アキューム 簡単に,歌舞伎舞踊がどのようなものか教えていただけますでしょうか。
――名前の通り,歌舞伎舞踊は歌舞伎の中の舞踊が独立したものです。元々歌舞伎と言えば江戸のものですので,私の場合,江戸のものを京都でやっていることになりますね。江戸と上方では舞踊一つとりましても全く違います。上方では「舞」と言いまして,畳一畳で静かに踊るものです。これが江戸になりますと「舞」ではなくて「踊り」になりますからより荒々しくなります。舞台を縦横に使いますし,動作ひとつにしても大きくなりますしね。一度比べてご覧になるとよいのではないでしょうか。
アキューム 先生はこの道に6歳の6月6日に入られたということですが,日付には何か理由があるのでしょうか。
――昔からの慣わしでしてね。やはりそれくらいが一番教わり易いということです。あまり小さすぎてもわかりませんからね。数えで6つですから無論,自分の意志ではなしに親の意志ということになりますが。私の場合は一度その道に入ったからには途中でやめるのはよくないと思いましたので今日まで続けてまいりました。
アキューム 具体的にはどのようなお稽古をなさったのですか。
――私の場合はお師匠さんの処に毎日通う,通いの内弟子でした。朝出かけていくと,夜までどっぷりそこの生活に浸るわけです。そして御飯を炊きながら,上でやっていることを見たりお茶を運んでいて話をしている人がいればその芸談に耳を傾けたり。生活そのものが学校でした。
若い頃は自分には踊りしかないと心に決めこんでおりました。踊りは身体の鍛練ですから今,これをやらねばという気持ちが強くて。踊り以外に,大学に行こうという考えはありませんでしたね。
またお師匠さんが明治生まれの,芸第一主義の方でしたからね。芸以外のことになると何をロにしても機嫌を損ねられるといった具合でして(笑)。自分の流儀の型にきちんとはめていくという方針なんです。今風に言うアルバイトをしたいと思ったとしても,そこでしたことが身についてしまうからと言って,許してくれません。外の世界からは全く遮断されて,純粋培養とでもいった感じでしたね。
アキューム 先生は京都ではどこが一番お好きですか。
――与謝野晶子の歌に「清水へ祇園をよぎる桜月夜,今宵逢う人皆美しき」というのがあります。私はこの歌にうたわれた祇園で小さい頃から育ちました。この歌には桜月夜とありますが,円山公園にね,素晴らしい桜があるんです。東山画伯なども描かれた,有名なしだれ桜です。春の夜,朧月に照らされたしだれ桜は絶品で,見る者の心まで美しくしてしまう魅力があります。今,円山公園で見られるしだれ桜はニ代目です。一代目は,私の子供じぶんに枯れてしまいました。植樹された頃は弱々しかったのですが,二代目のしだれ桜も,今では先代と同じ場所で立派に成長しました。伝統を受け継いだと言うのでしょうかねえ。子供の頃から私はしだれ桜と成長をともにしてきたので,見るたびにもっと自分も芸を磨かねばという気持ちになるんです。
京都は,東山,北山,それに比叡山と,美しい山々に囲まれています。それに鴨川という清流にも恵まれ,大変自然環境の良い街です。葵橋という橋が下鴨にありますが,その上に立って北に向くと賀茂の流れをたどった先に北山がのぞめます。その風景を見ていると,大きく深呼吸したくなる気持ちです。
一番好きな場所となると,やはり,嵐山ですね。電車を降りて歩いて行くと,突如視野がひらけ,渡月橋と嵐山が目に飛びこんできます。あの瞬間はいつもはっとして立ちつくしてしまうんです。美しいものに魂を奪われた状態ですね。再び我に返って見ていると,今度は嵐山と渡月橋の織りなす角度に吸いこまれるような気分になります。
雨中の嵐山もまた絵になります。橋のたもとにたたずんでいると深山幽谷という感じで,時間のたつのも忘れて,ぽつんと一人,取り残されたような感覚です。嵐山の立姿と渡月橋との構図は,歌舞伎の様式美にも通じる所があるのではないでしょうか。
アキューム 最近嵐山周辺の観光化が進んでいますが,先生はいかが思われますか。
――確かに自然環境という意味ではあまり観光化されない方がいいと思います。ただ,観光化されるということは,やはりそれだけ嵐山が多くの人から愛されているという証拠ですから。一概によくないこととも言えませんね。それに多くの人が訪れた方が街にも潤いが出ていいのではないでしょうか。
アキューム 京都には一年を通じて様々な行事がありますが,先生にとって特に印象深い行事と言えば何でしょう。
――師走の風物詩として,素人顔見世があります。素人の皆さんが南座の舞台で歌舞伎をおやりになるんです。もともと,終戦直後に京都の旦那衆が,戦災孤児の餅代を捻出するために始められたんです。それが毎年,顔見世の楽日の翌日,そのままの舞台を使ってやるようになりました。私も毎年お手伝いさせていただいておりますが,歌舞伎も踊りも見たことがないとおっしゃる方が多く参加されるのでやりがいがありますね。ただ残念なことに長らく親しまれてきた南座が今度改修の為取り壊されることになりました。今回の素人顔見世は,昭和の南座での最後の公演となりましたので,参加された方々は特にはりきっておられました。
素人顔見世の面白さはなんといっても意外な方が意外な役をおやりになることですね。以前,京大の岡本総長がお出になられたことがありました。それも腰元の役で。偉い役どころが来たら花道をぼんぼり持って御殿に案内するような,名もない,その他大勢の役です。上下のはっきりした歌舞伎の世界ではちょっと考えられない役付けですね。おやりになった総長先生も素晴らしいのですが,素人顔見世だからこそできたことでしょう。
楽屋の雰囲気も本当に和やかでしてね。主役も端役もなく,それでいてマナーはきちんとしていて。本当に私も勉強させていただいております。また,私ども舞踊のプロにとりましてもお手伝いさせていただくことは大変な刺激になるんです。素人顔見世ではプロが持っていないもの,やれていないものを町の方々が思いがけないところで見せてくださるわけですから。
また御指導にあたるのが片岡仁左衛門さんをはじめ,錚々たる方々というのも素晴らしいことです。
参加されたある方がインタビューで,「百万語を費やして語るよりも,自分でやってみた方が歌舞伎の深さが分かる」とおっしゃっていたのが,とても印象的でした。
町の方々はこれに参加することで京都に生きる伝統を肌で感じることができると思います。それがまた,町の活気へとつながっていくのではないでしょうか。素人韻見世は暮れの京都の雰囲気によく合った行事でとても好きですね。
アキューム 現代において京都らしさとはとのようなものであると思われますか。
――京都らしさというより,日本人らしさそのものが難しくなっていると思うんです。私としても京都人である以前に日本人として,その問題は切実に感じています。国際化の進む中で日本人として生きていくということはどういうことだろうかと。
アキューム ではその国際化ということで,歌舞伎舞踊における国際化について,お話をうかがえますか。
――京都はキエフと姉妹都市を結んでおりますが,そちらの日本舞踊の公演に参加したことがございます。文化交流ということもありまして,観にきていただいた方々の目も温かいものでした。ひとつ面白かったのが「おこつく」というつまずくような振りがあるのですが,そこに入った時です。客席の方からあっという声があがってざわめきだしましてね。本当につまずいたと思われたらしくって。日本だと,はっとさせるところだったのですが(笑)。
また私どものところにも舞踊を習いに見える外国の方が多くなりましたね。外国の方々は先入観なしに踊りに取り組みになりますから日本の方より理解が早いんです。見ていて興味深いですね。他国の文化を吸収しようとするときの意気込みはものすごいものがあります。本当に目の輝きが違うんですね。日本人であることが難しい時代ですから,日本の伝統芸能を学ぶ外国の方の真剣さに私たち自身がもう一度学ばなければならないと思うんです。
アキューム 伝統を守るということについて先生のお考えをお聞かせください。
――私どもの流儀は江戸の文化文政時代の振りをそのまま残しております。昔の人がそれこそ命賭けで守られたんですね。それを考えると,どんなことがあっても絶やしてはいけないと思うんです。時代はもの凄いスピードで変化していますけれども。守らないといけませんね,踊りだけは。
私は,お師匠さんから教えていただいたことは,すべて正しいと信じております。ですから大切なのは,教わったことをなるべく正確に伝えていくことだと思うんです。
ただ,日本舞踊にも変えていくべき点はあると思います。時代の変化に対応しながらですね。最近の若い人を見ていると強く感じますね。若い人の中には,礼儀作法の勉強を兼ねて,という方が増えているのです。私どものように,踊りだけ,というのと違って。そういった若い方々の要望も取り入れた指導をするようにしています。
アキューム 最近は日本舞踊の練習用ビデオなどもあるようですが。
――確かにビデオなら好きな時に好きなだけ見れるのでいいように思いますね。しかし,ビデオでは伝統を守ったり,伝えたりはできないと思います。やはり伝統は,直接,人から人へ伝えていくものだと思うんです。お師匠さんの隣りでね。しかも手をとってこうですよという親切な教え方ではなくて。私などは,他の人が踊っている時に,部屋の隅でそっと練習するというやり方でした。
ふりをまだ覚えていないうちにひとりでやってみろと言われましてね。汗をかきながら踊ったりしました。今,考えるとそういった訓練が良かったのではないかと思います。振付けの勘を養ったりするのに。
アキューム 時代を超えて伝統が生き続けるのはなぜでしょう。
――やはり人間が必要としているからでしょうね。
たとえば芝居は戦争中もなくならなかったんですよ。京極に,小芝居という小劇場が幾つかありましてね。母に連れられて戦争中でもよく芝居を見に行きました。
ある時,空襲警報が嗚ったんです。芝居の最中に。すぐに中断になって,みんな防空壕に逃げこみました。観客も役者もいっしよにです。しばらくたって警報解除になると,みんなぞろぞろ防空壕から出てきましてね。また,劇場に戻るんです。今までいっしよに防空壕にいた役者さんが,また芝居を始めるんです。何事もなかったかのように(笑)。
いつ死ぬかも知れない時なのに,芝居をやる人間がいて,見る人間がいる。不思議ですね。やはり人間には芝居や舞踊が必要なんだと思います。
アキューム 学生生活の場として京都はどうでしようか。
――京都に憧れる学生さんは多いですね。やはり街のそこここに古いお寺があったりするのが魅力なのでしょう。他の街では味わえない独特の雰囲気がありますから。休みにはお寺めぐりをしたり,古い街並を散策して過ごす学生さんもいるようですね。
また,京都には学生さんを育てるという気風が古くからありますので,そういった環境で学生時代という多感な時期を過ごされるのはとてもいいことのように思います。
また京都という街は大きさの上でも広すぎず狭すぎず,すべてのものが行動半径の中に収まっていて,非常に住みよい街ですね。私も仕事の上で大阪,東京,あるいは海外へと出ていくこともありますが,生活の拠点はやはり京都がいいと思っています。
アキューム 最近の京都はいかがですか。
――大岡昇平さんは昔の京都について「淋しい学問と遊蕩の街」と書かれていましたが「淋しい」というのは最近の京都には合わないかも知れませんね。河原町に行けば,東京かと思うようなお店がたくさんありますし。
そういえば先日,北山通りを歩いていて驚いたのですが,道沿いにモダンな建物がずいぶん増えましたね。北山通りというと京都でも郊外になりますが。
古いものと新しいものが同居しているということが,今の京都の一番の魅力ですね。新しいものと言っても単に流行を追いかけているのとは違うと思います。流行の発信源になり得る可能性が京都にはあります。伝統を背景に,どんな未知のものが生まれるかも知れない期待と言いましょうか。千年の都として京都には他の街にはないサムシングがあると思いますね。