我々はどのようにして知識を獲得し,また成長させているか。そういうことについての議論を知識論という。近世哲学の知識論では,合理論と経験論とがその主要な立場とされている。そういう理解には問題もあるが,ここでは一応その見方に従い,それら二つの立場をそれぞれ考察してみよう。
私はここで近世の哲学者の意見を紹介しようとしている。しかし,我が国では哲学とはいかなるものか,十分な理解が行き届いているとは思われない。哲学という言葉にまつわる不要な誤解を除くためには,哲学が成立した最初の姿を見るのがよい。
よく知られているように,哲学は古代ギリシャにおいて初めて成立した。そして,その創始者としてターレスが挙げられるのが普通である。彼は,この世界は何からできているかという問いを立て,それに答えて,万物は水からできていると言った,とされている。世界が水からできているという答は,もはや値打ちがない。しかし,自然現象の成立の原因を探究し,現象の総合的で無矛盾な説明を与えるという知的営みは,西欧の知的伝統の中核として現在まで続いている。説明は整合的で論理的に一貫したものでなくてはならない,というのがその伝統の眼目である。これは色々な哲学から断片をつまみ食いすることを無意味とする。
哲学の最初の姿は,宇宙論であった。そして,宇宙論を発展させるために,哲学は,知識についての理論,すなわち知識論をも発展させた。知識論または認識論とは,我々が知識と呼んでよいものはいかなるものかという議論であり,人間知性の理解を含む。
哲学は,自然の探究として出発した。しかし,こう言っても,それは哲学が自然科学と同じだという主張では必ずしもない。現代の哲学者の大多数は,自然科学的方法を自然探究の最もよい方法とするであろうが,哲学者の中にはもっと他の方法を推奨するものもあり得るからである。それだけではない。哲学はやがて,人間をも自己の問題とするに至った。人間は一つの小宇宙と見てよいであろうから,哲学が人間に固有の問題を扱うようになったとて,哲学が初めの形から大きく逸脱したということにはならないであろう。しかし,哲学は,ソクラテスの例にはっきりと見得るように,善とは何か(従って悪とは何か)という問題をも,つまり倫理的な問題,あるいは価値の問題と言われるものをも,自分の問題とするようになった。これは科学の扱わない問題である。
さて私の課題は,近世の哲学が,人間,特に人間の知性をどのようなものと理解してきたか簡潔に述べることである。ただしここで私は,ロマン主義の人間理解のようなことには触れないであろう。私の述べるのは,近世における理性的な,あるいは客観的な人間理解の流れである。私は,主として,デカルトとヒュームについて述べる。この選択はそれほど恣意的なものではない。というのは,この二人は,近世の主要な二つの認識論的立場である合理論と経験論とをそれぞれ代表する哲学者だからである。
デカルトは近代哲学の父と言われている。このことの含みは色々あろうが,自然認識に関する範囲で言えば,その含みの一つは,機械論的数学的な自然観を基礎づけた,ということである。別の言い方をすれば,近代の初期における自然科学のやり方が,なぜ是認できるものであるのか,その根拠を彼は示したのである。つまり,なぜ自然探究に我々は数学を用いてよいのか,なぜ自然は力学的な法則に従ってあたかも機械のように変化していくと我々は考えてよいのか,を彼は説明したのである。
このことを示すために彼がたどった議論の筋を知るには,彼の主著の一つである『省察』を見るべきである。これは六つの省察から成っている。第一省察のいわゆる「方法的懐疑」から始まり,次いで第二省察で有名な「コギト・エルゴ・スム」(我思う故に我あり)という命題を確立,さらに神の存在を証明し,認識の基準として明証性を立てる,という順序で進んでいく。今その議論の流れの全体を述べる暇はないが,とりあえず注意をしておきたいことの第一は,「我あり」としてここで存在を証明された自我は,「考えるものであるかぎりの自我」であるということである。つまり身体をもつ自我の存在が論証されたのではないということである。第二は,ここに言及した明証性という基準によって数学的自然観が支持されるのだ,ということである。彼は「我」の存在から,進んで神の存在を証明し,神は誠実で欺かないという議論をする。そして,このことに基づいて彼は,認識の基準を立て,我々は明晰判明に認識することにおいては過たない,と言う。デカルトに従えば,そのような認識が可能なのは,神が我々の知性の中に明晰判明な観念を与えておいたからである。それゆえ,我々が知性を正しく用いるかぎり,我々は知性を信頼し得る。これが合理論の認識論の基本的態度である。この明晰判明な認識は,数学的認識を含む。かくして彼の認識論は,数学的知識に保証を与える。だがこの明晰判明な認識が可能なのは,精神としての自我のみである。明晰判明な認識は,思惟であって感覚ではない。感覚は身体をもつ自我によって生ずる。感覚による認識は明晰判明ではない,とデカルトは考える。
第六省察で,彼は,外界の存在の証明を試みている。それゆえ,彼は人間を身体なしのままにしておくわけではない。しかし,ここに問題が生ずる。デカルトの哲学は,今見たように,人間の身体と精神を分離することによって,数学的な自然観を基礎づけたのである。つまり,数学的自然探究は心身分離を基礎とする。しかし,我々人間の日常的なあり方,つまり普通のあり方は,心身分離ではなく,心身合一という形である。ところがデカルトは,心すなわち精神と,身体すなわち物質とは,互いに全く異なる,相容れない性質(属性)のものである,と考える。精神の属性は「考える」ということ(思惟)であり,物質の属性は「広がりがある」ということ(空間的であり大きさが測れるということ)である。そのように全く違う二つのものが,いかにして合一できるのか。そして,またいかにして相互に作用し合うのか。
この問いを鋭くデカルトに突きつけたのは,当時オランダに亡命中のファルツ選帝侯の息女エリザベット王女であった。我々はこの才女に心身問題の提起を負う。ただしこれは心と身体の関係がこの時初めて議論されたという意味ではない。この関係が哲学的問題となったという意味である。ここでは論じている暇がないが,例えばアリストテレスの哲学でも心身関係は論じられている。しかし,そこでは心身関係は哲学的な難問としては残らないのである。彼の哲学はそのような心の哲学をもつ構造なのである。
デカルトのような立場は,相互作用的二元論と呼ばれる。この見方に立てば人間はいかなるものとなるか。その答はもはや明らかである。人間は心身の二つからなる。そして,身体に関しては,機械論的な探究が可能である。情念もまた機械論的に解明される。しかし純粋な精神としての心の方は,そういう取扱いを許さない。人間のみが精神をもつ。動物は心をもたない。精神の自由を説くことによってデカルトは,近世においてやがて編成される様々な理論体系のために進軍ラッパを吹いたわけである。けれどもデカルトは,身体と精神が,ある意味で相互に作用することを認める。その説明のために,つまりその相互作用が成立する場所として,彼は,脳の或る器官(松果腺)を指定した。もちろん残念ながら,この器官にこのような機能を付与することは,現在の生理学の認めるところではない。
心身問題に対するデカルトの見解のうち,彼の推奨した人間(の身体の)機械論的探究は,以来,生理学者を鼓舞したであろうが,現代の生理学者は,エックルズのような少数の例外を除くと,人間に精神としての心を認めることに積極的ではない。
デカルト哲学の人間の扱いは,精神の自由を認めると共に,身体についての自然科学的探究を押し進めるものであった,と言ってよいが,彼の哲学から欠落していたのは,社会の中における人間について科学的に探究するという視点であった。人間そのもののみならず,人間を含め社会全体を唯物論的に,或る意味では機械論的に分析することを提唱したのは,ホッブズであった。ホッブズはデカルトとほぼ同時代の人であるだけでなく,この二人を対置または併置して述べることは決して的はずれではない,と言ってよい理由がある。以下において私は,ヒュームの哲学をごく手短に述べようとしているのであるが,そのヒュームもホッブズに大きな影響を受けている。ここで私がホッブズでなくヒュームについて述べるのは,認識論に関しデカルトと対比できる理論を述べたいからに他ならない。
ヒュームの認識論の立場は経験論と言われるものである。経験論というのは,簡単に言えば,我々の知識はすべて経験に由来する,という考えに立つ。経験論に立つ人は,合理論者の言うような,知性にもともと内在している観念などない,と考えた。これは当然ではないかと思われるかもしれないが,デカルトのために弁じて言えば,経験論の立場で数学的な知識を根拠づけるのはむつかしいのである。少なくとも,当時の論理学を以てしては,それは不可能であった,と言ってよい。実際,ヒュームの知識論の中で一番精彩を欠くのは,数学に関する議論である。
現代の哲学者なら,経験論の立場に立ちながら数学の基礎づけをするには,論理学に訴えるであろう。この問題に大きな貢献をした人にラッセルがいる。彼は,認識論に関しては,ヒュームと同じような線で考えていた人であるが,数学の基礎づけについては,論理主義を標榜し,数学の命題を論理の命題に還元するという形の議論を展開した。しかし,彼の立場は,結局,ゲーデルの不完全性定理によって,致命的打撃を受けた。そして,ここで蛇足までに言えば,論理学もまた経験的な知識ではない。確かにデカルト自身は,歴史的制約もあり,論理学というものを軽視した。しかし,論理学的知識は,むしろ彼の言う明晰判明な知識として,合理論的に基礎を付与されてしかるべきものではなかったであろうか。
ヒュームは,我々の知識はすべて感覚的知覚に基づく,と考える。しかし感覚的知覚のみに基づいて一般観念を構成し得るとする議論は,かなりむつかしい。何よりも感覚知覚は,我々に確実な知識を与えないであろう。我々は,感覚知覚のみから物体や自我の観念を構成し得るかどうか,確かではない。知識論に関して彼の名を不朽ならしめているのは,論理的には,因果法則が決して普遍的な妥当性をもち得ない,という彼の発見である。例えば,「すべての金属は熱すれば膨張する」という因果法則を考えてみよ。この法則を確立するにはどうするか。科学者は,できるだけ多くの金属片を取り上げて,それを熱し,それが膨張するかどうかテストするであろう。しかし,いったい,いくつの金属片についてテストすれば,この法則が絶対確実になるであろうか。信念の,心理的な確実性はともかく,客観的な確実性は,ついに得られないであろう。つまり,次のテストでこの普遍命題が反証される可能性は,論理的に言えば,永久に残るわけである。我々が普遍法則に付与する確実性は,その法則のこれまでの過去における成功,言い換えれば,習慣に基づく信念に過ぎないことになる。実際,ニュートン物理学のように,十分な実証を与えられたと考えられる理論でさえ,アインシュタインの相対性理論によって普遍妥当性を奪われたのである。
ヒュームの議論は,自然法則が確実で客観性をもつのだと信じていた人々にとっては,震撼すべき発見であったかもしれないが,他方それは,社会における人間関係についての因果性のより適切な理解を与えるものであった。彼のモラル・サイエンスは,因果性についての彼流の理解の上に建設されている,と言って差し支えない。
しかし,ヒュームのように,我々の知性ないしは物事の理解のあり方を考えると,デカルトの場合とは違う困難を引きおこす。「Aならば,B」ということを,繰り返し,いつも経験することから作り出された普遍法則は,なぜ実在に対して適用できる客観性をもち得るのであろうか。そうした客観性の根拠を示すために,我々の心理的な信念とそれを形成した実在の構造との対応を引き合いに出すことは,ここでは議論の構造上許されない。ヒュームの場合,我々が知り得るのは知覚のみであるから,例えば対象自体である物体の存在を確言することも,対象そのものが知覚と独立にもつ性質を知ることもできないのである。また,物理的実在と知覚の間の因果関係へも同じ理由で言及できないのである。かくしてヒュームのような因果性の理解は,物理的自然の探究に関し,ある種の認識論的制約を課すこととなる。
この難問を逃れる一つの道として私は,ポパーの考えに賛意を表したい。彼は,理論や法則は自然的世界についての我々の推測であり仮説である,と主張した。そして理論の合理性と実在性を,反証のためのテストに求めた。この立場はまた,知識の成長を説明し得る。もちろん,ポパーのように言うためには,我々は,経験論に立ちながら実在論を取ってよいし,そうする方がずっと道理があることを示す労をとらなくてはならない。しかし,その哲学的労苦は,科学的探究における創造性の救済という報酬をもたらすであろう。
このことをもう少し詳しく言っておこう。ヒュームのように信念形成を理解するとき生ずる困難のうちには,もし我々の信念なり意見なりが,受動的な習慣によってのみ形成されるなら,我々は新しい理論を形成し得ないばかりか,間違った理論をもつということにも意味がなくなってしまう,ということがある。そういう困難に陥らないためには,我々は経験に基づいて我々の意見を作ると言っても,それは,雨だれが岩石をうがって穴を作るという意味でそうなのではない,と言わねばならない。つまり,我々には理論を創造する知的自由がなくてはならない。我々が経験によって知識をもつということの意味は,普通,経験から帰納することと理解されているが,そうではなく,経験に基づき推測するということ,と考えるべき理由がここにある。
ヒュームにおける人間理解をどのようにまとめるかは簡単ではないが,さしずめ次のように言えるであろう。彼は,人間本性の分析を,まず認識能力の分析から始めた。人間の認識能力は,彼の場合,感覚知覚を明晰判明でないとして退ける合理論者の主張とは違って,感覚知覚を主体とする。彼の認識論は,知覚論の枠の中で展開される。知覚は,感覚印象と観念に分かたれる。そして,ここでやむを得ず不正確な言い方を取ると,観念は思考の次元に対応し,印象は情念や欲求など,行動に直接関係しうる知覚を含む。知性論において,彼は,懐疑論を用いて,まず我々の認識能力つまり知性に限界があることを示す。物体や自我,因果性についての彼の議論がもつ意義はそこにある。知性に限界があることの含みの一つは,我々が生きる場合に,知性のみに頼ることはできない,ということである。積極的に言えば,それは,まず人間の行動の基本的原理が広い意味での情念であることを示し,次にそれに基づき,情念によって引き起こされる人間の行為・行動について機械論的因果的な法則を立てることの可能性,換言すれば,社会科学的方法論を示した,ということである。ヒュームの場合,情念論は,知性論における因果性の理解を人間の社会的な行動にも適用できることを示すものであると同時に,彼の道徳論,つまり社会哲学の基礎を成すものである。彼の道徳論は,狭い意味での道徳論のみを扱うのでなく,当時の大きな問題であった正義の意味や,政府に対する服従の問題などの解明を目指していた。彼は,正義の規則を,物質的な財貨を各個人に帰属させるためのコンヴェンションと見る。政府もまた我々が安寧秩序を得るためのコンヴェンションとして成立した,と見る。そして,ここで詳しく筋道を述べるいとまがないが,彼は,それらのことの説明を,彼の知性論と情念論に添った形で与えるのである。そこで描かれる人間像は,完全には理性的でなく,行動の原理は情念にあり,多分に利己的で,仁愛の心は無ではないが,まことに乏しい現実の人間像である。そのような人間が,なぜ一見その本性に反するような正義の規則をもち,自己の自由を束縛する政府をもつのか。その説明にこそ彼の人間把握,社会的存在としての人間の把握はあった,と言うべきであろう。
最後に,蛇足をつけておこう。社会の情報化,ないし情報社会という考えは,近世哲学の認識論とどのように折れ合うであろうか。もちろん,この問いに対する答は,情報化ということをどのように理解するかで,異なってくるであろう。情報化社会,ないし情報社会といわれる社会はどんな特徴をもつものであろうか。それについて,専門家の意見を徴してみよう。
ある論者は,情報社会が到来したかどうかには,まだ消極的であるが,次のような定義を与えている。それによれば,<情報化>の意味は,「物や観念の世界を記号化することによって,時間と空間を越えて,あたかも実体を取り扱うのと同じ効果を,記号の操作によって得ようとする工夫」である。そして「情報化社会」とは,様々な事柄が容易に記号化される傾向にある社会のことであり,さらに「情報社会」とは,そのようにして情報化されたものが,一般大衆のレベルに対しても日常茶飯事として身近に接することができる社会を指す。
このように考えてよいとすると,情報化社会ないし情報社会というものは,観念を記号に置き換えれば,観念論的世界の構造とアナロジーをもつ。そのアナロジーの成立は,観念がそれ自体の客観性をもつかのように扱われて物化するのと同じように,情報も記号化され,事柄を離れたところで処理され得るようになって,扱いが容易となり独自の存在とみなされ出す,ということに基づく。観念の内容が記述的であるかぎりにおいて,観念論は記号論に移行し得るであろう。
さて,ヒュームもデカルトも,観念を認識の直接の対象とするという意味で,一種の観念論(観念説)に立つと言ってよい。(とはいえ,彼らが認識論において観念説に立ったことは,彼らが存在に関し実在論を否定したことを意味しない。)のみならず,デカルトは,幾何学に代数的手法つまり記号化という手順を導入したという点でも,情報化社会への一歩を進めた人である。そして合理論者の一人であるライプニッツは,計算機を作ろうと試みた哲学者である。これは,近世の合理論が,情報化への道を含むものであったことを示唆する。他方,情報は個人にとって外から入ってくる,ということに焦点を合わせて言えば,情報化社会における人間のあり方の理解モデルとしては,経験論者的な考えの方が,より近い構造をもつ。しかし,感覚の「生の感じ」の内容は,客観化に抵抗する存在であろう。つまり,それを情報化するのはむつかしい。(なぜむつかしいかは,ここで論じない。)しかも,感覚は生物としての人間にとっては極めて有用なものである。
情報化ということには,社会の情報化が技術的にどこまで進み得るかということとは別の問題も含まれている。というのは,コンピュータによる情報処理がいわば観念論的な情報処理であると言ってよいとすると,それはそれなりの危険をもつことは明らかだからである。実際,社会の現象が記号化されると,社会は抽象化されることになる。抽象化された社会は,不透明となり,それは我々の「悲しむ能力」の喪失をもたらす,と警告した精神分析学者もいる。
そうしたことは単なる危惧ではあるまい。なぜなら,記号(観念)の世界が,それ自体の存在と力をもつものとみなされるようになった時に,もし他方で,それが実在との結びつきを,意識的にまたは無意識的に,希薄にし過ぎてしまったなら,それに支配される人間の社会は,とんでもないデマによって,たちまち動揺し崩壊への道を歩むということもあり得ようからである。かつて悪しき形の観念論が,そのような暴威を奮って,人間社会を狂わせたのは,まだ記憶に新しいはずである。それゆえ,ハイテクの足下には,オブスキュランティズムという陥穽がある,と言わねばならない。「社会の基礎は社会を構成する人々の意見にある」というヒュームの見解は,そのことへの警告でもあろう。