田中 京の町家が国の登録有形文化財の指定を受け,公開することになった時,いったい何をしたらいいのか。この中にある無形の財産もお見せしなければならないと考えました。それは,しきたりであったり,行事であったり。それは日本人の心というものだと思いました。
日本には神話というものがありますね。歴史のある国には神様の話はあると思う。その神様は,みんなの家の中におられます。毎朝「金の井戸」から水を汲んで,八百万(やおよろず)の神々にさしあげて,手を合わす。それで一日が始まります。お正月には年神様が現れ,そして節句にも。節句は奇数月の,月と日が同じ日にあるのですよ。1月はお正月なので,七草がゆの1月7日となっていますが,3月3日のお雛さん,5月5日は男の子の節句,7月7日は七夕さん,9月9日は重陽の節句といって長寿を祈る菊の節句ー。
子どもの成長を祈っての節句,そういうものをきちんとやっていれば,いま起きているような忌まわしい事件は絶対起きないはずです。子どもは親の姿を必ず見ているはずですし,家族や親せきが自分のために集まっている機会を知りながら育てば,そのようなこととは無縁となるはずです。今の教育,何か違うと思う。日本人の本当の姿を忘れていないでしょうか。原点に返って考える必要があるのではないでしょうか。
町家で営まれている行事は,すべて無病息災,家内安全を祈るもの。神社や仏閣だけでなく,家の中にたくさんしつらえてやっていた行事なのです。
長谷川 きょうの最初の講演で田原総一朗さんはグローバルな観点から,日本の良さを紹介され,われわれ日本人に誇りと希望を持てるようなお話をしていただきました。また次の講演では,アメリカに生まれてアポロ計画に携わり,日本に来てソフト会社を設立され最先端の技術を追求されているビル・トッテンさんが,いまの日本の行く末を憂いながら,高度経済成長期と比較し日本人の生活について触れられました。そして今,京都で伝統的な生活を代々続けてこられた田中さんは,日本人の持っている良いところを思い起こし,長く続けることこそが価値であるということをおっしゃっていただきました。
この3名のお話は,全然次元が違う訳ではない。実は一本の線でつながっていると思います。すなわち,最先端の技術もモノ作りも,すべては人間の生活の上にあるものであって,地に足が着いていない限り,生活も経済も技術も何もない。戦後60年を経て,日本も世界も方向性を見失いつつある今,このディスカッションが,生活の基盤であるところの文化,伝統をあらためて考える機会になっていただければ幸いです。
それではまず,田中さんにお尋ねします。先ほどの田原総一朗さん,ビル・トッテンさんお二人の講演を聞いて,感じられたことはありませんか。
田中 世の中というものはめまぐるしく変わっているのだな,というのが率直な感想です。私が一生懸命やっていることは「継続していく」ことなのですが,やはり時代の変化に付いていかなければならないという事実もあるわけです。円高,グローバル経済…。私も変わることに努力をしていますが。
冨田屋は,もともとが呉服問屋だったものですから,呉服の生産が大幅に減少している中,1999年に冨田屋が文化財に指定されたこともあって町家を公開し,文化体験というものをやり始めたのです。世界中の方にお越しいただき,お茶席を体験していただいたり,点心をいただいたり。京都人というのは基本的に自分の家の中に他人を入れないというところがあります。そのような中「家の中に人を入れて体験させるなんて何をやっているのか」と言われたことがあります。でもいま観光関連の雑誌を開けてみると,能,和菓子製造,お茶などなど「体験づくし」になってきました。いち早く変わるということも大切だと思いますが,その中にあってもやはり「続けていく」ことをベースに置くことが大事なのではないかと痛感しています。
長谷川 田中さんは「続けていく」ことの大切さをあらためて強調されたように思います。でも一方で,変わらなければならない部分もあるとご指摘されました。ビル・トッテンさんは約40年間,日本に住まれて,変わったもの,変わらないもの,あるいは変わってほしくないものなどありますか。
トッテン 昭和20年まで日本は道徳中心の教育だったと思います。儒教,孔子などを学んでいた。これは遠く聖徳太子の時代から続いていたのですね。私が日本に来たとき,日本人はみな道徳心を持っていたように思います。彼らが昭和末期まで中心となって活躍し,そのため日本は経済を含め豊かな国となりました。しかし道徳教育を全く受けていない人たちが経営者となったころから,日本の「失われた時代」が始まった。悪い方向に傾いていったのではないでしょうか。
変わっていくことはたくさんありますが,変わってはいけないのは自分の価値観。私が来たころ子どもは「親の背中を見て育つ」。しかし戦後はうるさい教育ママや,学校の先生の命令で動く,育つ。全く正反対の教育になってしまった。教育する中で,子どもに考えさせるのではなく,強い者の言う通りにするといった感じになったわけですね。これは間違っていると思います。
もうひとつ,私が感じていること。私には嫌いな言葉があります。「人材」。「社員は俺(経営者)の材料」という意味。その考え方は基本的におかしい。社員は材料ではなく,経済は人間のため。人間は経済のためではない。その表現を無意識に使う。それはひとつのたとえですが,やはりこういった価値観を昔の姿に戻すことが大事なのではないでしょうか。
長谷川 子どもが受ける教育というものは,親から受ける教育,学校から受ける教育,社会から受ける教育の3つに分けられると思います。学校教育が戦後,大きく変わったことはみなさんご存じでしょう。親からの教育は,昔ながらの家に住んでいる子どもは両親,祖父母らに囲まれて育っていくのでしょうが,核家族化などが進むと親の教育力は弱くなってきている。その要因のひとつにテレビの存在が挙げられます。子どもはテレビを見る時間が長くなり,親との会話が減ってしまっている。このような教育の現状を,次世代に向けてどのように再構築していくかが,大きな課題だと思っています。
田中さんは普段,若い世代と接している中,教育も含め日本人の価値観について,どのような変化を感じておられますか。
田中 節句の行事は明治初期になくなりそうになりその後,復活したのですが,戦後また姿を消しつつあるのは残念です。町家にしても,行政は残そうと言ってくれるのですが,残した町家はレストランになったり,展示会場になったり。そういう町家には中身はない,もちろん神様もいない,行事もないでしょう。そのような中,うちだけでもいいから頑張って残そうと思ったのです。
毎年6月1日になると襖も障子も外して,蔵から簾とアジロを出してきて夏の装いに変えます。汗びっしょりになってやる恒例行事のようなものですね。3月3日になると雛人形を百体お飾りします。ひとつひとつを桐の箱から出します。いずれも大変な作業なのですが,お越しいただいたみなさまがご覧になって「懐かしいな」と言ってくれる。そして「家でも久しぶりに出そうか」などと言う声も聞こえる。そういった日本人の心,愛情,精神を大切にし,表現してもらいたい。それが言い換えれば「教育」なのかもしれません。
「エコ」という言葉がありますね。夏の暑い日,大勢の取材陣が訪れました。町家はクーラーを一切使わなくても,風が通って心地良い。電気のない時代に人々はどうやって暑い夏の日々を暮らしたのか。いや暮らせたのですよ。
長谷川 アメリカは建国して200年。私も数年,住んだことがあるのですが,アメリカは決してコミュニティーが無い国ではない。むしろ日本よりも街の人々のつながりは強いかもしれません。街の人々が集まってボランティア活動をしたり,ハロウィンの時には街全体でお祭りをしたり。そのような人のつながり,縁,すなわちネットワークという素晴らしい資産が,どうして次の世代に伝えられなくなってしまったのでしょう。
トッテン アメリカも日本も,田舎に行くほど人同士の付き合いは深い。やはり長く住む,すなわちルーツが深くなるほど昔のことを守っているのでしょう。日本は経済の6割が関東に集中していますが,それは果たして良いことなのでしょうか。いまのこの時代,通話はどこからでもできるし,インターネットや新幹線を上手に使えば,このような集中を避けることができるのではないでしょうか。私はカリフォルニアで生まれました。私が住んでいたころは,当時の住民はカリフォルニアに住んで数十年以内。ですのでコミュニティーという意識はあまり存在していなかったと思います。そして東京に移っても同じような感じだった。その後,京都に移り住んで初めて,地域社会を感じました。
長谷川 最近はFacebookに代表されるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が出てきて,地理的に一緒にいなくても同じ瞬間を共有できるようになっています。つまり,どこにいてもネットワーク化されるようになってきている。
田中 私もFacebookは活用していますし,インターネットで情報を収集するのは好きです。でもFacebookでは書き尽くせないものがある。表情などはそのひとつでしょう。やはりFace to faceの方が伝わりやすい。たとえば最近,病院へ行くと,お医者さんはコンピュータを見ながら話し,診察が終わりになるといったこともあります。脈をとって,顔色を見て,ほっぺたでも触ってみてと思うのですが。コンピュータでデータを見ながらの診察ももちろん大事でしょうが,以前のような診察方法を少しでもいいから残しておいてもらいたいと感じるのですが。
トッテン 確かにFace to faceでないと,肌で感じることができないという部分はあるでしょう。私の会社の本社は東京にあり,私は京都に住んで,インターネットを使いながら仕事をしています。東京に住む必要はないと考えています。ただ,すべてがインターネットで事足りるという訳ではありません。東京には1週間のうち2日は必ず行き,朝から晩まであいさつ回りをします。やはりお客様と直接会い,雑談を挟みながら話をすることが大事です。
長谷川 どんな技術の分野でもそうなのですが,進化発展をすると人間は必ず過信してしまいます。インターネットが発展すると,自分は何でもできるのだという気になってしまうものです。私たち教育業界でも最近,eラーニングが普及しています。インターネットを介する訳ですが,それなりに授業は成立します。10年ほど前に行われたある調査によりますと,学生側に学ぶ意欲があれば,eラーニングでもFace to faceの授業でも,効果は変わらないという結果が出ています。ですが,教育のみならず,お客様と直接接したり,ご縁を大切にしたりする世界では,Face to faceに軍配が上がり,技術はまだまだ追いつけない部分かな,と感じます。
田中 世の中には頭だけではついていけないことは必ずあります。今年3月11日に起きたようなことは,その象徴です。あすはわが身かもしれません。計算通りにいかないこともたくさんあります。そういった時に必要なのは強い心であり,愛情なのではないでしょうか。私が大好きな司馬遼太郎は「21世紀に生きる人々へ」という文を書いておられます。これを3月11日の後に再び読んだら驚きました。その文は「僕は21世紀の街角には立てないけれど,21世紀というのはどんな時代であろう。20世紀というのは科学や技術が非常に進んだ時代であった。でも21世紀は,たぶん自然というものを崇拝しなければならない時代になるであろう。人という字を見るたびに思う。人と人が助け合って生きている。思いやりとか優しさ,世界中の人々が持たなければならない時代になるであろう」と書かれています。自然の驚異,そして自然の大切さ。私たちはその自然の中に心を持って生きているということを感じなければいけないと思いました。ここに出席されているコンピュータ業界の方々,ぜひ行事を知ってください。いろんな思いが,その中に詰まっていると思います。
長谷川 この大会・記念式典のメーンコピーは「古よりの縁があって今がある。そして,今の縁が明日を創る」です。ネットワーク化をさらに追求し,そしてクラウド化の時代にあって,われわれIT業界は,どのように情報通信していくのか。振り返りますと,コンピュータ化はまずデータ化の問題があって,それがナレッジ(知識)化の問題へと変わっていった。そしてこれからは知恵の時代。古からの知恵をきちんと学び,そしてこれから始まる新しい歴史を,知恵でもって創り上げていけるように願っています。