去んじ睦月中はどの朝,空は蒼白に広がりて,学院長の御伴奉り飛鳥に乗りはべる。
都の西南より出て来て,亜弗利加といふ西国に至り,遥けく知故を訪ぬれば,
果てには知るも知らぬも諸手を挙げて迎え給ひ目を悦ばしむる。
語らひ耳を満たして,しばしこの身を宿し,たまゆら心を休む。
国の名は,「があな」となむいひける。
玉敷の都は「あくら」とかや,白雲に芙蓉の花を浮かべ,万緑に八重山吹を点ず。
北は大陸に従ひて遠く,草木は三千世界に連なりて,彼方に片雲の山河を映ず。
南は海近くて下れり,或は潮の香立ち,或は波の音の聴こゆ。
にわかに浮雲の思いなせり,しばし地を忘れ風に吹かれ海浜にさすらふ。
げに優なる方のはべりき。
本年,1993年は学院創立30周年という記念すべき歳である。30年のその間,山峡に発した泉がせせらぎとなり,やがて河となって次第に流量を増すように,学院に集まり散ずる人は増え続けてきた。河に淀みがあるように人は溜まり,うたかたの消え行くように人は去り,そしてまた関を越えて新しい人が来る。多くの人の残した流紋は,次の人に継承されて,学院には人々の息吹が蓄積される。その積層を形にしたく想い,5年前本誌を創刊した。知性のアキュームレイション,即ちアキュームである。
昨年,1992年は学院にとって不幸の続いた年であった。宇宙物理学の大学者であられた宮本正太郎名誉学院長,学院黎明期の師の御一人で,医学における情報処理の草分けであった品川嘉也先生,そして全日制の創設者の一人として,学院の発展に生涯をかけた岩崎直子先生,三人の先哲が相次いで逝去されたのである。
明けて今年1月,学院による国際情報教育振興事業の,相手国のひとつであるガーナ共和国政府に招かれて,日本を発った。学院より寄贈した200台のパソコンがガーナ各地で稼働しているという。風邪の後で体調が快復せず,歳を越してなお,暗い想念が深層に重く張り付いたままの旅立ちであった。
首都アクラに降り立てば,タラップの下に国賓用アウディが控えていて,身に余る歓迎が始まった。ガーナ科学技術省のアイク博士を始め,教育省のスワンジー高等教育長の笑顔。科学技術省次官のアジェイ博士の歓待と教育大臣への表敬訪問。多くの人々が笑顔で迎えてくれる。アクラ市内の学校を巡った後,クマシ市へと,大地を割ってまっすぐに続く道を走り抜ける。畏れ多くもアシャンティ王を表敬訪問し,車に飛び乗り次の訪問先に向かう。草原の彼方に,河のように舗装路が伸びゆき,アウディは駆ける。学院のパソコンが設置されている学校の数々と,昨年京都で研修を受けた先生方,そして学生達の笑顔。どの学校でも,顔見知りの先生とその学生達が大挙して,歌やリズムと踊りで歓迎してくれるのである。人々は明るい。とりわけ若い学生達の陽気でにぎやかなこと。
現学院長のガーナ全土でのあだ名は,ママ・コンピュータという。幾百人もの学生達が,そう呼ぶのである。そして学院長の名を冠したコンピュータセンターも設立された。
先生の先生は先生で,生徒の生徒は生徒だと,かつて京都に学んだ先生が,そう言う。ガーナの学生達は皆,学院の教え子(スチューデンツ)だと。そうすると,そこにいるのは,すべてが学院の先哲達の,教え子でもある訳か。
明るい太陽の下にいても,先哲と過ごした幾つかの場面が,かつ消え,かつ結び,流れ行く。敬愛した先人を失い,悲哀は沈々として底なく,歓待を受けて嬉戯は燦々として果てしない。悲喜交交,いや,故人の弟子達が遠く異国にいること,これこそが喜びか。人は心の中に故人を有することによって,大人になって行くという。人の集合である学院にとってもまた,同じ事がいえるのだろうか。
広い広い草原があった。アウディは飛ぶように走る。窓からたゆたう河が見えて,森の歌が間近に聴こえる。打楽器が滝のように心に響く。土の臭いと草木の香りと潮風と,リズム,そして人々の情熱が自身を打った。郷国に先人の逝くを悲しみ,異国に後人の育むを喜べば,ガーナ,緑の大地に立ち昇る,大河の息吹に包まれる。風に乗り,我が命の旅の空,行き行きて,幾百の人の影を見つらむ。記憶に結ぶ喜びも哀しみも,自身の知になり得ると,そう考えるようになってきた。30年の歳華をかけて,幾千万の後輩達に,先哲の知の脈々たるをや。行く,河の,流れは。
上記の肩書・経歴等はアキューム22・23号発刊当時のものです。