京都コンピュータ学院は今年で創立25周年を迎えました。この時にあたり,過去25年間を振り返り,京都コンピュータ学院の歴史を飾って来た数々の頁をひもときながら,その時の教育思想に思いを馳せ,その中で京都コンピュータ学院のアイデンティティを探ってみようと思います。
まず,歴史の第1頁はその起源です。
1963年,今から25年前,コンピュータの草分け時代,私達コンピュータ応用の若手学者グループがIBM709/7090 FORTRAN研究会を結成し,それが今日の京都コンピュータ学院の源であります。
当時はまだ,コンパイラが通る国産機は1台も開発されていませんでした。
その後,1965年,東京大学大型計算機センターが設立され,コンパイラを持つ初めての国産コンピュータが誕生し,それを機会にFORTRAN研究会を京都ソフトウェア研究会と改め,言語のみならず,各種アプリケーションの研究と,それと同時に大学のコンピュータ応用学者を対象とした各種講習会を多々開催いたしました。
どこの大学にも,まだ情報科学科,情報工学科が設置されていなかった時代,そしてまた,どの書店に行っても,コンピュータ関係の参考書が見当らなかった時代です。
この講習会には京都大学のみならず,関西各大学の研究者,また民間企業からも研究者が続々参加してその評判は大変なものでした。
その後まもなく私達は,やがて来るであろう情報社会を予知し,プロとしての情報処理技術者の育成を私達コンピュータパイオニア達の社会的・時代的責任として捉え,この講習会を高卒者を対象にした全日制京都コンピュータ学院へと移行させていったわけです。
その時一番苦心したのはカリキュラムの創造です。
何しろ専門職としての情報処理技術者というのは皆無だった時代なのです。
私達は,全て学術研究者であったため,手掛け始めた情報処理教育の内容を,単価・数量・金額等という処理からスタートさせていこうなどということは誰一人の口からも出ませんでした。理論の裏付けのない技術はメッキの様なもので,プロであるからには,10年20年の風雪に耐える技術者を育成せねばならない。そのためには,当然理論の勉強は無視出来ないわけです。理論を無視しない本格教育は,創立以来今日まで一貫して貫いて来ております。
歴史の第2頁として重要なのは,1972年,東芝の好意によるTOSBAC 3400の導入でした。
当時,京都大学数理解析研究所で稼働しており,科学技術用計算機として,その高速性と,また中型機ながら大型機の性能を持つことで評判の機械でした。この内部システムは殆ど全て,今日ご出席の,京都大学情報工学教授の萩原先生が完成されたものでした。土地は借地で,校舎はバラック建て,しかし計算機室に堂々と設置されたTOSBAC 3400を前に,これで本物のコンピュータ教育が出来るのだと,私達はどんなに誇らしく,喜んだことでしょう。
この3400は学生の実習用として自由に使用すべく開放されたのですが,これは全国的に見て異例の現象でした。この頃にはいくつかの大学に計算機が導入されていましたけれども,これらのコンピュータは,全て学術論文完成のための研究用としてしか使用出来なかったわけですから,実習だけのためにこれだけの機械を開放したということは,異例の現象でした。
各企業から時分割で有料使用させてほしいという申し出が多々ありましたが,これを全部断って,学生の実習だけのために,1人当りの使用制限時間を設けることなく,またエキストラ・チャージをとることなく,無制限に使用させたことの効果ははかり知れないものがありました。
「勉強」とは自ら学び,主体的に知識・技術を勝ち取ることだという大前提があります。全学生に自由に開放された自ら学ぶ「自由実習」の過程で,より一層の技術向上が実現するのは当然の現象ですが,単なる技術習得を超えた技術者にとって最も大切な創造性が培われたわけです。今日,出席されている卒業生のうち,既に部長・課長クラスになっている人達は,まさにこの時期に自由実習によって切嗟琢磨した人達なのです。
この「創造性」の育成こそ,京都コンピュータ学院が最も力を入れている教育の目標です。
歴史を飾る第3頁は,1976年,本学院のシンボルとなったUNIVAC 1100 TSSシステムの導入と稼働でした。
当時,TSSが稼働していたのは全国,国公立私立あわせて十指を数える程で,いずれもが研究用であり,全国どの大学よりもいち早く,勿論専修学校としてもトップを切っての学生実習用TSS稼働でした。
確かに学生に対して,こういう風なトップレベルの機械を実習用として使用させるのは贅沢だったかもしれません。しかし,単なる職業技術訓練校でなく,トップレベルのコンピュータ技術教育を目指す以上,教員の研究のためにも,また学生の技術向上,才能開発のためにも,どうしてもこの超大型機を導入したかったのです。
何故なれば,超大型機にはその時代のソフトウェア・ハードウェアの技術の粋が結集されているからです。その時代の超大型機は,その時代の全てのコンピュータの上に常に君臨する「帝王」であることに変わりはありません。
この機械は教育における様々のメニューをどんどん消化して使用されましたが,同時にその副次的効果にすばらしいものがみられました。学生達に夢と刺激,問題意識と時代センスを与え,それらは全て明日の力を創造する潜在エネルギーとなって学生の内部に蓄えられていったのです。
まさに本物の教育というのは,そこで知識,技術を教え学ばせるだけでなく,未来に向かって燃える火種を在学中に学生の内部に投入することではないでしょうか。
歴史の第4頁,これは1983年,創立20周年記念企画として,東芝のパソコン3000台が導入されたことです。この頃には京都の各地に京都コンピュータ学院のビルや計算センターが続々と新築されていったわけですが,今日はこれには言及いたしません。
まだパソコンブーム到来の夜明け以前でした。そのブーム到来に先立って,無料貸出制度により,学生に1人1台パソコンを自宅所有させたのです。東京大学,京都大学の先生方から,「とても国立大学では実現出来ないことだ。瞠目すべきすばらしい企画」と羨望のうちに絶賛されました。その後,アメリカ・カーネギーメロン大学で情報系の学生に1人1台所有させたというニュースが新聞記事に載っておりましたが,少なくともこの実践は世界のトップを切って行われたわけです。
一方で時代を代表する超大型機を設置し,学生に憧れと刺激を与えながら,一方ではパソコンを自宅に置かせて,自分の肌の一部としてコンピュータに慣れ親しむ-当時のコンピュータ業界のより大型化への指向と,より小型化への指向という二大潮流をそのまま情報処理技術教育の中に吸収したのです。
この頃になるともう企業内では,社長,重役,それからまた,管理職にどんどんと技術系の人間が登用され,情報処理技術者といえどもその例外ではありませんでした。
社員の信頼に値するだけの人格,対外的にみても恥ずかしくないだけの人間としての教養が要請されます。創立20周年を記念して,日本の文化・芸術を代表する人々による文化講演会・音楽会を開催し,学生の知性・感性の涵養を図ろうという企画がカリキュラムの中に取り入れられました。
次いで今年,1988年,創立25周年にあたり,3大企画が実行されました。
まず,鴨川校の校舎が新築されたということ,それからその次は情報科学研究所の設立です。コンピュータの進歩発展は日進月歩という域を超えてもう既に秒進分歩に近く,技術革新の総決算になるであろう21世紀を前に,このままでは京都コンピュータ学院といえども力不足で空中分解してしまうのではないかという危惧の念に取りつかれ,学院独自の研究機関をもつ必要性を痛感,私の京都大学時代の恩師ですけれども,当時金沢工業大学情報科学研究所の所長をしておられました上野季夫先生をお招きし,京都コンピュータ学院内に情報科学研究所を設立いたしました。これから一層の充実を図って行く所存でおります。
創立25周年を記念する事業としての最も大きな企画は,国際化時代に対応したアメリカ・京都コンピュータ学院ボストン校の設立と国際情報処理科の誕生です。
本日皆さんにお渡しいたしましたボストンキャンパス用パンフレットにボストン校設立主旨を書いておりますが,京都コンピュータ学院ボストン校における研修の一番大きな目的を,異文化体験においたところに当学院ならではのユニーク性があるのです。
勿論,マッキントッシュによる画像処理ゼミナールをカリキュラムに入れてはいますけれども,研修の目的はパンフに載っている通り,世界コンピュータ界の展望と動向を広くダイナミックに捉える国際的視野の育成,異文化に対する深い洞察と広やかな理解に基づく国際感覚の育成であります。
国際社会から今,日本に課せられている社会的・時代的課題と責任を,情報処理技術教育という立場において捉え,「国際性豊かな情報処理技術者の育成」を新しい教育の方針として打ち出したわけです。
今年PC9800を約200台近く導入いたしました。PC9800を本部計算センターUNIVACと連結させ,ターミナルとして使用するシステムがほぼ完了しております。
ボストン校にはボストン情報科学研究所を設置し,PC9800をターミナルとして,百万遍センターと国際オンラインで連結させる計画が着々と進められております。
教育は元来一番保守的なものとされていますけれども,少なくとも情報処理教育に関する限り,革新的なものでなければならないと考えます。「革新」は決して現存するものの破壊でなく,現存するものを包括し,揚棄した新しい創造です。
私達学院が,常に教育の創造を模索し,次々と実践に移していけたのは,京都コンピュータ学院が私立の専修学校であったからこそ出来たわけです。専修学校だからこそ,ユニークな教育が自由に実現出来たのです。文部省の統制に拘束されることなく,自由に独自の構想でカリキュラムを組み,独自の方針で機械設備を整えていく。いずれの資本家にも依存せず,資金は全て学生の授業料だけで賄い,外部のいずれの機関にも隷属することなく,独立独歩で高い理想と,強い信念の下に,より良き情報処理教育を創造して来た真実一路の道程は,どのように大変だったことでしょう。
しかし,過去25年間に学院より2万5千人の卒業生が巣立って行きました。
これだけの人的資源の情報社会への供給を,一体日本のどの教育機関がなし得たでしょうか。
今日の日本コンピュータ業界の繁栄を,情報処理技術者育成という基本的な最も重要な部門で支えて来た京都コンピュータ学院の伝統と実績において,私達は最高の誇りを持っております。
25年の歴史の軌跡の中で,京都コンピュータ学院アイデンティティが浮き彫りにされてまいります。
まず,●本物指向の精神,●創造性と明日に向う力の育成に対する情熱,●未来に目を捉え,世界に目を拡げ,絶えず教育の創造を模索する思考態度,●情報処理技術を核にした今日的な課題に応える全人教育へのチャレンジ精神,●社会のニーズを適確に捉え,時代を先取りした教育企画における決断とその実行の敏速性,これらは全て「明日を担う創造性豊かな情報処理技術者の育成」という京都コンピュータ学院教育理念を現実化していく精神構造であり,これこそ京都コンピュータ学院アイデンティティとして誇れるものなのです。
今の日本全国の私立教育機関を眺めてみますに,その私学独自のアイデンティティを持ち,これを貫いている果たしていくつの私学が存在しているでしょうか。私立大学の殆どは,国公立の文部省サイドのアイデンティティに近似した所で自らのアイデンティティを持とうとし,個性を失い,日本教育界の画一化を生んでしまっております。しかし,慶応,早稲田,同志社等,名門私立大学にはそれぞれの私学独自のアイデンティティが存在しています。慶応には福沢諭吉精神,早稲田には大隈重信精神,それから同志社には新島襄の精神が脈々と生きています。
創立25周年を迎えたこの時期にあたり,今まで無意識の中で感覚的にぼんやりと捉えていた京都コンピュータ学院精神を,今こそ明確に意識の下で確認し,京都コンピュータ学院アイデンティティを発展させていく時,京都コンピュータ学院はすばらしい私学として発展すること必定です。
皆さん個人一人ひとりの中に自己アイデンティティがあり,その中に日本人のアイデンティティが浸透しているのと同じ様に,京都コンピュータ学院アイデンティティは皆さんの中に浸透しております。
この京都コンピュータ学院アイデンティティにおいて卒業生,在学生,教職員が一体となる時,京都コンピュータ学院はどんなに社会の中で力強い存在となることでしょう。
学院のカリキュラムを通して,設備を通して,また講義を通して,皆さんの中に,明日のために投じられた火種を皆さんの自分の人生航路において燃やし続けて行ってください。その時,京都コンピュータ学院は皆さんの内部において生きるのです。
その時燃える炎こそ京都コンピュータ学院魂と言えるものでしょうし,それが燃え続けている限り,京都コンピュータ学院は永遠の生命を持って生き続けるのです。