21世紀の「多様化とグローバル化」という課題に直面し,その健全な進展のためには,遠隔会議,教育,出版などの場面での先端情報通信技術(ICT)を活用したコミュニケーションがますます重要になっている。そこでe-Learning,遠隔講義,電子教科書などの基礎になる電子書籍の今後についてe -コミュニケーション・コンソーシアム事務局長で株式会社 オーム社 特別嘱託(元代表取締役専務)の森正樹氏が2010年12月25日にKCG京都駅前校6階大ホールで開かれたIEC情報教育学研究会主催の第19回情報教育フォーラム(京都情報大学院大学共催)で「電子書籍と電子教科書」と題し講演した。その要旨を誌面で紹介する。 |
私は20年間にわたって電子出版に取り組んできた。最初に手掛けたのは1988年。電子出版の出版物を発行したが,続かなかった。それはなぜだったのか。そんな中,今電子書籍ブームが巻き起こった。その背景には何があるのか。さらには電子教科書と電子出版はどう違うのか。そのあたりを中心に話をしたいと思う。
私は1966年に大学の電気工学科を卒業してオーム社に入社し,編集者生活をスタートさせた。その後,1972年に発行された工業高等学校の文部省検定教科書電気工学Ⅰの編集を担当。発行されたその教科書に「インスタント新聞」というイラストを載せてある。当時は「電子新聞」という言葉すらなかったということだ。
「電子書籍」を起爆させたのはご承知の通りGoogle といえるだろう。Google は1996年ごろに米・スタンフォード大学でプロジェクトをスタートさせ創業した企業だが「世界中の情報・知識に,世界中の人たちがアクセスできるよう整備しよう」という,ものすごい行動目標を置いた。出版社であっても夢のような目標だが,これはたった2~3人の大学院生が定めたもの。創業以来Google はMaps,Chrome,Book Search,Edition などを開発し着々と成果を上げている。
成功の理由は,知的財産権や法律,倫理などをさほど気にすることなく,目標に向かってなりふり構わず突進して技術を開発していくという姿勢にあるだろう。「電子書籍」の分野でいうなら,図書館の蔵書を全部,電子化しようということに取り組んだ。すでにスタンフォード大学の800万冊,ミシガン大学の700万冊をデータ化したほか,オックスフォードや日本の慶応義塾大学などの蔵書を手掛けていると聞く。
それらは著作者や出版社の承諾なしで進めていた。そして2009年2月,衝撃の告知広告を出す。「もうすでにデータ化をした。もしも承諾しない人は申し出てください」と。これは「オプトアウト」といえ,アメリカ流の考え方だ。日本では事前承諾を重視する「オプトイン」の考え方が当たり前で,むしろ流儀ともいえる。この告知広告に対し,日本の出版界をはじめ著作者団体が猛反発した。そして同年12月に修正和解をし,ひとまずアングロサクソン以外の言語については保留することになった。しかしこの「電子書籍」の大ブームは鎮まることなく続いていくと思われるので,この問題はいずれ再燃するだろう。
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「電子書籍」の文字が新聞に載らない日はないほどだ。2010年になって日本では対策のため,行政などが大慌てで各種団体を立ち上げた。「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」(3省デジ懇)は総務省・文部科学省・経済産業省が省を越えてスクラムを組むという珍しいケース。出版界や産業界を巻き込み,フォーマットの標準化などの議論を進めている。懇談会発足の根底には,米国勢に押されて日本の産業が脅かされるのではまずい,という考えがある。ほかに大手出版社31社による「日本電子書籍出版社協会」などが次々と設立された。
一方,メーカー側の動きはどうか。ソニーの「Reader」は1990年代にアメリカで端末が発売されてから細々ながら生き残ってきた。これはPCからダウンロードして取り込むという手法。アマゾンの「Kindle」は無線通信機能でダウンロードする。アップルの「iPad」はタブレットPCなのでウェブにそのままつなぐという,それぞれ大きな違いがある。
「電子書籍」対策として東芝,NEC,富士通などはそれぞれ対応機種を開発した。これらは「3省デジ懇」発足以降,販売されている。そのようなことに至った経緯として1990年にソニーが「データディスクマン」という電子辞書を出したことが挙げられる。1999年には「電子書籍コンソーシアム」が立ち上がり,私どもオーム社が中心となった。「本が空からやってくる」という触れ込みで,衛星通信を利用した取り組みだった。これには非常に大きなおカネが必要だったこともあり,うまくいかなかった。
ほかにもうまくいかなかった理由はある。通産省(現経産省)主導型の産業が,エレクトロニクスのデバイスをどうやって作って売り出していくかという戦略が重視されすぎ,コンテンツが置き去りにされてしまったためだ。
今日の電子書籍ブームではコンテンツの抱え込みの争いが繰り広げられている。アマゾンはご存じの通り本を売る会社。同社は本を売る段階においてすでに電子化している。「Kindle」発売の際にはアメリカの主だった出版社と契約を済ませていて,何十万部の本が,「Kindle」を購入した時点で提供されるという状態になっていた。「Reader」が奮わなかったというのは,そのようなビジネスモデルに対抗できなかったということではないか。一方「iPad」はコンピュータのアプリケーションにアクセスできるというのが特徴。それらに対し,日本はどのように対抗していくのか問われている。
「電子書籍」には使いやすさ▽手軽さ▽しおり機能があるか-がまず求められる。読みやすさ,目が疲れない,書き込めるという点も合わせ,最近ではこれらは解決されている。しかし「端末に依存せずどんな書籍も読めるか」は解決されておらず,ソーシャルリーディングもまだ可能ではない。最終的にはコンテンツの質ということになる。日経新聞の社説に「1台の電子端末でどんな本でも読みたい」と出ていた。当然のことだ。
電子出版を考えるうえで,まず挙げなければならないのは,日本とアメリカの読者層の違い。アメリカではビジネス層,富裕層がバカンスで電子出版の本を大量に買い込み,ホテルのプールサイドで読むといったケースが多い。一方,日本では観光で本を携えていくことはあまりないだろう。書店で買いにくい本を夜中にベッドの中で暗くして女性が携帯で読んでいる,というのが主流。売り上げに当てはめてみると,アメリカは文芸・政治経済関係など1冊30ドル程度。一方,日本は1ダウンロード当たり150円,300円といった,いわゆるコミックが中心。量と質に対する考え方が全く違う。
日本の電子書籍の市場規模は,ここ4~5年で急速に伸び,600億円近くまでに跳ね上がっている。ただし中身をみると,パソコン経由は横ばいなのに対し,携帯向けが大幅増。これはアメリカでも同じ傾向がみられる。 そのような中,出版界は生き残れるのか,という疑問に至る。紙ベースの出版物の売り上げは1996年の約2兆6000億円をピークに下がり続け,ついに2兆円割れというレベルにまできている。これには出版社側にもいくつかの問題があるためだと考えられる。
まず,売れそうな企画,本しか出さないという姿勢。ひとつ売れた本が出ると,2匹目のドジョウ,3匹目のドジョウを追いかけて,それと似たような企画を出す。さらには手軽なHow toもの,ベストセラー作りに狂奔する。これらにより企画のマンネリ,編集者の貧困を招いている。また,出版社-取次店-書店というシステムは,合理的に全国隅々にまで同時に,同一価格で届けられるという利点はあるのだが,それらを突き崩すかのようにアメリカから新しいビジネスモデルが入ってきた。流通上の構造問題も同時 に抱えてしまったことになる。
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グーテンベルグが活版印刷術を発明したのは1445年。それからずっと紙の媒体が続いてきた。コンピュータが生まれてからはまだ五十数年にすぎない。さらには「電子出版」がいわれ始めてからは30年足らず。そのようなことを考えると,電子出版の可能性を見出すのはこれからといえる。
私は今注目されているものを「第4電子出版」と位置付けている。「第1」は「ハイブリッド出版」。原稿執筆,編集,制作プロセスにおいてコンピュータの支援を受けて作成された出版物のことをいい,CTS出版物,DTP出版物など今,紙媒体の出版物制作については当たり前のものである。「第2」は「ニューメディア出版」。文字や音声,データを,テープ,ディスク,カードなどの電子媒体によって作成した出版物を指し,AV,FD,CD-ROM出版物などがこれに当たる。「第3」は「オンライン出版」。ウェブを通じてコンテンツを送る形態。
このように進んできた電子出版だが,「第2」「第3」などはあまり定着しなかった。その要因としては▽データの互換性が無い▽印刷技術系とコンピュータ文化の違い▽フォント,ビューア,フォーマットの貧弱さ▽システム,デバイス,メモリの進展の速さに商品開発が追いつかない▽数式,画像の扱いが不便- などが挙げられる。
さらには,電子辞書にデータを提供したら,辞書が売れなくなったという話もある。電子辞書には50冊から100冊分の本のデータが入っている。これでは辞書本は売れず,作るのはためらわれてしまう。出版社側が「電子出版」に慎重な姿勢を示すのはそのためだ。
電子書籍と電子教科書はどう違うのか。電子書籍はすでに出版物として発行されたものを電子化して提供する。アメリカのように新刊が発行されるのと同時に電子版も売り出されることもあるが,いずれにせよ紙の出版物が販売されることを前提にしている。一方,電子教科書は,電子書籍と同じようなケースもあるが,最初から電子的なデータを教材にしていくという点がある。
ここでまず「90分間飽きさせない授業は可能か」ということを考えてみたい。これは教壇に立つ者にとって永遠の課題だろう。私が学生だった大学進学率15%程度のころは,とにかく勉強したいという大学生ばかりだった。だが進学率が50%を超えるまでになった今日では,とにかく卒業証書を手にして就職することが目的になってしまっている。これでは大学の存在意義が問われることになる。大学を卒業したが何も身についていなかったため,実業を学ぶために慌てて専門学校に入るというケースも増えているようだ。
さらには教科書を買わないという学生が増えてきている。自らが著者となっている本を教科書として買うように求めたところ「利益誘導だ」などと言われたという話も聞いた。とんでもない話だ。大学は「学生はお客様」という位置付けが強くなり,このようなことのまん延は教育の荒廃につながることではないのか。それだけ勉強に興味の薄い学生が多い中,90 分間,学生の興味をひき続ける授業というのは難しいことかもしれない。
ハーバード大学のサンデル教授が1000人もの学生を前に行った「白熱教室」は有名。東京工業大には教室で全くパソコンを使わないという教授がいる。会津大では宿題のうち基礎課題を解かないと帰ることはできないという授業を採用している。これらは特殊で先進的な例で真似しようもないと思われる先生方が多いだろうが,私はその先生方にBe ラーニングをお勧めしたい。
Be とはBook とe メディアのこと。対面授業の中に電子情報を生かして展開していくこと。学生一人ひとりの授業理解度を常に把握しながら適切な個別指導を実現していくためにはどのようにしたらいいのか,それが重要だ。
数年前,私は韓国でe ラーニングの実情を視察したところ,日本は到底かなわないと思った。ものすごく充実した環境が整えられていた。韓国の先生は米国で学んできた人ばかり。情報を重視している。
日本でも情報環境を整えていくことは急務だ。いくつかの中小企業がBe ラーニングのシステムを販売している。電通大のベンチャー企業である(株)アーネットのP4Web は講義のアーカイビングシステムで,講義をビデオに撮りながらデータ化する。ほかにもコミュニケーションシステムでは共生システム(株)のWebELS,e ラーニングシステムではアイコム(株)のe-very Study などがある。
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ここで,電子教科書作りに向けたいくつかの可能性について触れたい。先生方は講義用に数多くのPPT(PowerPoint)教材をお持ちだろう。全国の学校,それに研究機関を含めると相当な量になる。これらが流通に乗せられているという話はあまり聞かない。私立大学情報教育協会はこれらのコンテンツの再利用の仕組みを作ろうとしているのだが,なかなか軌道に乗らない。これは著作権処理が不十分なほか印税,課金の観念が不十分なことが理由であろうと思う。これらを解決し,流通プラットフォームができ上がれば,ものすごく有効なものになるのだが。
それでは電子教科書とはいったいどういうものなのか。現在,標準的なものは無い。それぞれの先生方が独自に教材をカスタマイズしていく。構成要素としては▽テキスト▽図表▽動画▽アニメーション▽シミュレーション▽演習ドリル▽音声-など。メールやブログなどダイナミックコンテンツも含まれるだろう。先生と学生間の双方向性,学生同士の情報交換などソーシャルラーニングができるようなプラットフォーム,教材がシステマチックに構成されているのが電子教科書だと私は考えている。東京工業大学の「Tokyo Tech Be-TEXT シリーズ」などいくつかの開発実例はある。
「デジタル教材は教育,国を滅ぼしてしまうのか」,また「コンテンツは有料なのか,無料なのか」。電子書籍,電子教科書はまだ模索状態。これらの議論はこれからも続けられていくだろう。