「白砂青松」古来,わが国の海岸地帯には見事な黒松林が存在し,青い海と白い砂に調和した特有の景観を作り出していた。もとより,これらの森林は自然に出来上がったものではなく,その地域に生活する人々が,海岸地域固有の自然災害である飛砂・流砂・塩害・風害などから集落を守り抜くために作り上げた血と汗の結晶なのである。
苛酷な環境条件下にある海岸砂地に黒松を導入し,生育させ,しかも,生態的に長期間にわたって安定させた先人の技術には,ただただ恐れ入る次第である。
そして,技術の背景には生活の知恵が正しく活かされ,それが教訓として黒松林の保育作業として慣行技術的に伝承されている。例えば,落葉・落枝は冬季に掻き取る。除伐・間伐は早春に行う。この言葉の意味するところは実に奥深く,表面的には樹木生理と病害虫防除に適合した合理的な技術であることを示しているが,その一方では採取の季節を限定することによって貴重な燃料源である黒松林が乱獲されない程度に適切に管理しようとする意志も,伺い知ることができるのである。
このような地域の生活と密着していた森林は,過去のわが国において数多くあり,いずれも美しく健全に育っていたのである。人と森の共生関係の産物として存在していたとも言えよう。
ところが,今やこのような見事な黒松林は目にすることができないほどにまで少なくなってしまった。僅かに残された日本海岸沿いの黒松林も手厚い保護のもとに,辛うじて生き延びているのが現状である。
黒松林はなぜかくも激しく減ってしまったのであろうか?。
その原因を明らかにするための一つのキーワード「松露(ショウロ)」について話を進めたい。
「ショウロ」という言葉を聞いて,「ああ,懐かしい」と思われた方は,少なくとも40才以上,しかも,少なくともかつての美しい松林を知っている人である。
「松林は知らないが…」と言う人は,おそらく山陰地方の菓子の名前を連想された方で,これは失格である。
それはさておき,きのこの話を進めたい。
海岸黒松林には実にいろいろなきのこが発生する。注意深く長期間にわたって観察を続けると,黒松林の年齢や林の中の植物の茂り具合,落葉の溜り方などによって発生してくるきのこの種類が大きく変わることがわかった。
手入れが滞り,林の中に落葉や枯枝がたくさん溜ってくると,これらを餌とする落葉分解性のきのこ,例えばモリノカレバタケ,ホウライタケ,マツカサキノコモドキ,ハリガネオチバタケなどが多く見られるようになる。腐植質が多くなるので松の根は腐植の中へ入り込み,その根に付着し菌根を作って生活する大型のきのこ,例えばイロガワリベニタケ,クロハツなどベニタケの仲間,ツチカブリ,キチチタケなどチチタケの仲間,クロハリタケ,マツバハリタケなどハリタケの仲間も見られるようになる。このようなきのこが発生している黒松林の地表は例外なく厚い絨毯のように落葉腐植層が堆積しているのが常である。腐植の中の松の根は,何の苦労もなくどんどん栄養を吸収し,その結果,松の生長も異常に速まる。肥満児のような抵抗力の弱い松が増え,病害虫や気象害が多発してくる。最近の松林の松は少し雪が積もっただけで容易に折れ,風が少し吹けば倒れるものが多い。マツクイムシに対してもあっけないほど簡単に枯れる。
このようなきのこが出始めた黒松林は既に赤信号が点滅している不健康な林分であると考えることができる。同じように,健全な黒松林にはそれに対応したきのこが出てくるから面白い。
健全な黒松林とは生長の旺盛な林のことではない。黒松本来の適地-自然分布地-で逞しく生育している林のことを意味する。昔は砂地に松のみ生育している林があった。いわゆる「白砂青松」である。もちろん地表には林齢の進行にともなって薄く松葉が堆積するのが常であるが,人々がその松葉を焚付にするためなどに採取していたため,決して一定量以上には堆積しなかった。砂中の根は栄養を求めて細い根を多量に形成する。それでも十分な栄養を取ることはできない。根に特殊な菌根(菌が根に代わって栄養などを吸収する植物組織)を作ってきのこと共生生活をすることによって初めて健康的に暮らすことができるのである。
コツブタケ,ツチグリ,ハツタケ,アミタケ,キシメジ,そしてキーワード「松露」。これらのきのこは健康な黒松林の指標きのことして発生してくる。
松露は減っている。注意深く探してもなかなか採れない。統計的な資料はないが,「むかしは砂がきれいでなー,ものの小1時間も歩けばバケツに1杯ぐらい簡単に採れたんだがのー」と松露採りの老婆の嘆きを聞くと,その減り方は異常なくらいである。
ちなみに,私達の管理している4ヘクタールの試験地で採取の最高記録は,男3名が大汗をかいて捜し回り3時間で1083個,バケツ約2分の1であった。
松露が減れば松林も減る。松露を増やせば松林も甦える。
学名Rhizopogon rubescens松の露と書いて「松露」。まことに優雅な,きのことは思えないような名前が付けられている。
きのこの中でも特殊な形態をしている腹菌類に属する。したがって,傘もなければ足もない,およそきのこらしくない,小さなジャガイモのような形のきのこである。
砂の中に松露はできる。直径1~3センチ,表面はほぼ平滑,砂中にあるときには白いが,地上にさらされると淡黄褐色になり,傷つけると紅変する。俗に白いのを「こめ松露」,茶色いのを「むぎ松露」と言う。
早春に発生する数少ないきのこであるが,晩秋にも発生する。海岸黒松林の有機物のほとんどない砂中の黒松の細い根に菌根を作って,根に沿って不規則に広がる性質を持っている。
松露採りは楽しいきのこ狩りである。小さな熊手で,ここぞと思われるところを掻きおこす。コロ,コロ,コロと砂にまみれた松露がころがり出てくる。当り外れも多いが,それがなんとも言い難い醍醐味である。不思議と松の枝の先端付近の下,松の露が落ちる辺りに多くみつかる。食味はまさに珍味である。吸物に1,2個,微かに松葉の薫りが漂い,肉質の何とも言い難い歯切れのいい口当りは他に類をみない。色も格別,野生味あふれた紫黒色に食指がそそられる。串焼きに素醤油,ゆで松露のゆば巻,松葉をあしらった玉子とじなど,なぜか京料理にその名を多く残している。
数年前までは,京都,東京,大阪市場にごく少量入荷されていたが,今ではほとんど無いと言われている。庶民の口にはもちろん入ることはなく,高級料亭の季節料理で,しかも予約をしておかないと食べられないという,まさに,幻のきのことなってしまった。
私達は数年前から松露栽培にチャレンジしている。その生態を見極めるため日本海の砂浜を這いずり回り,穴を掘り,他人が見ればかなり異常だと思われる行動を続けた結果,ようやく彼等はその正体を見せてくれるようになった。
見てしまえばこちらのもの,早速まねをすればそれに釣られて動き出す。これは世の常であるが,松露の栽培もそのようなきっかけで成功しているのである。
松露の発生している場所の前方に深さ40センチ,幅30センチ程度の穴を松の根を傷つけないようにして掘り,その穴を別の場所から持ってきた有機物の含まれていないきれいな砂で埋め戻した。なお,その砂には1パーセント程度の木炭粉を混ぜておいた。
1年後の春,埋め戻した砂の上に大量の見事な松露が群生した。
これは松露が比較的好気的な環境を好み,特に新鮮な砂地を好むという性質と微量の炭粉に強い反応を示すという室内実験の結果から得た特性を現地で適応させたものである。
松露の発生していない不健康な若い黒松林の手入れを最初の年に行った。手入れの内容は,①枯れ松,弱った松の除去 ②雑木や雑草の刈り取り ③地表の枯れ枝,落葉堆積している腐植の持ち出し ④下の砂地が見えるほどの強度な掻き取り作業などである。これで林の中はずいぶん明るく清潔になった。
次の年の春,事例1と同じ方法で溝掘り埋め戻しを行い,その場所に胞子液を散布した。胞子液は良く熟したショウロ子実体400グラムに水1000ccを加え,ミキサーにて粉砕,液化したものを10リットルの水で薄めたものを使用した 3年目の春,その埋め戻しを行い胞子を蒔いた同じ場所から数個の松露が発生した。人工接種の成功である。4年目以降発生量は増えている。松の木も健康で逞しくなってきた。
これは,強度な環境改善によって松林の土壌条件が激しく変わり,松林が健全なきのこが育つ,いわば健康きのこ型になり始めたこと,そこにタイミング良く大量の新鮮な胞子が供給された結果であろう。
また,砂を用土とした植木鉢に黒松苗を植え,1年後胞子を播種したところ翌年鉢の中から小さな松露2個が発生したという圃場実験結果が現地で実証化されたものと考えられる。なお,この実験結果は,病める黒松林を健全化するための基本的な処方箋となるものと考えられる。
松露の自然発生地に,黒松2年生の苗木を秋季群状に植え付けた。次の年の春,植え付けた苗木の中にも松露の発生が認められたので苗木を掘り取ってみたところ,苗木の根一面に松露菌根が見事に形成されているではないか。松茸で有名になった「感染苗木(菌付き苗木)」と同じ性質のものである。「松露感染苗木(ショウロ菌付き苗木)」の成功である。
早速,二次感染を期待して環境改善を行った若い黒松林に今春移殖した。必ず来春には発生するものと確信している。
これは,松露が常に若い健全な黒松の根を求めるという性質をさらけ出したようなもので,たまたま植え付けられた苗木が丁度「撒き餌」のように強力な誘引効果をもたらしたものと考えられる。
この結果「松露感染苗木」は,自然発生地の若返り活性剤として,また,松露人工接種用種菌として利用することが可能と考えられる。
「白砂青松」の海岸は既に幻の存在である。今更早急に求めてもそれは無理難題と言うもの。それでは,都市海岸にせめて松露を人間の力で発生させることができないものであろうか。栽培すればいくら儲かるかなどと俗っぽい考え方は,ここでは触れたくない。幻のきのこを育て,作り,そして密かにその美味なる甘露を味わうという豊かな現代人の夢,ロマンとでも考えていただきたい。さらに,次の世代のための黒松林を!。
今,わが国の松の木は泣いている。海辺の松も,山の松も人間から見離されて枯れていく。確かに自然生態系のサクセッションから言えば,当然の成り行きである。なんとか生かし続けたい。ささやかな実証ではあるが,我々は高等菌類,つまりきのこという微生物を通して松の木との対話を続けてきた。
ここでは海岸の松を中心に話を進めてきたが,その何百倍もの資源規模を持っている山の赤松林をいかにして守るかという問題も,既に社会的な話題として議論され,その実行のため多額が投入され続けているのである。しかし,その効果はあまり見られず,反対に赤松林の減少という皮肉な結果を招いていることも事実かと思われる。
赤松林の生態系は黒松林のそれに比べてはるかに複雑である。しかし20年間以上にわたるきのこを通しての我々の語りかけに対して,明解なキーワード「マツタケ」を示してくれた。
適地,適齢の赤松林に対して,雑木の間引きや堆積腐植の強度な掻き取りを行うと,数年後に松茸が発生する。この事実は京都府下の600ヘクタール近い赤松林で事業的に取り組まれ,施業後5年以上経過した林では48パーセントの山で松茸の発生を確認するという見事な成果を上げるまでに至っている。もちろん松茸の出始めた赤松林は逞しく健全に育っているということは言うまでもない。
森林を守るということは理屈でもなく,計算できるものでもない。いかに森を知っているか,理解しているかということではなかろうか。その巨大な生態エネルギーを人が巧みに時間をかけて操り,その目的とするところに誘導してやる。それが古くて新しい森林管理技術である。
山のきのこを媒介に緑の自然を守るため情熱的な挑戦を続けていきたいものである。
松露 約40粒, 卵 4個, 出し汁 2カップ , 砂糖 大さじ1/2杯, 塩 小さじ1/3杯, うすくち醤油 大さじ1/2杯
(1)松露をぬるま湯の中につけ,薄皮をむく。
(2)鍋に出し汁と調味料を入れ,松露を炊く。
(3)卵を入れ,かき混ぜ,蓋をし,弱火で少し炊き,器に盛り供する。
松露 約20粒, すり身 150グラム, かいわれ菜 1/3パック, 出し汁 3カップ, 塩 小さじ1/2杯, うすくち醤油 大さじ1/2杯
(1)松露をぬるま湯の中につけ,薄皮をむく。
(2)すり身は別の出し汁少々でのばし,ゆでておき,かいわれ菜もゆでておく。
(3)塩・うすくち醤油で調味した出し汁で松露を炊いておく。
(4)器に(2)と松露を盛り付け,(3)の澄まし汁をはり供する。
松露 約40粒, 菜の花 150グラム, 出し汁 1カップ半 ,塩 少々, うすくち醤油 大さじ1/2杯
(1)松露をぬるま湯の中につけ,薄皮をむく。
(2)菜の花は熱湯に塩を加えゆでておく。
(3)鍋に調味料を入れ,松露を加えて炊き,冷ましておく。
(4)(2)と(3)を混ぜ,器に盛り供する。
(調理/京都料理専修学校)