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Accumu Vol.12

私が見たモンゴル国

京都コンピュータ学院 和久 美奈子

モンゴル国

京都コンピュータ学院は今年創立40周年を迎えた。この長い歴史の中で,1989年より行われてきたIDCE(海外コンピュータ教育支援活動)は今年で14年目になる。この記念すべき年に支援の対象国になったのはモンゴル国である。

モンゴルとの出会いは,2001年度の外務省の事業により京都市が受け入れたモンゴルの研修員,ダシュツェヴェク・チムゲさん(モンゴル政府文部科学省芸術文化部所属)が,京都市の仲介により,本学院に中古パソコンの寄贈を申し入れたことに始まる。

本学院はそれを受けて,モンゴル政府に対して,2002年12月に,コンピュータ40台,プリンタ5台を寄贈した。これらの寄贈パソコン等は,モンゴル政府とモンゴルビジネス大学により首都ウランバートル市に開設された「オープン・ジャパン・センター」に設置された。同センターは,モンゴルと日本の交流の促進を目指し,日本語の教育・普及とコンピュータ教育の基礎づくりを主な事業とする施設で,モンゴルビジネス大学がその運営,推進役を務める。日本語とコンピュータの授業を行うほか,学生や一般市民にコンピュータおよび図書室を開放し,自由に活用できるようになる。

2003年2月26日には,同センターの開設記念式典が執り行われた。

モンゴルと聞いて誰もが想像するのは,「青く澄み渡った空と緑の大地とそれをバックにした馬の姿」ではないだろうか。この想像はもちろん正しいが,モンゴルには別の顔も存在する。つまり,冬のモンゴルである。この国の冬は,氷点下20~50℃の世界と言われ,実際ガイドブックを見ても,12月末から2月ごろは「厳冬期」とあり,またあるウェブサイトには「観光には全く適さない時期」とまで書かれている。今回の開設式典はまさにその時期にあたり,式典に出席する私たちは防寒準備を万全にし,「厳冬期」という言葉から想像する寒さに過度の不安を抱きながら出発の日を迎えた。

夏なら日本からモンゴルへ週に何便も直行便が飛び,片道4時間程度で行けるが,冬は週に2便,しかも韓国経由のみである。また,今回は伊丹空港からの出発で成田も経由したため,乗継が多かった。この一日かかる長旅がさらに私のモンゴルに対するもう一つの不安を募らせた。もう一つの不安―それは,食べ物である。モンゴルでは羊を使った料理が多い。また,地理的条件から野菜栽培には適さないため,体に必要なカルシウムやビタミンなど,他の栄養分を羊,馬等の乳製品やお茶からとっている。聞くところによると,ミルクだけでなく,地域によっては羊の血の料理もあるらしい。食べなれていないものが苦手な私は,成田空港で非常食を購入した。

14時間近くかけて到着したモンゴルの首都,ウランバートル。空港から外に出て,まず自分の目を疑った。雪がない!のである。震え上がるほどの寒さもなく,2月末のモンゴルは北海道と大して変わらない,十分耐えることのできる寒さであった。北極圏や南極圏のような厳寒の地を想像していただけに,目の前に広がるこの意外な光景と気温に,正直なところ少し拍子抜けした。誰もの胸に安堵感が広がったことはいうまでもなく,この時,私自身は一つの不安から解消された。

モンゴルでは冬でも,晴れた日には夏のようなあの澄み渡った青い空が広がる。日本の約4倍の面積を持ち,総人口約235万人のうち4分の1がウランバートルに住む。街を行き交う人々の服装は世代によって異なり,民族衣装であるデールを身にまとう人が高年層に多く見られる一方,若者の多くは,ダウンジャケットにパンツといった私達と変わらない格好だ。1921年の革命の指揮者であるスフバートルの銅像や数多くのチベット仏教寺院があり,南のザイサン丘には旧ソ連との友好を表すモニュメントが街を一望できる形で建てられている。1992年の東欧の社会主義国崩壊にともなって資本主義政策をスタートさせたこの国は,建物や道路事情のどれをとっても発展段階にあるという印象を受けた。

そして,いよいよ私にとって期待より不安が大きかったモンゴル料理を食べる瞬間がやってきた。目の前に運ばれてきた料理は,虚飾がなくてシンプルである。モンゴル人の主食は羊肉と聞いていたとおり,前菜,スープ,メインの料理のすべてに羊肉が使用されている。ボーズと呼ばれる肉まんの様な食べ物を口にした。その途端,これまで抱いていた不安は,小麦で作られた皮の中にある羊肉の素朴な味に溶けてなくなり,モンゴル料理を心ゆくまで堪能したいという気持ちが呼び起こされるまでになった。

次の日に,モンゴルの伝統住居である「ゲル」で,伝統音楽を聴きながら昼食をとったときのことである。馬頭琴が奏でるメロディに包まれて,素朴なのに深遠な味覚が,私の第六感で結晶し,悠久の歴史を感じさせた。

何が私にこのような感動を与えてくれたのか。モンゴルの料理,住居,音楽の彼方に,その答えがあるような気がする。

「ゲル」は,木とフェルトでできた組み立て式の移動住居であり,現在も遊牧生活を送るモンゴル人の間で利用されている。直径約10~15メートルの円形のゲルには,ひと部屋のみで,煙突式のストーブを中心に,必要最低限度の家具が置いてある。寝食すべてをともにするその一部屋は,そこにいる人々の心を和ませ,きずなを深めてくれる不思議な力を持った空間に思えた。

私はこの「ゲル」で,初めてモンゴルの民族音楽を聴いた。馬頭琴をはじめ,モンゴルの三味線や琴,ジャンズ,ヤタグが広大な草原とそこを吹き渡る風の様子を奏でる。ゲルの天窓からはあの澄み渡った空が見える。目を閉じると,聴こえるのは懐かしい響きである。音色は日本人に馴染みがあり,メロディは日本人の心に響く。そして気持ちが落ち着くのだ。このページを読まれた方々もぜひ,一度聴いてみられることをお勧めする。

滞在3日目にして初めて雪化粧をしたモンゴルの街を見ることができたことも忘れられない。不安を感じる程度にマイナスのイメージを持っていた雪が,このときは「待望の雪」になっていた。氷点下の気温で雪を手に取ってみると,手袋の上の雪はすべて結晶のまま溶けずにいる。そして,その一つひとつは,どれも違う形を織り成しているのだ。しばらくその美しさに心を奪われた私は,モンゴル国を訪れることができたこと,また雪が降ってくれたことにとても感謝した。

モンゴル国

モンゴル滞在は4日間という短い期間であったが,モンゴルに対する印象は,「オープン・ジャパン・センター」開設式典参加を通して,これまでに述べたことだけでは語り尽くせないことを強く感じる。

式典前日,モンゴルビジネス大学と「オープン・ジャパン・センター」を訪れた。ホテルから車で約20分。モンゴルビジネス大学に到着し,車から外を見ると,学生が寒い外で私たちを出迎えるためにわざわざ待ってくれている。車から降りると,彼らの温かい拍手が鳴り響き,私たち一人ひとりに一輪の赤いバラが贈られた。全く予期していなかった大歓迎に,今までにこのような体験をしたことがなかった私は,その時はどのように振舞えばいいのか分からず,自分の中でうれしい気持ちはあるものの,気恥ずかしさでいっぱいになっていった。そして,同大学が,モンゴル最初の私立大学であること,また本学院と同じようにパイオニア精神で大学を発展させてきたことを知った時は,同大学に親近感を覚え,贈られた赤いバラが,友好のシンボルのように思えた。

その後,「オープン・ジャパン・センター」のビルに入った。最初に私の目の中に飛び込んできたものはセンターのロゴマークである。日本とモンゴルの国旗の下にWindowsのマークがついているのロゴマークを見た時,改めて,日本とモンゴルが「IT技術」を通じてつながったことを感じた。そしてセンター1階の部屋で「京都コンピュータ学院」のラベルが貼付されている寄贈コンピュータを目にした時は,本学院がその架け橋となって,モンゴルに新たなコンピュータ技術者が生まれることを実感した。このように本学院寄贈のコンピュータが世界各国のIT技術の推進に役立てられていることを思うと感慨深い。

式典当日は,本学院長谷川亘副学院長やモンゴルビジネス大学学長のエンクタイバン先生をはじめ,モンゴル政府教育省次官ミシグジャブ氏,元財務大臣ビャンバージャブ氏,日本大使館の水野明氏など政府関係者も多数列席した。式典では,僧侶(ラマ)によるこのセンターの発展を祈願する儀式も執り行われた。また,この事業の舵を取ってきたモンゴル政府教育省の副大臣エルデネスレン氏との会見では,同省から「オープン・ジャパン・センター」の開設に大いに貢献したとして,本学院と京都市に記念の盾が贈られた。そして同副大臣は,この日をもって「オープン・ジャパン・センター」の名誉センター長として迎えられた長谷川亘副学院長に,このセンターを通じてモンゴル国のIT技術発展のための更なる協力を要請した。後日,表敬訪問したモンゴル国議会社会政策委員会の委員長,ガンジー女史も,このIT分野推進事業への協力に強い関心を示していた。

資本主義政策に転換してから10年余たつ今,モンゴル国は,自然や伝統文化を大切にしながら,その一方で世界の国々とのつながりに重きを置きつつ,更なる経済発展をしていくことに非常に力を入れている。その柱にしているのが,まさにIT技術の推進なのである。それだけにこの「オープン・ジャパン・センター」には,モンゴル政府からの大きな期待がかけられている。

この新たな対象国との協力体制を整えながら,「コンピュータ教育と日本語教育を目的とし,一般市民に広く開放される」このセンターを発展させていくことが双方にとって今後の大きな課題である。

14年間にわたる京都コンピュータ学院のIDCE事業,すなわち,単にコンピュータを寄贈するだけではなく,IT技術教育の支援も行い,協力しながらより一般の人々にIT技術を広めていこうとするポリシーの中に,私は国際協力の真の意味を感じる。

今回のモンゴル国訪問の機会を与えてくださった関係者の皆様と,お世話になった現地の皆様に,心から感謝している。そして,これまでには持っていなかった新しい視点で,今後,世界の国々のことを考えていきたいと思う。

モンゴル国
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和久 美奈子
Minako Waku
  • 関西大学社会学部卒
  • セントラルクィーンズランド大学教育学部卒
  • 京都コンピュータ学院教員

上記の肩書・経歴等はアキューム12号発刊当時のものです。