出席者(敬称略) | |
松谷 孝征 | 一般社団法人日本動画協会 名誉理事, 特定非営利活動法人映像産業振興機構 理事長, 株式会社手塚プロダクション 代表取締役社長 |
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佐渡島 庸平 | 株式会社コルク 代表取締役社長 |
増田 弘道 | 一般社団法人日本動画協会 事業委員会副委員長・ 人材育成ワーキング座長 |
菊池 健 | 特定非営利活動法人NEWVERY理事・事務局長, トキワ荘プロジェクト(アーティスト教育事業部)ディレクター |
長谷川 亘 | 京都コンピュータ学院・京都情報大学院大学 統括理事長・教授 |
長谷川京都マンガ・アニメ学会設立の背景にあるのは,マンガ・アニメ業界がIT化され,急激に変化していく最中にあるということです。私ども京都コンピュータ学院は,日本で最も歴史のあるコンピュータの教育機関で,今年(2013年)創立50周年を迎えたところです。また,グループ校の京都情報大学院大学は,専門職大学院として認可をいただき,創立10周年となりました。コンピュータはこの50年のうちに,単なる計算機だったものが様々な機器に組み込まれるようになり,目覚ましい進化・発展を遂げています。キャブレターとエンジンで動いていただけの自動車は,今ではコンピュータが制御するロボットのような存在になってきています。携帯電話はもはや単純な通話の道具ではなく,かつての電話の機能を持ち合わせたコンピュータ,スマートフォンに取って代わられつつあります。また,コンピュータグラフィックスという言葉が出てきて20年以上が経ちますが,ITの進化に伴ってマンガ・アニメの分野もその対象分野として大きく様変わりをしてきました。それらのIT関係の技術の進化がまず,学会設立の前提にあります。さらには「京都国際マンガ・アニメフェア(京まふ)」が開催され,この京都の地から,マンガ・アニメ文化が発信されるようになったことも一つのきっかけであると言ってよいでしょう。日本のマンガ・アニメには,ある特徴が見られるように思います。コマからコマに移り変わる時,ディズニー作品のような欧米のものには見られない独特の「間(ま)」があります。この日本特有の「間」は,歌舞伎の「見得」などにおいても,見受けられるように思います。マンガ・アニメを通して,独特の「間」の文化を認識し,ひいては日本の文化全体についても考察することができるのではないでしょうか。そのような意味で,日本の文化の中心である京都に,この学会を立ち上げることには大きな意義があると考えています。
私どもはコンピュータ・ITの教育機関ですが,専門職大学院・専門学校として実学教育・職業人教育を展開しています。特に,産業界との連携を密にして,従来の固定観念から解き放たれたような自由な発想でもって,ユニークな学会となることを願っています。そのためのお手伝いができればと考えています。
菊池「トキワ荘プロジェクト」について説明いたします。このプロジェクトは2006年8月に始まりました。東京に古い一軒家を21軒借り,現在では,計116部屋をシェアハウスとして,東京でマンガ家を目指す若者に活動の場として提供しています。そこで育まれたコミュニティの中から,マンガ家が誕生するといった取り組みです。これまでの7年間で270人以上の方に部屋を提供し,そのうち34名がプロ作家としてデビューしました。なぜこのようなプロジェクトが東京で成立するのかをお話しします。東京には,売り上げベースで国内の99%のマンガ関連の出版社が集中しています。地方のマンガ家志望者が東京に出てきて修業するというのは,藤子不二雄A先生の『まんが道』の時代からスタンダードな形でした。そこで私たちは2年ほど前に,京都版トキワ荘事業ということで,京都におけるマンガ家支援の活動を開始しました。京町家をお借りし,シェアハウスとしてマンガ家志望者が修業するという内容です。なぜ京都で始めたのか理由を申しますと,京都には京都精華大学をはじめマンガを学部,学科,コースで教えている大学が3つあって,マンガだけを学んでいる学生が1000名以上いるからです。アメリカで言えば,南カリフォルニア大学が映画学科などを設けており,コンテンツ教育の走りと言えますが,日本のマンガを教えているいわば教育集積の場としては,京都がナンバーワンなのです。産業が集積する東京と同様,マンガ関連の人が集まる場所なので,京都をプロジェクトの舞台にしたわけです。
マンガを大学においてまで教えるという点で,議論となる場合があります。先ほど約270人のうち34名がデビューしたと言いましたが,逆に言うと,34名以外はデビューできていないというのが現実なのです。全員がプロになれるわけではないのは当然ですが,それなら果たして大学で教えるということに意味があるのかどうか,と以前より言われています。しかし,私は意味があることだと思っています。これまでプロとして学んでいくのに最も効率が良いと言われていた,例えばアシスタントになるとか,出版社に通い詰めるといったことが無いまま,プロになっている人が現在増えてきています。手塚プロダクションの松谷社長が『ブラック・ジャック創作秘話』の中で言及されていますが,手塚治虫さんのアシスタントから,たくさんのプロが誕生しています。アシスタントたちは手塚先生の姿勢を学び,吸収し,育っていったのです。しかし今では,デジタル化によってそのような環境が増えているようで,実際には減ってきています。大学では単純に座学で学ぶだけでなく,ゼミや研究室で,教員を務めているプロの作家と触れ合い,身近に感じながら勉強していくという,今までに無かった形が生まれてきているのです。京都は,このように新しい形でプロ作家が誕生していく土壌であると思います。
増田私は人材育成ワーキングとともにデータベースワーキングにも携わっていて,毎年「アニメ産業レポート」を発刊しています。この「2013年版」には,日本のアニメ業界の人材育成の状況に関してアンケート調査を実施し,結果をまとめたものが掲載されています。調査結果から分かったことは,日本のアニメ業界の3分の2程度は,いきなり現場に行かせるのではなく,3ヵ月から半年程度の人材育成の期間を設けているということです。ただ総体的に,動画や彩色といったアニメ制作の過程の一部が,経済的理由によって海外にアウトソーシングされることが多くなっています。それに伴い,国内に人材育成の場が少なくなっているのは事実です。そのような状況に置かれた産業界が,人材育成の面において,教育界の大きな力を以前にもまして期待するのは必然のことなのです。ただ,産業界と教育界はこれまで,あまり連携がなされていませんでした。ようやく昨年から,文部科学省の支援を受け,アニメ人材育成に向けた教育プログラムづくりに取り掛かっています。同時に,今回の京都マンガ・アニメ学会の発足は,大変喜ばしい取り組みであり,成果が待たれるところです。
近年のアニメ制作は,デジタル化,コンピュータ化なしでは語れません。ところが日本のデジタル化は,海外とは別の道を歩んでいるようです。一般的にアニメのデジタル化と言うとCGアニメーションの方向に進むのですが,日本は制作工程のデジタル化が先になりました。その理由は,日本は「マンガが強い」というところにあります。二次元の動きがなお好まれ続けており,3D,CGアニメーションに到達しきらず「2・5D」とも呼ばれているのですが,制作工程がデジタル化されているのに,表現の本質・核は「平面である」という特徴があります。これは実は,海外で評価されている部分でもあります。日本の業界はこの点を改めて捉え,人材育成にも反映させていかなければならないと思います
佐渡島私は昨年まで,講談社のモーニング編集部に籍を置き『ドラゴン桜』『働きマン』『宇宙兄弟』などの作品を担当していました。その後,講談社の先輩と二人で「コルク」というクリエイターのエージェント会社を立ち上げました。なぜ「コルク」という社名を付けたのかを紹介します。ワインを世界中に運び,後世の人にも飲めるようにするためには,良質のコルクの存在が欠かせません。同じように,作品を世界中に運び,後世の人にも楽しんでもらえるようにするために,当社はワインに対する良質のコルクのような欠かせない存在でありたい,社名はそのような思いから付けたのでした。
まず創業にあたって,どのような問題意識を持っていたのか。私が,出版業界が抱える問題に気がついたのは,『宇宙兄弟』を担当していた時です。この作品を世界中に売り出そうと考えたのですが,全然翻訳が決まらなかったのです。アメリカなどでは,現地で『宇宙兄弟』を5000部印刷すると呼び掛けても,現地の出版社は「自信が無い」と言いました。私は編集部にいてマンガを作ることばかりに集中していましたが,日本のマンガ・アニメはどんどん海外に展開されていると聞いていたのに実際にはいったい何が起きているのだろう,と考えるようになりました。作家と編集者が密に打ち合わせをして,日常的に連絡を取り合うのは連載している時です。その後,海外で出版するとか,映像化するなどといった話は,連載が終了して何年も経ってから,というケースが大半です。マンガが勢いを持っていた時,手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生が活躍されていたころは,作家自らがプロダクションを持っていて,権利は自分たちで管理されていました。その後,出版社の協力が手厚くなってくると,若手の作家はプロダクションを作らなくなり,それらの業務をすべて出版社が担うようになってきました。ただそうなると,その後,海外で出版するという話が出た時に,当時の出版社の担当者が変わってしまっていたらどうするのだろうという懸念が生じます。これまで作家とのコネクションが全く無かった出版社の海外担当が対応することになるわけです。出版する際に,作家との関係が密でないため,柔軟性を欠き,作品の寿命を縮めてしまうことにもなりかねません。今の出版社の仕組みは,作品の連載中にできるだけ映像化をしてしまい売り上げを伸ばすという形になっていますが,私はその作品が完結した後も,10年,20年と多くの人に愛されるような仕組みを作りたいと思いました。外部から見て,手塚先生の作品が長きにわたって愛され続けている理由は,作品の素晴らしさはもちろん,手塚プロダクションがしっかりとした取り組みをされているからでしょう。「コルク」は,作家との結びつきに重点を置き,その部分を担いたいと考えています。
松谷皆さんも手塚治虫のことはご存じだと思うのですが,マンガを描くのに何がいちばん大切かと言うと,なぜ自分がマンガを描くのか,ということです。「これは売れるから」などと考えながら描くマンガ家はいません。「この作品に自分の心の中の何を込めるか」ということがいちばん大きな課題になるのではないでしょうか。手塚治虫は1928年生まれで,17歳の時に終戦を迎えました。手塚が育った宝塚は,空襲は受けませんでしたが,彼は学徒動員で大阪に行き,そこで空襲を経験しています。身の回りの人間がたくさん死んだのを目撃し,焼け野原になって牛や馬も死んでいることに心を痛めました。そのような体験があって,終戦後,大阪大学医学部卒で医師免許を持っていたにもかかわらず,これで自由にマンガが描けると思い,マンガ家の道を選びました。マンガほど子どもたちに自分のメッセージを分かりやすく伝えられる媒体・手段は無いのではないか,と感じたと言います。彼の作品は,命の大切さ,平和の尊さ,戦争の悲惨さなどが常に底流にあります。
私が以前,実業之日本社という出版社に在籍し『漫画サンデー』という大人のマンガ雑誌を担当していた時,正月の増刊号で前後編合わせて50ページの読み切りを手塚治虫に描いてもらおうという話が出ました。その時私は「今さら手塚治虫は無いだろう」と反対しました。しかし,結局その企画が通り,私が手塚とのやり取りを担当することになりました。私は昭和26年(1951年)に小学校に入学しましたので,『鉄腕アトム』を読み続けていた世代です。手塚のアトリエに並ぶ『鉄腕アトム』を20歳代後半だったこの時,あらためて読み,「手塚は鉄腕アトムで,このようなことが言いたかったのか」「手塚は,こんな作品も描いていたのか」と,びっくりした思いがあります。
そんな手塚が亡くなる少し前のころ,ちょうど日中国交正常化がなされた直後に,彼は上海に行ってあるプロダクションを訪ねています。そのトップは1940年ごろに,西遊記をアニメ化した人物でした。その『西遊記鉄扇公主の巻』というアニメを,手塚が15,16歳のころ,日本の劇場で見ていたのです。その作品は,手塚がマンガ家を目指すきっかけになったものの一つだったそうですが,まさにその作者たちに会いに行ったのです。その後も,上海のマンガ家やアニメーターと交流を続けていました。中国はいちばん近くていちばん遠い国だと言われていた時代です。手塚は「交流というものが最も大切,戦争を起こさないためには,相手が何を考えているのか,どんな風習・習慣を持っているのか,それをお互い理解することが絶対に大切だ」と説いていました。手塚は,1988年11月中旬に開かれた上海の国際的なアニメーションのフェスティバルにも出席しました。彼は同年の3月に手術を受け,秋には再び体調が悪化していたため,周囲は出席を見送るよう説得したのですが,それでも本人は「これは国際交流。審査員としても呼ばれている」と言って出席したのです。心配で付き添った奥さんを,自らは同行しなかったものの北京へ行かせてあげたりもしたのですよ。手塚はその翌年の2月9日に永眠しました。天安門事件が起こった年です。2006年ごろから,中国は国策としてアニメとマンガを推進し始めました。今では日本よりも多くのアニメーションが作られていると思います。
長谷川皆さんのお話を伺い,確信したのは,今直面している課題は何か,ということです。まずトキワ荘プロジェクトは,マンガ家の卵を生活丸ごと,ある空間に置き,切磋琢磨させて育成していこうという取り組みです。また,佐渡島さんのお話を伺いますと,業界全体として,作品だけでなく作家を継続して育成していこうという思いを感じました。松谷さんは,コンテンツとして何を伝えていかねばならないのか,倫理面も含め表現能力の伝播が大事であるとおっしゃいました。これらは,実はIT化することで,比較的簡便になるのではないかと感じました。
そしてもう一つ,いずれの問題点にも関与していないのは,教育学です。「教える」という立場で次の人材を育成するというのは「教える側」の論理です。他方,ラーナーオリエンテッド,すなわち「学ぶ側」中心の考え方があります。次代を担うマンガ・アニメ業界の人材を育成していくためには,「学ぶ側」に立ち,我々が何を提供していけるのか,考える必要があります。旧来の学校教育には,旧世代が新世代をいわば「上から目線」で教えるという発想の側面が多分に見受けられます。しかし今日,その形態がほとんど崩壊に至ってしまっています。京都マンガ・アニメ学会は,ラーナーオリエンテッドの観点で運営していくことによって,マンガやアニメが好きな小・中・高校生が自由に参加して,知りたいことを知ることができるような環境ができると確信しています。
菊池私は京都で,マンガのMBAのような体制を作りたいと思っています。今ビジネスの世界で,金融の仕事をしてエリートになりたい場合,ボストンのハーバード・ビジネス・スクールへ行って勉強し,仲間を作って,しばらくアメリカで働いて,自分の国へ戻るのが主流です。それがテクノロジーの場合なら,マサチューセッツ工科大学へ進みます。実は,アメリカはグローバルスタンダードに長けていると言われていますが,法律的に何か制限を掛けているわけではないのです。一番の教育を提供することによって,人材が集まってくるわけです。自分の国のビジネスルールを覚えた人が帰国して活躍するという流れになっています。殊に,マンガ教育において京都は,イニシアティブをとる立場にあります。ボストンやマサチューセッツには,寄宿舎や外国語学校など,留学生や自国内学生を受け入れる設備が充実しています。同じように,マンガに特化した人材育成のため,京都にそのような設備を充実させていくことは意義があると感じています。ただ,ボストンなどをそのまま真似する必要は無く,デジタル化が進んでいる今日,単にアカデミックな教育に終始するだけではなく,今までに無かったような手法で,ビジネスにもつながっていくような有機的な形になっていけばよいと思います。
増田京都は日本を代表する文化の街です。日本人にも外国人にも人気があります。そのような中,日本でアニメを学びたいという方がすごく多く,とりわけ中国の1980年代,90年代生まれの世代は,間違いなく日本のアニメとゲームの洗礼を受けているようです。日本のアニメはあらゆるジャンルをフォローしていますので,彼らが望む分野は必ずあるというのも理由の一つです。中国だけではなく,台湾,インドネシア,マレーシア,タイなど,日本でアニメを学びたいという人がたくさんいるので,彼らの受け入れ態勢を早く整えたいと考えています。人材育成バンキングでは,そのプログラムを策定しようとしています。それは学生だけが対象ではなく,現在各国のアニメの現場で働いている人を受け入れ,短期間の研修を経て,何らかの認定をするというようなことも考えています。日本のアニメには,「セルアニメ」という平面を中心とした独特の文化があります。日本のアニメのシンパを増やすための国際的なネットワークづくりを,京都マンガ・アニメ学会には期待したいと思います。
佐渡島先ほど松谷さんから伺った,「手塚先生は売れるから描いていたのではなく,描きたいから描いていた」という話が印象深かったです。私も作家の方々と接していて,作家とはそういうものだと強く感じています。エンターテインメント業界の中で,時代の流れで注目を浴びていたのは映画であり,TVであり,出版だったと思うのですが,映画やTVは生み出すコンテンツが前例主義で,「これくらい当たるだろう」「これくらい売れるだろう」という基準から企画が通るケースが多いようです。一方,出版は,作家が「これが描きたい」というものを支援する形もあるので,今までにないものを生み出すことができたのだと思います。ただ,出版業界にも不況の波が押し寄せ,新人の新しい企画もなかなか手掛けないようになってきてしまいました。以前見たことがあるようなものの変形バージョンが多く見られるようになってきました。私はエージェント会社として,新人のわくわくしている気持ちを支えながら,新しいものを積極的に取り入れる仕組みを作り直したいと考えています。学会というものは得てして,成功した人たちがその理由を検証する場になってしまっているケースが多いと聞きます。そのため新しい人を受け入れにくくなってしまっているようです。マンガ・アニメの世界は,楽しいものですし,前例をぶち壊して挑戦するところであると思っています。京都マンガ・アニメ学会には,そのような新しい人たちをサポートできる体制を作り上げてほしいと願っています。
松谷私は45年ほど,マンガとアニメの世界に浸かっています。かつてはマンガやアニメの学問,学会という存在は考えにくかったのが事実です。しかし,そのような学会のメンバーの方々がいろいろ研究していただいて,マンガやアニメの素晴らしさを,誰にでも分かるような形で公表していただくことを期待しています。さらに願うのは,マンガ家たちの描く場を増やしていただきたいということです。
一方,人材育成の面においての注文ですが,例えば法学部を卒業した人がすべて法律家になるわけではないと思います。マンガやアニメの勉強のみをしていたのでは,残念ながらその道に進めなかった場合どうなるのか,ということも考えてもらいたいと思っています。一般の教養も十分に身につけていただきたいと思います。手塚がトキワ荘の後輩たちに投げ掛けていた言葉があります。「マンガ家になるのだったら,マンガで勉強をしてはいけない。良い小説をたくさん読みなさい。良い映画をたくさん見なさい。良い舞台を,良い音楽を…」。それを聞いた赤塚不二夫氏は「よそのジャンルで培ったものが,マンガを描くうえで実に役立った」と話しています。マンガの関連学科がある大学や,トキワ荘などでも,それを教訓にしていただきたいと思います。
長谷川学会の取り組みとしてはまずSNSを立ち上げるなどして,できるだけ権威概念を振りかざさない,自由な発言の場の提供を第一義的に考えたいと思います。「権威」が若手を育てるといった形ではなく,大らかな気風で人材育成に注力する場を作っていきたいと考えます。
日本の大学は少子化に伴い,大学教員の実績が過度に求められる状態になっています。学会で発言し,講演会で登壇し,といった実績を積まないと,教員は職を失ってしまうのです。日本の学会の多くは,残念ながら大学教員・学者の実績を作るためだけのものになってしまっている傾向があります。京都マンガ・アニメ学会は,「学会」という言葉を使ってはいますが,英語では「association」です。菊池さんがおっしゃっていたマンガのMBAに関してですが,マンガやアニメのプロフェッショナルスクールは日本がぜひ作るべきです。プロフェッショナルスクールの範疇には,ロースクール,メディカルスクール,スクール・オブ・エデュケーションなどが含まれますが,その業界の人たちが業界のパラダイムで作る専門職業人育成のための学校のことです。私どもはITの世界でそれを実現していますが,アニメの世界でも必要だと思います。松谷さんがおっしゃった手塚先生のお言葉,マンガやアニメを描くならば様々な教養を積む必要があるということの中には,表現の技術だけでなく,表現内容の重要性,ひいてはそれを表現する人を育成することの大切さが語られているのではないかと思います。手塚先生や赤塚先生をはじめとするトップクラスのクリエイターたちとお付き合いされてきた松谷さんであるからこそ,トップクラスの人材育成のための問題点をお話しできるのではないかと思います。教養あふれる,様々な情報が集積する場を,京都マンガ・アニメ学会では提供していきたいと思います。教育関係者と業界の皆さんとが協力し合うことによって,次代を担う人材を育てていくというのがいちばん大事なことであると思っています。
京都マンガ・アニメ学会では会員を募集しています。マンガ・アニメに関わる制作技術,人材教育,ビジネス戦略,マーケティング,国際化,産業振興,地域振興,歴史,評論を含めたさまざまなテー マを総合的に研究・実践する場として,そしてより多くの分野の人々の交流の場として,マンガ・アニメに携わる人,愛する人,これから業界での活躍を目指す人などの幅広い参加をお待ちしています。
年会費は● 正会員 8,000円 ● 学生会員 4,000円 ● ウェブ会員 無料です。
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