世界を席巻し,誕生して40年以上を経た今も大きな人気を博するオートバイ「Kawasaki Z1」の開発について当時の担当者たちが振り返る『カワサキZの源流と軌跡』が2013年7月に発刊され,京都コンピュータ学院・京都情報大学院大学の長谷川亘統括理事長のコラム「世界標準となった日本の工業製品,Z1」が掲載された。ファンの一人として「Z」の開発の推移を客観的に見つめ,日本の高度な技術力を代表するオートバイと評価したうえで,未来の技術開発への道しるべになると訴えている。
同書は,「Z」の誕生から販売に至るエンジニア,製品企画,テストライダーの体験談など,当時川崎重工業でZの開発に携わり,バイクファンの手元に届けてきた各部門の担当者たちの共著。長谷川統括理事長のコラムは,120ページに写真付きで掲載されている。
著者で監修も務めた大槻幸雄氏(元川崎重工業株式会社常務取締役。Z1開発当時は単車事業部設計課長)は2012年1月,KCG京都駅前校で「世界一のオートバイとガスタービン開発及び開発技術者の使命」と題して講演,KCG顧問を務めている。2013年6月25日に兵庫県明石市のホテルで開かれた出版記念パーティーで大槻氏は,他の著者や出版関係者,大勢のユーザたちに囲まれ,「Z」への思いを熱く語っていた。
日本の企業が発案し,世界でスタンダードとなった技術はことのほか多い。西洋の発明でありながら,日本が世界をリードし,今なおスタンダードをつくり続けている分野のひとつにオートバイがある。
川崎重工業株式会社は1972年にZ1(900スーパー4)という大型オートバイの販売を開始した。それは瞬く間に全世界を席巻し,多くのレースでも勝ち続けた。
以来,マイナーチェンジやモデルチェンジを経て,約13年間にわたって,エンジンの基本設計にはさほどの変更もなく,そのオートバイは生産が継続された。そして今なお,世界中でZ1を旗手とする派生機種各車は愛用され続けており,オートバイのスタンダードとして,多くのメーカーのオートバイの模範ともなっている。通称「Z(ゼット)」と称される一連の製品はオートバイ趣味の王道として,世界で多くの趣味人に愛され続けている。
川崎重工業株式会社は1878年に創業され,日本の近代化と工業化,高度経済成長とともに歩んできた老舗企業である。明治時代には,日本最初の蒸気機関車(180型)の国内生産に成功し,その後,鉄道,船舶,航空や宇宙開発の分野で数多くの成果を残してきた。太平洋戦争時に飛燕,屠龍などの戦闘機なども生産していた同社の航空機部門は,戦後,民需産業への転換を余儀なくされ,小型オートバイのエンジンの生産を始め二輪部門となった。現在,オートバイを中心とする同部門(モーターサイクル&エンジンカンパニー)は川崎重工業全体の約3割の売上高を占めており,同社トップクラスの収益源となっている。
Z1は,それまで生産車両のネーミングにA,B,K,などのアルファベットが使用されてきた中で,最終の最高という意味を込め,また日露戦争の日本海海戦の際に掲揚されたZ旗を想起して,Zとしたという。発売から40年近くが経過しても,オートバイ趣味の一分野の最高峰として君臨し続けているという歴史の経過をみると,当初のネーミングはまさに正鵠を得ていたと言えるのかもしれない。
当時アメリカに独自の販売会社KMCを創設した浜脇洋二社長は,「Z1は日本人の技術力とアメリカ人の販売力との一体化で達成された結晶である」と述べている。また,Z1開発当時,同社の単車事業部設計課長であった大槻幸雄氏は,「(自社で)持っている技術とか,人間の数とは関係なしに世界一の目標を掲げる。そして自らも率先してやる」ということが,「長」として重要な事であると言う。「世界一のものをつくったら,必ず勝つ,そのかわり必死になって頑張る」「昼夜兼業,土日返上でしょうね。それくらいやらないとできない」。世界一を目指して,技術陣と経営・営業陣が力を合わせて,働いたのであった。
工業製品は往々にして,開発側の技術的側面や販売側のマーケティングのどちらかに重心が傾き,結果としてさほどの成功に至らないことが多い。販売台数が多くても,技術的には失敗作であるようなものもある。逆に,技術的には賞賛されても,販売で失敗しマーケットに受け入れられなかった製品もある。その点で,カワサキZ1は,技術的にも極めて優れた製品であり,マーケットにも広く受け入れられて,さらには,極めて長期間に渡って世界中で愛されている,世界のスタンダードのオートバイである。それをつくったのは,ほかならぬ日本である。
我が国特有の機械工学と職人気質が生んだ過去の工業製品の成功事例を観察すると,今後の日本の方向性を考える一助となるかもしれない。戦後の昭和の時代に世界標準をつくり上げた数多の日本メーカーと工業製品の中から,秀逸な一例である川崎重工業の工業製品を取り上げ,日本の高度な技術力の未来を考えることは,重要な作業のひとつだと思う。