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Accumu Vol.24

情報社会の未来を切り拓くために

大阪大学総長 西尾 章治郎

京都情報大学院大学学長 茨木 俊秀

師弟対談 大阪大学 西尾章治郎総長×京都情報大学院大学 茨木俊秀学長

本学茨木俊秀学長が,2016年3月10日,大阪大学西尾章治郎総長を同大学吹田キャンパスに表敬訪問しました。

本学茨木俊秀学長が2016年3月10日大阪大学西尾章治郎総長を同大学吹田キャンパスに表敬訪問しました西尾総長は京都大学在学中故長谷川利治先生(本学第二代学長)の研究室に所属し同研究室の助教授を務めていた本学の茨木学長から研究指導を受け茨木学長とは師弟関係にあります今回の訪問では和気藹々とした雰囲気のなか旧交を温めながらデータ科学分野で画期的な業績を挙げられ大阪大学第18代総長の重責を担う西尾総長にこれからの情報社会のビジョンや育成すべき人材像など多岐にわたる興味深いお話を伺いました

大阪大学第18代総長としてのビジョン

茨木 このたびは大阪大学第18代総長にご就任おめでとうございます昨年の8月26日に就任され半年余りが経過したところですが総長として本格的な取り組みを始められているのではないでしょうか

西尾 ありがとうございます私の総長任期が2021年までの6年間なので6年間を見通した大阪大学の構想ビジョンを構成員に示す重要なタイミングです2016年度から始まる第3期中期目標期間ともオーバーラップすることもありどういう目標計画を実装させるかを理事の方々とずっと議論をしてきました日本ではなかなかイノベーションが進まないという現状があるのですがその一因を考えますと社会と大学の間に立つ障壁それと茨木先生もご経験されたと思いますが学内における学部間の壁もあります壁の内側では狭い了見で差配されたコミュニティがあってそういった要素が日本においてイノベーションを起こすうえでのバリアになっているのではないかという気がします

茨木 なるほどよくわかります

西尾 そこで私は「オープンネス(開放性)」を基軸とした「オープンエデュケーション」「オープンリサーチ」「オープンイノベーション」「オープンコミュニティ」「オープンガバナンス」の5つを柱とする「OU(OsakaUniversity)ビジョン2021」を掲げその実現を目指していますこのビジョンのもと分野の異なる人たちがお互いに連携するという意味での「協奏」構成員および学外の人たちが一緒になって創造活動を展開するという意味での「共創」これら2つの「きょうそう」によって大阪大学を改革していくことを目指しています

茨木 いろいろな意味で大阪大学にとって重要な6年間ということですね

西尾 そうです大阪大学は2007年に大阪外国語大学と統合しましたが私の総長任期の最終年に当たる2021年は大阪大学創立90周年大阪外国語大学創立100周年という節目を迎えます

茨木 大阪外国語大学の方が大阪大学よりも先に創立されたのですか

西尾 大阪大学が帝国大学の一つとして開学したのが1931年で大阪外国語大学の前身である大阪外国語学校が創立されたのがさらに10年早い1921年です

茨木 大阪大学も緒方洪庵が開いた適塾1から数えればもっと古いですね

西尾 実は適塾よりもさらに古い懐徳堂2を大阪大学の文系学部の源流としています懐徳堂は今から290年余り前に大坂の五同志と呼ばれる5人の豪商が町人の教育のためにつくった学問塾です京都情報大学院大学の創立はいつでしょうか?

茨木 京都情報大学院大学は日本で最初のIT系の専門職大学院です2004年に開学していますので今年の4月で13期生が入学することになります歴史は新しいのですが源流になっているのが京都コンピュータ学院です西尾総長もご存知だと思いますが

西尾 はいもちろん存じ上げております「先に学んだ者が後の者を指導する」という長谷川繁雄先生長谷川靖子先生の理念は素晴らしいものでかねてから尊敬申し上げておりますその理念のもとで京都コンピュータ学院では京都大学の大学院生も教壇に立っていましたから自ら学んだことを教える機会を持てることは大学院生にとって貴重な経験だったと思います

茨木 京都コンピュータ学院は1963年に創立し今年で創立53年ですそれが母体となって専門職大学院ができたことになりますITということですがどこの大学でも情報工学科はありますので特徴をもたせるために京都情報大学院大学ではビジネス関係を充実させようとしています

西尾 コンピュータ関係以外にも関連することを幅広く学ぶことが可能なわけですね

茨木 そうですねそれ以外にITと関連したキーワードで言えばERPSCMCRMといったものITと結びついた様々なアプリケーションを重点的に教えています

  1. 適塾緒方洪庵(1810〜1863)が1838年に大坂船場に開いた蘭学の私塾福沢諭吉大村益次郎ら明治の近代化に貢献した多くの人材を輩出した司馬遼太郎は小説「花神」の冒頭で大阪大学と適塾の関係について次のように書いている「『適塾』というむかし大坂の北船場にあった蘭医学の私塾が因縁からいえば国立大阪大学の前身ということになっている宗教にとって教祖が必要であるように私学にとってもすぐれた校祖があるほうがのぞましいという説があるがその点で大阪大学は政府がつくった大学ながら私学だけがもちうる校祖をもっているといういわば奇妙な因縁をせおっている
  2. 懐徳堂1724年大坂の商人たちが出資して現在の大阪市今橋四丁目に設立した学問所1945年の大阪大空襲により罹災し1949年新制大阪大学誕生時に蔵書と職員を継承した

長谷川研での思い出

1980年5月,ウォータールー大学の客員研究助教授としてカナダに渡航する際の伊丹空港にて
1980年5月ウォータールー大学の客員研究助教授としてカナダに渡航する際の伊丹空港にて

茨木 西尾総長は1975年に京都大学工学部の数理工学科を卒業されてその後大学院に進学され1980年に学位を取得されましたしばらく京都大学の数理工学科の助手をされた後大阪大学基礎工学部情報工学科の助教授に就任されましたその後大阪大学工学部の教授になられサイバーメディアセンターの創設に携わられ初代のセンター長をされましたさらに大学院情報科学研究科の立ち上げに尽力されて研究科長理事副学長そして今回総長というご経歴ですね京都大学のときは長谷川利治先生の研究室でしたが当時私がその研究室の助教授で助手を宮原秀夫先生がされていました宮原先生は大阪大学の第15代総長を務められましたね長谷川研究室から二人の総長が誕生したというわけです今から思えば凄い研究室でした

西尾 もうお一人長谷川研究室ご出身の尾家祐二先生がこの4月に九州工業大学の学長に就任されることになりました学部4年生で長谷川研究室に所属できたということがその後の私の人生において非常に大きな転機になりました長谷川先生茨木先生宮原先生から私が学んだこともちろん研究に関してもそうですがそれ以上に人生の糧となることを三人の先生から学ばせていただきました

茨木 長谷川利治先生は京都情報大学院大学の第2代学長を務められ誠に残念なことに2012年に逝去されました先生のご研究を簡単に振り返ってみますと大阪大学におられた頃は通信工学を専門にされすでに1960年代前半に非同期時分割多重方式によるマルチメディア通信方式を世界に先駆けて提案し国際会議で発表されていますこれはインターネットの原型ともいうべき大変重要な研究です京都大学に移られてからは多値論理やオペレーションズリサーチ分野に研究領域を広げられ待ち行列理論やシステムダイナミクスなどの研究またそれらの応用分野として道路交通制御に興味をもたれました交通分野の具体的なご活動としては阪神高速道路公団の交通管制委員会に所属され公団の交通管制システムに対するご提言とか高速道路の混み具合によって通行料金を変えるシステムの検討などユニークな活動をされましたこれらの研究発表の場として多くの国際会議に出席し外国研究者と親しく交流された結果国際的に高い知名度を得ておられたことをよく覚えています西尾総長は長谷川先生に対しどのような思い出をお持ちでしょうか

西尾 私は茨木先生のもとで研究のご指導をいただきました長谷川先生には研究そのものよりもどちらかといえば長谷川先生のお人柄人間性に接して多くの大切なことを学ばせていただきました一つ思い出を申し上げますと先生のお供をして出かけますと長谷川先生は必ず道路側を歩かれます自動車が通っている方を自らが歩かれて学生である私を安全な道の内側を歩かせてくださるのですそういう気配りを普段からごく自然になさる方でした

茨木 そうですね長谷川先生は体格も大きかったですが人物的にも器の大きい方で人を信頼させる雰囲気をお持ちでした私なんかよく先生の教授室で珈琲を飲ませていただく機会があったのですがそこでは談論風発というか研究以外の話題もたくさん出てきて先生の知識の広さと奥の深さにいつも感銘を受けていました

西尾 学部3年生のときに「計測工学」に関する講義で長谷川先生は「私の指導のもとで実験などを行っている学生がもし私の説明不足や指導不足が原因で事故が起きその学生が怪我をしたりあるいは死んだりしたら私はもう教員を辞めます」とおっしゃったのですそれを聞いて感銘した私はこの先生のご指導を受けたいと思いました

茨木 わかりますそういう先生でした

西尾 ありがたいことに研究室で助手にしていただいて私が30歳の頃でしたがヨーロッパで開催された学会に長谷川先生と一緒に発表に行く機会がありましたそのときに先生がおっしゃったことを今でも覚えています「世の中すべては情けで動くのですよだから思いやりが大事なのですよ」とおっしゃいましたその言葉が今も私の心の中に強く残っています京都学派という哲学の流れがあってその中心人物で「善の研究」などで有名な西田幾多郎という哲学者がいますこの哲学者も「学問も事業も究竟(くっきょう)の目的は人情のためにするのである」と言っておられますこれは長谷川先生のおっしゃったことと同じであると思います

茨木 なるほど長谷川先生のような方の研究室だからこそ西尾総長のような人物を輩出しているのでしょうね

編集部 茨木先生についての思い出はいかがですか

西尾 茨木先生の印象は一言で申し上げて「天才」でいらっしゃいます本当に凄い方ですが決してひけらかすことをされない先生です先生のご業績を私から少し紹介させていただきます先生は大学院時代に「しきい論理」という単体のニューロン素子の論理モデルにご興味を持たれましたその分野の創始者のお一人であるイリノイ大学の室賀三郎教授に招かれコンピュータの論理設計に整数計画法を利用する研究に従事されその過程で組合せ最適化3に興味を移されました京都大学の数理工学科に所属されてからは組合せ最適化のアルゴリズムとして整数計画法動的計画法分枝限定法メタヒューリスティクスなどの研究とともに組合せ最適化問題の表現法論理数学によるデータ処理個々の問題の困難さを明らかにする計算の複雑さの理論の研究に従事されましたこれまでに英文和文を合わせ400篇以上の研究論文単著共著合わせて20冊以上の書籍を執筆されています私は学部4年生から修士の2年間博士の3年間とご指導いただき私の博士論文になった研究も組合せ最適化問題をオートマトン理論に基づいて表現するというアプローチを採用しています茨木先生から「ものを考えていて何か新しい創造的なことをしようとするならば夢に見るぐらい考えないとダメだよ」と言われたのを今でも覚えていますその頃茨木先生からいただいた課題を下宿でいろいろ考えてこれでいいだろうと思って茨木先生のオフィスにお邪魔し黒板を使って説明するのですがそれを見ておられた茨木先生が「そこ」と言って指をさされるのですそうするとほとんどの場合その箇所が間違っているのですそれを何回か繰り返していると先生が「まあいいんじゃない」とおっしゃってくださいますそのように言っていただいた日は本当に嬉しかったことを今でも鮮明に覚えておりますさらに申しますとどうしても行き詰ってしまったとき大学に行ってみると私の机の上にレポート用紙が置いてあり「こうしたらいいんじゃない」と先生が解法へのヒントを記してくださっていました

茨木 そういうこともあったかもしれませんね西尾総長の学生時代の印象は大変真面目な学生さんで研究のことのほか雑用などもお願いしますでしょそうするときちっと責任をもってやってもらえる非常に信頼のできる学生でした

西尾 お褒めいただき大変恐縮ですそのような凄い先生のもとで過ごせたことが一生の宝です私は小さい頃から一年中スポーツばかりやっていました社会人になって間もなくの頃中学校の同窓会に出席して大学の教員をしていると言ったら皆が信じませんでした実は研究者になろうという気持ちがあったわけではありません田舎から出て来ましたので修士の2年になったとき実家の両親も年老いていましたので就職を考えていましたしかしあるとき長谷川先生から「西尾君博士課程に行くんでしょ」と言われまして当時指導教授がおっしゃって下さることは素直に聞くものと思いそのお言葉通りに博士の後期課程に行ったようなものです(笑)

編集部 西尾総長が学生であった1970年代のコンピュータの状況はどのようなものでしたか?

西尾 今日持ってきたものがありましてこれは紙テープ4です

茨木 ああ懐かしいですね

西尾 私が学部学生のときに実習で初めて使用した日立製のハイタック105というコンピュータがあり当時はアセンブラという言語を使用しプログラムはこの紙テープに記録していました読み込むときに紙テープがどこかに引っかかって切れることがよくあるのですがそれをまたうまく継ぐ方法があるのです

茨木 そうでしたねプログラムを書き間違えるでしょそうすると全部入れ替えると大変なのでそこを修正して貼りなおすんです

西尾 その後テープからカードに変わりました4年生の頃に茨木先生が研究されていた分枝限定法のシミュレーションを頼まれたのですがそのとき初めてカードを使いました1枚のカードに一行のプログラムを書きます今でも思い出すのはカードトランクというのがあってそれにカードを入れて大型計算機センターに行くのですがあるとき自転車のカゴに入れていたカードトランクの本体と蓋の間の留め具が外れてしまい道路のうえにカードをばらまいてしまったことがありますカードの順番が変わってしまうとプログラムの実行順序が変更されるので大変でしたその後カードを重ねた側面にラインマーカーで斜線を引いて順番がわかるようにしたりしました懐かしい思い出です

茨木 こういう話をすると年齢がわかってしまいますね

  1. 組合せ最適化対象とする数理モデルに対しそれがもつ制約条件の範囲内で目的関数を最適化する問題を最適化問題という初期の頃はもっぱら(実数値をとる)連続変数を扱っていたがその後(整数値あるいは0,1の値をとる)離散変数を扱う問題も活発に研究されるようになった後者のタイプを離散最適化あるいは組合せ最適化というグラフ理論やスケジューリングにおける問題などが典型例である
  2. 紙テープコンピュータ初期の頃プログラムやデータを記憶するため自動パンチ機で紙に穴を開け穴の有無で0,1 を表示したテープでは情報を連続して記録するので書き換えが困難であったためその後カードが用いられカードでは1枚ごとに1ステートメントを記録した
  3. HITAC10日立製作所が開発した国産初のミニコンピュータ(1969年2月発売)京都コンピュータ学院が導入した最初の実習機で一期生はこれを使って実習したこのようなレベルのコンピュータを学生の実習機として使っていた学校は本学以外になかった

データ科学のフロンティアを切り開く研究業績

大阪大学 西尾章治郎 総長

西尾 私は本当に幸運なことに博士学位を取得してから茨木先生のご尽力でカナダの大学に客員の教員として滞在させていただきましたトロントの近くにあるウォータールー大学といってカナダではコンピュータ分野などで著名な大学ですそこで1年間研究をする機会を得ましたこのことが私にとってものすごく大きな財産になっていますそこで多くの知遇を得ました私を招いてくださったのは亀田恒彦先生です慶応義塾大学の徳田英幸先生所眞理雄先生ともそこでお会いしましたそういう人脈ができたことは本当に大きかったですねコンピュータの発展過程に関していえば正にUNIXが出始めた頃ですカナダに向かう前にこの本を読んでおきなさいと茨木先生から渡されたのがC言語のテキストだったのです当時はまだFORTRAN(フォートラン)等の時代でC言語はまだ日本では紹介されていませんでした電子メールを初めて使ったのもこのカナダ滞在中の1980年のことでした

編集部 その当時日本と欧米を比較すると技術面では何年ぐらいの開きがありましたでしょうか

西尾 1988年まで長谷川研究室にお世話になったのですがその間に日本製のワークステーションを導入してそこで電子メールの送受信を始めた覚えがありますので6〜7年の遅れでしょうかUNIXC言語電子メールなどまだ日本に全然ないものをカナダで経験できたことは大変有意義でしたまた正にインターネットが世の中に出始めていた頃でデータベースをネットワーク上に分散させるという分散データベース6という新たな概念も生まれかけていました

京都情報大学院大学 茨木俊秀 学長

茨木 西尾総長の出発点となった博士論文は「組合せ最適化」というどちらかというと数学的なテーマでした奥は深いのですが西尾総長はあまり広がりが無いと思われていたのではないかと思います西尾総長はもう少し広いところを見ておられた学位取得後データに着眼されました当時データ科学やデータ工学の分野で様々なイノベーションが起こっていてそちらの方に進んでいかれました

西尾 学位を取得後にカナダに滞在しておりましたときにどういう研究を新たに展開したらよいか亀田先生にご相談をした際に学位取得までの研究は一つのまとまりとしてまったく別のことをやるのも面白いのではないかとのご意見をいただきましたそこでデータベースに関する研究がUNIXインターネットの登場等で大きく発展するであろうと予測しましたまた実際の社会システムに組み込まれていることも私にとっては重要なことでしたさらにデータベースの研究には学位論文で茨木先生にご指導をいただきました研究の内容がうまく活きる分野もあります加えて長谷川研究室の大きな研究テーマの一つであった情報通信システムに関して研究室のゼミナール等で私自身が得た知識が先端的なネットワーク環境におけるデータベースシステムの研究に有効に活かせると考えましたそのような観点でカナダから帰国後に茨木先生にご教授いただきながら分散データベースのファイル冗長性に関する研究を行いました分散データベースではファイルのコピーをネットワークで繋がれた複数のサイトに配置しますとシステム故障が起きても正常に稼働しているサイトにコピーがあればそのサイトから読み取ることができますまた近いサイトにあるコピーから読み取れば通信コストが低減でき応答時間も短縮できますところが良いことばかりではなくコピーを複数のサイトに配置した場合書き込み操作の場合はすべてのコピーに書き込みを行い内容を一致させておく必要があります例えば銀行の預金口座などの場合コピーの内容が異なりますと引き出す場合に残高の大きいサイトのコピーから引き出せば有利になりますつまりコピーの数が増えると近くから読み取ることが可能になりそのコストは低くなりますが書き込みのコストおよびコピーの格納コストは大きくなります当然ながらコピー数が減りますとまったく逆のことが言えますしたがって全体のアクセス回数の内の書き込み回数の割合が重要なパラメータになりますところが分散データベースシステムに関する先駆的な論文のほとんどにおいてすべてのサイトにファイルのコピーを配置する完全冗長性の仮定がなされていました確かに理論的な取り扱いは容易になるのですが実際のシステムの性能効率上問題がないのかという疑問をいだきましたそこで先に述べたアクセス回数に関するパラメータをさまざまな値に設定した上で多くの問題を解いて一般的な特性を探ることにしましたその結果一般性のある結果が出まして書き込み回数が全体の2割を超すような状況では各ファイルを1個だけ配置することが最適であるという結果が出ました実際われわれの論文が出てからすべてのサイトにコピーを置くことを前提とした議論は一切なくなりました得られた結果は応用分野に対応したコピー数の設定に大きな影響を与えました銀行では残高照会のように書き込みのないアクセスは意外と少なくほとんどが預金や引き出しつまり書き込み操作が主です旅行案内業では一旦予約状況を確かめて予約を入れることを考えますと読み込みと書き込み操作は半々くらいになると考えますつまりこれらの業種では明らかに書き込み回数が2割を超していますのでファイルは1個のみでコピーは置かない方が良いことになります一方図書館情報などではほとんどが読み込みですので予算が許す限りでコピーを置いた方が良いことになりますなおこの研究は私にとって国際会議への出席という点で大きな意義をもっておりましたこの研究のある段階までの成果をまとめた論文をVery Large Data Bases(VLDB)という国際会議に投稿しましたら採択されました実はこの国際会議はデータベースの分野では採択が最難関の部類の国際会議でありそのようなこともまったく意識なく投稿しました私の国際会議へのデビューがこのような形でできたことは非常に幸運でした

茨木 それ以降情報ネットワーク環境におけるデータベースシステムの研究を継続されているのですね

西尾 長谷川先生宮原先生は情報ネットワークがご専門です今でも覚えているのですが1980年頃研究室内でのセミナーで宮原先生が「将来は弁当箱半分ぐらいの端末を持って世界どこに行っても交信できるようになる」とおっしゃったのですそのときは夢のようなお話しと思っていましたが実現していますよね

編集部 現在のスマートフォンですね

西尾 長谷川研究室でそうした情報ネットワーク関係のお話しを耳学問的に聞いていたこともありその時々における先進的な情報ネットワーク環境におけるデータベースシステム構築技術を探求してきましたそして大阪大学における私の研究グループはその分野の世界的な拠点として注目をされてきました情報ネットワーク環境の変化は目まぐるしいものがありますインターネットも最初は通信帯域がとても狭かったのですがATM技術7等が出現して広帯域のネットワークが登場しましたそしてモバイルのネットワーク環境も実現しています現在では災害時等にはパソコン同士が直接に通信を行うようなシステムが構築されさらにはセンサー間での通信も可能になっていますこのように情報ネットワーク環境が目まぐるしく変遷する中でその環境におけるデータベースシステムに関する新しい課題が必ず生まれますそのような課題の解決に果敢に挑戦してきました

編集部 西尾総長は演繹オブジェクト指向データベースのご研究でも有名ですね専門外の方にもわかりやすくご説明いただけますと幸いです

西尾 データベースはデータ間に何らかの関係を付けて格納していますがそのようにして格納されたデータをもとに何らかの推論知識処理ができないかということで新たなデータベースのモデルが提案されてきました例えば親と子の関係を表すデータがあったときに親子の関係を2回適用すれば祖父母の関係が得られますところがデータとして格納されている「ある人」のすべての先祖を導き出すことを要求してもその処理はできませんなぜなら先祖とはどういうものかという知識がデータベースにはないからですどうすればよいかというと2行のルールをデータベースに覚えさせそれを適用すればよいのです

編集部 たった2行ですか

西尾 「親は先祖です」と「先祖の親は先祖です」という2行のルールですそのルールを「ある人」から順次適用していき全部の先祖を出力することができますルールに従って順次適用するというプロセスがある意味では「演繹的推論」を行っているとも考えられこのような機能をもったデータベースを「演繹データベース」といいます演繹データベースのモデルが登場してきた際に私が関心を持ったのはこのように機能強化したモデルとして最も強力なモデルはどのようなものであるかということですその回答が「演繹オブジェクト指向データベース」であると考えています

編集部 オブジェクト指向というのはプログラミング言語でもC++などがありますが世の中をモノ中心にみていく考え方ですね

西尾 はいそうですオブジェクト指向ではモノ同士の関係を大きく二つの視点で捉えます一つは「人間は哺乳類です」といったA is a Bという関係ですもう一つはあるモノがどのような構成要素をもつか例えば「自転車はハンドルや両輪といった部品で構成される」即ちpart ofという関係で捉えますis aという関係とpart ofという関係でこの世の中のモノのすべて関係を見ていきますそうするとモノ中心のデータ表現のかなりの部分が可能になりますちょうど1980年頃からコンピュータの能力が飛躍的に向上しますとコンピュータで扱うデータの種類が数値データだけではなくてテキストさらには画像や音声なども扱えるようになってきますそれまでのデータベースではデータを格納する定型的な器の設計を厳格に行っていましたところが音声や画像になりますと定まった器の中にしまい込むことがなかなかできなくなりますそこでむしろ逆に各々のデータを中心にしそれに関連するデータをお互い関係づけるという考え方が現れてきますこのように対象とするモノを中心にしてまわりの関係を描くということがオブジェクト指向のデータ表現の考え方ですただしオブジェクト指向の概念には単にこれだけでなくモノとそれに伴う動作を一体化(カプセル化)するとか他にも重要な要件があります

編集部 なるほど

これまでのデータベース研究における歩み

西尾 先程申し上げましたように私が研究を始めた1980年代はデータベースそのものがさまざまな観点でドラスティックに変化する時期でしたそこでオブジェクト指向による非常に柔軟なデータ表現と推論機能を備えた演繹データベースをひとつのモデルに統合できないかと考えて提唱されたのが演繹オブジェクト指向データベース(Deductive and Object-Oriented Database略称DOOD)ですその重要性を察知してこのデータベースについて私の研究室で早々に研究を開始するとともに私自身がイニシアティブをとって1989年に京都で演繹オブジェクト指向データベースの国際会議DOOD’89を開催いたしました

茨木 この国際会議はエポックメイキングなものだったようですね

西尾 おかげさまでこの会議は国際的に非常に大きな反響を呼びましたこの新たな分野に関する先駆け的で重要な論文が多く発表されましたので会議録は1700回以上にわたって世界中で引用されています

  1. 分散データベース(distributed database)一つのデータベース管理システムが複数のマシンに置かれたデータベースを制御するという方式通信コストの低減や応答時間の短縮さらに災害やヒューマンエラーによる局所的なシステム故障に対して強靭であるなどの特徴をもつ
  2. ATM(Asynchronous Transfer Mode)非同期転送モード1980年代既存の一般電話回線を通して音声データ画像などマルティメディア情報を高速に送るためのプロトコルとして提案されたしかしその後インターネットプロトコルが普及しため広く採用されることはなかった

大学と産業界による共創への期待

茨木 今後日本の大学にはどのような課題があるとお考えですか

西尾 現在日本の大学は特に若手教員に関して雇用期限が設定されていないポスト数が年々減少しています私が長谷川研究室で助手として勤務していました時は助手が2名いましたですからどちらか一人が1年間海外に滞在しても研究室は何とか滞りなく運営できていましたそのようなこともあり私も1年間海外に滞在することができました今は助手の役目を助教がほぼ踏襲しておりますが助教の員数が年々減少しており場合によっては助教がいない研究室も出てきておりますこのような状況の中で助教が海外に長期滞在することが難しくなってきております

茨木 こんな調子でやっていたら日本の学術研究は枯れていくばかりですね

西尾 そう思います以前は国から大学への運営費交付金が各研究室に「校費」という名目で基礎研究を行うに足る額が配分されていましたしかし今はその校費の額が痩せ細り例えば科学研究費補助金のような外部からの競争的資金を自ら申請して獲得しないと研究が立ち行かなくなってきていますさらにそのような外部の研究費の配分の審査をなさっている方とお話していても出口指向の研究が重んじられるようになってきているとおっしゃいます目先の結果ばかりを求めていると日本の研究の苗床が枯れてしまいます例えば赤﨑勇先生がどのようにしてノーベル賞受賞につながる初期段階の研究ができたかといえば先生の講座に基礎研究を継続するに足る校費の配分があったからです赤﨑先生はある企業内の研究者として青色発光ダイオードの研究プロジェクトを推進されていましたが採算が合わないということで会社がプロジェクトを閉じたと聞いておりますそのときに名古屋大学が赤﨑先生を招かれました名古屋大学は本当に先見の明があったと思いますねその後赤﨑先生は名古屋大学において窒化ガリウムという材料を用いた研究を展開されていきますところが研究会で先生の発表になると会場から皆が去ってしまう当時は当該分野の多くの研究者は先生のアイデアに疑問をもっていました会場に残ったのは赤﨑先生と司会者ともう一人の三人その一人というのが同時にノーベル賞を受賞された中村修二氏だったと言われていますこういう状態でも3年間程は校費で凌いで研究を継続され科学研究費補助金に採択されるに十分な業績を積まれましたそして科学研究費補助金によってさらに研究が進展し新たな展開を迎えていかれますJST8に石田秋生氏という素晴らしい目利きがいらっしゃり石田氏は赤﨑先生の研究の有望さを見抜かれJSTが運営管理している戦略的研究経費を割り当てたり豊田合成株式会社との産学連携事業を推進していかれますそのような一連のプロセスを経て赤﨑先生の研究は大きな発展を遂げノーベル賞受賞につながっていきました

茨木 今は最初の資金である国からの運営費交付金が削減されてきているわけですね今おっしゃった例のようにある程度無駄をしないといけないんです現状はとにかく削って削ってという考え方に差配されていますから私が知っている研究者の皆さんからも成果が予測できないタイプの研究を行う余裕がないという不満をよく聴きますこれでは時代を画するような研究は生まれないでしょう

西尾 文部科学省もこの点は危機感を持ち始めています私も文部科学省においてそのような流れを何とか食い止めることを審議する委員会の主査を務めておりましたこのような深刻な問題をしっかり議論しその審議結果を世に示すための報告書を作成して公表しました今年4月から国全体の科学技術基本計画9が第5期に入ります研究には国家の緊急的な課題解決を目的とする「要請研究」その時々に重要と考えられる研究に関する戦略目標を国が定めそれに沿った研究を競争的資金のもとで推進する「戦略研究」さらには研究者が自らの発想でしかも自らの責任で行う「学術研究」があります先程の赤﨑先生の研究はまず「学術研究」がベースにありそれから「戦略研究」へと進展しましたその観点から言えば「学術研究」こそが「国力の源」でありそれを推進する苗床の枯渇が大きな問題であると言えますその「学術研究」について第4期までの計画ではまったく記述すらされていませんでした先に述べた私が主査を務めていた委員会の報告書などが奏功して第5期では「学術研究」という言葉もその重要性も盛り込まれています

茨木 少し余裕をもって長い目で10年20年でみる部分が必要だということでしょうか全部そうなれとは言わないけれども能力があってある程度面白いことが出てきそうな場所分野に対しては配慮してほしいですね

西尾 そのとおりだと思います今まで日本人でノーベル賞を受賞されている方々はそういう余裕があった時代を過ごされています国力の源としての「学術研究」を何とか財政的にも守っていただきたいという気持ちは十分にありますただし高齢者社会福祉に関する経費などで国家財政も逼迫しておりますので一方では大学自らも何らかの知恵を絞っていくことが求められていますそのような状況の中で今後考えられるアプローチはやはり産業界との連携です従来から産学連携は行われてきましたがこれからの産学連携は少し意味合いが変っていくと考えております今までは大学の持っているシーズとそれに対する企業の明確なニーズをマッチングさせて数年後に何らかの技術的なブレークスルーを生むための産学連携を行ってきましたつまり企業には何をやるべきかという具体的な目標があってその目標達成のためのhow to doの部分で大学発の使えるシーズ技術を用いることに連携の主眼がありましたしかし時代が変わり産業構造が垂直統合から水平統合に大きく転換している状況において企業は何をやって行くべきかが不明確になりwhat to doについて模索し始めています自動車を例にとればこれまでは自動車を単体のモノとして扱ってそれを構成する部品の性能向上とかデザインなどを主眼にして技術開発が進められてきましたところがIoT(Internet of Thingsモノのインターネット)の大きな流れのもとで自動車間での通信が始まり自動走行技術等が急速に発展する中で産業構造の水平統合化が急速に進んでいます

茨木 それにはまったく異なる分野にも目を向けないといけないですしかなり発想を変えないといけませんね

西尾 はい先日もエアコンで世界的シェアを誇るダイキン工業株式会社の幹部の方が私のところに相談に来られまして大変感銘を受けたことがあります私はダイキンはエアコンの技術開発に関して価格的な面も含めて最先端を走っていると評価していますしかしダイキン内部では23年も経てば国内企業のみならず中国韓国台湾をはじめとする他国の企業がダイキンの現在の水準に追い付いてきてしまうそこで空気で生活を豊かに快適にするための次の一手を至急に考える必要があるという危機感を切実におっしゃいましたこのように成功に安住せず常に危機意識をもっておられることは素晴らしいと思いましたこの相談は今後何をしていくべきかというwhat to doに関するものでして企業の大学に対する期待の大きさを感じました従来の産学連携とは異なり企業と大学が一体となり連携というよりさらに踏み込んで共に創造するつまり共創することが求められてきておりますそのようになってきますと産業界との基礎研究段階からの包括的な共創活動を推進することが可能になってきまして「学術研究」を何とか展開していくひとつの方策になると考えております

茨木 国にもがんばってもらうことも必要ですが確かに待っているだけではいけませんねやはり大学がイニシアティブを持ちこういうことが必要なのだと企業を啓発しないといけないと思います大学も変わらなければならないという点は私も同感です

西尾 さらに我が国がイノベーションをいかに起こしていくかについても考えなければならないことがあります多少誇張して言えば日本ではサイエンスとテクノロジーが進んでさえすればイノベーションが起こると思われている節があります確かにそれはイノベーションの絶対的な必要条件ですしかし十分条件ではありません日本の場合イノベーションを起こすのに重要な「モノづくり」ひとつをとってもユーザーの視点が省みられない傾向があります情報通信研究機構(NICT)10という総務省の研究機関があります従来情報ネットワークの通信帯域をどれだけ大きくするかというようなことを主体にさまざまな情報通信に関する課題に取り組んで来られましたしかし光通信技術の急速な進展により次の新たな課題に取り組んでおられますその一つとして挑戦されているのが脳科学でありユーザーの視点を取り入れる研究なのです情報ネットワーク上にさまざまなコンテンツが流れますそれをユーザーが視聴して居心地がよくなっているのか安心感を覚えているのかそれらを脳科学の視点で解明して情報通信の内容的な質の向上につなげていくことを考えておられますfMRI(functional magnetic resonance imaging)と言って脳のアクティビティなどを脳を傷つけずに測定できる国内でも最先端の機器を導入して研究を推進されていますそうした脳科学をNICTと大阪大学が共同で研究する脳情報通信融合研究センターを宮原先生がNICTの理事長をお務めの時に大阪大学のキャンパス内に誘致しましたちょうどその時に私は大阪大学の理事副学長を務めておりました私は今後「モノづくり」の現場が脳科学と連動することでユーザーの視点が取り入れられ大きく変わっていくと確信しております

  1. JST(Japan Science and Technology Agency)国立研究開発法人 科学技術振興機構科学技術における研究開発の戦略の検討基礎研究の支援や成果の産業界へ橋渡しさらに研究に必要となる”情報“や”人“に関する取り組みなどを行っている
  2. 科学技術基本計画内閣総理大臣からの諮問を受けわが国の科学技術政策を長期的視野に立って体系的かつ一貫して実行するための基本計画として総合科学技術イノベーション会議が策定する
  3. 情報通信研究機構(National Institute of Information and Communications Technology;NICT)情報通信技術の研究開発の推進と情報通信事業の振興を目的とする独立行政法人

アンビエント情報社会と情報分野の未来

茨木 西尾総長は今後の情報社会のあり方としてアンビエント11情報社会を提唱しておられますねこれについてご説明いただけませんか

西尾 情報分野で研究活動を続けるなかで究極的にどのような情報社会を目指していくべきかということを考えるようになりました20世紀から21世紀に時代が変遷する中で3段階の情報環境の革命が起こっていると考えています第一次革命はインターネット情報社会の出現であり自分の机の上の情報端末を用いて世界中からさまざまな情報を入手し世界に向けて情報発信することが可能になりました第二次革命はユビキタス12情報社会であり携帯電話やモバイル端末を使って「何時でも何処でも誰とでも」情報を送受信することが可能になりましたただし情報システムは利用者がデータにアクセスしてくるのをじっと待っている状態ですいわゆるPULL型サービスをするシステムですそこでその次の究極的なサービス段階ではどのようなシステムが考えられるかを探っておりましたその結果環境中のコンピュータの方から人間にアクセスしてきて助言や示唆をしてくれる世界つまり情報技術(IT)が自然に生活に溶け込んで人間に寄り添うような社会ではないかと考えましたそこではPULL型サービスのみならずPUSH型サービスも行われることになりますこのような情報社会をどのように表現したらよいか考えあぐねていました2005年の5月の連休の頃そのことを考えながら大阪梅田地区を歩いていました時「堂島ホテル」の看板が目に入りましたそれを見てこれだと思いましたそこには「ホテルアンビエント堂島」と書いてありましたこの老舗ホテル「堂島ホテル」は一時期名称が変わっていたのです

茨木 アンビエントの意味は周りとか周辺ということでしょうか

西尾 確かに「周り」とか「周辺」という意味をもっています早々に研究室に戻ってインターネットで検索をしてみますとヨーロッパではアンビエントインテリジェンスという言葉を用いた大きなプロジェクトが進行していましたそれを知ってある意味では「アンビエント」はお墨付きを得ている言葉だと考えこれからの情報社会のあり方を象徴する言葉として使うことにしましたグローバルCOEプログラムという文部科学省の支援のもとでの大型の拠点形成プログラムにアンビエント情報社会を構築するための情報技術の研究およびそれを支える博士課程人材の育成を目指す内容で応募して採択されました2007年度から5年間にわたって大阪大学の情報科学研究科が中心となってアンビエント技術をさまざまな観点から研究する取り組みを始めました

編集部 アンビエント情報技術ではどのようなことを実現していくのでしょうか

西尾 例えば私が疲れて家に帰りリビングルームのソファに座ったとします今ですとテーブルの上にリモコンが幾つもあってエアコンの温度調整をしたりテレビ番組の選択をしたりとさまざまな操作をしますところがアンビエント情報社会ではリモコン操作などは行いませんエアコンが自動で私の適温に設定しますテレビを観ようとしますと何もしなくとも私の観たい番組に設定されますBGMも私の好みに合わせて選曲してくれますさらに電子メールも緊急のものがテレビのディスプレイの隅の方に表示されますこれらのことは技術的に既に可能になっているものもあります例えば最近では腕時計と一体型になった体温センサーから体温データが発信されそれがサーバマシンに蓄積されそのデータ分析をもとにエアコンの温度設定をすることが可能になってきていますテレビの番組選択もある視聴者がこれまで観てきた番組データを蓄積しておきそのデータ分析をして曜日や時間帯を考慮しつつ番組表の電子データとマッチングをしてその視聴者が多分観たいであろうと思われる番組をディスプレイ上にちらっちらっと流して見せます一方で視聴者の目線を追っているセンサーがあってその番組に対して目線が定まるかを測定しその番組に設定するという具合ですまた別の応用では次のようなことも考えられますある老人の日々の行動パターンを把握するため例えば鉄道の乗車カードのデータを全部サーバに集めておきますそうするとこの老人は何曜日の何時頃に電車に乗ってある駅に向かいその駅近くのある病院に通っているというような規則性がわかりますところがその該当の日時に降りるべき駅を通り越してしまうようなことが起こったとしますそうしますとその老人の肩をとんとんとたたく感じで携帯電話などを介して病院がある駅を通り越していますよと伝えることができます以上で述べたようなことがアンビエント情報社会では実現できますその社会はこれまで発展してきた情報技術を総動員しさらに最近特に重要視されているビッグデータ解析を駆使することによって実現される究極の情報社会だと思っています

茨木 これからはデータ科学が非常に重要になってきますね

西尾 先生のおっしゃるとおりです特に日本は資源もない国ですので今後データを中心とした科学をどう進めていくかは非常に重要だと思っていますデータ科学は第4の科学の方法論であると言われています第1の科学の方法論は経験科学です例えばイタリアの科学者天文学者哲学者であったガリレオガリレイはさまざまな観測や実験を通じて画期的な発見や改良を成し遂げていますこれは経験科学の典型と言えます第2の科学の方法論は理論科学です例えば物理学の分野におけるアインシュタインの相対性理論また電磁気学におけるマクスウェルの方程式のようにきれいな理論式で表現することを目指す科学の方法論ですさらにきれいな理論式には書けないのだけれども再現性を有することから新たな科学の進展に寄与するものがありますそれがシミュレーション実験です例えば実際の自動車を使った衝突実験は一回すればそれきりで再度衝突させることはできませんがコンピュータ上でのシミュレーション実験ではパラメータを一旦定めれば何回でも同じ状況をシミュレートできますまたパラメータ値を変えることでさまざまな状況でのデータを得ることができますこれが第3の科学でシミュレーション科学とか計算科学といいますそして第4の科学と言われているのがデータ科学です例えば天文の分野ですと日本が設置に関与した海外の天文台から学術情報ネットワークSINET13の海外回線を使って東京三鷹にあります国立天文台のサーバに時々刻々データが集められていますこのデータを世界中の研究者達が解析する仕組みができていますこのような最新の情報環境を駆使した科学の方法がデータ科学です世界中の研究者達が情報ネットワークを介してオープンな環境で研究データにアクセスし科学を進展させていくことから最近では「オープンサイエンス」という言葉もしばしば用いられています本年4月から始まる第5期の科学技術基本計画では我が国がオープンサイエンスを強力に推進していくことの必要性が強く謳われていますそのような状況の中で「データビリティ(Datability)」という概念が重要であると考えますこれはDataとAbilityを結びつけた言葉で利用可能な超大量データを将来にわたって持続可能な形でしかも責任をもって提供していく能力を意味します現在世界全体でのディジタルデータ量というのがどのぐらいかご存知でしょうかアップル社のiPadAirという製品を見られたことがあると思いますが厚さが約7㎜でディスクの記憶容量が128ギガバイトつまり通常の本ですと約12万8千冊分のテキストデータを記憶することができますそれを積み上げていくとしますと2013年におけるデータ量は地球から月までの距離の3分の2のところまででしたそれが2020年には44兆ギガバイトつまり月までの距離の6.6倍になると言われていますただしこれは世界中に溢れているデータの量であってきっちりとデータベース化されているものではありません潜在的にこれだけ大量のデータがあることを考えるとデータビリティの概念がいかに重要であるかがわかっていただけると思います

編集部 途方もない量ですね

西尾 私には夢がありますオープンサイエンスの重要性が唱えられていますがそれを実際に推し進めている大学や研究機関は現時点ではまだないように思いますそこで私は大阪大学においてそのような目的をもったセンターを創りたいと考えています大阪大学のさまざまな研究プロセスで出てくるシミュレーションや実験データさらには医療系のデータをそのセンターに蓄積しますもちろんこれらのデータについてはプライバシーの保護などについて厳重に配慮しますデータというのはエビデンスベースの知の源泉ですからそれによって新しい学問分野が生まれる可能性があります例えば大阪大学にバイオインフォマティクス14の新たな研究拠点を構築することができればと思っています私のこの構想はデータビリティフロンティア構想と言いますが既に本年4月に機構組織の立ち上げは完了しており今後はいかに充実した組織にしていくかが課題です大阪大学がオープンサイエンスに関してのリーダーシップを発揮し他大学にもその流れが波及することで新たな科学の方法論に関して日本の国際競争力の向上に繋がることを夢見ています

茨木 一つ西尾総長のお考えをお聞きしたいことがあります人工知能の話題ですがさきほど脳科学に関連して人間の脳にいろいろ教えられるところがあるというお話がありましたが人工知能も初期の頃は脳の働きを数学的にモデル化してそれを高速に実行するということを行っていましたその結果人工知能がチェスの世界チャンピオンに勝つことができました15

西尾 ガルリカスパロフのことですね

茨木 はいそして昨日韓国人のイセドルという囲碁の世界的なプレイヤーがGoogle社によって開発されたソフトウェアと対戦してソフトウェアが勝ちました16どういう仕組みでそれが実現したかというと初期の人工知能とは異なって脳のニューラルネットワークをモデル化していわゆるディープラーニング17と呼ばれている手法ですがそれで学習させたということのようですそれはどうやるかというと今までの棋譜を全部集めてデータベース化しそれを基にして脳のシミュレーションをさせますそうするとそのソフトウェアはそれ以降自分自身で対戦しながらどんどん強くなり遂に昨日ソフトウェアが勝ってしまいました今日も実は試合をしていてどうなったか私は知りたいのですがこれは大変なことだと思います囲碁というのはまだ10年ぐらいたたないと人間には勝てないだろうと言われていましたそれが機械が自分で学習することによって簡単に人間を超えてしまったわけですこれから人間と人工知能の関係はどうなるのかと非常に悲観的な見方をする人も多いと思うのですが西尾総長はどうお考えになられますか

西尾 人工的なコンピュータと生物特に人間とのハードウェア的な比較がある程度なされてきました例えば記憶容量に関しては映画「レインマン」の主人公のモデルであったキムピーク18が人間として最大と考えることができますが彼は9000冊もの本を丸暗記できましたこれは9ギガバイトに相当しますしかし9ギガバイトのDVDの価格は100円もしません一方でカスパロフと互角に戦ったIBM社のディープブルーは5万ワットの電気を消費しましたがそのときのカスパロフが使った脳の電気エネルギーはたった1ワットなのですこれらの相違はおもしろいですね技術の進歩について言えば例えば交通の分野などにおいてはこの50年間で新幹線の速度は2倍にはなっていませんねエネルギー消費量は数分の1になったかもしれませんが一方で情報分野の発展はその比ではありません性能は100億倍価格は10万分の1双方を合わせると50年間で1兆倍以上の変化が起きていますこの状態のままで進んでいきますとそれは怖い世界です

茨木 たしかにコンピュータの進歩はわれわれその世界にいる者にとっても驚異的ですハードウェアの指数関数的進歩を示すムーアの法則19が知られていますがこの法則が今後もしばらくの間成り立つとすればコンピュータの能力はさらに想像できない程大きくなるでしょう使い方を間違えると大変なことになりますね

西尾 今後情報分野でも物理学の分野でのアインシュタイン博士や湯川秀樹先生などが提唱された平和運動のような取り組みが必要になるのではないかと思います情報分野に関わる研究者には今まで以上に倫理観が求められると思いますし研究の過程においてやってはならないことも起こってくるのではないかと思います

茨木 人材教育においてもそういう教育が必要となりますね

西尾 はい大変重要になってくると思います

ICTの第3次革命:アンビエント情報社会
ユビキタス情報社会とアンビエント情報社会の相異
従来のリビングルームのスナップショット
アンビエント環境のリビングルーム
  1. アンビエント(Ambient)元来の語義は「周囲の」「取り巻く」「包囲した」であったが最近オックスフォードのOxford Advanced Learner's DictionaryにおいてCreating a Relaxed Atmosphereという意味が追加された
  2. ユビキタス(Ubiquitous)遍在(いつでもどこでも存在すること)を表す言葉1991年にパロアルト研究所のマークワイザー氏が論文で使用その後情報社会の状況を示す言葉として広く使われるようになった
  3. SINET(Science Information NETwork)国立情報学研究所が提供運用を行う学術情報ネットワーク
  4. バイオインフォマティクス(bioinformatics)生命情報学遺伝子やタンパク質の構造など生命が持っている「情報」について研究する分野生命科学と情報科学の両方に関連するのが特徴
  5. 1997年9月IBMが作ったチェス専用のコンピュータディープブルーと世界チャンピオンガルリカスパロフとが対戦しディープブルーが2勝1敗3引分けで勝ち越した
  6. 2016年3月9日から始まったGoogleDeepMindが開発した人工知能のアルファ碁(AlphaGo)と世界的な棋士イセドル(韓国)との囲碁対戦はアルファ碁の4勝1敗で終わったこの対談が行われた3月10日はアルファ碁が歴史的な1勝を挙げた翌日である
  7. ディープラーニング(deep learning)深層学習人工知能の一形態人の脳は多数のニューロンから形成されたネットワークであるがそれをコンピュータ上で模擬し記憶させた大量のデータに基づいて内部パラメータを少しずつ調節する学習操作を反復することによって高度の機能を実現するアルファ碁は18層からなるネットワークを用いていると言われる
  8. キムピーク(Kim Peek,1951年11月11日-2009年12月19日)知的障害等を有する者が特定の分野に優れた能力を示す症状をサヴァン症候群というがキムピーク氏の場合は驚異的な記憶能力を持ち9000冊以上の本の内容を暗記していた映画「レインマン」でダスティンホフマンが演じた人物のモデルとなった
  9. ムーアの法則半導体の集積度が約1.5年ごとに2倍になるという経験則1965年Gordon Mooreが提唱し現在も成り立っていると考えられている

深掘りした専門知識と俯瞰力を兼ね備えた人材

対談風景

茨木 最後にこれから社会で求められる人材像について先生のご見解をお聞きしたいと思います

西尾 私は今後求める人材像も変わってくると思っています先程も申しましたが従来の「モノづくり」は垂直統合のもとで行われてきましたしたがってある専門分野を究めた人材が有用でした情報系人材であればプログラミングやソフトウェア工学等に関して深い知識を有することでリーダーシップを発揮したり産業振興に貢献ができましたところが産業構造が垂直統合から水平統合に大きく変化しているこれからの時代では単にある分野に関する深い知見を有するだけでは不十分で対応できないと思います時々刻々世の中が大きく変化していくことに合わせてwhat to doあるいはwhy we doということが問われます先日関西のある企業のトップの方とお話しをした際にも大学で育てるべき人材は専門分野をしっかり持つことに加えて俯瞰的に物事を見ることのできる人材であるとおっしゃっていましたつまり自身の専門分野を持ちつつ他の分野についてもある程度の知識を持ちダイナミックに変化する社会に柔軟に対応しつつリーダーシップを発揮できる人材の育成が大切であると思います

編集部 「深堀り」プラス「俯瞰力」というのは社会で求められる人材のキーワードになりそうですね深堀りの方は従前から大学教育で行ってきたものと思いますが俯瞰力を得るためにはどのような要素が必要とお考えですか

西尾 私が今大阪大学での人材教育で大切にしていることを示す標語が4つありますそれは教養デザイン力国際性コミュニケーション力ですまず教養ですが物事の判断をしていくときの前提となるものだと思っています例えば数学で幾何(図形)の問題を解くときに補助線を引くことがしばしばありますその補助線を何通りも引ける力言い換えますとさまざまな角度からものを見ることができる複眼的にものを見ることができるそういう力が教養だと思うのです教養を身につけるためにはいろいろな本を読んだりすることが大切ですまた若い人たちはSNSなどでさまざまな発言に接しますが他人の意見を鵜呑みにすることなくこれは間違っている情報だとかこれは何かうさんくさいよねとか自分自身で判断できる力これが教養だと思います教養を身につけるための科目は例えば京都コンピュータ学院と京都情報大学院大学で考えますと京都コンピュータ学院の段階ですべて設ければよいというものではなく学年が上になればなるほど教養を高めていく必要がありむしろ専門職大学院でこそ強化していくべきだと思いますそのことが先程申しました俯瞰力を涵養するためにも重要だと思っています

茨木 教養について言うとおっしゃるとおりで以前の大学では12年生で幾つか教養科目をとって単位を揃えてそれ以後は教養科目は存在しませんでしたしかし上に行くほど教養が必要だというのはそのとおりだと思います実際最近では教養の重要さが改めて認識されてきて教養教育の位置づけを改革しようという大学も増えてきているようですね

西尾 続いてデザイン力ですが建物を建てるときのデザインを例にとれば制約されたスペースを前提として間取りコストなど発注者からのさまざまなリクエストを聞きながらいかにして最適な設計をするかが問われますその基礎になるのは豊かなイマジネーション構想力だと思いますこれから先程来申し上げているように社会が大きく変わっていく中でそのような力がより強く求められます私は極論すれば教養とデザイン力さえあれば客観的な判断ができてなんとか生き延びていくことができるのではないかと思います企業等においてもこの二つの力があればビジネスを上手く展開できると思いますそして国際性とコミュニケーション力ですがコミュニケーション力の重要性は最近特に強く言われるようになってきておりますまた国際性については最近では海外で活躍するような人材のことばかりが強調されますが私はそれでは十分ではないと思っています例えば日本の山間地域のローカルなコミュニティでフィールドワークを行うときにはお年寄りを含めてその地域の人々に信頼され調査に関わっていただくことが必要ですその一方で例えばニューヨークで開催されるような国際会議で研究発表をしたりする力も必要です国際性と言うときにローカルとグローバルその両方で活躍する力が必要だと思います大阪大学のモットーは「地域に生き世界に伸びる」ですがまさにそのような両方の力の重要性を謳っています

茨木 そうですね今後研究でもビジネスでも国際競争が激化するでしょうから西尾総長がご指摘のような能力を兼ね備えた人材が必要でしょうね西尾総長のおっしゃる俯瞰力の育成ということで私が思い出すのがMITの例ですMITは理系で工学系の学生が多いですが30年ぐらい前だったと思いますがある時期に生命学バイオサイエンスを必修にしたんですよその時期はまだバイオサイエンスは花開いていない時期でそれを学生全員に履修させてねそれによってMITを中心にバイオサイエンスが拡がっていくことになりますその先見の明は今から思うと凄いと思います

西尾 茨木先生のご指摘の事例は私たちも意識しています先程もお話しましたが大阪大学の情報科学研究科でも生命系との融合研究を盛んに行っていますし情報系の大学院生でありながらも生命系の基礎知識をもつことを推奨するカリキュラムを組んでいますさらに今後大切なのは認知との交差(クロス)だと思いますなお人材育成に関して本日申し上げたかったことですが是非専門職大学院である京都情報大学院大学でビッグデータアナリストとかデータサイエンティストとよばれる人材を育成していただければと思っていますこのような人材が日本ではなかなか育っていませんビッグデータの解析を行う人材が絶対的に不足しています

茨木 貴重なアドバイスありがとうございますところでコンピュータが社会基盤となって以来常にIT関係の人材は不足していると言われてきましたしかしその内容は変化しています初期の頃はいわゆるプログラマが不足していたのですがいろいろなプログラミング言語とくにアプリケーションに特化された言語が普及してプログラムの作業はずっと楽になり効率化してきましたその結果今ITの世界で求められているのはプログラマというよりITの成果をどのような新しい分野に適用できるかを構想できる人材だと考えていますそのため京都情報大学院大学ではITの応用分野のカリキュラムを充実してさしあたり具体的には農業漁業医療観光などの分野でIT技術を駆使することのできる人材の育成に取り組んでいます

西尾 漁業については古野電気株式会社とコラボレーションをなされているのですね古野電気はよく存じ上げています非常に興味深い取り組みだと思います私はJSTで大きなプロジェクトを立ち上げる委員会のメンバーでしたが例えば農業のIT化のプロジェクトの場合は農業系の研究者と情報系の研究者がペアになって申請する形を採っていますそうしないと融合はなかなか起きません

茨木 強制的にそういう仕組みにしないと融合は起きないでしょうね

西尾 もう一つは情報系の研究者が縁の下の力持ちということだけになってしまうのは避けたいですね情報系の研究者が対等な形で異分野の研究者とコラボレーションできるようにすべきだと考えています観光のIT化も興味深いですねその際の事業展開はほとんどデータが鍵を握ると思いますしかし一番困ることはデータの入手が困難なことです一般に大学等に対してもデータはなかなか提供いただけません

茨木 病院などはプライバシーの問題などもありますからね

西尾 ビッグデータの解析を行っているトップの研究者は就職する際にどういうことを重視しているかと言いますとパーマネントなポジションであるというよりも興味深い大量データを持っているかどうかを問題にすると聞いていますそのようなところで自身の能力とかスキルを高めてまた次のところに移っていくというような傾向があるようです

茨木 職業に対する世の中の考え方もずいぶん変わってきていますねICTや人工知能の進歩によって今までの職業がいつまで残るのか分からない時代だから面白いところを求めて自分に適した仕事を探していくという生き方が結局正解なのかもしれません

西尾 確かに特に米国などではそのような傾向が強いようです先程日本ではイノベーションが起こりにくい理由の話をしましたがユーザー指向だけでもイノベーションは実現できませんその次の段階でイノベーションを阻害する要因がありますそれは法規制です同じ長谷川研究室の出身で神戸大学に塚本昌彦教授がいらっしゃりウェアラブルコンピュータのことを研究されています塚本先生は卒業後シャープに就職されましたが大変優秀な方ですそこで大阪大学の私の研究室に講師として来ていただいて最初は理論的な研究をなされていたのですが助教授になられた頃から世の中のために実際に役立つことをしたいということでウェアラブルコンピュータの研究を始められました塚本先生はヘッドマウントディスプレイを常に装着しながら生活されておりその分野の伝道師のような活動をされていましたしかしヘッドマウントディスプレイは広まっていきませんでしたなぜかといえば法律の規制があったからですヘッドマウントディスプレイを装着していてディスプレイを見ることに集中し過ぎて電信柱にぶつかったとしますねそうすると製造会社に責任がいくことになっていたのです製造会社はそのような法規制のもとではビジネス展開には限界を感じていました最近その法律が緩和されてGoogle社をはじめいくつかの企業がこの分野に参入し非常にスマートなものを製造していますこのように法律一本でイノベーションを阻害することができてしまいますですから今後社会改革つまりイノベーションを起こそうとしたら最先端のサイエンスとテクノロジーは必須で次にユーザーをどれだけ味方につけることができるかさらに法規制とどれだけ戦えるかという3段階が不可欠になりますこのようなりますと情報分野の人間だけでは駄目であり人文学社会科学系の方々との協働が重要になってきます最近人文学社会科学に関する議論が盛り上がっていますが人文学社会科学系の方々と最初の段階から一緒に考えながら進めないと真のイノベーションは起きないと思っています

茨木 そういえば現在のNTTが電電公社と呼ばれていた頃当時の法規制によって電電公社以外は通信事業に携われなかったことを長谷川先生はしばしば嘆いておられました長谷川先生は法規制による弊害を見抜いておられたのでしょうねただしNTTとなった現在では状況が大きく変わっていますさて今日は西尾総長のお話大変参考になりました伺ったお話を今後の学校運営に活かしていきたいと思います本日はお忙しいなか長時間ありがとうございました

西尾 こちらこそ茨木先生とゆっくりとお話しができまして大変貴重な時間をもつことができました本来なら私が出向くべきところ茨木先生にわざわざ当方にお越しいただき心より恐縮しております本日は誠にありがとうございました

イノベーション創起の観点から「情報技術」を観る
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西尾 章治郎
Shojiro Nishio
  • 1951年 岐阜県生まれ大阪大学総長
  • 75年京都大学工学部卒業
  • 80年同大学院工学研究科博士後期課程修了(工学博士)
  • 京都大学工学部助手カナダウォータールー大学客員研究助教授大阪大学基礎工学部助教授同情報処理教育センター助教授を経て同工学部教授
  • 大阪大学サイバーメディアセンター長(初代)同大学院情報科学研究科教授同研究科長大阪大学総長補佐2007年~11年同理事副学長を歴任
  • 2015年8月大阪大学第18代総長に就任
  • 文部科学省科学官同科学技術学術審議会委員同文化審議会臨時委員
    日本学術会議会員(情報学委員長)内閣府総合科学技術会議専門委員
    科学技術振興機構研究主監(PD)日本ユネスコ国内委員会委員をはじめ多くの委員を歴任
  • 学会関係では日本データベース学会会長情報処理学会副会長などの役職を歴任
  • 現在IEEE情報処理学会電子情報通信学会のフェロー
  • 情報科学の分野においての多大な功績が評価され2016年秋に文化功労者に選ばれた

上記の肩書経歴等はアキューム24号発刊当時のものです

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茨木 俊秀
Toshihide Ibaraki
  • 1940年 兵庫県生まれ
    京都情報大学院大学学長京都大学名誉教授
    京都大学工学士同大学修士課程修了京都大学工学博士
  • この間京都大学助手助教授教授京都大学大学院情報学研究科長豊橋技術科学大学教授関西学院大学教授さらにイリノイ大学ウォータールー大学はじめ数大学の客員研究員および客員教授
  • 日本オペレーションズリサーチ学会副会長その他いくつかの学会の委員役員および国際会議の組織委員長などを歴任
  • 現在ACM日本オペレーションズリサーチ学会電子情報通信学会情報処理学会日本応用数理学会スケジューリング学会のフェローあるいは名誉会員

上記の肩書経歴等はアキューム25号発刊当時のものです