太陽系には水金地火木土天海冥の他に無数の小惑星があり,現在約10000個が確認されています。その多くはギリシア神話の神々や英雄たちの名前,また発見した天文台のある地名などが付けられています。この度,小惑星7594番星が京都コンピュータ学院の名誉学院長,故宮本正太郎先生にちなんで,「Shotaro」と名づけられました。この小惑星は彗星発見で有名な高知県芸西天文台の関勉さんが発見したもので,有数な木星観測家で元広島こども文化科学館員の佐藤健さん,著名な天体写真家で福島県白河観測所の藤井旭さん,そして私の3人が共同で命名提案者になりました。1998年5月にIAU(国際天文連合)に申請したところ,11月に命名の業務を行なっているアメリカ・マサチューセッツ州のスミソニアン天文台から受理,登録されたとの返事が来ました。京都コンピュータ学院の先生が星になられたことを在学生・卒業生の皆さんとともにお祝いしたいと思います。
宮本先生の一生をふり返ってみますと
1912年 広島県尾道市のお生まれで
1936年 京都大学理学部宇宙物理学教室を卒業,研究生活に入られました。
1948年 京都大学理学部教授となられ
1958年 花山天文台長に就任されました。
この間日本天文学会理事長,国際月面学会会長,東亜天文学会副会長などの要職を歴任されました。
1976年 京都大学を定年退職して,京都コンピュータ学院名誉学院長に就任され,1992年5月に79歳で亡くなられるまで本学院の発展にご尽力されました。
先生はわが国の天体物理学のパイオニアとして様々な分野で先駆的な研究があります。お若い頃には主として惑星状星雲・中性子星の研究,理学部教授になられてからは主として早期型特異星の大気・太陽コロナの研究,また花山天文台長になられてからは主として月の地形・火星の気象の研究で世界のトップレベルの業績を上げられました。特に,太陽コロナの温度が150万度にまで加熱されるメカニズムについての研究は世界的に先駆的な提案で,半世紀後の今日でも高く評価されています。また中性子星の研究は,当時まだ世界中のほとんどの研究者が注目していなかった新分野で,これを手がけている研究者がわが国にいたこと自体が驚異でした。この論文は第二次大戦中に,しかも日本語で書かれたため誰にも知られることなく埋もれてしまったのが残念です。先生の研究分野はほとんど邦人未到の領域であり,驚いた事に先生は独力でチャレンジされたのです。私達は宮本先生の一周忌に「宮本正太郎論文集」を刊行しました。そこには百編の論文が収められていて,1000頁を越える大著です。残部はわずかですがご希望の方には無料で進呈しています。
また先生は天文普及活動にもご熱心で新聞・ラジオを通して宇宙の神秘,夜空の美しさを訴えていらっしゃいました。先生の著書によって天文研究の道に入った若者は多数います。
小惑星の中には地球のすぐ近くまでやってきてニアミスを起こすものもいます。1990年代になってからこのような危ない小惑星のジャイアントインパクトを避けるためにも,新小惑星の探索調査およびその軌道計算が重要な研究テーマになっています。1994年には小惑星が月の軌道半径の内側に入るという事件が二度も起こりました。小惑星の地球への墜落・落下は将来いつ起こるか,現時点では予測できません。1998年3月に「30年後に近づく小惑星はひょっとすると地球に落下するかもしれない。」というショッキングなニュースが流れましたが,これは計算ミスであることが解ってほっとしたことはまだ記憶に新しいことでしょう。小惑星Shotaroは火星と木星の間にあり,太陽の周りを約3.8年で回っています。地球とは約1.3年毎に接近し,最近では1998年9月5日に近づきましたが,その距離は約2億2000万kmですからShotaroは決して危ない小惑星ではありません。サイズは多分100km以下の小さな星で,また明るさは17等といいますから肉眼では見えません。しかし大きい望遠鏡で覗いてみると,現在木星と同じ方向のみずがめ座にあり日没後西南の空で輝いているはずです。図は私の天文教材ソフトで計算して描いた水星から木星までの軌道図で1999年1月1日の各惑星の位置が○印で表されています。
宮本先生は今頃ご自分の観測所で安心して星を眺めていらっしゃる事でしょう。そして地球を見つけた時,私達にメッセージを送っていらっしゃることでしょう。
上記の肩書・経歴等はアキューム25号発刊当時のものです。