世界に冠たる自動車メーカーの拠点・愛知県豊田市。この地で社会人として新たな人生を歩み始め,はや4年が過ぎた。自動車の頭脳のひとつとも言うべき,エンジン駆動の制御装置「パワートレイン」のハードウェア設計が主な仕事。ペーパードライバーを続けるなど学生時代にはさほど興味が無かった「自動車」が,いまでは休日を過ごす上での大切なパートナーになった。そして2007年は,自らの人生にとって就職に続く大きなターニングポイントとなった。「夫」,さらに「父親」という新たに大きな「役割」が加わった。田中孝尚さん(31)は,新しい家族と手を携えて歩みながら,世界の自動車産業を担っていく。
田中さんは京都コンピュータ学院の情報工学科を卒業後,豊田市に本社があるアウトソーシング関連の株式会社アルテクナに入社。そこからトヨタテクニカルディベロップメント株式会社に送り込まれている。燃費を高めたり,いま重要視されている排ガスを減らしたりしながら自動車を動かす,エンジンのトランスミッション制御部門を扱う電子分野第二電子開発部に身を置く。
当初はソフトウェア開発を担っていたが,現在はその知識と技術力を買われてハードウェア設計を担当するに至った。「ソフト開発を希望していたのですが,KCGで学んだ電子回路の知識があったので,『やってみないか』と言われ挑戦することにしました」と田中さん。そして「ただそれより,私が自動車関係の仕事に就くことになるとは…」と苦笑しながら付け加えた。
「自動車には全く関心は無かった。免許は取ったけど,ずっとペーパードライバーで車を持とうとは思わなかったくらいですから」。会社の上司に「エンジンをやってみないか」と言われたときも「興味ありませんから」と断ったほどだという。でもすぐさま自らを省みた。「面白いか,そうでないかは門をたたいてみないと分からない。せっかくこの豊田の地に来たのだから,車に関係するあらゆる仕事に挑戦しない手はないかも」。トヨタテクニカルディベロップメント社での勤務を承諾,「制御装置は車の中のほんの一部に過ぎないのに,綿密さが要求される。これが車の機能,質を高めるんだと思うようになり,仕事がぐんと面白くなった」と田中さん。この決断は田中さんの生活スタイルすらも変えてしまうきっかけとなり,早速車を購入,休日にはボンネットを開けるなどして過ごす日々という。「趣味は車です」。問われたときは,いまはそうはっきり答えることにしている。
田中さんは高校(大津清陵高校)卒業後,数年してKCGの門をくぐった。パソコンの知識も多少自信があり,「コンピュータの基礎の部分を徹底的に学びたい」との気持ちが芽生えていたころ。「(KCGは)内容的にいいよ」という親友のひとことが決め手になった。当初はコンピュータ工学科を選択。「技術,知識をさらに拡大させたい」との思いが広がり,1年後には情報工学科に転科した。
KCGの学生時代で思い出深いのは「マイクロマウス」との“格闘”だ。2回生のころ学内にあったサークルで見かけ,何となく興味を持って参加したという。「マウスを動かすのは正直,難しかった。KCGチームとして初年度『大会に出るぞ』という勢いだけはすごかったが,イチかバチかのレベル。大会では案の定の結果でした」と笑う。
その後は家に設備をそろえて独自に「研究」もした。翌年,ようやく思うように動くようになり,8月の地方大会に出場したものの「ゴールにたどり着けなかった」という無念の結果。10月の地方大会に再チャレンジしたが,はんだ付けなど初歩的なミスにより再びリタイヤしてしまった。しかし「あと一歩という段階にあることが確認できた」ため,全国大会に果敢に挑戦。「思ったより走っちゃいましてね」との言葉通り5位・自律賞に輝いた。「ゴールできたのもうれしかったけど,実はそれより1万円の賞金をもらったこと。学生にとっては大きかった」と懐かしむ。そして続けた。「改善を繰り返せば,一定の域に達することができる。あくまで一定の域までですがね。それをマイクロマウスは教えてくれたんですよ」
ほかにもKCG時代に培ったことで田中さんを支えているものも多い。1年目に参加したロチェスター工科大(RIT)の研修。約2週間の滞在だったが,期間中に学んだ3DCGは,当時は興味本位でやっていただけなのに,実はいま3DのCADを扱うときに役立っているという。「一般教育の法学などもそうです。PL法などに向き合う局面があり,あの時に習っておいてよかったなあと本当に思っています」と話す。
「学生時代に真剣に取り組んだことでムダになったものはひとつもないでしょう」と前置きした上で,「後輩」となる現在の学生たちに対し「ぼんやりとでもいいから目標を決めておき,それに向かって広く,浅く勉強するといいと思う。アルバイトなどは惰性ではなく,常に考えながらやった方がいい。『どう工夫したら楽ができるか』『なぜこのような仕事が必要なのか』っていうことでもいい。そうすれば,何かが前向きになる」とメッセージを送る。
田中さんは2007年,一つ年下の晃世(てるよ)さんと結婚。その後,待望の長男・晃源(てるもと)君が誕生した。「家がいっぺんににぎやかになりそうです。でも同時に責任はぐっと重くなりますよね」と田中さん。「組込み装置は,自分が作ったものがすぐさま役に立つ。暮らしを便利にする存在です。車だけでなく家電製品などもそうです。これからますます重要になってくる部門だと心を引き締めています」と強調し「これからは何事も深く掘り下げて考え,実践していきたい。夢は地球に,人に優しい車を作っていくこと。コマーシャルみたい? 少し格好良すぎますかね」と夢を語った。