夏の夜空を彩るわし座の中に,SS433と呼ばれる奇妙な天体がある。天空の座標値は,赤経19時9分,赤緯4°53’で(地球上の座標でいうと,赤経は東経・西経に対応し,赤緯は北緯・南緯に相当する),地球からの距離は約16000光年と推定されている。明るさは14等級なので肉眼では見えない。しかし望遠鏡で詳しく観測すると,いくつかの波長できわめて強い光を放射する特殊なスペクトル(輝線スペクトル)を待ち,太陽のような普通の星とは異なった特異な天体であることがわかった。さらに同じ場所には,年齢約2万年の古い超新星残骸と思われる拡がった電波源と,X線衛星によって初めて発見されたX線の強度が時間的に変化する変動X線源がある。光だけでなく,電波やX線など,さまざまな波長で観測される天体は,それだけ激しく活発に活動していることを意味するが,SS433においても例外ではなかった。なおSS433という名前は,ステファンソンとサンドゥリークが1977年に出版した,輝線星のカタログ(SSカタログ)の第433番登録天体であることに由来する。
さてこのSS433天体は,通常の恒星とおそらくはブラックホールがお互いのまわりを公転している近接連星系で,恒星からブラックホールに向かって降り注いできたガスによってブラックホールの周辺に降着円盤が形成されているらしい。ブラックホールのまわりを回転する降着円盤のガスが自分自身との摩擦によって加熱し,その結果放射されたきわめて強い可視光やX線が観測されている。ここまでは,他の多くの近接連星型X線星ととりたてて違いはない。SS433天体が注目を浴びた理由は,中心のブラックホール/降着円盤系から,双つの反対方向に,光速の実に26%というおそるべき速度でプラズマガスが噴き出しているためだ。SS433は,この10年くらいの間に少しずつ暴かれてきた宇宙ジェットと呼ばれる現象の一種なのである。
宇宙ジェットというのは,図1イラストに示したように,中心の天体(ブラックホールあるいは原始星のような重力を及ぼす天体と,おそらくはそれを取り巻く降着円盤)から双方向に吹き出している,細く絞られたプラズマの噴流である。噴出速度が光速に近いことも珍しくない。これだけでも従来の天体現象にはあまり例がない。さらに驚くべきことは,しばしば100万桁ものスケールにわたって,ジェットの方向性が維持されていることだ。直径1cmのホースで庭に水を撒いているとき,水流の先端が10km先まで届いている状況を想像して欲しい。宇宙ジェット現象は,何億光年も彼方の活動銀河中心核,SS433などわれわれの銀河系内の近接連星系近傍,そしてやはり銀河系内の分子雲中の原始星周辺など,星から銀河にいたる宇宙のさまざまな階層で発見されてきている。
話をSS433に戻そう。
SS433天体の宇宙ジェットでさらに特異なのは,ジェットガスの吹き出す方向が一定ではなく,空間に固定されたある軸(歳差軸)のまわりを162日の周期で歳差運動していることだ(図2)。ちょうどホースで水を撒くときに,ホースの出口をぐるぐると回しているようなものである。歳差軸は地球の方向に対して約80°傾いており,またジェットの方向は歳差軸と約20°傾いている。SS433天体は,光速の26%もの速度で,星間空間にプラズマガスを振り撒いているのである。
いかなるメカニズムがこのような高速のジェットを駆動しているかについては,まだ定説がない。活動銀河中心核や原始星の場合も含め,宇宙ジェットの起源に関してはまだよくわかっていない部分が多いのだ。しかし,ジェットそのものの運動は,特にSS433ジェットについては,上に述べたような歳差するジェットのモデル(運動学的モデルと呼ばれる)によってきわめてよく説明できる。そこで知られているパラメータにしたがい,相対論的な効果を入れてジェットガスの軌跡を計算したのが,図3と図4である。
図の中心にSS433があり,図の上側のジェットが図2の上側のものに対応している。すなわち歳差する間,大部分の期間,観測者の方を向いている。一方,下側のものは大部分の期間,観測者から反対の方向に吹き出しているジェットである。パターンを表す色丸は,中心からほうり出されたジェットのガス塊を表す。塗りつぶした色丸(中抜きの色丸)は,歳差軸のまわりに360°歳差している間,地球から見て手前側(向こう側)の180°の位置で射出されたものである。また図3は20光日四方を,図4は200光日四方を見たものである(1光日は光が1日に進む距離で,約260億km)。
以下,ジェットのパターンをもう少し詳しく見ていきたいが1つだけ注意をしておく。これらの図で見ているパターンは,ジェットの歳差に伴って放出されたガス塊が”ある瞬間”に空間に描く軌跡を”写真”に撮ったものであって,ガス塊がこのパターンに沿って運動しているわけではない。ガス自体はあくまでも最初に放出された方向に,一直線上を運動している。
さてジェットのパターンだが,まず20光日四方を見ている図3では,ジェットの長さは直線距離にしておよそ10光日ほどである。これだけの距離を光速の26%の速度で進むには,約40日かかる。その間にジェットの方向は90°ぐらい変化する(歳差の周期162日で360°変わるから)。したがって,図3からもわかるように,10光日程度の距離ではジェットのパターンはまだ直線的であり歳差の効果は強くない。しかし10倍広い図4の領域になると,ジェットは2回半ぐらい歳差しており,ぐるぐる巻いたパターンが現れてくる(コルク抜きパターンと言われる)。
ここでジェットのパターンをよく注意して見て欲しい。上下で対称ではない。ちなみにSS433とパラメータは同じだが相対論的な効果を無視した場合を図5に示す。普通の感覚では図5のように対称に見えるはずだ。
図4のように上下のパターンが非対称になる理由は,ジェットの速度が光速に比べて無視できないために,光速の有限性が現れた結果である。すなわち遠ざかるジェットは(中心の天体よりも)地球からの距離が遠いため,光が届くのによけいに時間がかかる。逆に言えば,光の速度が無限とした場合に見える位置よりも中心に近い位置にあったときに出た光が見える。そのため,遠ざかるジェットは中心に寄って見え,同様な理由で近付くジェットは中心から離れて見えるのである。図4と(光速を無限と仮定して計算した)図5をよく比べると,中抜きの色丸(おおむね遠ざかる方向を向いている)はいくぶん中心寄りであり,塗りつぶした色丸(おおむね近付く方向)は中心から離れる傾向にある。このような相対論的効果も,実際に計算した結果を図4のように絵にすると一目瞭然となる。
なお,色丸の色は,適当な仮定を置いた場合のガス塊の温度変化を表している。詳しくは述べないが,図4の色の分布が(相対論的な効果を無視した)図5と異なっているのは,相対論的効果によって,パターンだけでなく見かけ上の温度分布も変化することを意味している。
最後に,本稿で紹介したSS433ジェットのパターンなどの計算は,大阪教育大学天文研の山門誠君との共同研究の一部である。