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Accumu Vol.11

学院を廻るアルティザンたち 映像作家 石橋義正

石橋義正

かつてスターウォーズを7回も見て,映画を作りたいと思った一人の少年がいた。その少年の名は石橋義正。2002年の今,石橋義正という名は,日本映画の現在を語るキーワードの一つとなっている。石橋氏は,京都市立芸術大学在学中から映像製作を本格的に始めた。「CR製薬株式会社」という作品で受賞もしているが,当時は,如何にして社会との接点を持つかに悩み,表現すべきテーマ探しをする時期であった。しかし英国王立芸術大学(RCA)への交換留学が,大きな転機となる。「社会の役に立とうなんていう,おこがましいことは考えるのはやめようと思いました。社会にはいろいろな人がいて,何をやっていたとしても,お互いに影響しあいながら,生きているわけですし,だったら,自分の欲求に正直に,やりたいことを好きなようにやれば,いいじゃないかと思ったわけです。一人でも作品を認めてくれる人がいればいいと思いながら,一本の映画を撮り始めたんです。」

「狂わせたいの」という60分のモノクロ映画。留学中,英国人の「日本」のイメージが,時代劇や,アニメの世界にしかないことに愕然とし,自分の育った「昭和」を背景に作品を撮りたいと思ったという。この作品にはつげ義春や,黒澤明の作品からの引用がなされ,「昭和」へのオマージュに充ちている。しかもバックに流れるのは,金井克子や山本リンダなどの昭和の歌謡曲。「昭和の歌謡曲には,好きだったら,好きだとしかいわないストレートさがあり,そこに惚れた」と言う。この映画のドラマツルギーは,関西風お笑いの王道,「ボケとツッコミ」である。ストーリーが特にあるわけでもない。一人の冴えない男(ツッコミ)が,様々な女性(ボケ)に翻弄されるばかりである。石橋義正氏は,生粋の関西人なのだ。「狂わせたいの」は,プロの俳優は一切使わず,600万円という低予算で製作された。しかし熱狂的なファンを生み,現在でも上映会が各地で開かれるなど,大金をかけずとも人を集めうることを示した点で,画期的な作品である。石橋氏はこの作品により第八回日本映画プロフェッショナル大賞新人監督賞に輝いた。


石橋義正

石橋氏は,自らを映像作家と呼ぶ。映画づくりのほか,映像パフォーマンス集団キュピキュピを結成し,ライブなどの活動も行っている。サイケな映像,特撮怪獣風の被り物,フェロモンを撒き散らす女性etc。キュピキュピの生み出す幻想世界はどこまでもポップである。堅苦しい日常生活で硬直した体の関節ひとつひとつを外されていくような感覚になる。フィッシュヘッドという半魚人のようなキャラクターが,埠頭で釣りをしているだけの数十秒の映像作品。釣りをする半魚人? 「そんなあほな」という気力さえ奪い,見る者を脱力させる。

石橋氏はさらにTVの世界にも進出する。「バーミリオン・プレジャー・ナイト」という深夜番組。その番組の人気コーナーに,白い歯を出して笑う三体の西洋風マネキン人形に,コテコテなギャグを語らせる「フーコンファミリー」がある。この作品はニューヨーク近代美術館でも上映会が開かれ話題となった。また「スターシップレジデンス」という作品では,宇宙船の1階には自堕落な生活をするラリった女性たちが住み,2階には苦学する貧相な「ヨシオ」というエイリアンが住むという設定のコントラストだけで笑える。

石橋作品は記憶によく残る。どんな馬鹿げた内容であっても,細部にまで神経を行きわたらせ,徹底して画面構成にこだわっているからこそ,石橋氏の映像は,脳髄に刻み込まれる。そのこだわりに石橋作品の魅力の源泉がある。


石橋義正

石橋氏は,1995年から1999年まで,京都コンピュータ学院鴨川校で,「ビデオ編集」や「映像グラフィックス」などの講義を担当し,学生指導にあたってきた。多くの学生が影響を受け,なかでも鴨川校コンピュータアート科に在籍していた田村圭史郎という学生は,石橋氏の生き方に共鳴し,本学院卒業後「石橋プロダクション」に入社,映像助監督を務めることになった。現在,田村氏は,石橋氏と二人三脚で,アート活動を行い,来年には自らメガホンをとり映画を撮影する予定である。

授業というと単位をとる目的で受けるもの,人生の転機になんてなり得るはずがない‥‥たいていの日本の学生はそう思っているのではないか。だが,田村氏においてはひとつの授業が人生の転機となった。これは日本の教育界全体では稀有な出来事に映るかもしれない。しかし,本学院では,よく聞く話である。

石橋氏の描く映像世界は,過剰な感情に満ちている。しかし氏の印象は,どこまでもストイックである。気晴らしによる感情の発散を自らに禁じ,大柄な肉体に全ての感情や感覚をため込んでいるかのような雰囲気を漂わせている。如何にして自らのイメージを効果的に画面に定着させるか,常に計算しているようにも見える。その印象を,映像助監督になった田村氏にそのままぶつけてみた。すると「ええ,ぼくらは,日常生活で感情を発散させることはあんまりないですよ。全部作品に投げ込んでしまいますから」との答えが返ってきた。「ぼくら」という言い方が印象的であった。

(アキューム編集部 湯下秀樹)