周知の如く,コンピュータ,インターネットの急激な進歩・普及により,時代は,工業化社会から,高度情報化社会,デジタル化社会へ移り,IT革命ブームが世界を席巻した。業界では,対顧客ビジネスの変容,企業間連携,アウトソーシング等による,「所有のシステム」から「利用のシステム」への企業経営の移行,企業内各部門のIT化から企業内各部門・各支社とのシステム統合,対外的には顧客・複数パートナーとの企業間のシステム統合に見られるビジネス・プロセスの変容がここ十数年で急激に進んでいるが,この変容を起こし,促進させた技術革新は人類史上,例を見ない程,めざましいものであった。
現在のWebコンピューティング世界における開発はアメリカの独壇場であり,その活用においても他国に大きく差をつけている。日本が著しく立ち遅れたのは,この間,日本が経済不況にあえいでいたことにもよるが,IT時代に対応した人材不足が大きな要因として見逃せない。
スイスで出版されている『世界競争年鑑』の「大学教育が時代に適合しているか」の項目で,日本は最下位の評価となり,話題になったが,大学が充分に社会で機能していないことに関して,少し考察してみたい。
明治以来,文部行政の高等教育方針は「知識の伝授・吸収」であった。工業化社会においてはこの教育は,確かに効果を発揮したが,ソリューション・ビジネスが主流の情報化社会においては,この類型的なパターンで育成された頭脳は,今日的な「生きた頭脳」として働かない。日本の高等教育は知価社会にふさわしい柔軟で創造的な頭脳育成を目標に,大きな転換を迫られている。
次に,大学から送り出される人間と業界が求める人材との間に甚だしい乖離があるが,これらは大学において学問を実践的指向の観点から教えていなかったことに起因すると考えられる。
全国600有余の大学の中,アカデミズム(研究指向)大学は約1割で充分であり,その他の大学(大衆大学)はプラグマティズム(実践指向)大学であってしかるべきであった。実践指向大学は,実践主義,実用主義の立場においてカリキュラムを組み,実用のための理論を教授し,実践のための技術を習得させ,業界で役立つ人材育成を目的とする。しかるに,日本では,どの大学もアカデミズムを標榜し,実践指向大学はほとんど育たなかった。そのため,業界に送り出されるミドルクラスの実務家・実践技術者の絶対的な不足が生じたのである。大企業は,自社内で再教育のシステムを構築し,高いコストと多くの時間をかけ,人材を育成してきたが,中小企業にはその余裕がなく,特にデジタル化社会移行期における人材不足は中小企業にとって致命的であった。
次に,業界が業務の視点において人材に求める専門知識は,必ずしも大学の専門学科の内容と整合していないという点が指摘される。
例えば,ITはソフト・ハード・通信の総合技術であり,三つの専門領域にまたがっている。日本のIT教育が遅れたのは,日本の学部,学科間のタテ割りの壁の厚さが災いしたと考えられる。日本は,タテ社会といわれる社会構造を文化として持っており,大学においても各学部各学科の壁が厚く,学部間,学科間の融合領域・境界領域は育ちにくい。急速なバリアフリー化が求められるところであろう。
さらに,「情報」という視点においては,文科・理科を問わず様々な分野が連関する。従来の専門分野の融合領域・境界領域にこそIT時代の専門分野が横たわるのであり,現在の大学が機能しないのは,大学における現行の専門分化システムが情報化時代における社会ニーズに適合しなくなってきているからとも言える。
今後は,「研究対象」によって専門を分類してきた従来の大学の枠組を,「情報」という視点において再編成する必要に迫られるのではないだろうか。もし,既存の大学の枠組みを維持するなら,学部・学科は「専門」の履修コースを規定せず,メニュー(諸々の科目)を提供するのみにし,学生が様々に選択した科目の総合として,ラーナー・オリエンテッドで学生がオーダーメイドのコースをつくれるような仕組みへのシフトが必要であろう。
企業がIT化推進のため,現在最も不足している人材として,ビジネス・エンジニアとプロジェクト・マネージャーが挙げられるが,いずれも従来の大学における文科・理科の専門領域にまたがるプロフェッショナルズである。
大学の学部間,学科間のバリアフリー化,アカデミック・デシプリンのアップ・ツー・デイト化などの難航が,融合領域を専門とするIT技術者の育成を遅らせ,現在のWebコンピューティング世界への日本の参入の著しい遅れを結果した。社会の情勢に即応した学部学科の再編成が必要である。
ところで,40年前,京都コンピュータ学院の創立時には,日本の高等教育機関ではコンピュータ教育が全く実施されていなかった。我々は来るべき情報化社会を予見し,日本の高等教育に対するアンチテーゼとして開学を決断し,コンピュータ教育のパイオニアとなったのである。
その後,コンピュータの進化,ITの進歩・普及は著しく,それに応じた海外のコンピュータ・IT教育の即応と発展のスピードに比し,日本の教育の即応・変革は,遅々として進まず,我々は機会あるたびにその危機を訴え続けて来たが,その反応は希薄であった。従って,日本高等教育の改革の一環として,高度専門技術実務家育成のための専門職大学院が法制化された時,かねてからITの高度プロフェッショナル・スクールの制度化を切望していた我々は暁光を見る想いで,いち早く新しい大学法人―京都情報学園を設立し,その法人をベースにした京都情報大学院大学の設立に着手したのである。
従来,わが国では大学・大学院は文部省(現文部科学省)の管轄・統制下にあったため,新設大学,大学院の設立を考えるとき,設立する側も審査する側も研究・教育内容と教授陣に重点を置き,学校存立の精神とも言うべき教育思想・教育方針・社会的貢献性・時代的ビジョン等への考察は全く軽視されて来た。日本で大学が自立できていないのは,ここに原因があると思う。
京都コンピュータ学院が,文部科学省の護送船団に加わることなく,40年の風雪に耐えて発展し続けたのは,学校の精神において自立していたからである。専門職大学院制度の開幕という歴史の大きな節目にあって,この新しい波をどう受け止め,どのように波に乗るべきか,トップランナーには重大な社会的時代的責任が課せられる。しかし,40年間の「学校精神の自立」の歴史と熟成して来たアイデンティティこそは,他校に類を見ない我々の知的財産であり,新しい改革の波に乗るべき自信は,そこから生じた。「やるしかない」という決意であった。
日本最初のコンピュータ教育機関として創立以来40年間,情報教育の向上と普及を自己の責務として受け止め,日本情報化社会に実践技術者を3万6千人以上も供給し続けてきた京都コンピュータ学院にとって,IT専門職大学院を設立することは,「選択」でなく「必然」だったのである。
長引く不況で日本経済が衰退し,中小企業の倒産が相次ぐ中,業界が優秀な人材不足にあえいでいることに対して,教育界は今こそ応えねばならない。
IT社会の高度かつ多様な人材ニーズに応え,さらに来るべきユビキタス時代のビジョンにおいて,従来以上の高度な技術,幅広い知識を有した高度なITプロフェッショナルズを供給することを通じて,日本高度情報化社会の実現と日本経済再生に貢献することに,我々は今回の大学院の存在理由を確認し,「社会のニーズに応え,時代を担い,次代をリードする高度な実践能力と創造性を持った応用情報技術専門家育成」を大学院の建学の理念に掲げた。
この建学の理念と,我々の情熱は,有能な人材を渇望する多方面の業界や,高等教育改革を望む数多くの大学教員の支持を受け,新しい大学院の設立は,前述した現況大学批判をベースに,そのアンチテーゼとして構想が展開された。プロフェッショナル大学院設立にあたり,この大学院を従来の大学と業界の「はざま」に位置づけ,「業界オリエンテッド」の視点・ニーズの重視を教育の指針とする。そのため,教育哲学は,「真理探究」を目的とするアカデミズムでなく,「実用と実践のための学問」を価値とするプラグマティズムに立脚し,業界で役立つ学問・技術の教育に徹する。IT時代が要求する専門領域は,大学の専門学科と対応しないため,従来のいくつかの専門分野を「情報」という視点で再編成し,新しくできた融合領域・境界領域に専門学科をまったく新しいカリキュラムにおいて設立し,現在のWebコンピューティング時代からユビキタスコンピューティング時代に向かって,時代・社会が求める,より高度な実践技術力をもったプロフェッショナルズ育成を目指す。
現在は,「革新競争の時代」といわれているが,ここ十数年は,社会ニーズに敏感で柔軟な変化を得意とするアメリカに,日本は大きく差をつけられた。アメリカに続いてヨーロッパとアジア圏も次々とデジタル化社会へと変化し,日本は置き去りにされていった感がある。この差を縮めるキーは「教育改革を通しての人材育成」をおいて他にはあり得ない。
高等教育においては,従来の専門カテゴリーの固定観念にとらわれず,社会のニーズに対応した教育領域を,即座に構築し,実現に移すことが肝要である。進歩の速い情報関連の教育機関として,我々は「革新性」と「先駆性」を教育構築方針のモットーとする。インターネットが普及し,ブロードバンド化が進む現況から考えて,「Webビジネス技術」の専攻からスタートするが,この分野はビジネスとテクノロジーの二つの領域にわたっており,今は最も需要が多いにもかかわらず,人材が最も不足している分野である。日本では,大学・大学院を含めて,この専門領域はまだ見当たらない。
さて,ここ数年来,中小企業の弱体化と倒産が相次ぎ,日本経済にとって大変深刻な事態になっている。政府はe-Japan構想で中小企業に対するeコマース促進を打ち出し,その支援策として「ITコーディネータ制度」や「IT助成金」を用意したが抜本的な救済策にはなっていない。
企業経営におけるデジタル化社会への改革は,切迫した課題であり,ビジネス・エンジニアの中小企業への人材供給は,弱体化と倒産の相次ぐ中小企業への強力なカンフル剤となるだろう。その育成に向けてのITプロフェッショナル大学院の任務は重大である。
ところで,京都情報大学院大学と京都コンピュータ学院は,教育理念,教育哲学,教育方針など,学校の核となる精神構造において同一である。
私たちは異なる土壌の上に大学院を誕生させたのでなく,過去40年間,京都コンピュータ学院がコンピュータ教育のパイオニアとして醸成して来た土壌の上に,同一の目的で同一のアイデンティティにおいて,より高度な研究・教育機関として大学院を設立したのである。すなわち京都コンピュータ学院40年に亘るコンピュータ教育実績の集大成として,40年間継承してきたパイオニアの伝統の上に,京都情報大学院大学が開花したのであり,その知的地盤は堅固である。
さて,京都はベンチャー企業の発祥の地であり,また数々のノーベル賞受賞者を生み出した。京都は,起業においても学問においても,創造性を育成する都市であると言われる。
さらに,千年以上にわたって,京都は日本文化の中心であった。京都情報大学院大学は,京都コンピュータ学院と共に「京都」という地の利を得て,その風土的エネルギーを継承し,世界に向かって日本の情報文化を発信しつつ,大きく発展していくものと確信する次第である。
最後に,京都コンピュータ学院は,創立以来コンピュータの進化に対応して設備を更新して来たが,40年間に亘る使用済みの機械は,真空管からトランジスターを含め,また,ミニコンから超大型機,旧モデルPCまで倉庫に保管されている(全国唯一)。新設大学院大学において,全国に類を見ないコンピュータ変遷史を示すコンピュータミュージアムを完成させる所存であることを附記したい。