北大西洋のまん中,ほとんど北極圏に近いところに火山の島,アイスランドがある。
3年ほど前の夏,この国を訪問する機会があった。デンマークのコペンハーゲンから飛び立って3時間余,大海原の中に島が見えてきた。まもなく飛行機は一面溶岩に覆われた地面を整地した空港に着陸した。空港から首都レイキャビクまで1時間弱,リムジンは全く樹木のない荒涼とした溶岩台地を突っ走る。私がアイスランドを訪問したのはアイスランド大学の招待によるものであった。私の専門である宇宙論の講義と講演を依頼されたのである。アマチュアを含めても天文学会会員が数十名という国に宇宙論の専門家がいないのは当然で,関連分野の研究者を含めて多くの方が熱心に講義を聞いてくれた。帰国の寸前,アイスランド大学の研究者である友人がせんべつに1冊の本をくれた。アイスランド・バイキングのサガ(伝説),イェーダの英語訳であった。アイスランドはノルウェイなど北欧のバイキングが作った国で,彼らはすばらしいサガをもっている。しかし彼は,この国のすばらしい古典を誇るためにこの本をプレゼントしてくれたのではない。その中に私の専門とする宇宙創世の神話が書かれているからである。この宇宙創世の部分は,旅人姿の王が3人の賢者に宇宙の始まりについて尋ねる形で展開されている。「時が始まったときには,何もなかった,砂も海もまた冷たい波もなかった。地は見あたらず,上に空もなく,大きな口を開けた裂け目があったがどこにも草木はなかった」と宇宙創世の頃が語られている。いかにも北極圏に近い大西洋の中に浮かぶ火山の島,アイスランドにふさわしい神話である。私は人口わずか20万人余という小さな国でも,人々は宇宙の始まりについて考えをめぐらせていたことを知り,いたく感激したものである(図1)。
宇宙には果てがあるのだろうか? もし果てがあるのならその向こうはどうなっているのだろうか? 宇宙はビッグバンで生まれたと言われているけれども,その前はどうなっているのだろうか? 皆さんもきっとこんな疑問をふといだいたことがあるのではないだろうか?宇宙の構造や宇宙の果ての問題は,人間の歴史が始まった頃から人類が問い続けている問題である。実際古代文明の発祥地であるエジプト,メソポタミアやインド,そして中国にはその文明の特徴を反映した面白い宇宙のモデルが絵になって残っていることを皆さんはご存じであろう。例えば古代インドでは自分の尻尾をくわえた蛇=ウロボロスのうえに巨大な亀が横たわり,さらにその背に乗った数頭の象によって支えられた宇宙のモデルの絵が残っている。このようなモデルを考えていた人はその果てに行けばどのようになると考えていたのだろうか?
おなじみの落語に八つぁんが大家さんにこの道をまっすぐどんどん行くとどこに行けるかと問う話がある。大家さんが答えれば八つぁんは,繰り返し「で,そこを過ぎてどんどんまっすぐ行けばどこに行くんですかい」と聞く。江戸から京都,長崎を経て海をわたり唐天竺に至り,さらにその先はと聞かれ大家さんは大きな海でその端は大きな滝になってもうそれ以上行けないと答える。大家さんだけではない。このようにその向こうは,またその向こうはと尋ねられれば答に窮するのは誰だって同じである。
宇宙の始まりについても,紹介したアイスランドのサガと同じように古代から宇宙創世神話として語られてきている。日本の古事記もその一つである。「国稚くして,浮かべる脂のごとくして,くらげなすただよへる時…」という混沌とした状態から伊邪那岐,伊邪那美の両命が天の浮橋に立ちて天の沼矛を指し下ろしてかきたまうことにより日本の国が生まれるのである。神話の中でも最も論理的なものは聖書の創世記であろう。これによれば宇宙は「光あれ」という神の言葉により1週間で作られたことになっている。しかし宇宙の始まりという時間の果てがあるというならば,これまた多くの人は「それでは神が宇宙を作る前はどうだったのだろうか?」などと考えてしまうであろう。どうも素朴な古代の宇宙論では,宇宙の外は暗闇の空間が横たわっており,また宇宙の創世とは物質やその構造の形成であり,開びゃく前にはどうもからっぽではあるが空間そのものは存在していたと考えているようである。
今日科学的な意味で宇宙といえば,我々の住む三次元の空間と一次元の時間からなる四次元時空とその中に存在する物質的存在全てを合わせた系をさすものと考えてよいであろう。漢籍「准南子」には「四方上下これを宇と謂い,往古来近 これを宙という」とあるそうである。普通宇宙といえば空間的広がりのみをさしていると考えられているが,時間的広がりを合わせたものとして定義されているわけでたいへん的を射たものとなっている。つまり少し難しく言えば,宇宙とは四次元時空多様体とその中で物質的存在なのである。従って,宇宙の創世とは入れ物である時空と物質の二つの創世を論じなければならないのである。混沌としたところから天地が別れ,島が作られ…という古代の宇宙創世のシナリオはすでに存在する時空の中で,またすでに存在している物質エネルギーの存在形態を進化させるものであって,現在的意味ではそれらは創世論ではないのである。しかし時空を科学的に研究することが可能になったのは,ほんの76年前,アインシュタインによる一般相対論が完成してからのことである。アインシュタイン以前においては空間とは単に物質の入れ物であり,また時間とは無限の過去から無限の未来に向けて絶対的に流れるものであった。時空は物理学を記述するうえで不可欠であるが,それは物理学の対象ではなかったのである。時空は一般相対論によって初めて物理学の対象になったのである。一般相対論の基本方程式はアインシュタイン方程式と呼ばれている。この方程式は物質の存在によって時空の幾何学がどのように決まるかを計算するようになっている。つまり時間とか空間の性質は絶対的なものではなく,物質の存在によって変わってしまうということを示しているのである。
一般相対論に基づいた,ビッグバン理論は現在の宇宙の観測とも一致し,標準理論と呼ばれている。このモデルは150億年の昔宇宙は熱い火の玉として生まれ,これが膨張冷却する中で銀河が作られ,星が作られ現在の宇宙に至ったというモデルである。このモデルは,確固とした二つの観測事実に基づいたモデルである。第一の観測事実は,宇宙が実際膨張していることである。全宇宙を考えるときの基本構成要素となるのは,銀河である。銀河は我々のあまの川銀河や,となりのアンドロメダ銀河のように,ほぼ1000億個の恒星の集団である。この銀河は観測可能な範囲におよそ1000億個存在していると考えられている。1929年,ハッブルは当時世界最大の望遠鏡を駆使し,より遠方にある銀河ほどより速いスピードで我々の銀河より遠ざかっているという法則を発見した。あたかも我々が宇宙の中心に位置しているように銀河は遠ざかっているのである。これがハッブルの法則である。コペルニクス以来,科学の方法として我々が宇宙の中心であるという立場は放棄しなければならない。そして我々が宇宙の中心にいるように見えるのと同じように,如何なる銀河に住む知的生命体にとっても自身が宇宙の中心に位置するように見えなければならないという完全民主主義の立場に立たねばならない。この条件を満たすものが宇宙全体が一様に膨張しているというモデルである。風船の表面に一円玉を一様に貼り付けそれが膨らんでいくイメージである。どの一円玉から見ても自分を中心に,他の一円玉は遠ざかっているように見える。
第二の観測事実は,宇宙を満たしているマイクロ波の背景放射の存在である。1965年,アメリカのベル研究所のペンジャスとウイルソンは通信衛星のための装置の研究を進めている中で,宇宙全体から弱いマイクロ波の電波がやってきていることを発見した。1989年NASA(アメリカ航空宇宙局)はCOBEという宇宙背景放射探査衛星を打ち上げこの電波のスペクトル,つまり電波の波長によってその強度がどう変化するかを精密に観測した。そのスペクトルはプランク分布と呼ばれる理想的『火の玉』から放出される電磁波のスペクトルであった。その温度は絶対温度で,2.735Kという温度であった。この温度は火の玉どころか極低温であるが,それが存在することは,過去の宇宙が圧縮された状態に遡ればそれは宇宙が超高温の火の玉として生まれた証拠なのである。
ビッグバン理論は標準ビッグバンモデルと呼ばれているように,確固としたモデルではあるが,宇宙の初期まで拡張して考えると色々問題が生じる。この理論では,宇宙は時空の曲がり方を示す量が無限大になった,また無限のエネルギー密度をもった数学的特異点から生まれたことになっている。宇宙の昔に遡っていけば,必ずこの特異点に至り,もはやそこから先には遡れないという時間の果てがはっきりと存在しているわけである。
しかし時間に果てがあるということは,一般相対論を十分理解している研究者にとっても,あまり気持ちの良いものではない。これは,無限の過去から無限の未来に向けて絶対的に流れるものというニュートン的絶対時間の概念が,染み付いてしまっている故だと批判することもできるが,できれば時間に果てはないように宇宙の理論を作り上げたいという考えが,1960年前半までかなり支配的であったのである。実際,アインシュタイン白身,時間に果てがあるようなモデルを忌み嫌った。アインシュタインは1915年,一般相対論を完成させたが,彼は直ちに自分の作り上げたこの理論が宇宙全体に適用できることを悟り,宇宙のモデルを作ろうとした。しかし当時まだ宇宙が膨張していることは発見されておらず,アインシュタインも当然の事として宇宙は膨張も収縮もしない永遠不変のものと信じていたのである。ところが困ったことに一般相対論に基づき静止したモデルを作っても,それはすぐに収縮に転じてしまい最後には潰れてしまうのである。アインシュタインの相対論は時間空間の物理として極めて革命的な理論であるが,当然のことながら,重力に関してはニュートンの万有引力の拡張なのである。物理を静止させそれを宇宙においた場合,それが引力によって引き合い,最後には一点に集まり潰れてしまうのは一般相対論でも同じなのである。アインシュタインは万有引力に抗して宇宙が崩壊しないように空間に斥力を持たすように自分の方程式を変更することを決めた。つまりそのために新しく宇宙項といういわば『宇宙斥力』を元の方程式に付け加え,物質の間に働く万有引力とちょうど釣合うようにし,膨張も収縮もしない宇宙のモデルを作り上げたのである。アインシュタイン方程式は見かけ上やや複雑な方程式である。しかしこれは極めて簡単な原理から導かれるもので物理学の方程式の中でもこれほど美しい方程式はない。しかしそのアインシュタインでも自分の美しい方程式と宇宙は永遠不変でなければならないという信念がぶつかったとき,自分の方程式を修正する方を選んだのである。数年後,ロシアのフリードマンが修正前の元のアインシュタイン方程式を解いて宇宙が膨張することを導いた。しかしアインシュタインはそれを認めようとはしなかった。フリードマンの計算は誤りで,自分がやり直すとちゃんと始まりも終わりもない宇宙になると主張したのである。しかしその計算は結局フリードマンの方が正しいことがわかった。しかしそれでも彼はフリードマンの導いた解は単に数学的な解にすぎず,物理的には全く意昧のないものだと信じていたのである。同じようにアインシュタイン方程式を解いて,膨張宇宙論の解を発見した一人であるベルギーの神父ルメートルにも「あなたの計算は正しいが,物理的センスは忌まわしい」といらだちながら答えているのである。アインシュタインは1929年宇宙が本当に膨張しているという事実を観測家であるハッブルから突きつけられ,最終的に宇宙は永遠不変なものではないことを認めたのである。「宇宙項の導入は私の人生最大の不覚だった」アインシュタインは後にそう語っている。
しかしハッブルの発見によって宇宙が膨張しているという観測事実を認めても宇宙に始まりがあることを認めようとしない人がいなくなったわけではない。宇宙が膨張しているにも拘らず,宇宙の姿が変化しないためには,膨張によって薄められた物質の密度を元と同じ密度に保つために,何も存在しない空間に新たな物質が生まれなければならない。無限に大きい宇宙が無限の過去から無限の未来に向けて膨張を続けているこの宇宙のモデルは定常宇宙モデルと呼ばれる。またカラッポの空間の中に物質が生まれるなどということを考えなくても時間の果てはなくすることはできる。宇宙は膨張したり収縮したり繰り返しているのだと考えればよい。現在はちょうど膨張している時代だと考えるのである。振動宇宙モデルである。ビッグバンモデルでは曲率正の閉じた宇宙は,必ずや収縮に転じ,一点に潰れ特異点に帰る。ここで曲率正の閉じた空間とは空間が正に曲がっていることで,地球の表面と同じように三角形の内角の和が180度より大きく,また無限に広がっているのではなくやはり地球の表面積が有限であると同様に,その宇宙の体積が有限な空間のことである。次元を二次元に下げて頭に浮かべるとすればそれはまさに地球の表面のようなものを浮かべればよい。しかしもし,収縮がある有限の大きさで跳ね返り膨張に転じることができるならば,無限の過去から無限の未来に向けて振動を続ける宇宙のモデルが可能となる。読者の中には,収縮に転じた宇宙では密度が高くなり,それに伴って圧力も高くなるのだから,その圧力で宇宙は跳ね返るのではないかと考える方もおられるかもしれない。しかしそのような可能性を決定的に潰してしまったのが若き頃のホーキングとペンローズによる特異点定理の証明である。宇宙は必ず特異点から出発しなければならず,また収縮に転じた宇宙は同じく必ず特異点に帰らねばならないのである。宇宙は必ず,時間の果てから出発しなければならないのである。標準ビッグバン宇宙は,物理学が有効性を失う特異点から,火の玉として生まれた。つまり宇宙はまさに神の最初の一撃によって始まったのである。物理学にできることは,神によって与えられた初期値のもとに,以後宇宙がいかに進化するかを計算できるだけなのである。ローマ法王ピオ12世は,「現代の科学は,初めに発せられた『光あれ』の証人になることに成功した。・・・・ よって天地創造は時間の中で起こった。ゆえに創造主は存在する」と語ったという。アインシュタインもまた「私か最も興味あることは宇宙創世の時,神がどのような選択をされたかということだ」と語っている。特異点からの宇宙創世は,神の存在証明とも理解されているのである。
1980年以前においては,私も含めて,神の存在はともかく,初期値というものは物理法則で決まるものではなく,自由意志を待った存在者が決定するもの,少なくとも物理学の対象外であると信じていた。しかし1980年代になって,素粒子論に基づいた宇宙論の研究の中から,この初期値についても物理学で語ることが可能なのだということが,わかってきたのである。宇宙という最も巨大な存在の起源が,逆に最もミクロな存在である素粒子の研究が基礎となるというのは何とも逆説的である。インドの宇宙図にでてきたウロボロスの絵,蛇が自分の尻尾を飲み込んでいる絵は正反対のものが実は本質的につながっているという哲学をあらわしたものであるが,これもその一例である。まずその理由の第一は,宇宙の創世期に遡るにつれ宇宙の温度が極めて高くなり,全ての物質は素粒子にまで分解されてしまっていることである。そのような初期を研究するためにはどうしても素粒子の理論なしには進むことはできないのである。
私達の住むこの物質世界は元をたどれば重力,電磁気力,弱い力,強い力という四つの基本的な力によって運動変化している。重力は言うまでもなく地球,月など天体の間に働き,その運動を決めているニュートンの万有引力である。また電磁気力も日常生活で最も馴染みのある力であり特に説明する必要もないであろう。弱い力や強い力は原子核や素粒子などのミクロの世界で働いている力であり,実際それらの力が及ぷ距離は10-16cm~10-12cm程度である。弱い力は原子核のベータ崩壊を引き起こす力である。また強い力は陽子や中性子をくっつけて原子核を作る力であり,原爆,水爆また原子炉のエネルギーの源となっている力である。読者の中には「世界の運動を起こしている力はその四つだけではないのじゃないのか? 例えば私の筋肉の力も物質の運動を変えるじゃないか」という方がおられるかもしれない。それでは筋肉の力を物理的に考えてみよう。筋肉において力が発生するのは化学反応によって筋繊維が収縮するからである。化学反応とは分子を構成している原子と原子のつなぎかえをすることであるが,原子と原子を結び付けているのは電子や原子核に起因する電気力である。つまり筋肉の力というものは結局物理的には電磁気力の一つなのである。このように物質世界に働いている力は元をたどれば結局この四つの力に帰すのである。それではなぜ物質世界を支配する力は四つなのか,これらの力は相互に全く何の関係もないのだろうか。これらの疑問に答え,四つの力を統一的に理解しようとするのが相互作用の統一理論である。アインシュタインはプリンストンで晩年を過ごしたが,彼がそこで熱中していたのはこの統一理論の研究だったのである。
現在,私達物理学者が素粒子的宇宙論の研究の中から到達した現代の『創世記』は以下のようなものである。
(一)『宇宙』は時間・空間・物質の全くない『無』の状態から量子重力的効果によって創世された。
(二)創世された宇宙はプランクサイズ10-34cm程度の閉じた宇宙であるが,それはインフレーションによって直ちに何十桁,何百桁と引き伸ばされ,マクロな火の玉宇宙となった。同時にその宇宙から子供の宇宙,さらにそこから孫宇宙,ひ孫…と無限に宇宙が生まれる。それらもインフレーションによって巨大な宇宙となる。
(三)それらの中では銀河が生まれ,星が生まれ,また人類が誕生するというドラマが進行する。
宇宙が『無』から生まれたということを最初に主張したのは,アメリカのタフト大学のアレキサンダー・ビレンケンである。彼はソ連ウクライナ生まれのユダヤ人である。ソ連在住中は大学の物理学科を卒業したにも拘らず,動物園の夜警のような仕事しか得られず,アメリカに移住したのである。この七月,アルゼンチンで国際天文学連合の国際会議が開かれた。会議のある日,「いいレストランを知っているので,一緒に行こう」という彼の誘いで一緒に夕食を共にした。その時「夜警の仕事はきつかっただろう」と尋ねた。「なに,いい仕事だったよ,見回りながら物理の研究のことをずっと考えることができたからね」と返事が返ってきた。
私が初めて彼のこの研究を知ったのは彼から『無』からの創世という論文原稿が送られてきた1982年のことである。一体何を言い出したのか? というのが正直なところの印象であった。しかし考えてみると,科学を離れて哲学議論と考えても,それしか答がないことも自明であった。もし宇宙の起源を何かの原因に求めるならば,その原因の原因も考えられるわけである。八つぁんの大家さんへの質問と同じようにきりがないのである。結局『有』を説明するのに『有』をもってすることはできないのである。
先日のNHKの特別番組「アインシュタイン・ロマン」でサハラ砂漠に住むドゴン族の宇宙哲学が紹介された。ドゴン族のドロ長老は雄弁である。「初めには何もなかった。完全な無であった。そこに小さな種が突然発生した。それが爆発し四方八方に飛び散り宇宙ができたのだ」それではその前はどうなのですか?という質問に対して動揺することなく,豪倣に笑い「それはくだらない質問だ。初めの前は完全な無であったことをお忘れかな。いくらそのような質問を繰り返しても無駄だ。無から自然に種ができそれが膨張して宇宙になったのだ」我々の到達した現代の「創世記」と全く同じことを,この長老はとうとうと語るのである。
しかしこれがサイエンスになるためには,科学の言葉で『無』からの創世を具体的に示さねばならない。多くの科学者がこの論文のタイトルを見てまず考えたことは,彼の言う『無』とは一体何かということである。一般相対論では宇宙とは時間と空間を合わせた時空多様体とその中に満たされている物質のことである。ビレンケンのいう『無』とは従って単に物質が存在しないという意味ではなくその入れ物である時空-時間空間-も存在しない状態なのである。ビレンケンはこの時間も空間も物質もない『無』の状態から,量子的効果により極めて小さいがミニミ二時空がトンネル効果により作られることを示したのである。量子論は相対論共に,現代物理学を支える二つの柱である。現代物理学の体系はこの二つの柱の上に構築されているのである。量子論というと難しそうで,余り日常の私達の生活とは関係ないことと考えがちであるが,クオーツ腕時計,電卓などの中にある半導体素子はこの量子論に従って動いているのである。量子論の最も重要な性質は,全ての物理量の値は『揺らぎ』をもっており確定に決まらないという不確定性原理とトンネル効果である。
ビレンケンの『無』に量子論を適用して考えると,この『無』もまた量子論的に揺らいでいるのである。『無』は決して確定的な完全な無であることはできず,常に『無』を中心として『有』と『無』の間を揺らいでいるのである。仏教の宗派を越えて広く読経されるお経に般若心経がある。その初めの部分に「色即是空,空即是色」という有名な一節がある。相反するものが実は表裏一体でそれを理解すること,哲学用語で止揚することによって本質的理解に至るという弁証法の心髄を述べたところである。最も根元的な『存在』である宇宙についても量子論は『無』が無で有り得ないことを示しているのである。量子論では『無』の揺らぎは『ゼロ点振動』とも呼ばれる。宇宙の大きさゼロの近傍で振動しているのである。しかしこれはあくまでも揺らぎで現実のマクロな宇宙ではない。大きさゼロの宇宙と大きさが有限な値をもつ宇宙の間には,普通の意味では決して越えることのできない障壁,山が存在し,両者ははっきり区別されているのである。宇宙はゼロを中心に振動し,この山にぶつかっているのである。しかし,エネルギーゼロの宇宙にとって,この山を越えて大きな宇宙へと成長することは,普通は不可能である。しかし,量子論的に考えるならば,『無』の状態にある宇宙も小さな確率ではあるが,必ず自分で山の中にトンネルを掘って反対側に飛び出すことができるのである。これはミクロな世界ではいつも起こっていることである。半導体素子の中ではボールとは電子のことである。しばしば講演会などで「宇宙はなぜ生まれたのか?」という『哲学的』質問を受けることがある。答は簡単である。「宇宙は生まれるべくして,生まれた」のである。ゼロ点振動もトンネル効果も量子論の必然であり,宇宙が生まれるのは物理学の必然的結果なのである。
これが『無』からの宇宙創世の第一ステップである。生まれた宇宙の大きさは,10-34cm程度,小さいものを塵芥というがこの宇宙は遙かに塵よりも小さく,またどんな知られている素粒子よりも小さい宇宙である。宇宙創世の第二ステップはこの時空を巨大な空間にしエネルギーを満ちあふれさせることである。私やグースは10年ほど前,創世間もない宇宙は指数関数と呼ばれる関数に従って一瞬のうちに急激に膨張することを示した。この急激な膨張は今日インフレーションと呼ばれている。これによって無から作られた時空は現実的宇宙としての大きさをもつことができるのである。しかしこの時空を単に膨張させ100億光年を越えるような宇宙としたところで,その宇宙は現実の宇宙とはなり得ない。なぜならその宇宙のエネルギーや物質の密度は空間が膨れた分薄くなり,とても銀河や星が豊かな構造を作っている現在の宇宙の姿は再現できないのである。
しかしインフレーションは単に空間を拡大するだけではなくその中にエネルギーを満ちあふれさすメカニズムでもあるのだ。インフレーション中,宇宙の体積が2倍になればその中のエネルギーも2倍に,そして体積が1兆倍になればエネルギーも1兆倍になり,決して密度は減少しないのである。このようなことを言えば,エネルギーの保存則という物理学の基本的法則を知っている皆さんからは,直ちにそれはこの法則に違反しているのではないかとクレームがつくにちがいない。もちろんインフレーションはゆるぎない物理学の法則に基づいた理論であり,エネルギー保存則をちゃんと満たす方程式の解なのである。ではそのエネルギーはどこからきたのか?ひとことで言えば,それは宇宙の重力のエネルギーがどんどん負になることによってまかなわれているといってよい。そして合計のエネルギーは『無』から生まれたときからずっとゼロのままと考えればよいのだ。しかし見かけ上,インフレーションによって宇宙の中の物質エネルギーは作られるのである。インフレーションの終了と共にこのエネルギーが熱エネルギーと転化する。これによって宇宙は光に満ちた熱い火の玉宇宙となるのである。ビッグバン宇宙の誕生である。
インフレーションのもう一つの重要な帰結は宇宙が無限に生まれることを示唆していることである。これは宇宙で相転移が進む時,因果関係もない異なった場所で同じ時刻に相転移が進むとは考えられないからである。相転移が宇宙のいろんな場所で勝手に進む様子はちょうど沸騰しているお湯の中のようなものである。ぼこぼこと泡が発生し大きいスケールでは宇宙は凸凹となりその時空構造は極めて複雑になり,ワームホールやブラックホールが次から次と生まれる。ワームホールは二つの空間がアインシュタイン・ローゼン・ブリッジと呼ばれるくびれた虫の穴的経路で結ばれた時空構造である。この穴の向こうの空間は因果関係が切れているために別のミニ宇宙と呼ぶことができる。さらにこのように相転移によって作られたミニ宇宙の中でも再度相転移が進行するので,ミニ宇宙からさらにミニミニ宇宙が作られる。元の時空を母宇宙と呼ぶなら,ミニ宇宙は子供,孫宇宙と呼ぶことができるが,これらのミニ時空もインフレーションによって一人前のマクロな宇宙となることができる。従って,我々の住んでいるこの宇宙はまず母宇宙ではなく実際何代目かわからない遙か後の子孫にしか過ぎないであろう。
このように宇宙は,第一ステップとしての『無』からのミニ時空の創世,第二ステップとしてのインフレーションによるエネルギー創世の二つのステップで創世される。第三ステップはその中に豊かな構造を作り上げることである。
光に満ちあふれた初期宇宙も膨張と共に次第に冷却し,普通の物質が宇宙の主な構成要素となる。第二ステップの段階で作られた物質・エネルギーの空間的揺らぎが次第に重力によってかたまり宇宙の中に構造が発生するのである。まず後に超銀河団となるような大きなガスのかたまりが収縮を始める。その中でガスは重力で収縮し銀河が生まれる。現在観測することのできる範囲の中には少なくとも1000億個の銀河が存在している。私達の住むあまの川はそのような銀河の一つで,乙女座超銀河団に属している。銀河はおよそ1000億個の恒星の集まりである。あまの川銀河は渦巻銀河でほとんどの星は渦巻をもった円盤状に集まっている。私達の太陽系はあまの川銀河の中心からおよそ三万光年離れたかなりの田舎に位置する。そしてその第三惑星,地球も太陽が生まれるとき周りを円盤状に渦巻いた物質の中から生まれたのである。強過ぎもまた弱過ぎもしない適度な太陽からのエネルギーを受けて,炭素,窒素,酸素原子は有機分子を形成し生命体へと進化したのである。
現在宇宙の観測は,理論的宇宙創世論と共に爆発的に進歩している。高感度の光電素子,それと連動したコンピュータによる情報処理などハイテクノロジーを駆使した方法によって,これまで知り得なかった,宇宙の姿がどんどん浮かび上がってきている。その姿は10年前には想像もできなかった実にダイナミックなものであった。その最も驚くべき例は宇宙の巨大構造に関するものである。これまで近くの銀河については詳しい研究がされていたが,遠くの銀河についてはそれらが宇宙のどのくらい遠方にあり,どの場所にあるのかという研究はほとんどされていなかった。それは遠くになればなるほど銀河は暗くなり観測が難しくなるからである。またその数も遠くなるにつれて急激に増加するからである。しかし最近高感度の光電素子をつかって大宇宙の地図作りが始められ,その結果,銀河がほとんど存在しないボイドと呼ばれる空白地帯が泡状にたくさん存在していることがわかってきたのである。そして銀河はあたかもそれを囲む蜂の巣のセルの上に存在しているような構造で宇宙に分布していることもわかってきた。また宇宙の中の万里の長城とでもいうべき数億光年の長さをもった壁状に銀河が密集して分布している『グレイト・ウォール』も発見されている。これは非常に厚い蜂の巣のセルのようにも見える。さらに驚くことに,この『グレイト・ウォール』は4億光年たらずの間隔で周期的に20層も存在しているのではないかという観測もある。一体どのようなメカニズムでこのような巨大な構造が宇宙にできたのであろうか? 宇宙の年齢は100億年程度と考えられている。人間的スケールでは極めて長い時間であるが,それでもこのような巨大な構造を今の宇宙で作ろうとすれば,光の速さに近い速さで銀河が場所を変えないとこのような構造は作られない。宇宙の巨大構造は大きな謎である。
さらに銀河はまた,ただそのような空間分布をしているだけではなく,大きなスケールで,集団で運動をしているようである。我々の属する銀河集団はうみへび・ケンタウルス座の方向に引き寄せられるように運動している。これはこの方向1億光年余り遠方に存在しているらしいグレート・アトラクター『巨大重力源』に引き寄せられているのだと考えられている。巨大重力源があるとすればその正体は一体なんであろうか? このように観測か進むにつれ宇宙に対する理解は急速に深まっているが,同時に新たな謎が次から次へと現れてくるのである。
今日までの半世紀,パロマー山の直径6mたらずの望遠鏡が実質的に世界最大の望遠鏡としての地位を保ち続けてきた。しかしこれからの10年,世界で8m,10mという大型望遠鏡が驚くことに10台以上建設され観測を始めることになっている。観測データは理論の証明となるものもあろうが,多くはさらに謎を深めるものになるかもしれない。しかし矛盾が生じることはむしろ歓迎すべきことかもしれない。なぜならその矛盾を解決することによって新たな深い理解に到達するというのが科学の進歩の歴史であり,矛盾は新たな「宇宙の起源」理解への鍵とも言えるからである。この世紀末の混沌の中から新たな21世紀の発展の種が芽生えてくるにちがいない。
(一)「宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった」佐藤勝彦著,同文書院
(二)「壷の中の宇宙」佐藤勝彦著,二見書房
(三)「ビッグバン宇宙からインフレーション宇宙へ」佐藤勝彦,木幡﨣士共著,徳間書店