文部省は小・中・高校に対し,1993年度より情報教育を本格的に開始するよう指導している。小・中・高校の教育現場は,その実施にあたり何をどうすべきなのか? また,高等教育機関はこれにどう対応すべきなのか? 本学院では日本情報処理学会会長萩原宏先生をはじめとした5名の方々に講師としてお集まりいただき,現場の先生方を対象に「情報教育懇話会」を催した。
現在の情報処理教育をみますと,大学の専門学科における教育,大学の専門学科以外の学生諸君に対するコンピュータ関係の教育,それに準ずる形の高等専門学校における専門教育などがあります。また,この京都コンピュータ学院のような専修学校では,情報処理に関する専門的な教育をやっておられますし,来年度からは中学校,その次の年からは高校でも,情報処理教育が始まるという話を伺っております。このように,かなり幅広く情報関係の教育が行われるようになってきたというわけです。
私がコンピュータ関係の仕事を始めてから,もう33,4年になります。昭和34年,京都大学の工学部に数理工学科が創立されましたが,そこで一,二年生は一般教養科目があり,三年生から専門教育に入る。昭和36年,そこで私は初めて正規のカリキュラムの授業としてコンピュータ関係の授業を始めました。30年余り前のことですから,まだコンピュータが日本に数えるほどしかなかったと言っていい時代です。そういう時代ですが,計算機というものが注目されて計算機の講座ができ,そこで計算機のハードウェアの設計,プログラミングの講義,演習,それから計算機を使うための数値計算法というようなことを,私一人でやらされたわけです。数年そのようなことをやってまいりましたが,計算機の進歩と共に,やるべきことがどんどん増えてくるわけです。それではとても一人ではやっていけないということで,情報関係の専門学科を作るべきだと提案いたしまして,それが実際に発足したのが昭和45年です。その頃に初めて,4大学,あるいは5大学だったかもしれませんが,国立大学に計算機情報関係の学科ができました。それから後引き続き,毎年いくつかの学科が新設され,ごく最近まで,かなりの大学に至るまで情報関係の学科が創設されております。昨年度の資料を見ますと,予定を含めまして,理工系大学の情報関係の学科の入学定員は13000人近くになっております。それから,国立の高等専門学校で,情報関係の学科の入学定員は約1500名です。その他,理工系の短期大学がいくつかありますし,文系の大学にも,情報関係の学科,あるいはコースというようなものがあります。このように,現在かなりの大学や高等専門学校に,情報関係の学科が設立されているという段階になっています。
そういうことで,情報関係の専門教育をどうするかという問題が,古くから言われてきたわけです。アメリカの計算機学会ACMが,確か1968年だったと思いますが,最初に計算機関係のカリキュラムを提案しました。それから10年おきに,やはりそういう計算機関係のカリキュラムを提案しているわけです。日本では,このようなことがほとんど行われず,各大学,あるいは専門学校で独自のカリキュラムを編成し,教育を進めてきました。しかし,昭和50何年だったかの,「bit」(共立出版)という雑誌の特集号に,我々はその時点での各大学のカリキュラムを集めて発表いたしました。これだけ情報処理教育課程ができてきますと,文部省としても,それを見直す必要があろうということで,文部省から情報処理学会に委託され,情報処理教育のための調査研究をしたわけです。このようなことは,本来,各大学それぞれ独自の考え方でいくべきですが,「こういうものは中心の科目として挙げるのが望ましい」というような形でまとめたわけです。まとめられた結果は,情報処理学会の学会誌「情報処理」の昨年の10月号に出ております。このように,大学,あるいは高等専門学校の情報処理に関する専門教育としての体系は,ある程度まとまってきています。
それから,大学の一般教育はどうあるべきか。専門家でない大学の学生に,何を教えるべきか。それほど時間もとれないわけですが,計算機の使い方などを取りあげてやり,また実際に計算機を使ってやっているということで,それなりの効果をあげていると思います。
世の中,情報化社会といわれ,コンピュータが普及している時代ですから,私は中学,高校でコンピュータの何らかの教育がなされるのは非常に結構なことだと思っております。と同時に,中学,高校で,果たして情報関係の教育に割く時間がそれだけあるのだろうか,もっと基本的な重要なことをやっていかなければならないのではないか,という気もいたします。今後の課題として,その辺のところを皆様方と一緒に考えていくべきではないかと思います。
私は現場で一般情報処理教育,つまり情報を専門としない学生に対する情報処理教育をやっています。ここでは,読み書き,つまりリテラシーに対して,計算機の基礎的な知識をこれと同じように考えるということから,コンピュータリテラシーという考え方になっています。ですから,これを教養としての情報処理というようにおっしやる方もおられます。この中身は,大きく情報処理の理解力と情報の技能という二つに分かれるのではないかと思います。情報処理の理解力というのは,情報処理の教養と情報の知識に分けて考え,情報処理の教養としては,コンピュータを使った時には光と影の部分が実はあるということを,きちんと教える必要があると思います。それから情報の知識については,ハードウェアとソフトウェアの基本的な知識を話しておく必要性があります。それから,情報の利用力やソフトウェアの利用能力,これはパッケージソフトだけではなく,もう少し大がかりなソフトウェアをも利用する力を養っておく必要もあります。情報の処理力としては,問題解決能力とそれに伴うプログラム作成能力,これらのバランスが非常に大事ではなかろうかと思います。情報処理教育を行う上で,特に今力が入っているのはソフトウェアの利用能力とプログラム作成能力の養成です。道具を入れると使わなくてはいけないという使命が出てきますので,こういうところにすぐ力が入る。こうすると,プログラムで半分遊べますので,学生は随分喜びます。だから,これらに力を入れる。しかしながら,こういうところばかりに力を入れて他のことをおろそかにすると,最終的にはほとんど成果を上げることはできません。私としては,問題を分解し,それからアルゴリズムの組立をして,それからプログラム,処理,処理の結果の検討まで含めて十分やっていただき,ソフトウェアの利用やプログラミングだけに集中しないようにお願いしたいと思います。そして,論理的な思考力を十分に養っていただければと思います。一般情報教育を理想的な形で行うには,まず機械設備,部屋の整備が必要です。あるいは,OHP,スライドプロジェクタのような道具も必要でしょう。それから,教員は常に研修,学習が必要です。特に,新しいオペレーティングシステムについてはきちんと学習しておくことが必要です。最近ではUNIXが入ってきましたので,いろいろな情報が変わってきました。今までの概念が覆されていきますので,それらについて常時知っておかなくてはなりません。それから,補助指導者も必要です。やはり40人を越えますと,補助者がいないと授業としてはなかなか成り立ちませんので,こういうものもやはり制度化していく必要があるのではなかろうかと思います。それから,カリキュラムをどうやって編成していくかということも大きな問題でしょう。教養課程でやろうとすれば,今までの教養課程を受け持っておられる先生方がどこかに放り出される可能性があります。しかも,土曜日の授業をやらないようにしようという話になってきていますから,現に実施されているものに対して,ますます影響が大きい。ですから,よほどうまく編成しないと問題点が出てきます。もう一つは,プログラム演習なんかの評価方法をどうするかという点も,よく考えなければならないでしょう。私は現実に演習を受け持っていますが,これは非常に難しいです。また,センター側,例えば計算機を置いている側の立場の問題,ハードウェア,ソフトウェアの導入や保守,あるいはシステムのネットワーク化というのもあります。これはメーカーに特に注文したいのですが,民間の会社に売るようなハードウェア,ソフトウェアと全く同じものを持ってこられて,教育用に使えと言われるのは問題点が出てきます。特に,ソフトウェアなんていうものは,パーソナルコンピュータですと,1台につき1本契約する。実は我々の所ではパソコンを250台入れまして,ロータスとか一太郎とか250本契約したわけです。こんな馬鹿なことはないわけでして,なんとかこれを解決していただきたい。これは,小学校,中学校の先生方も同じお気持ちだと思います。我々としては良いものをたくさん置きたいというのをモットーにしておりますので,ぜひ協力していただけたらと思います。
高等学校では,商業,工業,農業,家政といった職業学科も現実的には大体二割程度,学科として置いてあります。その中の商業科の科目の中に,情報処理という科目があります。昭和44年に,高等学校,小学校,中学校に対しても,情報処理を教えなくてはいけないという建議がありまして,昭和48年から,電子計算機一般という名前の科目がスタートしました。現在は57年度の教育課程の情報処理1,2という科目があります。主として,文部省なんかで,情報処理の技術者を養成するということが言われ始めたことを前提に,過去16年間,ずっと指導をしてまいりました。当初は馬鹿みたいな指導をしていたわけでして,例えば私が一番最初に情報教育を教えたところの機械というのは,日立のHITAC10,通称H10という機械です。これでFORTRANをぼこぼこ教えてたんです。FORTRANを教えてるというより,データタイプライターの,穴あけの操作方法を教えてると。もっと極端な話,「お前ちょっとおかしいな,これつなぐのはこうやってつなぐんやで」というように,紙テープのつなぎ方を教えて,これを情報処理教育であると,一生懸命言ってた時代もございます。そこから始まりまして,とりあえず14,5年,私もこれに携わってきたわけです。平成5年には,中等学校の技術家庭という科目の中で,情報基礎という科目ができることになったのですが,たったの20時間ということです。私も4,5年前から一生懸命この情報基礎の教育内容についていろいろと検討してまいりました。まず中学校についてですが,この理解がまだまだできていないという気がしています。5年くらい前,情報基礎という名前で,技術家庭で情報関連の内容を教えるということになりつつあった頃のことです。私は商業高校でいろんな情報関連の内容を教育する上で,中学校にお願いしておかなければならないことがあるということで,学会で「キーボードを教える時に,カタカナを知らなければ話にならない。それから,アルファベットを知らなければ話にならない。それからブラインドタッチの問題も含めて,こういうことをやはり,小学校,中学校で教えていただけたら」という話をちらっとしたんですが,最後にコメンテーターの方から「小学校,中学校の教育課程というのは,文部省で決められてあるんだ。たかが商業高校の意向で変えられるものではないんだ」というような言い方で,完全につっぱねられたことがあります。それからたったの4,5年で,今度は中学校が情報基礎ということで,ひいひい言い始めた。私も実はある市の中学校の情報基礎について話し合う市議会の方のメンバーをさせてもらっていますが,そこでは「とにかく先生,98がいいんだ。98をとにかく入れたいんですけど」という話や,「とにかくロータスを教えるんだ」,「一太郎だったら教えられるんだけど」というので,「一太郎買ってくれ」となる。もちろんそれはそれでいいことなのかもしれませんが,現実的には私の高校でもローマ字がわからない生徒が結構いるわけです。まあカナ漢字変換で,カナで打ったらいいわけですが,私のところとしましては,プログラミングとワープロと両方考えれば,ローマ字カナ変換がいいだろうということで,そういう形で指導しているわけですが,ローマ字がわかりません。それから,ロータスのような表計算ソフトについて教える段階で,座標の概念が理解できていない生徒が結構出てくる。座標そのものを教えるのは中学校一,二年だったと思いますが,X1,Y1の場所のプロットができない生徒がだいぶおります。そういう生徒にセルの位置,A1がどこにあるか,B1がどこにあるかということを,果たして指導できるんですかということを,私はいつも言うんです。高等学校までは九十何%という生徒が入ってきます。そこには,上は当然京大へ入る生徒から,下は私どもがいうような,大丈夫かなというところまで,非常に多種多様な生徒が入ってきます。そういう中で,情報処理教育云々という話をしなければならないわけです。教育課程の中には,「文書作成のワープロソフトをさわらせなさい」,それから「表計算ソフトもさわらせなさい」,もっとすさまじいものは,京大でもやっと始まった「通信についても考えさせなさい」というようなことまで,たった20時間でやれと書いてあるわけですが,まだ実態が見えていないんじゃないかなという気がします。情報処理教育でいうならば,むしろ私は,コンピュータリテラシー以前に,キーボードリテラシーといったらおかしいですが,キーボードそのものを扱えるという考え方がないと,多分ちょっと破綻をきたすのではないかと思っております。それともう一点,今度は教師側の対応ですが,学校でもロータスというのは非常に流行っています。表計算というのは非常にいいということで,やられているわけですが,こうしているうちに,コンピュータがロータスからしか見えなくなってしまう。ロータスそのものが,コンピュータみたいになってしまっている先生方が非常に多いんです。特に表計算ソフトなんていうものは,私の観点で言うと,むしろシミュレーションみたいなことに使うのが最適であって,ロータスを使う先生というのはほとんど成績処理に使っているのです。成績処理というのはある意味ではバッチの概念ですので,そういったものにロータスを使いながら「便利だ,便利だ」と,のめり込んでいく。中学校でもロータス教えたら「コンピュータができたんだ,これが情報処理なんだ」という言い方になってしまう。幸い私なんか長いことCOBOLをやったりFORTRANをやったり,PASCALとかいろんなこともかじりながらきたわけですが,いろんな中でコンピュータというものを見ないと,非常に恐いのではないかと。そういう意味で,中学校,小学校の先生で,指導のできる先生の層みたいなものは,藤井先生のおっしやったレベルよりもっと低いのではないかという気がしております。
京都コンピュータ学院には六つの学科が設置してありまして,三年課程の情報工学科,情報科学科,二年課程の情報処理科,国際情報処理科,一年課程の情報処理技術科,夜間部二年課程の情報処理技術科があります。
それでは実際に,2年間ないし3年間で何を学習するかと申しますと,まずはコンピュータの基礎的な知識です。どうしても中心になるのは,ハードウェアの基礎的なことからOS,データベース,コンパイラ等に至るまで,一通りの基礎的な知識,あるいはプログラミングです。コンピュータリテラシーというだけというわけにもいきませんので,今,COBOLとCが中心になっていますが,FORTRAN,PASCAL,LISP,BASIC,その他を大型機ないしはパーソナルコンピュータで行っています。それからゼミナール。学生が実際に,あるソフトウェアを作る授業ですが,これは結構いいものを作っています。それから情報関連分野におきましては,いわば数学や簿記会計など,それをサポートするような周辺の知識です。学生はかなりこれが苦手なんですが,これはむしろ積極的にやらなければならないと思っています。それから,いわゆる一般教養ですね。これは,実は基礎的な学力をつけるためには,むしろ専門教育以上に大事ではないかと思っています。これは英語も含め,語学も含めています。
それで,三年課程の情報工学科のカリキュラムですが,3年目にハードウェアを実際に作るという作業をメインにおいています。一回生からそういう周辺の知識,それからプログラミング言語はアセンブリ言語を中心にして行っています。当然,コンピュータの基礎知識も必修となっています。
一方,情報科学科はハード関係の授業はあまりありませんで,ソフトオンリーなんですが,コンピュータの基礎的な部分は,全部情報工学科と共通です。プログラム言語はCOBOL,Cが中心になっています。関連科目というのは,だいたい全部共通です。
ところが,これに関して,かなりいろいろなところから評価もいただいているのですが,逆な面もたくさん出てきています。と言いますのは,情報工学科を一口で言えば,コンピュータについて学ぶものである,と。情報科学科,情報処理科はプログラミングを学ぶところである,と。じゃあ一番大事な情報について学ぶというものが欠けているんじゃないかと私は思っているわけです。では,どういうアプローチがいいだろうかということですが,今まで我々は理系的センスでやってきましたが,もっと文系的センスが必要ではなかろうか,と。人文科学的なアプローチとしまして,情報文化史というような,あるいは情報の流れをどのように理解してきたか,現在,情報というものにどれだけ価値を置くかというようなことを,やっぱり知らせてやる必要があるんじゃないかと思います。それから情報処理といいますと,実は我々はもっといい情報処理機器を持っているわけです。それは我々の頭脳です。その神経科学にも関連しまして,認知科学というようなことをもっとわかり易く,学生に教授する必要があるのではないかと思っています。それから,社会学的なアプローチとしましては,いわゆる経営です。最近,大学の文系の学科で,経営情報科学というものが結構作られておりますが,そのようなアプローチもやっぱりいるんじゃないかと思っています。そうすると,これによってプログラミングが,多少時間的に減らせるかもしれないと思うわけです。プログラミングの知識は当然いりますが,何がプログラミングできるか,何がアプリケーションでできるかということをはっきり認識させてやれば,実習はパソコンであれ,大型機であれ,それはどちらでも可能じゃないかと思っております。
最近,情報化社会という言葉があります。しかしこれは元はと言えば,多分,工業化社会に対する言葉であり,工業化社会の前には当然農業化社会があったわけです。既に1,2年前に,アルビン=トフラーが第一の波,第二の波,第三の波という話をしています。やがてこういう時代が来るだろう,と。ずっと古い話をしますと,地球の歴史というのが46億年。その中で,人類が初めて出たのがだいたい300万年前。しかし,本当に人類が言葉を持ったのは,多分10万年か20万年くらい前のオーダーで,その時初めて情報処理が始まったのではないかと思います。これがいわば原始社会の始まりで,やがて5000年くらい前,世界のあちこちの大河のそばで発達し,この時に農業化社会が始まりました。それから,言葉だけでなく,映像や音声も情報手段として使えるようになったのが19世紀の初め頃,工業化社会ができて近代国家ができた頃です。そして,約40年前にこのコンピュータというものが発明されまして,情報化社会に入ってきたということです。そして,これを21世紀にどのようにつないでいくかという中で,先はどのようなことが考えられないかということを,ちょっと今思っているところです。
私は昭和42年から,この業界に入りまして,最初の20年間は,お客様担当のSEということで,お客様のコンピュータの使い方とか,システム開発とかというものを一緒にやってきましたが,この5年間ほど,教育の方の仕事をやっております。私ども企業の立場から情報教育というものを考えました場合,大きく対称するものが二つあります。一つは,私どものコンピュータを使っていただいておりますユーザー企業の方々など,お客様に対する教育,もう一つは私ども自身の社内教育という二つに分かれます。お客様の方は,これまた大きく二つに分かれまして,一つは,プログラマやシステムエンジニアと呼ばれる情報処理を専門とされている方々に対する教育。もう一つは,企業内の利用部門の方々に対する教育で,まあ一般的な情報リテラシー教育と呼ばれているようなものです。あと,社会教育は,これはもう一応専門家を育てるわけですから,プログラミングの教育を少ししまして,むしろ中心はシステムエンジニアの教育をすることが,私どもの担当している分野になります。
次に,企業内教育を阻害している要因を,それぞれ学習者の立場と教育推進者の両方の立場から三つずつ挙げてみます。
まず学習者の立場からは,一番目は,時間がとれない,暇がない,ということです。なかなか今の現状の仕事が忙しくて,教育を受ける時間がとれない。それから,二番目に,今度はその逆で,たまたま時間がとれて受けようとしたら,どうも中身が場当たり的といいますか,何のためにこういうコースを受けるのか,その教育が自分にとってどういう意味があるのかはっきりしない。三番目は,せっかく受けましても,その後のフォローがなく,受けたものを現実に企業で活かせられない。何か新しい技術を勉強してきたんだけれど,現実の企業の中の仕事を見てるとそういうものは使えないんだというようなことが考えられます。
教育推進者の立場からは,一番目は,講師の確保が難しいということです。一般の企業ですと,どうしてもそういうスキルを待った人というのは仕事が忙しく,なかなか後輩の指導にあたれないというケースが多い。二番目は,受講者のレベルが非常に不統一であるということ。前提となるスキルがまちまちで,どういう教育をしたらいいかというようなことです。それから三番目に,レベルもばらばらですし,受けたい内容も非常に多様化,個別化していますので,それらに対応したコースを考えなければいけないということです。
そして,これらを解決する手段として,一般的に私どもが考えていますのは,遠隔教育システムというものです。会社の中にいて教育が受けられる。それから,できるだけオープンスペース,フリースケジュール型CAIということで,いつでも好きな時に,空いている時間に受けていただく。あるいは,知的CAIシステムということで,授業を受ける人が自分で問題を作って問題を解決できるようなシステムにしていく,と。今,企業の中でコンピュータ通信,つまり情報化が進みまして,仕事のやり方がものすごく変わってきています。教育をする立場,特にコンピュータという情報処理教育でも,もっとコンピュータを使うべきではないか,これらのものをうまく使って教育の成果をあげていこうというのが,全般の考え方です。
次に,私どもの社内教育の問題点について。まず,新人教育について申しあげますと,新人教育の入り口,SEのキャリアパスの入り口にプログラマがいますが,この新人教育期間(4月から9月頃まで半年間くらい教育しております)では,受講者のレベルに大変ばらつきがある。大学で情報工学を専門に学んできた人達もいれば,この京都コンピュータ学院の卒業生のように情報処理技術者試験一種の資格を持っている人,もう一方では,文学部で中国文学とかスペイン文学をやってきたという人達もいる。そういう全然レベルの違う人達を一緒にして教育していかなくてはならないという問題があります。それともう一つは,新人教育をした後で実際に配属するわけですが,それと仕事とのギャップがあるわけなんですね。私どもはできるだけ最新の技術を新人に教えるのですが,実際配属されてお客様のところに行きますと,お客様の仕事のやり方,そのプログラミングの仕方などが,必ずしも最新のものを使っておられるとは限らない。また新人教育の時に習ったことではなくて,違うことを勉強し直さなければならない。あるいは,OJTをいろいろやりますが,OJTの指導教官が新しい技法についていけない。新人はせっかく良いものを習ってきてもそれを活用できないというようなこともあります。
それから,旧人教育について言うと,一つは,今情報化の中でパラダイムが非常に変化していて,私どもは汎用中心の考え方に慣れているわけですが,最近ではダウンサイジングとかいうようなことで,違う形のシステム作りをしなければならない。ところが,そういうことが非常に難しい。これは私どもだけではなくて,企業内の情報システム部門の方々も,どちらかと言えば従来からのシステムの作り方に慣れてしまって,新しい最近のシステム作りに慣れないといいますか,古い技術にこだわってしまうことが多いというようなことがあります。もう一つは,システム開発のやり方が,従来は私どもが直接やっていたわけですが,最近は協力会社の方々にやっていただくケースが多く,配属されてきたSEの人達が外注さん達の管理しかしなくて,実際のシステム設計やプログラミングなんかを経験しなくなってしまった。そのためにスキルが落ちてきているというようなことも言われています。それらをどのように教育していくかということで,いろいろとキャリアパスを作ったりしてやっております。
情報教育の現状について,各講師より説明がなされた後,質疑応答が開始された。現場の先生方からは,「関係省庁,学会等で情報教育について具体的に取り決められたことはあるか?」,「小・中・高校では,それぞれどの程度のことをすればよいのか?」など,情報教育実施に際して,具体的方策に苦慮する声が相次いだ。
小学校,中学校でコンピュータに対して何をやったらいいか,私も実はあまり考えていないのでよくわかりません。中学校でコンピュータの使い方を教えて,どれだけ役に立つのか。世の中が進歩してきたわけですから,やはりコンピュータとはどんなものかということを,一応理解させたらいいのではないかという気はします。しかし,そういうことに割く時間がどれだけあるかということが,いちばん大きいファクターになるんじやないかと思うんですけど。ほんのわずかな時間しかとれないのに,コンピュータの教育を果たしてやるべきかどうか。世の中がこうなって(コンピュータやワープロが一般に普及して)きましたから,皆それなりのことを理解していくんじゃないかという気がしています。一つ身近な例で申しますと,時々TVやなんかで観るんですが,小学校で一輪車をやっておられる学校があるわけです。学校で一輪車に乗せるというのは,ある意味で非常に効果はあると思いますが,一輪車を全国の小学校で使うような状況には多分なっていかないだろうと思います。それと同じように,コンピュータも小学校,中学校,あるいは高等学校で,高度なことまでやるような状況にはなることはないでしょう。ただ馴染んでくるということはあると思いますが。
実は私も小学校の指導要項というのを二年くらい前に見たんですが,確か論理回路が載ってまして,ランプがつくかつかないかというようなことが書いてありました。それから,BASICも代入文が一つくらい書いてあったような気がします。小学校では,敢えてそれをものすごく教える必要はないと思ったんですが,問題は中学校,高校です。中学校では本当にBASICをやっているところがありました。高校になりますと,名古屋の学校ではC言語を教えてる。これは普通コースでしたけれど。特に名古屋は非常に盛んで,県の中に三つくらい教育センターを持っておられます。これは京都に比べると随分進んでいるな,と。何を教えたらいいのか非常に困るんですが,私の方の一般情報処理教育の観点から言えば,演習にそれほど力を入れなくても,もっと基本的なところをしっかり教えておいていただけたらという感じがいたします。ただ,学生の興味を引くためには,ある程度演習がないとだめなんだろうなあという感じもします。
それから,小・中学校での計算機を使った教育というのはなるほど結構なんですが,情報処理学会で一つだけ気になることが発表されたので質問したことがあります。立方体をある面でカットした時に,その面がどういう面になるかというのをコンピュータ上でやったら,非常にその生徒が良く理解したというんですが,そりゃ嘘だと思うんです。ブラウン管の上に立方体を切ったものを出したって,そんなものは実感がわかないし,それは先生の怠慢だと思います。むしろコンニャクでもいい,豆腐でもいいから,そんなものを本当に切って,目に見せた方がはるかに理解が良いんだというように,私は思いました。
小中高の段階では,私どもは公立小学校,公立中学,公立高校をまず前提に考えないといけないと思っています。そうすると,やはり学習指導要領というのがまず決まっているということになる。その中で今,小学校でも非常に優れたことをされています。プログラミングとかそういうことはしないで,例えば社会科の中で町の暮らし,海の暮らしということで,富山県と岐阜県が具体的にコンピュータネットワークを使いながらそれぞれの街の地図を書き,子供たちが自分で絵地図を書きながらそこから富山に渡す。富山は富山で海の暮らし,産品を持っていって,という形でやっている。ただ,それを支えているのは,実ははっきり言うと岐阜大なんですが,支えているその教育学部のスタッフや岐阜大を卒業した先生方を強制的に小学校へ持っていくなど,ある意味では非常に膨大なバックグランドの中でやられているというすばらしい実績があります。それから中学校の場合は,すでに来年から具体的に,コンピュータの論理回路の問題などをすべて「取り扱え」というように学習指導要領に書いてあるわけです。これを見ますと,中学校の二年生で論理回路だとかアンドオアノット回路だとかを教えて,パターンも教えろ,そしてアプリケーションも教えろ,と。ほぼはっきり言って,折衷型で訳がわからない。それで20時間やれという実態です。ただし,そういうように載ったということで,実は今年,京都市についても,二百何校か忘れましたけども,パーソナルコンピュータが中学校に入ります。それから,京都府においてもほとんどのところが,来年度で予算的な手当を済んで,各中学校に24,5台ずつコンピュータが入ります。これは大学の先生方のご努力により,公立中学校で情報基礎という科目でカリキュラムがきちんと明確に位置付けられたため,予算措置ができて,各学校へ入る,と。ただし,入った実情そのものや利用問題については,これは残念ながら非常に大きな問題として残っています。それから,高等学校における情報教育についてですが,京都の例をとりますと,京大へ入る非常に有名な私立の高等学校があります。そこで情報教育をやろうかと真剣に先生方が中心になってやったわけですが,コストの問題,スタッフの問題を考えた時に,「京大に入れるんだったら,これはいらない」ということになった。ただ,やはり情報教育が必要だということを思って,そこの先生方も真剣に考えたわけです。ただ,私学の営業問題を考えると,京大へ入れるほうが先決だということになった。また我々も公立高校ですから,国公立に何人入れるという実態があるわけです。そういう中で,コンピュータに関する普遍的な基礎教育が情報処理教育に必要だということを,本当に我々はわかってるんですが,今の大学受験の制度から考えた時には,そんな普遍的ななんて言ってられないのが,はっきり言って実態であります。だから,そこら辺も踏まえて考えないといかんのではないかと思います。もっと言えば,教師そのものの採用試験に,コンピュータをのせろということを,僕も10年前から京都府に大分言ってはいるわけです。ところが現実的に,京都の教育委員会でそれだけのことをきちんと出題するだけのスタッフもいないわけです。商業の場合,少しは採用試験の中にそういう問題があるんですが,実際として馬鹿みたいなことをやっている。だからといって,情報処理教育を教えられるかというと,そんなことはない。もっと言えば,小・中学校の先生方の採用試験で,そんなものは全然ないというのが,まあ実態ではないかと思います。
情報社会は,めまぐるしい進展を続けている。このような中で教育界は,あらゆる方面からこれに対応,順応でき得る人材を育成するよう求められている。社会の要請は,もはや専門技術者の養成にとどまってはいない。コンピュータはだれもが扱う道具であり,情報処理は,ヒトの日常的活動の一部であるとされる今日においては,情報処理やコンピュータについての教育が,国語や算数と同じようになされることが強く求められているのだ。このような社会からの要請を受けて,1993年度以後,小・中・高校では,『情報教育』が本格的に実施される予定である。しかしながらこれに関して,どのように,何をすればよいのかは未だ明確にされておらず,これを指導できるとされる教員の数は,全体の6.6%でしかない。こういった状況の中にあって,現場の先生方からは苦悩の声が聞こえる。小・中・高校における『情報教育』,果たしてどうすれば良いのか。
大角義和(自営業)足立隆弘(大阪東芝システム機器)南哲明(大阪東芝システム機器)堀内彰一(大阪東芝システム機器)佐々木明夫(総合システムサービス)松木光造(高電社)高橋信幸(東宇治高校)戸田和樹(東宇治高校)杉村秀一郎(東宇治高校)伏見和雄(アドバンテスト)藤野智正(茨田高校三年)増田豊(茨田高校三年)岩男充晃(両洋高校)浜本賢一(京都学園高校)早見夏樹(東宇治高校)磯辺毅(正強高校三年)伊藤博(神戸市役所)森田行俊(京桑整・接骨院)他
敬称略 順不同