今日,日本は人類の歴史始まって以来の稼ぎ高だといわれる膨大な貿易黒字,急成長のGNPに見る如く,その巨大な経済力によって世界の注目を集めている。日本のこの繁栄はハイテクノロジーの開発と活用に基づくものだという点では世界中異論がない。しかし,同じアジアの中で,中国・東南アジアに目を向ければ,まだまだ近代工業化社会,近代情報化社会には程遠く,特にコンピュータ技術の普及,活用においては非常な遅れをとっている。
国際経済で日本の相対的地位が高まってくるにつれ,日本の国際的役割に対する世界の要求も高まってくるのは当然であるが,これらの要求を経済大国の責任においてまじめに考えてみる時,とりわけ中国・東南アジアの発展に対する日本の責任の重大さをずしりと感じずにはいられない。
当,京都コンピュータ学院は,高度成長を遂げた日本が世界に対して果さねばならない役割と責任を,情報教育という立場においてとらえ,中国・東南アジアに対し,学院所有の約1800台の8ビットパソコンを寄贈し,これを利用した情報教育振興事業をボランティアとして行うことを企画した。
私達は最初の実施の地を,学院との人脈豊かなタイに選んだ。タイ文部省との数ヶ月にわたる話し合いの結果,「京都コンピュータ学院の協力によるタイ国情報教育振興事業」の名の下で,次のプロジェクトが推進されることになった。
①上記パソコン350台(新品同様に整備点検済み)を京都コンピュータ学院からタイ国に寄贈し,タイ文部省を通じてタイ全土にわたる高等学校,教育センター20数校に配分設置する。
②上記パソコン設置校の教員数十名(1校より2~3名)に対し,バンコックで京都コンピュータ学院の講師による短期集中のコンピュータ技術講習会を行う。
③次いで,受講者の中から選ばれた約20名が京都コンピュータ学院へ留学し,当学院の最新実習設備を使用してアドバンスド・コースの研修を受ける。
④研修を受けたタイ国教員は,帰国後高等学校,教育センターにおいて修得した知識・技術をタイの学生・社会人に普及する。
このプロジェクトは第1期のものであり,その後の情勢如何によっては第2期,第3期と拡大発展していくことは可能である。
このプロジェクトの推進がタイのコンピュータ技術の普及と向上に貢献し,日本・タイの真の国際親善として実っていくことを,私達は願っている。
プロジェクト②の現地講習会開催に関して,まず講師の問題があった。ベーシック言語及びプログラミング技術の習得に関しては,機械実習が主となるため,言葉の問題は絶対的な障害にはならないとしても,コンピュータ全般にわたる最初の概論の講義はどうしても現地の大学の諸先生方にタイ語でお願いせねばならない。これに最初の3日をあてる。パソコンハードの操作と修理等の講習は当学院の技術員(情報処理国家試験第1種合格者)数名が担当し,またパソコン・ソフト,ベーシック言語は学院技術者も加わるが主として,学院の国際情報処理科の学生(情報処理国家試験第2種合格者)が中心となって担当する。日本から派遣する指導員達は,いずれもタイ語ができないため,タイ語で補足説明できるチューター5名を助手としてつける。
ブロークン・イングリッシュでプログラミング技術の指導は果して可能なのかなどの懸念があり,どの位の講習期間を設定すべきかテストする必要があった。さらに,現地講習会時に,タイ語で私達の説明を補足するチューターの養成が必要であった。そこで現地講習会時にチューターになるという条件付で,チュラロンコン大学経済学専攻HIRANRAKS ANVTTARA:通称ノイさんと,カセサート大学会計学専攻のBHOVICHITRA MONTARAT:通称モドさんを,タイ大学の休暇中の1989年10月23日より11月6日までの2週間,特別留学生として当学院へ招きテストケースとして指導した。
学院では,1989年,国際情報処理科が発足したのであるが,当時第1期生はすでに京都コンピュータ学院ボストン校で研修を終えていた。学生達は,アメリカの大学生と生活を共にして帰国したばかりであった。
ノイさん,モドさんは国際情報処理科の学生達と親しい友人関係を保ちながら,しかし授業は分離した教室で,朝の9時から3時まで,カリキュラム通りにパソコン学習に集中した。彼女達がどんなに滞在期間を楽しくすごしたかour wonderful time(下掲載)に書かれた通りである。
つづいて翌年(1990年)3月香川大学大学院留学中のCHARUMAS CHAREONPANICH:通称チャルマスさんがノイさんモドさんにつづく特別留学生第3号として来校,2週間のパソコン学習に取り組んだ。
この経験から私達はタイにおける講習会は概論,ベーシックの学習,機械操作と修理法,全部で4週間の期間設定が必要と結論した。
寄贈パソコンの輸送費,学院よりの派遣講師約8名の渡航費と4週間の滞在費,タイ教員20名の日本への渡航費と2週間の滞在費,バイリンガルの講師の報酬,教材制作等,一切の費用あわせて約1300万円が最低必要な経費として見積られた。
プロジェクト③のタイ国教員留学費用に対し,③の実行責任者であるタイ国教育博物館センターより日本万国博覧会協会に,国際交流資金援助を申請したが,これに対してはすでに500万円の援助が決定した。
タイ文部省側より,外務省外郭団体国際協力事業団(JICA)に,京都コンピュータ学院よりの講師・指導員のバンコック派遣費用の申請が出されると聞いている。(1990年5月末現在)。
全体の予算額に達するまでには,まだまだ自己資金を用意せねばならない。私達は対タイ情報教育振興事業のアピールを兼ねた募金運動の展開を考えた。学院の芸術顧問であり,非常勤講師でもある東京芸術大学教授・浦川宜也ヴァイオリニストより,チャリティコンサートが提案された。これは単なる資金獲得のためだけでなく,このプロジェクトの持つ意義を一人でも多くの人々に理解してもらい,対タイ情報教育振興運動を盛り上げるためには絶好の企画であった。
タイに日本企業は数多く進出しているが,日本企業は営利追求に貪欲で,そのため現地人の反日感情が時には爆発する。私達はまず日本の企業,特に情報関係の企業にこそ,この運動への協力を求めたかった。”日本人はエコノミック・アニマルだけではない”ということを,この対タイ情報教育振興事業の展開の中で証明し,真の日本・タイ国際親善を結実させていきたいと願った。
第1回チャリティコンサート(浦川宜也ニューイヤー・ヴァイオリンリサイタル)は,大阪ザ・シンフォニーホールで1月17日に開催された。京都コンピュータ学院卒業生が就職している大阪の企業246社に呼びかけ,特に学院と縁の深い日本ユニシス,日立,日本電気,東芝に大幅の協力を仰いで,当日のコンサートには千数百名が来場という大盛況を見ることができた。お蔭で,パソコン出荷費用と派遣講師費用一部が取得できたのであるが,何よりも嬉しかったのは,当日来場の一般市民からの数種の激励メッセージであった。また,学院より送付した招待状によりコンサートヘ来場した人々からは,「招待だけで帰るわけにはいかない。ぜひチャリティに役立ててほしい」と数種の寄付が会場受付に残されていった。私達は,パソコンと一緒にタイに送られていく無形の善意の美しさに感動した。
このチャリティコンサートがきっかけで,読売新聞夕刊と日本経済新聞に,このプロジェクトの記事が掲載された。「日経新聞の記事を見ました。私は同機種のパソコンを持っているが,これも1台加えてぜひ,タイヘ持って行ってほしい」と兵庫県姫路市の太田三郎さんより電話が入り,パソコン1台がタイヘの友情のしるしとして送られて来た。
第2回チャリティコンサート(浦川宜也ヴァイオリンリサイタル)は京都市府民ホール〈アルティ〉で5月24日開催された。今度は,京都コンピュータ学院卒業生が勤める京都・滋賀の企業114社に対し,郵送で或いは直接の会社訪問で企画を説明し,チケット購入を依頼した。このプロジェクトに強い関心を抱く会社,全然冷ややかな会社,反応は様々であった(大阪でも同様)。私達を感動させたのは株式会社ソフトクリエイター 加地社長よりの「すばらしい企画ですね。現地講習会に我社の技術者をボランティアとして参加させよう」という申出であった。今回は地元京都であるため,かなりの招待券を用意したが,大阪の場合と同様,多くの招待客から,入場料相当額が「感動的な企画のチャリティですから」という理由で送られて来た。
コンサート前日,この企画が朝日新聞夕刊に記事として大きく報道された。萩原宏京大名誉教授のコメントがあった故か,「年に1度か2度の程度ならば,メンテナンスを,ボランティアで引き受けたい」と六甲トライデント 斉藤社長からの申出があった。私達は,勿論,現地で講習会発足と同時に委員会をつくり,寄贈したパソコンが充分に本来の目的通りに活用されているかどうかの調査と,アフターケアーをする予定でいたが,こういう会社のボランティア申出を随分力強く感じた。このようにして企業の良心や市民一人一人のまごころはパソコンと共に海を渡っていく。これら尊い善意が核となって日本・タイ国際親善は,すばらしいみのりへ向かっていくだろう。
京都コンピュータ学院より”のろし”を上げたとしても,対タイ情報教育振興事業はきっと国民的運動に発展していくに違いない。私達は明るい未来を予感して希望に胸をふくらませた。
第3回チャリティコンサートは10月9日,東京都渋谷区の東急文化村オーチャードホールで開催される。オーケストラは東京交響楽団,指揮者は小林研一郎氏,ソリストは浦川宜也氏である。ホール側は,かなり無理をしてこの日のホール使用を可能にしてくれたし,またオーケストラ側も他の予定を動かして,この日のためにスケジュールを立ててくれた。いずれもこのタイ企画に感動してのチャリティ協力である。
すでに学院側では1月末にパソコン351台の出荷の用意ができていたのであるが,神戸税関における通関に関して,いくつかの問題がおこり,4ヶ月も出荷がとどこおってしまった。しかし,恐らくこの6月初旬には無事出荷できるだろう。(6/22出荷済)
神戸港を出ると,約2週間でバンコック港に到着する。その後タイ国内の高校,教育センター約22ヶ所へ配分設置されるのであるが,これには約1ヶ月を予定している。現地講習会はこれら設置校より各2名~3名ずつ合計50名に対し7月下旬から約1ヶ月間にわたって行われる。
講習会終了後1ヶ月余の自習期間をおいて,10月9日各設置校より1名ずつタイ教員20数人が,文部省社会教育局長スラット氏(今回のプロジェクトの代表者)を団長にタイ国教育博物館センター長ブーリョン氏(同タイ側実行委員長)引率の下,来日する。ウエルカム・コンサートは前述のチャリティコンサートとあわせて東京都渋谷区東急文化村オーチャードホールで行われる。翌日10日に来洛。大型機を利用しての2週間にわたるアドバンスド・コースの講習会が京都コンピュータ学院百万遍センターで実施される。講習会終了後,『琴とヴァイオリンによるコンサート』でもって,サヨナラ・コンサートとする。
周知の如く,コンピュータはハード・ソフトが一体となって初めて有効性を発揮する故活用能力をもった数多くの技術者なしには,コンピュータの社会全体への普及,浸透はあり得ない。従って近代情報化社会の実現と繁栄に情報教育が如何に決定的な役割を演ずるかに異論はない。
かえりみれば27年前,まだまだ日本のコンピュータ技術レベルが,アメリカのレベルに達していなかった頃,私達は来るべき情報化社会を予知し,その繁栄の鍵は大量の人的資源の供給にあると判断して,全国に先駆けて,情報教育に取り組んだのであった。私達は,その体験をタイに伝えたい。
今こそタイは,国をあげて情報処理技術者育成に取り組まねば”教育”がおくれればおくれる程,近代情報化社会の到来は2乗倍,3乗倍のおくれをとるだろう。
現在,タイでは,コンピュータープログラマ,SEは殆ど日本の技術者か中国の技術者に依存しているが,給料がタイバーツでは非常に高く,タイ企業ではまず雇えない。タイに進出している日本企業は,日・タイ合弁会社の形をとっているが,タイはシンガポールや香港と異なりタイ語ができないと,英語だけではスムーズに事が運んで行かない。言葉がネックになって,たとえバンコックに渡って来ても充分に働けないで帰国してしまう日本人SEが多いという。日本企業が進出すればする程,それに応じてコンピュータ技術者が必要とされるため,現地人のコンピュータ技術者の養成がどんなに渇望されているか。その受け入れのるつぼは大きい。
ところで,タイにおけるコンピュータ・スペシャリストの養成に関してであるが,私の視察した限りでは,まず合格水準に達した設備の機関は皆無であった。大学には,日本・アメリカからの寄付による小・中型汎用機,或は研究所にはそれ以上の高性能機が設置されてはいても,これらはコンピュータを手段として利用する学術研究者にその大半が占有されている。
専門家としてのコンピュータ技術者の養成は,大きく近代工業化をなし遂げようとしているバンコック市のニーズの大きさに比し,あまりにも絶望的であった。
数少ない高性能機よりも,たとえ8ビットパソコンでもよい,大量のコンピュータを社会へ浸透させること――数少ない研究者の専門的学術業績よりも国民全体の科学技術レベルを向上させることの方が,タイにとって目下の急務ではないだろうか。
一般的に,日本を含めて先進国の開発途上国に対する技術援助はどの様な形で行われているのか,その大半は経済援助というのが現状である。経済援助の枠内で技術援助がなされていることからくる矛盾が様々の弊害を生んでいるのが最近の事情である。ハイテクノロジー機械製品がどんなにたくさん途上国に寄付されても,彼等が伝授されるのは使用のノウハウだけで,彼等自身が技術能力を持たないため一時期がすぎると故障し忽ち廃品になってしまう。しかも彼等はそれを放置したままで,次またどこかから贈られて来るのを待っているという。私はタイの各地でこういう事例を数々聞かされた。報道によればこれらは,アフリカ,中近東,東南アジア共通の現象であるらしい。
途上国に対する先進国の技術援助,技術協力が,経済援助,経済協力の域に留まっている以上,そこには限界があり,いつまでたっても経済格差の本質的解決にはなり得ない。かえって,それが外国依存の悪癖を蔓延させているように思われる。私は現地で,タイ国の真の近代工業化,近代情報化のためには,タイ人によるタイ人のためのタイ人に対する科学技術教育の振興,そしてその教育を通しての全国民的な科学技術能力の向上が肝要だと考えた。科学技術の能力における国の自立性こそが,他国からの経済援助を自国の豊かさと真の発展へもたらす核心なのである。
”教育”が社会繁栄のキーを握るということは,特にコンピュータに関しては疑うべくもない真実である。タイの情報教育を振興させ,コンピュータ能力におけるタイの自立を目指す国際協力が今,タイに必要であろう。
私は以上の考察の下に,タイ文部省に学院所有の8ビットパソコン350台(第1期)の寄贈と,その教育の担当を申し出たのである。
今回の企画は”単なる中古のパソコンの処分”という低い次元のものではない。更に,”パソコンを贈るついでにその使用法を教えとく”といった次元のものでもない。寄贈パソコン350台は高校,社会教育センターあわせて22ヶ所に設置され,タイ人自身の情報処理能力を高校という教育制度の中で開発育成し,また社会教育センターという開かれた教育機関で社会人に開放し社会に普及させる。それは大都市集中型ではなく,できるだけタイの全土にわたる各地に分散設置して,タイ各地において,できるだけ多くの人にコンピュータに対する関心を抱かせ,コンピュータになじませ,もって能力の開発と向上に役立たせようとするものである。
タイ各地における情報教育振興に,これら大量のパソコンは大いに貢献することだろう。そして最終のゴールはタイ国情報技術の自立であり,タイの近代情報化を外国依存型でない自国のものとして実らせることである。
タイ国情報教育振興への国際協力は,今回の企画の大きな目的であるが,一方教育担当という交流の面でまた大きな国際親善成果があがるにちがいない。
バンコックで開かれる初級講習会を担当するため,学院の若い技術者達,そして国際情報処理科の学生達が海を渡る。学院で開かれる上級講習会には寄贈パソコン設置校の若いタイ教員達が海を渡る。それぞれ異文化に触れ,国際感覚を身につけながら,パソコンを媒体にした国際友情が,設置校22校と当学院との間に育っていくだろう。そのためにも,この交流は恒例化していきたい。
第1期プロジェクトが予期した成果をあげれば学院が保有する残りのパソコンを利用して第2,第3プロジェクトを進める予定である。
今回寄贈する8ビットパソコン350台は,学院が1983年パソコン時代到来に先駆け,東芝より3000台購入したものの一部である。当初は学院の学生に1人1台,自宅・下宿・寮に置かせて学習に使用させていたが,1987年より16ビットに切り換えていったため,現在では未使用になっている。ただし初歩の教育には充分役立つので,その中1800台を新品同様に整備し,故長谷川繁雄初代学院長の記念事業の一環として,学院ではその有効利用を模索していた。今回,当初使用されていたのと同じコンセプトで蘇生したことを私達は喜んでいる。たとえ数年間でも当学院で学生を育て,学生に親しまれ,学生に奉仕して来たパソコンなのだ。私達はそれに愛着を抱いている。しかし,これらパソコンのタイ到着予定地の地方では,”コンピュータ第1号機の到来だ”と待ちわびていると聞かされた。このようにしてこれらパソコンが本来有していた価値のままでJune Brideとして海を越えてタイヘ行くのを,私達は祝わずにはいられない。きっと,嫁ぎ先と私達の学院とは,縁組みがめでたく成立して美しい国際友情が育まれていくだろう。
今回の企画成立までに学院の人脈といえるチュラロンコン大学,カセサート大学,タマサート大学の10数人の教授,助教授と数回にわたり,討論する機会に恵まれたことは幸いであった。この対タイ情報教育振興事業がスムーズに進展するようひきつづいての現地協力が約束されている。
また,長谷川由(MIT学生)は国際交流資金獲得のために奔走し,企画に関する現地との折衝などで数回タイに飛び,尽力した。彼女の活躍がなければ企画は中断していただろう。ここにあわせて付記しておく。