イラストレーター&CGデザイナーの今崎寛之氏。コンピュータ関連書籍や楽譜など(技術評論社,宝島社,ドレミ楽譜出版社等)のカバーイラストを数多く手がけているので,どこかで氏の作品を見かけたことのある人も多いだろう。またFlashを使用したベネッセコーポレーションの中学英語教材のキャラクターデザインを担当したり,JustNet等企業向けキャラクターデザイン,全日本中学校バレーボール大会のポスターなども手がけるなど,現在,幅広く活躍をしている。
今回,今崎氏を取材するために,氏が同年代の若手アーティスト達と開いた展 覧会の会場に赴いた。今崎氏の案内で,「wool 100%」と銘打たれた展覧会の会場を見て廻った。この展覧会に集められた作品は,どれもポップなものであった。街の通りの光や風を受けて,自然と生まれ出たような軽やかな作品が多い。今崎氏は,はにかみながら,「大文字で書かれる『芸術』とか『アート』というのは,苦手ですね。今でも自分のことをアーティストとは思っていません」と言う。今崎氏の作品にも,親しみやすいポップなものが多い。その作風の由来を氏に尋ねた。「特定の人から影響を受けたということはありません。ただ,自分の幼少の頃から,TVや漫画などで見てきたものが自分の中に沈殿しており,表現する際にそれが自然と出てくるのだろうと思います。」かつて漫画やアニメなどを,「サブカルチャー」と呼び,「カルチャー」から分類する見方があった。しかし,幼少の頃から,TVアニメなどに親しんだ世代にとっては,そうした分類自体,ナンセンスなものに違いない。生活に密着したアート,多くの人々から愛着されるアートが,日本のストリートから生まれつつあることを感じさせる展覧会だった。
小学校の頃には,クラスに一人や二人,絵を描くのが上手い児童がいたものである。今崎氏の場合は,友達とか先生などの似顔絵を描いたりして,皆に見せていたという。ウケルと,それが楽しくて,また描く。しかし今崎氏は,自分の絵を先生などから誉められることは望まなかったという。「美術部などには,あえて属そうとは考えませんでした。絵を描くということは僕にとっては生活の一部であって,一番自由を感じられるもの。その存在が壊れてしまうような気がしたんです。」「評価とか競争が怖いという訳ではないんです。ただ,それらに固執してしまいそうな自分を想像するのが怖かったんです。」
今崎氏には「Bucycle」という作品がある。大抵の今崎氏の作品は,親しみやすいものなのだが,この作品は,少し異質である。「Bucycle」では,徹底した完膚なきまでの描写力で,対象を描いている。その描写には,作者の悪意さえ感じられる。見方によっては,醜悪なのだが目を離すことができない。「きもかわいい」という語を当てはめてみたくなる。おそらく,小学時代の今崎氏は,こんな風に友達とか先生の似顔絵を描いていたのではないかと思わせる。氏にとって,「Bucycle」に連なる一連の作品は,描きたいものを描くという純粋な欲求そのままの表出であるといえるかもしれない。今崎氏は,照れながらも「Bucycle」には,愛着を感じると言った。
今崎氏は,滋賀県立高島高等学校卒業後,大学の経済学部に進学した。芸術系大学への進学は一切考えなかったという。大学時代は,友人と遊んだりして,ごく普通の大学生として過ごしていたという。「大学卒業にあたり,就職活動を始めたのですが,どうにもしっくりこない。自分の将来像が見えてこなかったんです。このままではいけないと思い,自分には何があるのかを真剣に自問自答した結果,出てきたのが,絵を描くことだったんです。」
今崎氏は,「自分の表現したものが,他人に喜ばれるようなクリエイティブな仕事をしたいと思い,もう一度,一からデザインの勉強をしようと思いました」という。その今崎氏が選んだのが,京都コンピュータ学院コンピュータアート科のCGアート専修だった。今崎氏は,アート・デザインの勉強においては,自主性が重要であるという。「学院時代に,周りの学生を見ていて,才能があるなあと思う人も多かった。ただ,同じような絵は描けるが,現状に満足してしまっているような場合もあった。そういうときには,そのことを伝えて真剣に議論したこともありました。」
今崎氏にとっては,学院での生活は,正に真剣勝負の場であったといえる。勉強になった科目はと尋ねると,迷うことなく「プレゼンテーション技法」という回答が返ってきた。「この授業は,とにかく実践的だったんです。実際の仕事でこういうシチュエーションが出てくるだろうと思えるような例が多かった。例えば,ディズニー映画を授業で見せられるのですが,人の目の動きを計算して,シーンの切り替えがなされており,そこには法則があることなどを学べました。効果をより大きくするためにどのようにしたらよいかを考えるきっかけになりました。」
学院卒業後,今崎氏は,マルチメディアコンテンツ制作会社に入社し,CGクリエイターとして3Dのデータ素材集の作成などを行っていた。ただ,CG作成以外の仕事も多く,徐々に本来の自分の希望であるイラストレーターとしての仕事をしたくなってきた。2年ほど勤めた後,子供が生まれるのを契機に独立を決意した。その後,「東京キャラクターショー2001」で入選を果たすなど,今崎氏の本格的な活動が始まった。
前述したとおり,今崎氏は,多くの企業と契約をし,CG作品やイラスト作品を制作している。クリエイターとして,自らの表現したいものと,クライアントである企業の要求の狭間で悩むことがあるのではないかと質問をしたが,今崎氏は,きっぱりとそうしたことはないと否定した。「僕は先にも言ったとおり自分のことをアーティストであるとは思ってないんです。イラストレーターである以上,クライアントからの要求があり,それに応えることはプロとして当然のことなんです。そこがこの仕事の醍醐味だと僕は感じています。クライアント側から意見を求められることもあるし,僕のほうから提案を出すこともあります。より良いものを世に出す為の共同作業にやりがいを感じます。その過程で得るものはとても勉強になりますし,新しい発見を与えてくれます。」
デザインの世界はめまぐるしく流行が入れ替わる激しい競争の世界である。現在のところ,氏が活躍するフィールドでは,3DCGを活用する人はまだまだ少ないという。しかし,常に新しい人が出てきて,新しい流行が生まれる。現在,3DCGの世界では,ゴツゴツとした感じを滑らかにし,リアルな「厚み・匂い・温かみ」をどれだけ出せるかが課題になっているという。また技術的な進歩が速いので対応が大変であるともいう。そうした時流の中にあって,今崎氏は,「流行に左右されない独自の路線を貫いていきたい」「自分としては,絵としての完成を目指したい。あくまでもイラストレーターであることにこだわりたい」という。
しかし,それは自分の狭い世界に凝り固まることは意味しない。「自分の仕事は,ジャンルやターゲット層がある程度広いこともあり,あらゆる分野からの情報をキャッチできるようにと心がけています。またグループ展などに参加して,様々なジャンルの作家さんとの意見交流などもしています。日常触れるすべての事柄が,自分にとっては勉強ですね。」イラストレーターであることを基盤として,氏はさらに新しい挑戦も考えている。子供が生まれてから,転機があったという。まずは,「おかあさんといっしょ」のクレイアニメーションなどを見て,イラスト以外に動くものをやってみたくなったという。動くものに挑戦し,今後はTV関連の仕事もする予定だということである。
最後に,アート・デザインの世界を志す後輩にメッセージをとお願いすると,今崎氏は,暫く考えた後,自分自身に対する決意を表明するかのように,「自分のやる気を持続させることがとても大切だと思います。自分の狭い世界に安住するのではなく,自分の素質の良い部分をさらに発展させていきたいですね。」と言った。