このたび京都コンピュータ学院創立25周年をお迎えになりまして誠におめでたく,心からお祝い申し上げたいと思います。この25年間に2万人以上の方々がこの学院を卒業されまして,社会の情報化のために活躍しておられるということをお聞きしまして,同じコンピュータ関係の教育に携わる者といたしまして,誠にご同慶の至りでございます。
さて,一口に25年と申しますと長いようでもあり,また短いようでもありますが,今の日進月歩のコンピュータの世界でおきますと,これは非常に長い時間だと,こう思うわけであります。
コンピュータの歴史をひもといてみますと,アメリカでリレー式のコンピュータが出来ましたのが1944年ということでございます。真空管を使ったコンピュータENIACが出来ましたのが1946年,世界最初のストアードプログラムのコンピュータEDSACが使われましたのが1949年ということで,39年前のことでございます。
わが国ではどうかと申しますと,第2次大戦の敗戦のために研究が遅れましたが,1952年にはリレー式の計算機が開発されております。それから1956年に真空管式のコンピュータが作られております。私どもが京大で第1号のコンピュータKDC-1を完成いたしましたのが1960年であります。この頃からメーカーでも,ほそぼそとトランジスタ式のコンピュータの生産を始めたと,こういうことになります。
それから二十数年経ちまして,今の様な個人がコンピュータを持てるというようなこういう時代にまで進歩したわけであります。それからまた,京都大学でコンピュータに関する正規のカリキュラムによる授業を始めましたのが実は1961年でありまして,私が数理工学科で計算機設計論,プログラミング理論,数値計算法というようなコンピュータのハードウェア,ソフトウェア,アプリケーションに関する科目,実験実習を始めたのでございます。その時,学生諸君の実習に使うための計算機を手にいれるのに,たいへん苦労したことを今でも思い出します。それから2,3年後だと思うんでございますが,初代の学院長でありました長谷川繁雄さんがコンピュータ学校を始められるという話を聞いて実に驚いたのでございます。大学でやっと正規の授業を始めて間もない時期に,しかもわが国ではコンピュータは特別の限られた人々しか使えないというような時代にコンピュータ学校を始めるとは,ということで,たいへん驚いたわけでございます。しかし,その後のコンピュータの発達,普及とそれから今日の学院の発展をみます時に,その先見の明と申しますか,慧眼に敬服させられるわけであります。いろいろとご苦労が多かったことと存じますが,とにかく開校されまして,それから今日に至るまで非常な発展を遂げて来られたわけであります。この間,初代の学院長が亡くなられましたことは,誠に哀惜の念に耐えないところでございますが,その悲しみを乗り越えて,今日まで驚異的な学院の発展を遂げて来られましたことを心からお慶び申し上げる次第であります。
更に,国内にとどまらず,海外にまで発展しようとしておられますことは,誠に敬服するところであります。どうかこれを機会に,京都コンピュータ学院がますます発展されまして,多数の人材を育成され,また研究所も充実されまして,情報化社会の一層の発展に寄与されますことをお祈り申し上げまして,私のお祝いの言葉とさせていただきたいと思います。
本日はどうもおめでとうございました。
上記の肩書・経歴等はアキューム18号発刊当時のものです。