイソン彗星の観望を学校教育現場で対応していきたい」と天文教育の立場を強調。茶木さんは「星の間を縫うように現れた百武彗星を見たとき感動して鳥肌が立ち,ハートに火をつけられました」と当時のエピソードを熱く語る。向井さんは「想い出の彗星」としてハレー彗星を取り上げ,当時の1985年に日本が探査計画で大きな貢献をしたことを説明。そして筆者は「古文書天文学」の視点から,古い文献に記されている数々の彗星を,そして「想い出の彗星」としてはウェスト彗星を挙げた。参加者からの質問ではやはり,京都でまた東京でアイソン彗星を観望する方法や今後の観望会・講演会のスケジュールなどが多かったが,自分の彗星観測記を披露された方や自分たちの観望計画を紹介された方もおられた。
終了後,パネリストと聴講者が集まっての茶話会が開かれ,天文の話に花を咲かせ交流を深めた。20日後の近日点通過,およびその翌週の夜明け前の姿を期待しつつ。
このシンポジウム開催に協力していただいた株式会社ビューティフルツアー,株式会社ヒーロー,株式会社恒星社厚生閣に厚くお礼申しあげます。
アイソン彗星は11月29日の朝4時(日本標準時)ごろ太陽に最も近づくが,この時は眩しすぎて地上からの普通の観測はできない。太陽コロナ観測衛星SOHO,STEREOなどに頼ることとなる。アイソンの画像がリアルタイムで配信され,Facebookはパニックに近い状態だった。その結果はここで語るまでもない。アイソンは消滅した。太陽の熱に耐えきれなかった。サングレーザーということで期待され過ぎたのは気の毒だった。もう二度と訪れて来ることはないだろう。わずか1年間だったが世界中に夢と期待を与えてくれた。
Facebookにはまたアイソンを悼む川柳・狂歌が多数飛び交い,筆者も加わった。
もろともにあはれと思へアイソンの
身を焦がしつつ飛び尽き果てぬ
もちろん前大僧正行尊から拝借した歌である。
上記の肩書・経歴等はアキューム25号発刊当時のものです。