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Accumu Vol.24

情報社会の未来を切り拓くために

大阪大学総長 西尾 章治郎

京都情報大学院大学学長 茨木 俊秀

師弟対談 大阪大学 西尾章治郎総長×京都情報大学院大学 茨木俊秀学長

本学茨木俊秀学長が,2016年3月10日,大阪大学西尾章治郎総長を同大学吹田キャンパスに表敬訪問しました。

本学茨木俊秀学長が,2016年3月10日,大阪大学西尾章治郎総長を同大学吹田キャンパスに表敬訪問しました。西尾総長は,京都大学在学中,故長谷川利治先生(本学第二代学長)の研究室に所属し,同研究室の助教授を務めていた本学の茨木学長から研究指導を受け,茨木学長とは師弟関係にあります。今回の訪問では,和気藹々とした雰囲気のなか,旧交を温めながら,データ科学分野で画期的な業績を挙げられ,大阪大学第18代総長の重責を担う西尾総長に,これからの情報社会のビジョンや育成すべき人材像など多岐にわたる興味深いお話を伺いました。

大阪大学第18代総長としてのビジョン

茨木 このたびは,大阪大学第18代総長にご就任おめでとうございます。昨年の8月26日に就任され,半年余りが経過したところですが,総長として本格的な取り組みを始められているのではないでしょうか。

西尾 ありがとうございます。私の総長任期が2021年までの6年間なので,6年間を見通した大阪大学の構想・ビジョンを構成員に示す重要なタイミングです。2016年度から始まる第3期中期目標期間ともオーバーラップすることもあり,どういう目標・計画を実装させるかを理事の方々とずっと議論をしてきました。日本ではなかなかイノベーションが進まないという現状があるのですが,その一因を考えますと,社会と大学の間に立つ障壁,それと,茨木先生もご経験されたと思いますが,学内における学部間の壁もあります。壁の内側では狭い了見で差配されたコミュニティがあって,そういった要素が日本においてイノベーションを起こすうえでのバリアになっているのではないかという気がします。

茨木 なるほど,よくわかります。

西尾 そこで私は「オープンネス(開放性)」を基軸とした「オープンエデュケーション」「オープンリサーチ」「オープンイノベーション」「オープンコミュニティ」「オープンガバナンス」の5つを柱とする「OU(OsakaUniversity)ビジョン2021」を掲げ,その実現を目指しています。このビジョンのもと,分野の異なる人たちがお互いに連携するという意味での「協奏」,構成員および学外の人たちが一緒になって創造活動を展開するという意味での「共創」,これら2つの「きょうそう」によって大阪大学を改革していくことを目指しています。

茨木 いろいろな意味で大阪大学にとって重要な6年間ということですね。

西尾 そうです。大阪大学は2007年に大阪外国語大学と統合しましたが,私の総長任期の最終年に当たる2021年は,大阪大学創立90周年,大阪外国語大学創立100周年という節目を迎えます。

茨木 大阪外国語大学の方が大阪大学よりも先に創立されたのですか。

西尾 大阪大学が帝国大学の一つとして開学したのが1931年で,大阪外国語大学の前身である大阪外国語学校が創立されたのがさらに10年早い1921年です。

茨木 大阪大学も緒方洪庵が開いた適塾1から数えれば,もっと古いですね。

西尾 実は,適塾よりもさらに古い懐徳堂2を大阪大学の文系学部の源流としています。懐徳堂は,今から290年余り前に大坂の五同志と呼ばれる5人の豪商が町人の教育のためにつくった学問塾です。京都情報大学院大学の創立はいつでしょうか?

茨木 京都情報大学院大学は,日本で最初のIT系の専門職大学院です。2004年に開学していますので,今年の4月で13期生が入学することになります。歴史は新しいのですが,源流になっているのが京都コンピュータ学院です。西尾総長もご存知だと思いますが。

西尾 はい,もちろん存じ上げております。「先に学んだ者が後の者を指導する」という,長谷川繁雄先生,長谷川靖子先生の理念は素晴らしいもので,かねてから尊敬申し上げております。その理念のもとで,京都コンピュータ学院では京都大学の大学院生も教壇に立っていましたから,自ら学んだことを教える機会を持てることは,大学院生にとって貴重な経験だったと思います。

茨木 京都コンピュータ学院は1963年に創立し,今年で創立53年です。それが母体となって,専門職大学院ができたことになります。ITということですが,どこの大学でも情報工学科はありますので,特徴をもたせるために,京都情報大学院大学ではビジネス関係を充実させようとしています。

西尾 コンピュータ関係以外にも関連することを幅広く学ぶことが可能なわけですね。

茨木 そうですね,それ以外にITと関連したキーワードで言えば,ERP,SCM,CRMといったもの。ITと結びついた様々なアプリケーションを重点的に教えています。

  1. 適塾:緒方洪庵(1810〜1863)が1838年に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。福沢諭吉,大村益次郎ら,明治の近代化に貢献した多くの人材を輩出した。司馬遼太郎は,小説「花神」の冒頭で大阪大学と適塾の関係について次のように書いている。「『適塾』という,むかし大坂の北船場にあった蘭医学の私塾が,因縁からいえば国立大阪大学の前身ということになっている。宗教にとって教祖が必要であるように,私学にとってもすぐれた校祖があるほうがのぞましいという説があるが,その点で,大阪大学は政府がつくった大学ながら,私学だけがもちうる校祖をもっているという,いわば奇妙な因縁をせおっている。」
  2. 懐徳堂:1724年,大坂の商人たちが出資して,現在の大阪市今橋四丁目に設立した学問所。1945年の大阪大空襲により罹災し,1949年,新制大阪大学誕生時に蔵書と職員を継承した。

長谷川研での思い出

1980年5月,ウォータールー大学の客員研究助教授としてカナダに渡航する際の伊丹空港にて
1980年5月,ウォータールー大学の客員研究助教授としてカナダに渡航する際の伊丹空港にて

茨木 西尾総長は,1975年に京都大学工学部の数理工学科を卒業されて,その後,大学院に進学され,1980年に学位を取得されました。しばらく京都大学の数理工学科の助手をされた後,大阪大学基礎工学部情報工学科の助教授に就任されました。その後,大阪大学工学部の教授になられ,サイバーメディアセンターの創設に携わられ,初代のセンター長をされました。さらに,大学院情報科学研究科の立ち上げに尽力されて,研究科長,理事・副学長,そして今回,総長というご経歴ですね。京都大学のときは,長谷川利治先生の研究室でしたが,当時,私がその研究室の助教授で,助手を宮原秀夫先生がされていました。宮原先生は,大阪大学の第15代総長を務められましたね。長谷川研究室から,二人の総長が誕生したというわけです。今から思えば,凄い研究室でした。

西尾 もうお一人,長谷川研究室ご出身の尾家祐二先生が,この4月に九州工業大学の学長に就任されることになりました。学部4年生で,長谷川研究室に所属できたということが,その後の私の人生において非常に大きな転機になりました。長谷川先生,茨木先生,宮原先生から私が学んだこと,もちろん,研究に関してもそうですが,それ以上に人生の糧となることを三人の先生から学ばせていただきました。

茨木 長谷川利治先生は,京都情報大学院大学の第2代学長を務められ,誠に残念なことに2012年に逝去されました。先生のご研究を簡単に振り返ってみますと,大阪大学におられた頃は通信工学を専門にされ,すでに1960年代前半に,非同期時分割多重方式によるマルチメディア通信方式を世界に先駆けて提案し,国際会議で発表されています。これはインターネットの原型ともいうべき,大変重要な研究です。京都大学に移られてからは,多値論理やオペレーションズ・リサーチ分野に研究領域を広げられ,待ち行列理論やシステムダイナミクスなどの研究,またそれらの応用分野として道路交通制御に興味をもたれました。交通分野の具体的なご活動としては,阪神高速道路公団の交通管制委員会に所属され,公団の交通管制システムに対するご提言とか,高速道路の混み具合によって通行料金を変えるシステムの検討など,ユニークな活動をされました。これらの研究発表の場として多くの国際会議に出席し,外国研究者と親しく交流された結果,国際的に高い知名度を得ておられたことをよく覚えています。西尾総長は長谷川先生に対し,どのような思い出をお持ちでしょうか。

西尾 私は,茨木先生のもとで研究のご指導をいただきました。長谷川先生には研究そのものよりも,どちらかといえば長谷川先生のお人柄,人間性に接して多くの大切なことを学ばせていただきました。一つ思い出を申し上げますと,先生のお供をして出かけますと,長谷川先生は必ず道路側を歩かれます。自動車が通っている方を自らが歩かれて,学生である私を安全な道の内側を歩かせてくださるのです。そういう気配りを普段からごく自然になさる方でした。

茨木 そうですね,長谷川先生は,体格も大きかったですが,人物的にも器の大きい方で,人を信頼させる雰囲気をお持ちでした。私なんかよく先生の教授室で珈琲を飲ませていただく機会があったのですが,そこでは談論風発というか,研究以外の話題もたくさん出てきて,先生の知識の広さと,奥の深さにいつも感銘を受けていました。

西尾 学部3年生のときに,「計測工学」に関する講義で,長谷川先生は,「私の指導のもとで実験などを行っている学生が,もし,私の説明不足や指導不足が原因で事故が起き,その学生が怪我をしたり,あるいは死んだりしたら,私はもう教員を辞めます」とおっしゃったのです。それを聞いて感銘した私は,この先生のご指導を受けたいと思いました。

茨木 わかります。そういう先生でした。

西尾 ありがたいことに研究室で助手にしていただいて,私が30歳の頃でしたが,ヨーロッパで開催された学会に長谷川先生と一緒に発表に行く機会がありました。そのときに先生がおっしゃったことを今でも覚えています。「世の中すべては情けで動くのですよ。だから思いやりが大事なのですよ」とおっしゃいました。その言葉が今も私の心の中に強く残っています。京都学派という哲学の流れがあって,その中心人物で「善の研究」などで有名な西田幾多郎という哲学者がいます。この哲学者も「学問も事業も究竟(くっきょう)の目的は人情のためにするのである」と言っておられます。これは長谷川先生のおっしゃったことと同じであると思います。

茨木 なるほど。長谷川先生のような方の研究室だからこそ,西尾総長のような人物を輩出しているのでしょうね。

編集部 茨木先生についての思い出はいかがですか?

西尾 茨木先生の印象は,一言で申し上げて,「天才」でいらっしゃいます。本当に凄い方ですが,決してひけらかすことをされない先生です。先生のご業績を私から少し紹介させていただきます。先生は,大学院時代に,「しきい論理」という単体のニューロン素子の論理モデルにご興味を持たれました。その分野の創始者のお一人であるイリノイ大学の室賀三郎教授に招かれ,コンピュータの論理設計に整数計画法を利用する研究に従事され,その過程で組合せ最適化3に興味を移されました。京都大学の数理工学科に所属されてからは,組合せ最適化のアルゴリズムとして,整数計画法,動的計画法,分枝限定法,メタ・ヒューリスティクスなどの研究とともに,組合せ最適化問題の表現法,論理数学によるデータ処理,個々の問題の困難さを明らかにする計算の複雑さの理論の研究に従事されました。これまでに英文,和文を合わせ400篇以上の研究論文,単著,共著合わせて20冊以上の書籍を執筆されています。私は学部4年生から,修士の2年間,博士の3年間とご指導いただき,私の博士論文になった研究も,組合せ最適化問題をオートマトン理論に基づいて表現するというアプローチを採用しています。茨木先生から「ものを考えていて,何か新しい創造的なことをしようとするならば,夢に見るぐらい考えないとダメだよ」と言われたのを今でも覚えています。その頃,茨木先生からいただいた課題を下宿でいろいろ考えて,これでいいだろうと思って茨木先生のオフィスにお邪魔し,黒板を使って説明するのですが,それを見ておられた茨木先生が,「そこ」と言って指をさされるのです。そうすると,ほとんどの場合,その箇所が間違っているのです。それを何回か繰り返していると,先生が「まあ,いいんじゃない」とおっしゃってくださいます。そのように言っていただいた日は本当に嬉しかったことを今でも鮮明に覚えております。さらに申しますと,どうしても行き詰ってしまったとき,朝,大学に行ってみると,私の机の上にレポート用紙が置いてあり,「こうしたらいいんじゃない」と先生が解法へのヒントを記してくださっていました。

茨木 そういうこともあったかもしれませんね。西尾総長の学生時代の印象は,大変真面目な学生さんで,研究のことのほか,雑用などもお願いしますでしょ,そうすると,きちっと責任をもってやってもらえる,非常に信頼のできる学生でした。

西尾 お褒めいただき,大変恐縮です。そのような凄い先生のもとで過ごせたことが,一生の宝です。私は,小さい頃から一年中スポーツばかりやっていました。社会人になって間もなくの頃,中学校の同窓会に出席して,大学の教員をしていると言ったら,皆が信じませんでした。実は,研究者になろうという気持ちがあったわけではありません。田舎から出て来ましたので,修士の2年になったとき,実家の両親も年老いていましたので,就職を考えていました。しかし,あるとき,長谷川先生から「西尾君,博士課程に行くんでしょ」と言われまして,当時,指導教授がおっしゃって下さることは素直に聞くものと思い,そのお言葉通りに博士の後期課程に行ったようなものです(笑)。

編集部 西尾総長が学生であった1970年代のコンピュータの状況はどのようなものでしたか?

西尾 今日,持ってきたものがありまして,これは紙テープ4です。

茨木 ああ,懐かしいですね。

西尾 私が学部学生のときに実習で初めて使用した日立製のハイタック105というコンピュータがあり,当時はアセンブラという言語を使用し,プログラムはこの紙テープに記録していました。読み込むときに紙テープがどこかに引っかかって切れることがよくあるのですが,それをまた,うまく継ぐ方法があるのです。

茨木 そうでしたね。プログラムを書き間違えるでしょ。そうすると,全部入れ替えると大変なので,そこを修正して,貼りなおすんです。

西尾 その後,テープからカードに変わりました。4年生の頃に茨木先生が研究されていた分枝限定法のシミュレーションを頼まれたのですが,そのとき初めてカードを使いました。1枚のカードに一行のプログラムを書きます。今でも思い出すのは,カードトランクというのがあって,それにカードを入れて大型計算機センターに行くのですが,あるとき自転車のカゴに入れていたカードトランクの本体と蓋の間の留め具が外れてしまい,道路のうえにカードをばらまいてしまったことがあります。カードの順番が変わってしまうと,プログラムの実行順序が変更されるので大変でした。その後,カードを重ねた側面にラインマーカーで斜線を引いて,順番がわかるようにしたりしました。懐かしい思い出です。

茨木 こういう話をすると年齢がわかってしまいますね。

  1. 組合せ最適化:対象とする数理モデルに対し,それがもつ制約条件の範囲内で,目的関数を最適化する問題を最適化問題という。初期の頃はもっぱら(実数値をとる)連続変数を扱っていたが,その後(整数値あるいは0,1の値をとる)離散変数を扱う問題も活発に研究されるようになった。後者のタイプを離散最適化あるいは組合せ最適化という。グラフ理論やスケジューリングにおける問題などが典型例である。
  2. 紙テープ:コンピュータ初期の頃,プログラムやデータを記憶するため,自動パンチ機で紙に穴を開け,穴の有無で0,1 を表示した。テープでは情報を連続して記録するので書き換えが困難であったため,その後カードが用いられ,カードでは1枚ごとに1ステートメントを記録した。
  3. HITAC10:日立製作所が開発した国産初のミニコンピュータ(1969年2月発売)。京都コンピュータ学院が導入した最初の実習機で,一期生はこれを使って実習した。このようなレベルのコンピュータを学生の実習機として使っていた学校は,本学以外になかった。

データ科学のフロンティアを切り開く研究業績

大阪大学 西尾章治郎 総長

西尾 私は本当に幸運なことに,博士学位を取得してから茨木先生のご尽力でカナダの大学に客員の教員として滞在させていただきました。トロントの近くにあるウォータールー大学といって,カナダではコンピュータ分野などで著名な大学です。そこで1年間,研究をする機会を得ました。このことが,私にとってものすごく大きな財産になっています。そこで多くの知遇を得ました。私を招いてくださったのは亀田恒彦先生です。慶応義塾大学の徳田英幸先生,所眞理雄先生ともそこでお会いしました。そういう人脈ができたことは本当に大きかったですね。コンピュータの発展過程に関していえば,正にUNIXが出始めた頃です。カナダに向かう前にこの本を読んでおきなさいと茨木先生から渡されたのが,C言語のテキストだったのです。当時は,まだFORTRAN(フォートラン)等の時代で,C言語はまだ日本では紹介されていませんでした。電子メールを初めて使ったのも,このカナダ滞在中の1980年のことでした。

編集部 その当時,日本と欧米を比較すると技術面では,何年ぐらいの開きがありましたでしょうか。

西尾 1988年まで長谷川研究室にお世話になったのですが,その間に日本製のワークステーションを導入して,そこで電子メールの送受信を始めた覚えがありますので,6〜7年の遅れでしょうか。UNIX,C言語,電子メールなど,まだ日本に全然ないものをカナダで経験できたことは大変有意義でした。また,正にインターネットが世の中に出始めていた頃で,データベースをネットワーク上に分散させるという,分散データベース6という新たな概念も生まれかけていました。

京都情報大学院大学 茨木俊秀 学長

茨木 西尾総長の出発点となった博士論文は,「組合せ最適化」という,どちらかというと数学的なテーマでした。奥は深いのですが,西尾総長は,あまり広がりが無いと思われていたのではないかと思います。西尾総長は,もう少し広いところを見ておられた。学位取得後,データに着眼されました。当時,データ科学やデータ工学の分野で様々なイノベーションが起こっていて,そちらの方に進んでいかれました。

西尾 学位を取得後にカナダに滞在しておりましたときに,どういう研究を新たに展開したらよいか亀田先生にご相談をした際に,学位取得までの研究は一つのまとまりとして,まったく別のことをやるのも面白いのではないかとのご意見をいただきました。そこで,データベースに関する研究が,UNIX,インターネットの登場等で大きく発展するであろうと予測しました。また,実際の社会システムに組み込まれていることも私にとっては重要なことでした。さらに,データベースの研究には,学位論文で茨木先生にご指導をいただきました研究の内容がうまく活きる分野もあります。加えて,長谷川研究室の大きな研究テーマの一つであった情報通信システムに関して,研究室のゼミナール等で私自身が得た知識が,先端的なネットワーク環境におけるデータベースシステムの研究に有効に活かせると考えました。そのような観点で,カナダから帰国後に茨木先生にご教授いただきながら,分散データベースのファイル冗長性に関する研究を行いました。分散データベースでは,ファイルのコピーをネットワークで繋がれた複数のサイトに配置しますと,システム故障が起きても正常に稼働しているサイトにコピーがあれば,そのサイトから読み取ることができます。また,近いサイトにあるコピーから読み取れば,通信コストが低減でき,応答時間も短縮できます。ところが良いことばかりではなく,コピーを複数のサイトに配置した場合,書き込み操作の場合は,すべてのコピーに書き込みを行い,内容を一致させておく必要があります。例えば,銀行の預金口座などの場合,コピーの内容が異なりますと,引き出す場合に残高の大きいサイトのコピーから引き出せば有利になります。つまり,コピーの数が増えると,近くから読み取ることが可能になり,そのコストは低くなりますが,書き込みのコスト,およびコピーの格納コストは大きくなります。当然ながら,コピー数が減りますと,まったく逆のことが言えます。したがって,全体のアクセス回数の内の,書き込み回数の割合が重要なパラメータになります。ところが,分散データベースシステムに関する先駆的な論文のほとんどにおいて,すべてのサイトにファイルのコピーを配置する完全冗長性の仮定がなされていました。確かに理論的な取り扱いは容易になるのですが,実際のシステムの性能効率上問題がないのか,という疑問をいだきました。そこで,先に述べたアクセス回数に関するパラメータをさまざまな値に設定した上で,多くの問題を解いて,一般的な特性を探ることにしました。その結果,一般性のある結果が出まして,書き込み回数が全体の2割を超すような状況では各ファイルを1個だけ配置することが最適であるという結果が出ました。実際,われわれの論文が出てから,すべてのサイトにコピーを置くことを前提とした議論は一切なくなりました。得られた結果は,応用分野に対応したコピー数の設定に大きな影響を与えました。銀行では,残高照会のように,書き込みのないアクセスは意外と少なく,ほとんどが預金や引き出し,つまり,書き込み操作が主です。旅行案内業では,一旦予約状況を確かめて,予約を入れることを考えますと,読み込みと書き込み操作は,半々くらいになると考えます。つまり,これらの業種では,明らかに書き込み回数が2割を超していますので,ファイルは1個のみで,コピーは置かない方が良いことになります。一方,図書館情報などでは,ほとんどが読み込みですので,予算が許す限りでコピーを置いた方が良いことになります。なお,この研究は,私にとって国際会議への出席という点で大きな意義をもっておりました。この研究のある段階までの成果をまとめた論文をVery Large Data Bases(VLDB)という国際会議に投稿しましたら,採択されました。実は,この国際会議は,データベースの分野では,採択が最難関の部類の国際会議であり,そのようなこともまったく意識なく投稿しました。私の国際会議へのデビューがこのような形でできたことは非常に幸運でした。

茨木 それ以降,情報ネットワーク環境におけるデータベースシステムの研究を継続されているのですね。

西尾 長谷川先生,宮原先生は情報ネットワークがご専門です。今でも覚えているのですが,1980年頃,研究室内でのセミナーで宮原先生が「将来は,弁当箱半分ぐらいの端末を持って,世界どこに行っても交信できるようになる」とおっしゃったのです。そのときは,夢のようなお話しと思っていましたが,実現していますよね。

編集部 現在のスマートフォンですね。

西尾 長谷川研究室で,そうした情報ネットワーク関係のお話しを耳学問的に聞いていたこともあり,その時々における先進的な情報ネットワーク環境におけるデータベースシステム構築技術を探求してきました。そして,大阪大学における私の研究グループは,その分野の世界的な拠点として注目をされてきました。情報ネットワーク環境の変化は目まぐるしいものがあります。インターネットも最初は通信帯域がとても狭かったのですが,ATM技術7等が出現して広帯域のネットワークが登場しました。そして,モバイルのネットワーク環境も実現しています。現在では,災害時等にはパソコン同士が直接に通信を行うようなシステムが構築され,さらにはセンサー間での通信も可能になっています。このように情報ネットワーク環境が目まぐるしく変遷する中で,その環境におけるデータベースシステムに関する新しい課題が必ず生まれます。そのような課題の解決に果敢に挑戦してきました。

編集部 西尾総長は,演繹オブジェクト指向データベースのご研究でも有名ですね。専門外の方にもわかりやすくご説明いただけますと幸いです。

西尾 データベースは,データ間に何らかの関係を付けて格納していますが,そのようにして格納されたデータをもとに何らかの推論,知識処理ができないか,ということで新たなデータベースのモデルが提案されてきました。例えば,親と子の関係を表すデータがあったときに,親子の関係を2回適用すれば,祖父母の関係が得られます。ところが,データとして格納されている「ある人」のすべての先祖を導き出すことを要求しても,その処理はできません。なぜなら先祖とはどういうものかという知識がデータベースにはないからです。どうすればよいかというと,2行のルールをデータベースに覚えさせ,それを適用すればよいのです。

編集部 たった2行ですか。

西尾 「親は先祖です」と「先祖の親は先祖です」という2行のルールです。そのルールを「ある人」から順次適用していき,全部の先祖を出力することができます。ルールに従って順次適用するというプロセスが,ある意味では「演繹的推論」を行っているとも考えられ,このような機能をもったデータベースを「演繹データベース」といいます。演繹データベースのモデルが登場してきた際に,私が関心を持ったのは,このように機能強化したモデルとして最も強力なモデルはどのようなものであるかということです。その回答が「演繹オブジェクト指向データベース」であると考えています。

編集部 オブジェクト指向というのは,プログラミング言語でも,C++などがありますが,世の中をモノ中心にみていく考え方ですね。

西尾 はい,そうです。オブジェクト指向では,モノ同士の関係を大きく二つの視点で捉えます。一つは,「人間は哺乳類です」といったA is a Bという関係です。もう一つは,あるモノがどのような構成要素をもつか,例えば「自転車は,ハンドルや両輪といった部品で構成される」,即ちpart ofという関係で捉えます。is aという関係とpart ofという関係で,この世の中のモノのすべて関係を見ていきます。そうすると,モノ中心のデータ表現のかなりの部分が可能になります。ちょうど1980年頃から,コンピュータの能力が飛躍的に向上しますと,コンピュータで扱うデータの種類が,数値データだけではなくて,テキスト,さらには画像や音声なども扱えるようになってきます。それまでのデータベースでは,データを格納する定型的な器の設計を厳格に行っていました。ところが,音声や画像になりますと,定まった器の中にしまい込むことがなかなかできなくなります。そこで,むしろ逆に各々のデータを中心にし,それに関連するデータをお互い関係づけるという考え方が現れてきます。このように,対象とするモノを中心にして,まわりの関係を描くということがオブジェクト指向のデータ表現の考え方です。ただし,オブジェクト指向の概念には,単にこれだけでなくモノとそれに伴う動作を一体化(カプセル化)するとか,他にも重要な要件があります。

編集部 なるほど。

これまでのデータベース研究における歩み

西尾 先程申し上げましたように,私が研究を始めた1980年代は,データベースそのものがさまざまな観点でドラスティックに変化する時期でした。そこで,オブジェクト指向による非常に柔軟なデータ表現と,推論機能を備えた演繹データベースをひとつのモデルに統合できないかと考えて提唱されたのが,演繹オブジェクト指向データベース(Deductive and Object-Oriented Database:略称DOOD)です。その重要性を察知して,このデータベースについて私の研究室で早々に研究を開始するとともに,私自身がイニシアティブをとって1989年に京都で演繹オブジェクト指向データベースの国際会議DOOD’89を開催いたしました。

茨木 この国際会議はエポックメイキングなものだったようですね。

西尾 おかげさまで,この会議は国際的に非常に大きな反響を呼びました。この新たな分野に関する先駆け的で重要な論文が多く発表されましたので,会議録は1700回以上にわたって世界中で引用されています。

  1. 分散データベース(distributed database):一つのデータベース管理システムが,複数のマシンに置かれたデータベースを制御するという方式。通信コストの低減や応答時間の短縮,さらに災害やヒューマンエラーによる局所的なシステム故障に対して強靭であるなどの特徴をもつ。
  2. ATM(Asynchronous Transfer Mode):非同期転送モード。1980年代,既存の一般電話回線を通して,音声,データ,画像など,マルティメディア情報を高速に送るためのプロトコルとして提案された。しかし,その後インターネット・プロトコルが普及しため,広く採用されることはなかった。

大学と産業界による共創への期待

茨木 今後,日本の大学にはどのような課題があるとお考えですか。

西尾 現在,日本の大学は特に若手教員に関して,雇用期限が設定されていないポスト数が年々減少しています。私が長谷川研究室で助手として勤務していました時は,助手が2名いました。ですから,どちらか一人が1年間海外に滞在しても,研究室は何とか滞りなく運営できていました。そのようなこともあり,私も1年間海外に滞在することができました。今は,助手の役目を助教がほぼ踏襲しておりますが,助教の員数が年々減少しており,場合によっては助教がいない研究室も出てきております。このような状況の中で,助教が海外に長期滞在することが難しくなってきております。

茨木 こんな調子でやっていたら,日本の学術研究は枯れていくばかりですね。

西尾 そう思います。以前は国から大学への運営費交付金が,各研究室に「校費」という名目で基礎研究を行うに足る額が配分されていました。しかし今は,その校費の額が痩せ細り,例えば科学研究費補助金のような外部からの競争的資金を自ら申請して獲得しないと研究が立ち行かなくなってきています。さらに,そのような外部の研究費の配分の審査をなさっている方とお話していても,出口指向の研究が重んじられるようになってきているとおっしゃいます。目先の結果ばかりを求めていると,日本の研究の苗床が枯れてしまいます。例えば,赤﨑勇先生がどのようにしてノーベル賞受賞につながる初期段階の研究ができたかといえば,先生の講座に基礎研究を継続するに足る校費の配分があったからです。赤﨑先生はある企業内の研究者として青色発光ダイオードの研究プロジェクトを推進されていましたが,採算が合わないということで会社がプロジェクトを閉じたと聞いております。そのときに名古屋大学が赤﨑先生を招かれました。名古屋大学は本当に先見の明があったと思いますね。その後,赤﨑先生は,名古屋大学において窒化ガリウムという材料を用いた研究を展開されていきます。ところが,研究会で先生の発表になると会場から皆が去ってしまう。当時は,当該分野の多くの研究者は先生のアイデアに疑問をもっていました。会場に残ったのは,赤﨑先生と司会者と,もう一人の三人。その一人というのが同時にノーベル賞を受賞された中村修二氏だったと言われています。こういう状態でも3年間程は校費で凌いで研究を継続され,科学研究費補助金に採択されるに十分な業績を積まれました。そして,科学研究費補助金によってさらに研究が進展し,新たな展開を迎えていかれます。JST8に石田秋生氏という素晴らしい目利きがいらっしゃり,石田氏は赤﨑先生の研究の有望さを見抜かれ,JSTが運営管理している戦略的研究経費を割り当てたり,豊田合成株式会社との産学連携事業を推進していかれます。そのような一連のプロセスを経て,赤﨑先生の研究は大きな発展を遂げ,ノーベル賞受賞につながっていきました。

茨木 今は,最初の資金である国からの運営費交付金が削減されてきているわけですね。今おっしゃった例のように,ある程度無駄をしないといけないんです。現状は,とにかく,削って削ってという考え方に差配されていますから,私が知っている研究者の皆さんからも,成果が予測できないタイプの研究を行う余裕がない,という不満をよく聴きます。これでは,時代を画するような研究は生まれないでしょう。

西尾 文部科学省もこの点は危機感を持ち始めています。私も文部科学省において,そのような流れを何とか食い止めることを審議する委員会の主査を務めておりました。このような深刻な問題をしっかり議論し,その審議結果を世に示すための報告書を作成して公表しました。今年4月から国全体の科学技術基本計画9が第5期に入ります。研究には,国家の緊急的な課題解決を目的とする「要請研究」,その時々に重要と考えられる研究に関する戦略目標を国が定め,それに沿った研究を競争的資金のもとで推進する「戦略研究」,さらには研究者が自らの発想で,しかも自らの責任で行う「学術研究」があります。先程の赤﨑先生の研究は,まず「学術研究」がベースにあり,それから「戦略研究」へと進展しました。その観点から言えば,「学術研究」こそが「国力の源」であり,それを推進する苗床の枯渇が大きな問題である,と言えます。その「学術研究」について,第4期までの計画ではまったく記述すらされていませんでした。先に述べた私が主査を務めていた委員会の報告書などが奏功して,第5期では「学術研究」という言葉もその重要性も盛り込まれています。

茨木 少し余裕をもって長い目で10年,20年でみる部分が必要だということでしょうか。全部,そうなれとは言わないけれども,能力があって,ある程度,面白いことが出てきそうな場所,分野に対しては,配慮してほしいですね。

西尾 そのとおりだと思います。今まで日本人でノーベル賞を受賞されている方々は,そういう余裕があった時代を過ごされています。国力の源としての「学術研究」を何とか財政的にも守っていただきたいという気持ちは十分にあります。ただし,高齢者,社会福祉に関する経費などで国家財政も逼迫しておりますので,一方では大学自らも何らかの知恵を絞っていくことが求められています。そのような状況の中で,今後考えられるアプローチは,やはり,産業界との連携です。従来から産学連携は行われてきましたが,これからの産学連携は少し意味合いが変っていくと考えております。今までは,大学の持っているシーズと,それに対する企業の明確なニーズをマッチングさせて数年後に何らかの技術的なブレークスルーを生むための産学連携を行ってきました。つまり,企業には何をやるべきかという具体的な目標があって,その目標達成のためのhow to doの部分で,大学発の使えるシーズ技術を用いることに連携の主眼がありました。しかし時代が変わり,産業構造が垂直統合から水平統合に大きく転換している状況において,企業は何をやって行くべきかが不明確になり,what to doについて模索し始めています。自動車を例にとれば,これまでは自動車を単体のモノとして扱って,それを構成する部品の性能向上とかデザインなどを主眼にして技術開発が進められてきました。ところが,IoT(Internet of Things:モノのインターネット)の大きな流れのもとで,自動車間での通信が始まり,自動走行技術等が急速に発展する中で産業構造の水平統合化が急速に進んでいます。

茨木 それにはまったく異なる分野にも目を向けないといけないですし,かなり発想を変えないといけませんね。

西尾 はい。先日もエアコンで世界的シェアを誇るダイキン工業株式会社の幹部の方が私のところに相談に来られまして,大変感銘を受けたことがあります。私は,ダイキンはエアコンの技術開発に関して価格的な面も含めて最先端を走っていると評価しています。しかし,ダイキン内部では,2,3年も経てば,国内企業のみならず中国,韓国,台湾をはじめとする他国の企業がダイキンの現在の水準に追い付いてきてしまう。そこで,空気で生活を豊かに快適にするための次の一手を至急に考える必要がある,という危機感を切実におっしゃいました。このように,成功に安住せず常に危機意識をもっておられることは素晴らしいと思いました。この相談は,今後,何をしていくべきかというwhat to doに関するものでして,企業の大学に対する期待の大きさを感じました。従来の産学連携とは異なり,企業と大学が一体となり,連携というよりさらに踏み込んで共に創造する,つまり,共創することが求められてきております。そのようになってきますと,産業界との基礎研究段階からの包括的な共創活動を推進することが可能になってきまして,「学術研究」を何とか展開していくひとつの方策になると考えております。

茨木 国にもがんばってもらうことも必要ですが,確かに待っているだけではいけませんね。やはり,大学がイニシアティブを持ち,こういうことが必要なのだと企業を啓発しないといけないと思います。大学も変わらなければならないという点は,私も同感です。

西尾 さらに,我が国がイノベーションをいかに起こしていくかについても考えなければならないことがあります。多少誇張して言えば,日本では,サイエンスとテクノロジーが進んでさえすれば,イノベーションが起こると思われている節があります。確かにそれはイノベーションの絶対的な必要条件です。しかし十分条件ではありません。日本の場合,イノベーションを起こすのに重要な「モノづくり」ひとつをとっても,ユーザーの視点が省みられない傾向があります。情報通信研究機構(NICT)10という総務省の研究機関があります。従来,情報ネットワークの通信帯域をどれだけ大きくするかというようなことを主体に,さまざまな情報通信に関する課題に取り組んで来られました。しかし,光通信技術の急速な進展により,次の新たな課題に取り組んでおられます。その一つとして挑戦されているのが,脳科学であり,ユーザーの視点を取り入れる研究なのです。情報ネットワーク上にさまざまなコンテンツが流れます。それをユーザーが視聴して,居心地がよくなっているのか,安心感を覚えているのか,それらを脳科学の視点で解明して情報通信の内容的な質の向上につなげていくことを考えておられます。fMRI(functional magnetic resonance imaging)と言って,脳のアクティビティなどを脳を傷つけずに測定できる国内でも最先端の機器を導入して研究を推進されています。そうした脳科学をNICTと大阪大学が共同で研究する脳情報通信融合研究センターを,宮原先生がNICTの理事長をお務めの時に大阪大学のキャンパス内に誘致しました。ちょうどその時に,私は大阪大学の理事・副学長を務めておりました。私は,今後「モノづくり」の現場が,脳科学と連動することでユーザーの視点が取り入れられ,大きく変わっていくと確信しております。

  1. JST(Japan Science and Technology Agency):国立研究開発法人 科学技術振興機構。科学技術における研究開発の戦略の検討,基礎研究の支援や成果の産業界へ橋渡し,さらに研究に必要となる”情報“や”人“に関する取り組みなどを行っている。
  2. 科学技術基本計画:内閣総理大臣からの諮問を受け,わが国の科学技術政策を,長期的視野に立って体系的かつ一貫して実行するための基本計画として,総合科学技術・イノベーション会議が策定する。
  3. 情報通信研究機構(National Institute of Information and Communications Technology;NICT)。情報通信技術の研究開発の推進と情報通信事業の振興を目的とする独立行政法人。

アンビエント情報社会と情報分野の未来

茨木 西尾総長は,今後の情報社会のあり方として,アンビエント11情報社会を提唱しておられますね。これについて,ご説明いただけませんか。

西尾 情報分野で研究活動を続けるなかで,究極的にどのような情報社会を目指していくべきかということを考えるようになりました。20世紀から21世紀に時代が変遷する中で,3段階の情報環境の革命が起こっていると考えています。第一次革命はインターネット情報社会の出現であり,自分の机の上の情報端末を用いて,世界中からさまざまな情報を入手し,世界に向けて情報発信することが可能になりました。第二次革命は,ユビキタス12情報社会であり,携帯電話やモバイル端末を使って,「何時でも,何処でも,誰とでも」情報を送受信することが可能になりました。ただし,情報システムは,利用者がデータにアクセスしてくるのを,じっと待っている状態です。いわゆるPULL型サービスをするシステムです。そこで,その次の究極的なサービス段階ではどのようなシステムが考えられるかを探っておりました。その結果,環境中のコンピュータの方から人間にアクセスしてきて,助言や示唆をしてくれる世界,つまり,情報技術(IT)が自然に生活に溶け込んで,人間に寄り添うような社会ではないか,と考えました。そこでは,PULL型サービスのみならず,PUSH型サービスも行われることになります。このような情報社会をどのように表現したらよいか,考えあぐねていました。2005年の5月の連休の頃,そのことを考えながら大阪梅田地区を歩いていました時,「堂島ホテル」の看板が目に入りました。それを見て,これだと思いました。そこには,「ホテルアンビエント堂島」と書いてありました。この老舗ホテル「堂島ホテル」は,一時期,名称が変わっていたのです。

茨木 アンビエントの意味は,周りとか周辺ということでしょうか。

西尾 確かに「周り」とか「周辺」という意味をもっています。早々に研究室に戻って,インターネットで検索をしてみますと,ヨーロッパでは,アンビエント・インテリジェンスという言葉を用いた大きなプロジェクトが進行していました。それを知って,ある意味では,「アンビエント」はお墨付きを得ている言葉だと考え,これからの情報社会のあり方を象徴する言葉として使うことにしました。グローバルCOEプログラムという,文部科学省の支援のもとでの大型の拠点形成プログラムに,アンビエント情報社会を構築するための情報技術の研究,およびそれを支える博士課程人材の育成を目指す内容で応募して採択されました。2007年度から5年間にわたって大阪大学の情報科学研究科が中心となってアンビエント技術をさまざまな観点から研究する取り組みを始めました。

編集部 アンビエント情報技術ではどのようなことを実現していくのでしょうか。

西尾 例えば,私が疲れて家に帰り,リビングルームのソファに座ったとします。今ですとテーブルの上に,リモコンが幾つもあってエアコンの温度調整をしたり,テレビ番組の選択をしたりと,さまざまな操作をします。ところがアンビエント情報社会では,リモコン操作などは行いません。エアコンが自動で私の適温に設定します。テレビを観ようとしますと,何もしなくとも私の観たい番組に設定されます。BGMも私の好みに合わせて選曲してくれます。さらに,電子メールも緊急のものがテレビのディスプレイの隅の方に表示されます。これらのことは,技術的に既に可能になっているものもあります。例えば,最近では腕時計と一体型になった体温センサーから体温データが発信され,それがサーバマシンに蓄積され,そのデータ分析をもとにエアコンの温度設定をすることが可能になってきています。テレビの番組選択も,ある視聴者がこれまで観てきた番組データを蓄積しておき,そのデータ分析をして,曜日や時間帯を考慮しつつ番組表の電子データとマッチングをして,その視聴者が多分観たいであろうと思われる番組をディスプレイ上にちらっ,ちらっと流して見せます。一方で,視聴者の目線を追っているセンサーがあって,その番組に対して目線が定まるかを測定し,その番組に設定するという具合です。また,別の応用では次のようなことも考えられます。ある老人の日々の行動パターンを把握するため,例えば,鉄道の乗車カードのデータを全部サーバに集めておきます。そうするとこの老人は何曜日の何時頃に電車に乗ってある駅に向かい,その駅近くのある病院に通っている,というような規則性がわかります。ところが,その該当の日時に降りるべき駅を通り越してしまうようなことが起こったとします。そうしますと,その老人の肩をとんとんとたたく感じで,携帯電話などを介して,病院がある駅を通り越していますよ,と伝えることができます。以上で述べたようなことがアンビエント情報社会では実現できます。その社会は,これまで発展してきた情報技術を総動員し,さらに最近特に重要視されているビッグデータ解析を駆使することによって実現される究極の情報社会だと思っています。

茨木 これからは,データ科学が非常に重要になってきますね。

西尾 先生のおっしゃるとおりです。特に日本は資源もない国ですので,今後データを中心とした科学をどう進めていくかは非常に重要だと思っています。データ科学は,第4の科学の方法論であると言われています。第1の科学の方法論は経験科学です。例えば,イタリアの科学者,天文学者,哲学者であったガリレオ・ガリレイは,さまざまな観測や実験を通じて画期的な発見や改良を成し遂げています。これは経験科学の典型と言えます。第2の科学の方法論は理論科学です。例えば,物理学の分野におけるアインシュタインの相対性理論,また,電磁気学におけるマクスウェルの方程式のようにきれいな理論式で表現することを目指す科学の方法論です。さらに,きれいな理論式には書けないのだけれども再現性を有することから新たな科学の進展に寄与するものがあります。それがシミュレーション実験です。例えば,実際の自動車を使った衝突実験は,一回すればそれきりで再度衝突させることはできませんが,コンピュータ上でのシミュレーション実験ではパラメータを一旦定めれば,何回でも同じ状況をシミュレートできます。また,パラメータ値を変えることで,さまざまな状況でのデータを得ることができます。これが第3の科学で,シミュレーション科学とか,計算科学といいます。そして第4の科学と言われているのがデータ科学です。例えば,天文の分野ですと,日本が設置に関与した海外の天文台から学術情報ネットワークSINET13の海外回線を使って,東京三鷹にあります国立天文台のサーバに時々刻々データが集められています。このデータを世界中の研究者達が解析する仕組みができています。このような最新の情報環境を駆使した科学の方法がデータ科学です。世界中の研究者達が情報ネットワークを介してオープンな環境で研究データにアクセスし,科学を進展させていくことから,最近では「オープンサイエンス」という言葉もしばしば用いられています。本年4月から始まる第5期の科学技術基本計画では,我が国がオープンサイエンスを強力に推進していくことの必要性が強く謳われています。そのような状況の中で,「データビリティ(Datability)」という概念が重要であると考えます。これは,DataとAbilityを結びつけた言葉で,利用可能な超大量データを将来にわたって持続可能な形で,しかも責任をもって提供していく能力を意味します。現在,世界全体でのディジタルデータ量というのがどのぐらいか,ご存知でしょうか。アップル社のiPadAirという製品を見られたことがあると思いますが,厚さが約7㎜でディスクの記憶容量が128ギガバイト,つまり,通常の本ですと約12万8千冊分のテキストデータを記憶することができます。それを積み上げていくとしますと,2013年におけるデータ量は地球から月までの距離の3分の2のところまででした。それが,2020年には44兆ギガバイト,つまり,月までの距離の6.6倍になると言われています。ただし,これは世界中に溢れているデータの量であって,きっちりとデータベース化されているものではありません。潜在的にこれだけ大量のデータがあることを考えると,データビリティの概念がいかに重要であるかがわかっていただけると思います。

編集部 途方もない量ですね。

西尾 私には夢があります。オープンサイエンスの重要性が唱えられていますが,それを実際に推し進めている大学や研究機関は,現時点ではまだないように思います。そこで私は,大阪大学において,そのような目的をもったセンターを創りたいと考えています。大阪大学のさまざまな研究プロセスで出てくるシミュレーションや実験データ,さらには医療系のデータをそのセンターに蓄積します。もちろん,これらのデータについてはプライバシーの保護などについて厳重に配慮します。データというのはエビデンスベースの知の源泉ですから,それによって新しい学問分野が生まれる可能性があります。例えば,大阪大学にバイオインフォマティクス14の新たな研究拠点を構築することができればと思っています。私のこの構想は,データビリティフロンティア構想と言いますが,既に本年4月に機構組織の立ち上げは完了しており,今後はいかに充実した組織にしていくかが課題です。大阪大学がオープンサイエンスに関してのリーダーシップを発揮し,他大学にもその流れが波及することで,新たな科学の方法論に関して日本の国際競争力の向上に繋がることを夢見ています。

茨木 一つ西尾総長のお考えをお聞きしたいことがあります。人工知能の話題ですが,さきほど,脳科学に関連して,人間の脳にいろいろ教えられるところがあるというお話がありましたが,人工知能も初期の頃は,脳の働きを数学的にモデル化して,それを高速に実行するということを行っていました。その結果,人工知能がチェスの世界チャンピオンに勝つことができました15

西尾 ガルリ・カスパロフのことですね。

茨木 はい。そして,昨日,韓国人のイ・セドルという囲碁の世界的なプレイヤーがGoogle社によって開発されたソフトウェアと対戦して,ソフトウェアが勝ちました16。どういう仕組みでそれが実現したかというと,初期の人工知能とは異なって,脳のニューラルネットワークをモデル化して,いわゆるディープラーニング17と呼ばれている手法ですが,それで学習させたということのようです。それはどうやるかというと,今までの棋譜を全部集めてデータベース化し,それを基にして,脳のシミュレーションをさせます。そうすると,そのソフトウェアは,それ以降,自分自身で対戦しながら,どんどん強くなり,遂に昨日,ソフトウェアが勝ってしまいました。今日も実は試合をしていて,どうなったか私は知りたいのですが,これは大変なことだと思います。囲碁というのは,まだ10年ぐらいたたないと人間には勝てないだろうと言われていました。それが,機械が自分で学習することによって,簡単に人間を超えてしまったわけです。これから人間と人工知能の関係はどうなるのかと,非常に悲観的な見方をする人も多いと思うのですが,西尾総長はどうお考えになられますか。

西尾 人工的なコンピュータと生物,特に人間とのハードウェア的な比較がある程度なされてきました。例えば,記憶容量に関しては,映画「レインマン」の主人公のモデルであったキム・ピーク18が人間として最大と考えることができますが,彼は9000冊もの本を丸暗記できました。これは9ギガバイトに相当します。しかし,9ギガバイトのDVDの価格は100円もしません。一方で,カスパロフと互角に戦ったIBM社のディープブルーは,5万ワットの電気を消費しましたが,そのときのカスパロフが使った脳の電気エネルギーはたった1ワットなのです。これらの相違はおもしろいですね。技術の進歩について言えば,例えば交通の分野などにおいては,この50年間で,新幹線の速度は2倍にはなっていませんね。エネルギー消費量は数分の1になったかもしれませんが。一方で情報分野の発展はその比ではありません。性能は100億倍,価格は10万分の1,双方を合わせると50年間で1兆倍以上の変化が起きています。この状態のままで進んでいきますと,それは怖い世界です。

茨木 たしかにコンピュータの進歩は,われわれその世界にいる者にとっても驚異的です。ハードウェアの指数関数的進歩を示すムーアの法則19が知られていますが,この法則が今後もしばらくの間成り立つとすれば,コンピュータの能力はさらに想像できない程大きくなるでしょう。使い方を間違えると大変なことになりますね。

西尾 今後情報分野でも,物理学の分野でのアインシュタイン博士や湯川秀樹先生などが提唱された平和運動のような取り組みが必要になるのではないかと思います。情報分野に関わる研究者には,今まで以上に倫理観が求められると思いますし,研究の過程において,やってはならないことも起こってくるのではないかと思います。

茨木 人材教育においても,そういう教育が必要となりますね。

西尾 はい。大変重要になってくると思います。

ICTの第3次革命:アンビエント情報社会
ユビキタス情報社会とアンビエント情報社会の相異
従来のリビングルームのスナップショット
アンビエント環境のリビングルーム
  1. アンビエント(Ambient):元来の語義は「周囲の」「取り巻く」「包囲した」であったが,最近,オックスフォードのOxford Advanced Learner's Dictionaryにおいて,Creating a Relaxed Atmosphereという意味が追加された
  2. ユビキタス(Ubiquitous):遍在(いつでもどこでも存在すること)を表す言葉。1991年にパロアルト研究所のマーク・ワイザー氏が論文で使用。その後,情報社会の状況を示す言葉として広く使われるようになった。
  3. SINET(Science Information NETwork):国立情報学研究所が提供・運用を行う学術情報ネットワーク
  4. バイオインフォマティクス(bioinformatics):生命情報学。遺伝子やタンパク質の構造など,生命が持っている「情報」について研究する分野。生命科学と情報科学の両方に関連するのが特徴
  5. 1997年9月,IBMが作ったチェス専用のコンピュータ,ディープブルーと世界チャンピオン,ガルリ・カスパロフとが対戦し,ディープブルーが2勝1敗3引分けで勝ち越した。
  6. 2016年3月9日から始まった,GoogleDeepMindが開発した人工知能のアルファ碁(AlphaGo)と世界的な棋士イ・セドル(韓国)との囲碁対戦は,アルファ碁の4勝1敗で終わった。この対談が行われた3月10日は,アルファ碁が歴史的な1勝を挙げた翌日である。
  7. ディープラーニング(deep learning):深層学習。人工知能の一形態。人の脳は多数のニューロンから形成されたネットワークであるが,それをコンピュータ上で模擬し,記憶させた大量のデータに基づいて,内部パラメータを少しずつ調節する学習操作を反復することによって,高度の機能を実現する。アルファ碁は18層からなるネットワークを用いていると言われる。
  8. キム・ピーク(Kim Peek,1951年11月11日-2009年12月19日):知的障害等を有する者が特定の分野に優れた能力を示す症状をサヴァン症候群というが,キム・ピーク氏の場合は,驚異的な記憶能力を持ち,9000冊以上の本の内容を暗記していた。映画「レインマン」で,ダスティン・ホフマンが演じた人物のモデルとなった。
  9. ムーアの法則:半導体の集積度が約1.5年ごとに2倍になるという経験則。1965年Gordon Mooreが提唱し,現在も成り立っていると考えられている。

深掘りした専門知識と俯瞰力を兼ね備えた人材

対談風景

茨木 最後に,これから社会で求められる人材像について先生のご見解をお聞きしたいと思います。

西尾 私は,今後求める人材像も変わってくると思っています。先程も申しましたが,従来の「モノづくり」は垂直統合のもとで行われてきました。したがって,ある専門分野を究めた人材が有用でした。情報系人材であれば,プログラミングやソフトウェア工学等に関して,深い知識を有することで,リーダーシップを発揮したり,産業振興に貢献ができました。ところが,産業構造が垂直統合から水平統合に大きく変化しているこれからの時代では,単にある分野に関する深い知見を有するだけでは不十分で対応できないと思います。時々刻々世の中が大きく変化していくことに合わせて,what to do,あるいは,why we doということが問われます。先日,関西のある企業のトップの方とお話しをした際にも,大学で育てるべき人材は,専門分野をしっかり持つことに加えて,俯瞰的に物事を見ることのできる人材である,とおっしゃっていました。つまり,自身の専門分野を持ちつつ,他の分野についてもある程度の知識を持ち,ダイナミックに変化する社会に柔軟に対応しつつ,リーダーシップを発揮できる人材の育成が大切であると思います。

編集部 「深堀り」プラス「俯瞰力」というのは,社会で求められる人材のキーワードになりそうですね。深堀りの方は従前から大学教育で行ってきたものと思いますが,俯瞰力を得るためには,どのような要素が必要とお考えですか?

西尾 私が今,大阪大学での人材教育で大切にしていることを示す標語が4つあります。それは,教養,デザイン力,国際性,コミュニケーション力です。まず教養ですが,物事の判断をしていくときの前提となるものだと思っています。例えば,数学で幾何(図形)の問題を解くときに,補助線を引くことがしばしばあります。その補助線を何通りも引ける力,言い換えますと,さまざまな角度からものを見ることができる,複眼的にものを見ることができる,そういう力が教養だと思うのです。教養を身につけるためには,いろいろな本を読んだりすることが大切です。また若い人たちは,SNSなどで,さまざまな発言に接しますが,他人の意見を鵜呑みにすることなく,これは間違っている情報だとか,これは何かうさんくさいよねとか,自分自身で判断できる力,これが教養だと思います。教養を身につけるための科目は,例えば,京都コンピュータ学院と京都情報大学院大学で考えますと,京都コンピュータ学院の段階ですべて設ければよいというものではなく,学年が上になればなるほど教養を高めていく必要があり,むしろ専門職大学院でこそ強化していくべきだと思います。そのことが,先程申しました俯瞰力を涵養するためにも重要だと思っています。

茨木 教養について言うとおっしゃるとおりで,以前の大学では,1,2年生で幾つか教養科目をとって,単位を揃えて,それ以後は,教養科目は存在しませんでした。しかし,上に行くほど教養が必要だというのはそのとおりだと思います。実際,最近では教養の重要さが改めて認識されてきて,教養教育の位置づけを改革しようという大学も増えてきているようですね。

西尾 続いてデザイン力ですが,建物を建てるときのデザインを例にとれば,制約されたスペースを前提として,間取り,コストなど発注者からのさまざまなリクエストを聞きながら,いかにして最適な設計をするかが問われます。その基礎になるのは,豊かなイマジネーション,構想力だと思います。これから,先程来申し上げているように社会が大きく変わっていく中で,そのような力がより強く求められます。私は,極論すれば,教養とデザイン力さえあれば,客観的な判断ができて,なんとか生き延びていくことができるのではないかと思います。企業等においても,この二つの力があればビジネスを上手く展開できると思います。そして国際性とコミュニケーション力ですが,コミュニケーション力の重要性は,最近,特に強く言われるようになってきております。また,国際性については,最近では海外で活躍するような人材のことばかりが強調されますが,私はそれでは十分ではないと思っています。例えば,日本の山間地域のローカルなコミュニティでフィールドワークを行うときには,お年寄りを含めてその地域の人々に信頼され,調査に関わっていただくことが必要です。その一方で,例えば,ニューヨークで開催されるような国際会議で研究発表をしたりする力も必要です。国際性と言うときに,ローカルとグローバル,その両方で活躍する力が必要だと思います。大阪大学のモットーは,「地域に生き世界に伸びる」ですが,まさにそのような両方の力の重要性を謳っています。

茨木 そうですね,今後,研究でもビジネスでも国際競争が激化するでしょうから,西尾総長がご指摘のような能力を兼ね備えた人材が必要でしょうね。西尾総長のおっしゃる俯瞰力の育成ということで私が思い出すのがMITの例です。MITは理系で工学系の学生が多いですが,30年ぐらい前だったと思いますが,ある時期に生命学,バイオサイエンスを必修にしたんですよ。その時期は,まだバイオサイエンスは花開いていない時期で,それを学生全員に履修させてね,それによってMITを中心にバイオサイエンスが拡がっていくことになります。その先見の明は,今から思うと凄いと思います。

西尾 茨木先生のご指摘の事例は,私たちも意識しています。先程もお話しましたが,大阪大学の情報科学研究科でも,生命系との融合研究を盛んに行っていますし,情報系の大学院生でありながらも生命系の基礎知識をもつことを推奨するカリキュラムを組んでいます。さらに今後大切なのは,認知との交差(クロス)だと思います。なお,人材育成に関して本日申し上げたかったことですが,是非,専門職大学院である京都情報大学院大学で,ビッグデータアナリストとか,データサイエンティストとよばれる人材を育成していただければと思っています。このような人材が,日本ではなかなか育っていません。ビッグデータの解析を行う人材が絶対的に不足しています。

茨木 貴重なアドバイスありがとうございます。ところで,コンピュータが社会基盤となって以来,常にIT関係の人材は不足していると言われてきました。しかしその内容は変化しています。初期の頃はいわゆるプログラマが不足していたのですが,いろいろなプログラミング言語,とくにアプリケーションに特化された言語が普及して,プログラムの作業はずっと楽になり効率化してきました。その結果,今ITの世界で求められているのは,プログラマというより,ITの成果をどのような新しい分野に適用できるかを構想できる人材だと考えています。そのため京都情報大学院大学では,ITの応用分野のカリキュラムを充実して,さしあたり具体的には,農業,漁業,医療,観光などの分野でIT技術を駆使することのできる人材の育成に取り組んでいます。

西尾 漁業については,古野電気株式会社とコラボレーションをなされているのですね。古野電気はよく存じ上げています。非常に興味深い取り組みだと思います。私はJSTで大きなプロジェクトを立ち上げる委員会のメンバーでしたが,例えば農業のIT化のプロジェクトの場合は,農業系の研究者と情報系の研究者がペアになって申請する形を採っています。そうしないと融合はなかなか起きません。

茨木 強制的にそういう仕組みにしないと融合は起きないでしょうね。

西尾 もう一つは情報系の研究者が縁の下の力持ちということだけになってしまうのは,避けたいですね。情報系の研究者が対等な形で異分野の研究者とコラボレーションできるようにすべきだと考えています。観光のIT化も興味深いですね。その際の事業展開は,ほとんどデータが鍵を握ると思います。しかし,一番困ることはデータの入手が困難なことです。一般に,大学等に対してもデータはなかなか提供いただけません。

茨木 病院などは,プライバシーの問題などもありますからね。

西尾 ビッグデータの解析を行っているトップの研究者は,就職する際にどういうことを重視しているかと言いますと,パーマネントなポジションであるというよりも,興味深い大量データを持っているかどうか,を問題にすると聞いています。そのようなところで,自身の能力とか,スキルを高めて,また次のところに移っていくというような傾向があるようです。

茨木 職業に対する世の中の考え方もずいぶん変わってきていますね。ICTや人工知能の進歩によって,今までの職業がいつまで残るのか分からない時代だから,面白いところを求めて,自分に適した仕事を探していくという生き方が,結局正解なのかもしれません。

西尾 確かに,特に米国などではそのような傾向が強いようです。先程,日本ではイノベーションが起こりにくい理由の話をしましたが,ユーザー指向だけでもイノベーションは実現できません。その次の段階で,イノベーションを阻害する要因があります。それは法規制です。同じ長谷川研究室の出身で,神戸大学に塚本昌彦教授がいらっしゃり,ウェアラブル・コンピュータのことを研究されています。塚本先生は卒業後シャープに就職されましたが,大変優秀な方です。そこで,大阪大学の私の研究室に講師として来ていただいて,最初は理論的な研究をなされていたのですが,助教授になられた頃から世の中のために実際に役立つことをしたいということで,ウェアラブル・コンピュータの研究を始められました。塚本先生は,ヘッドマウントディスプレイを常に装着しながら生活されており,その分野の伝道師のような活動をされていました。しかし,ヘッドマウントディスプレイは広まっていきませんでした。なぜかといえば,法律の規制があったからです。ヘッドマウントディスプレイを装着していて,ディスプレイを見ることに集中し過ぎて,電信柱にぶつかったとしますね,そうすると製造会社に責任がいくことになっていたのです。製造会社は,そのような法規制のもとではビジネス展開には限界を感じていました。最近,その法律が緩和されて,Google社をはじめいくつかの企業がこの分野に参入し,非常にスマートなものを製造しています。このように,法律一本でイノベーションを阻害することができてしまいます。ですから,今後,社会改革,つまり,イノベーションを起こそうとしたら,最先端のサイエンスとテクノロジーは必須で,次にユーザーをどれだけ味方につけることができるか,さらに法規制とどれだけ戦えるか,という3段階が不可欠になります。このようなりますと情報分野の人間だけでは駄目であり,人文学・社会科学系の方々との協働が重要になってきます。最近,人文学・社会科学に関する議論が盛り上がっていますが,人文学・社会科学系の方々と最初の段階から一緒に考えながら進めないと,真のイノベーションは起きないと思っています。

茨木 そういえば,現在のNTTが電電公社と呼ばれていた頃,当時の法規制によって,電電公社以外は通信事業に携われなかったことを長谷川先生はしばしば嘆いておられました。長谷川先生は,法規制による弊害を見抜いておられたのでしょうね。ただし,NTTとなった現在では状況が大きく変わっています。さて,今日は西尾総長のお話,大変参考になりました。伺ったお話を,今後の学校運営に活かしていきたいと思います。本日はお忙しいなか,長時間ありがとうございました。

西尾 こちらこそ,茨木先生とゆっくりとお話しができまして,大変貴重な時間をもつことができました。本来なら私が出向くべきところ,茨木先生にわざわざ当方にお越しいただき心より恐縮しております。本日は誠にありがとうございました。

イノベーション創起の観点から「情報技術」を観る
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西尾 章治郎
Shojiro Nishio
  • 1951年 岐阜県生まれ。大阪大学総長。
  • 75年京都大学工学部卒業
  • 80年同大学院工学研究科博士後期課程修了(工学博士)。
  • 京都大学工学部助手,カナダ・ウォータールー大学客員研究助教授,大阪大学基礎工学部助教授,同情報処理教育センター助教授を経て,同工学部教授。
  • 大阪大学サイバーメディアセンター長(初代),同大学院情報科学研究科教授,同研究科長,大阪大学総長補佐,2007年~11年同理事・副学長を歴任。
  • 2015年8月大阪大学第18代総長に就任。
  • 文部科学省科学官,同科学技術・学術審議会委員,同文化審議会臨時委員,
    日本学術会議会員(情報学委員長),内閣府総合科学技術会議専門委員,
    科学技術振興機構研究主監(PD),日本ユネスコ国内委員会委員をはじめ多くの委員を歴任。
  • 学会関係では,日本データベース学会会長,情報処理学会副会長などの役職を歴任。
  • 現在,IEEE,情報処理学会,電子情報通信学会のフェロー。
  • 情報科学の分野においての多大な功績が評価され,2016年秋に文化功労者に選ばれた。

上記の肩書・経歴等はアキューム24号発刊当時のものです。

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茨木 俊秀
Toshihide Ibaraki
  • 1940年 兵庫県生まれ。
    京都情報大学院大学学長,京都大学名誉教授。
    京都大学工学士,同大学修士課程修了,京都大学工学博士。
  • この間,京都大学助手,助教授,教授,京都大学大学院情報学研究科長,豊橋技術科学大学教授,関西学院大学教授,さらにイリノイ大学,ウォータールー大学はじめ数大学の客員研究員および客員教授。
  • 日本オペレーションズ・リサーチ学会副会長,その他いくつかの学会の委員,役員,および国際会議の組織委員長などを歴任。
  • 現在,ACM,日本オペレーションズ・リサーチ学会,電子情報通信学会,情報処理学会,日本応用数理学会,スケジューリング学会のフェローあるいは名誉会員。

上記の肩書・経歴等はアキューム25号発刊当時のものです。