Accumu ANIA京都大会京都府情報産業協会 10周年記念大会

パネルディスカッション

「これからの日本を考え京都の暮らしの知恵に学ぶ」


コーディネーター京都府情報産業協会会長ANIA副会長 長谷川 亘 氏
パネリスト(株)冨田屋 代表取締役社長 田中 峰子 氏 (株)アシスト 代表取締役 ビルトッテン氏

神様とともに節句を祝う日本人

田中 京の町家が国の登録有形文化財の指定を受け公開することになった時いったい何をしたらいいのかこの中にある無形の財産もお見せしなければならないと考えましたそれはしきたりであったり行事であったりそれは日本人の心というものだと思いました

日本には神話というものがありますね歴史のある国には神様の話はあると思うその神様はみんなの家の中におられます毎朝「金の井戸」から水を汲んで八百万(やおよろず)の神々にさしあげて手を合わすそれで一日が始まりますお正月には年神様が現れそして節句にも節句は奇数月の月と日が同じ日にあるのですよ1月はお正月なので七草がゆの1月7日となっていますが3月3日のお雛さん5月5日は男の子の節句7月7日は七夕さん9月9日は重陽の節句といって長寿を祈る菊の節句ー

子どもの成長を祈っての節句そういうものをきちんとやっていればいま起きているような忌まわしい事件は絶対起きないはずです子どもは親の姿を必ず見ているはずですし家族や親せきが自分のために集まっている機会を知りながら育てばそのようなこととは無縁となるはずです今の教育何か違うと思う日本人の本当の姿を忘れていないでしょうか原点に返って考える必要があるのではないでしょうか

町家で営まれている行事はすべて無病息災家内安全を祈るもの神社や仏閣だけでなく家の中にたくさんしつらえてやっていた行事なのです

長谷川 きょうの最初の講演で田原総一朗さんはグローバルな観点から日本の良さを紹介されわれわれ日本人に誇りと希望を持てるようなお話をしていただきましたまた次の講演ではアメリカに生まれてアポロ計画に携わり日本に来てソフト会社を設立され最先端の技術を追求されているビルトッテンさんがいまの日本の行く末を憂いながら高度経済成長期と比較し日本人の生活について触れられましたそして今京都で伝統的な生活を代々続けてこられた田中さんは日本人の持っている良いところを思い起こし長く続けることこそが価値であるということをおっしゃっていただきました

この3名のお話は全然次元が違う訳ではない実は一本の線でつながっていると思いますすなわち最先端の技術もモノ作りもすべては人間の生活の上にあるものであって地に足が着いていない限り生活も経済も技術も何もない戦後60年を経て日本も世界も方向性を見失いつつある今このディスカッションが生活の基盤であるところの文化伝統をあらためて考える機会になっていただければ幸いです

それではまず田中さんにお尋ねします先ほどの田原総一朗さんビルトッテンさんお二人の講演を聞いて感じられたことはありませんか

大切なのは「継続していくこと」

田中 世の中というものはめまぐるしく変わっているのだなというのが率直な感想です私が一生懸命やっていることは「継続していく」ことなのですがやはり時代の変化に付いていかなければならないという事実もあるわけです円高グローバル経済…私も変わることに努力をしていますが

冨田屋はもともとが呉服問屋だったものですから呉服の生産が大幅に減少している中1999年に冨田屋が文化財に指定されたこともあって町家を公開し文化体験というものをやり始めたのです世界中の方にお越しいただきお茶席を体験していただいたり点心をいただいたり京都人というのは基本的に自分の家の中に他人を入れないというところがありますそのような中「家の中に人を入れて体験させるなんて何をやっているのか」と言われたことがありますでもいま観光関連の雑誌を開けてみると和菓子製造お茶などなど「体験づくし」になってきましたいち早く変わるということも大切だと思いますがその中にあってもやはり「続けていく」ことをベースに置くことが大事なのではないかと痛感しています

長谷川 田中さんは「続けていく」ことの大切さをあらためて強調されたように思いますでも一方で変わらなければならない部分もあるとご指摘されましたビルトッテンさんは約40年間日本に住まれて変わったもの変わらないものあるいは変わってほしくないものなどありますか

道徳教育なくなり「失われた時代」に

トッテン 昭和20年まで日本は道徳中心の教育だったと思います儒教孔子などを学んでいたこれは遠く聖徳太子の時代から続いていたのですね私が日本に来たとき日本人はみな道徳心を持っていたように思います彼らが昭和末期まで中心となって活躍しそのため日本は経済を含め豊かな国となりましたしかし道徳教育を全く受けていない人たちが経営者となったころから日本の「失われた時代」が始まった悪い方向に傾いていったのではないでしょうか

変わっていくことはたくさんありますが変わってはいけないのは自分の価値観私が来たころ子どもは「親の背中を見て育つ」しかし戦後はうるさい教育ママや学校の先生の命令で動く育つ全く正反対の教育になってしまった教育する中で子どもに考えさせるのではなく強い者の言う通りにするといった感じになったわけですねこれは間違っていると思います

もうひとつ私が感じていること私には嫌いな言葉があります「人材」「社員は俺(経営者)の材料」という意味その考え方は基本的におかしい社員は材料ではなく経済は人間のため人間は経済のためではないその表現を無意識に使うそれはひとつのたとえですがやはりこういった価値観を昔の姿に戻すことが大事なのではないでしょうか

長谷川 子どもが受ける教育というものは親から受ける教育学校から受ける教育社会から受ける教育の3つに分けられると思います学校教育が戦後大きく変わったことはみなさんご存じでしょう親からの教育は昔ながらの家に住んでいる子どもは両親祖父母らに囲まれて育っていくのでしょうが核家族化などが進むと親の教育力は弱くなってきているその要因のひとつにテレビの存在が挙げられます子どもはテレビを見る時間が長くなり親との会話が減ってしまっているこのような教育の現状を次世代に向けてどのように再構築していくかが大きな課題だと思っています

田中さんは普段若い世代と接している中教育も含め日本人の価値観についてどのような変化を感じておられますか

日本人の心愛情精神を大切に

田中 節句の行事は明治初期になくなりそうになりその後復活したのですが戦後また姿を消しつつあるのは残念です町家にしても行政は残そうと言ってくれるのですが残した町家はレストランになったり展示会場になったりそういう町家には中身はないもちろん神様もいない行事もないでしょうそのような中うちだけでもいいから頑張って残そうと思ったのです

毎年6月1日になると襖も障子も外して蔵から簾とアジロを出してきて夏の装いに変えます汗びっしょりになってやる恒例行事のようなものですね3月3日になると雛人形を百体お飾りしますひとつひとつを桐の箱から出しますいずれも大変な作業なのですがお越しいただいたみなさまがご覧になって「懐かしいな」と言ってくれるそして「家でも久しぶりに出そうか」などと言う声も聞こえるそういった日本人の心愛情精神を大切にし表現してもらいたいそれが言い換えれば「教育」なのかもしれません

「エコ」という言葉がありますね夏の暑い日大勢の取材陣が訪れました町家はクーラーを一切使わなくても風が通って心地良い電気のない時代に人々はどうやって暑い夏の日々を暮らしたのかいや暮らせたのですよ

長谷川 アメリカは建国して200年私も数年住んだことがあるのですがアメリカは決してコミュニティーが無い国ではないむしろ日本よりも街の人々のつながりは強いかもしれません街の人々が集まってボランティア活動をしたりハロウィンの時には街全体でお祭りをしたりそのような人のつながりすなわちネットワークという素晴らしい資産がどうして次の世代に伝えられなくなってしまったのでしょう

地域社会を感じる京都での生活

トッテン アメリカも日本も田舎に行くほど人同士の付き合いは深いやはり長く住むすなわちルーツが深くなるほど昔のことを守っているのでしょう日本は経済の6割が関東に集中していますがそれは果たして良いことなのでしょうかいまのこの時代通話はどこからでもできるしインターネットや新幹線を上手に使えばこのような集中を避けることができるのではないでしょうか私はカリフォルニアで生まれました私が住んでいたころは当時の住民はカリフォルニアに住んで数十年以内ですのでコミュニティーという意識はあまり存在していなかったと思いますそして東京に移っても同じような感じだったその後京都に移り住んで初めて地域社会を感じました

長谷川 最近はFacebookに代表されるSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)が出てきて地理的に一緒にいなくても同じ瞬間を共有できるようになっていますつまりどこにいてもネットワーク化されるようになってきている

Facebookでは書き尽くせない

田中 私もFacebookは活用していますしインターネットで情報を収集するのは好きですでもFacebookでは書き尽くせないものがある表情などはそのひとつでしょうやはりFace to faceの方が伝わりやすいたとえば最近病院へ行くとお医者さんはコンピュータを見ながら話し診察が終わりになるといったこともあります脈をとって顔色を見てほっぺたでも触ってみてと思うのですがコンピュータでデータを見ながらの診察ももちろん大事でしょうが以前のような診察方法を少しでもいいから残しておいてもらいたいと感じるのですが

インターネットだけでは足りない

トッテン 確かにFace to faceでないと肌で感じることができないという部分はあるでしょう私の会社の本社は東京にあり私は京都に住んでインターネットを使いながら仕事をしています東京に住む必要はないと考えていますただすべてがインターネットで事足りるという訳ではありません東京には1週間のうち2日は必ず行き朝から晩まであいさつ回りをしますやはりお客様と直接会い雑談を挟みながら話をすることが大事です

長谷川 どんな技術の分野でもそうなのですが進化発展をすると人間は必ず過信してしまいますインターネットが発展すると自分は何でもできるのだという気になってしまうものです私たち教育業界でも最近eラーニングが普及していますインターネットを介する訳ですがそれなりに授業は成立します10年ほど前に行われたある調査によりますと学生側に学ぶ意欲があればeラーニングでもFace to faceの授業でも効果は変わらないという結果が出ていますですが教育のみならずお客様と直接接したりご縁を大切にしたりする世界ではFace to faceに軍配が上がり技術はまだまだ追いつけない部分かなと感じます

あらためて感じる自然の驚異大切さ

田中 世の中には頭だけではついていけないことは必ずあります今年3月11日に起きたようなことはその象徴ですあすはわが身かもしれません計算通りにいかないこともたくさんありますそういった時に必要なのは強い心であり愛情なのではないでしょうか私が大好きな司馬遼太郎は「21世紀に生きる人々へ」という文を書いておられますこれを3月11日の後に再び読んだら驚きましたその文は「僕は21世紀の街角には立てないけれど21世紀というのはどんな時代であろう20世紀というのは科学や技術が非常に進んだ時代であったでも21世紀はたぶん自然というものを崇拝しなければならない時代になるであろう人という字を見るたびに思う人と人が助け合って生きている思いやりとか優しさ世界中の人々が持たなければならない時代になるであろう」と書かれています自然の驚異そして自然の大切さ私たちはその自然の中に心を持って生きているということを感じなければいけないと思いましたここに出席されているコンピュータ業界の方々ぜひ行事を知ってくださいいろんな思いがその中に詰まっていると思います

長谷川 この大会記念式典のメーンコピーは「古よりの縁があって今があるそして今の縁が明日を創る」ですネットワーク化をさらに追求しそしてクラウド化の時代にあってわれわれIT業界はどのように情報通信していくのか振り返りますとコンピュータ化はまずデータ化の問題があってそれがナレッジ(知識)化の問題へと変わっていったそしてこれからは知恵の時代古からの知恵をきちんと学びそしてこれから始まる新しい歴史を知恵でもって創り上げていけるように願っています