25年前,私は京都に1年間滞在して学校教育の調査をしました。それはとても充実した楽しい日々でした。私は朝早く起き,自転車に乗って学校へ行き,一日中先生たちや生徒たちを観察して過ごしました。その経験を基にして,私は日本の教育を称賛する本を1冊書きました。――しかし当時は,日本国内でも,また海外においても日本の教育を高く評価する人はいませんでした。後には,日本の教育について,多くの日本人がより否定的になるのとは反対に,海外の研究者たちは高く評価するようになりましたが。本日,私は一外国人として,日本の教育についての私の考えをお話ししたいと思います。この機会を与えてくださった京都コンピュータ学院に感謝します。同時に,あの素晴らしい経験をともにすることができた,先生たち,生徒たちをはじめとする京都市民の皆さんに感謝します。
私が日本を離れた後,多くの変化が起こっています。まず,80年代の好景気がありました。1990年にはアメリカを抜いて,日本が世界経済をリードするはずでした。しかし,その時バブルがはじけたのです。その後,13年が経過しましたが,未だに誰一人として日本の経済不況について,明瞭な分析にも,またその脱出策にも達していません。
日本の教育に弱点があるから,経済がうまくいかないのだと言う人もいます。だから,教育改革を求める声が上がるのでしょうか。実際,国家予算のかなりの部分が教育に使われているのですから,こうした声が高くなるのも当然かもしれません。ところで,実際のところ,過去10年の間に日本の教育に多くの変化があったのでしょうか? あるいは,今後多くの変化が期待できるのでしょうか? いや,実際のところは,私のタイトルが暗示しているように,現行の教育システムはかなり良いものではないのでしょうか。だとすれば,なぜそれを改革しようというのでしょう。
日本における近代の教育改革については,明治初期の第一次教育革命,第二次大戦後の第二次教育革命,そして来るべき第三次教育革命の三つを強調する,標準的な見解があります(天野,1997)。これは,上からの大規模かつ包括的な改革を強調する一方で,それ以外の多くの変化の重要性を減少させるものです。
第一次と第二次の教育革命が可能であったのは,経済,政治そして文化の面においてそれぞれビッグバンが起こったためであり,こうした条件の不在が,第二次革命以後に劇的な改革が起こっていないことを説明する理由となっています。とはいえ依然として,日本が将来,他国と肩を並べてゆこうとするなら,日本の教育には重大な変革が必要であるという信念は消えませんでした。80年代の初め,自民党は際立って精力的な首相,中曽根康弘氏を選出しました。彼は教育を含む多方面の分野に,自らの足跡を残すことに努めました。文部省の中央教育審議会に主導された,それまでの戦後改革とは対照的に,中曽根首相は直結の諮問機関として,臨時教育改革審議会を発足させました。この審議会は,より自恃の心をもち,自立した,個性的な新しい日本人の育成という要求に焦点を絞って,教育の目的の議論に多くの時間を割きました。哲学的な新しい方向付けの提案とともに,審議会は,多くの専門部会の提案した種々の個別的改革を認可しました。これらの改革はその後,文部省の役人や他の教育団体の主導で,徐々に実行されてゆきました。
審議会は多くの改革案を提案しましたが,その中には週6日制から5日制への移行,中等教育においてカリキュラム上の選択の幅を広げること,そして大学の入学選考をより個性を重視したものへ変更することなどが含まれます。最後の提案によって生まれたのが,大学入試センター試験の導入と,新しい入学選考基準の設定(例えば,一芸入試,帰国子女の無試験での入学許可)でした。難関大学で入学選考が緩やかになれば,若者たちは勉強そのものに対して,また個性を伸ばすためのその他の活動にも,より多くの興味を持つと期待されたのです。
改革案は,従来の教育法が過度に教師中心であり,試験でよい点を取るために必要な事実の暗記を強調していたと,主張していました。そこで,生徒が学習内容をよりよく理解するために,より活発な学習を奨励しようと種々の改革が提案されました。その中には,クラスの人数を減らすこと,教員養成法の改良,教育内容を削減し問題解決や分析的思考により多くの時間を割くようにカリキュラムを変えること,より活発な学習を促進する教育機器(コンピュータ)の導入を支援することなどがありました。
生徒の個性の発達を促すことと,小中高校や大学の質を高めるために,学生,生徒の学習経験について,より多様であることが奨励されました。多くの大学,とりわけ私立大学は,その独自のイメージを鮮明にすることに努めました。一例が慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスです。そこでは,国際関係やビジネスマネジメントのような多様な専攻分野に情報技術を結び付けることが強調されました。新キャンパスの中央研究棟は,種々のコンピュータが大量に設置されたコンピュータ・ラボでした。他の多くの私立大学も大学独自のイメージを鮮明にするため,大胆な試みに乗り出しました。ちょうどこうした時期に,京都コンピュータ学院は修士号を出す教育機関として認められました。この特典が認められた,日本で最初の私立専門学校です。
戦前の日本における中等教育,高等教育が労働市場と緊密に関連していたのに対し,戦後の教育改革は普通高校の数を実業高校以上に増やし,また,四年制の一般大学を,特定の職業教育を行う専門的な学校以上に増加させました。その結果,80年代までに,全高校生の80%近くが普通教育を受けるようになりました。専門的な学校のほうも数は多かったのですが,それらの学校は,普通教育の学校と異なり,中高の卒業生にとって最終学校とみなされていました。他方で,経営者たちからは,専門的な職業訓練を受けた新入社員を望む声がどんどん高まってきました。
こうした職業教育の地位の低さの理由の一つは,その教育がデッドエンドであることが多いという点にあります。つまり,こうしたコースを選んだ人には,卒業後何年か働いた後で,さらに高度な勉強と上位の学位を求めて,上級学校に再入学することは難しかったのです。前述の経営者側の要求と,一般大学の卒業生が就職にあたって困難にぶつかるという現実の両方に対応するために,80年代半ばより,職業教育の魅力を増すための種々の改革が実施されました。実業高校と公立の高等専門学校(中学を卒業した後の5年間のコース)を支援するための予算が増やされました。また,これらの学校の卒業生が特定の大学の学科に入学あるいは転入してその勉強を続けることができる制度が導入されました。さらに,90年代の後半には,政府は特定の専門学校に対し,大学院のコースの設置を認める可能性を議論し始めました。京都コンピュータ学院は,このチャンスに挑戦した最初の学校であり,ここにいる皆さんは,学院のこの挑戦はきっとうまくいくだろうと確信していることと思います。
最後のテーマは,世界に通用するレベルの研究を増やすための,大学における研究活動の質の強化です。学術研究のための財源が増やされることになりました。日本人研究者と共同研究を行う海外の研究者を招聘するための新制度も提案されました。さらに,大学の研究者たちが企業の研究所の人々と共に経済的価値をもつ新しいアイデアの開発に携わることを容易にし,それによって,来るべきグローバルな知識経済社会において日本の競争優位性を増すための方策も提案されました(カミングス,1994)。
多くの改革案が賛同をもって迎えられました。そして,日本の教育の最近の発展については,多くの賞賛の言葉が与えられるでしょう。しかし,こうした変化は,日本の教育が本来コントロールできない深部のメガトレンドの中で起こっていることを理解することも大切です。
第二の教育革命の時代には,日本の労働力の過半数は農業に従事し,2軒に1軒の家庭は大家族でした。日本文化の基本となる多くの信仰,習慣はこの農業時代を,あるいは少なくとも多世代同居の家庭という家族構成を反映しています。しかし,経済発展と都市化によって,日本はこの伝統的パターンから遠く離れてしまいました。今日,労働力のわずかに4%が農業に従事し,多世代同居の家庭は10%を切っています。大半の家族は核家族となり,家族構成の平均は4.1人です。
多くの子供たちにとって,現在の家庭の状況は伝統的な家族と大きく異なっています。子供は一人にしておかれることが多く,両親,祖父母,あるいは兄弟とさえもめったに接触しません。学校教育の支えとなる家庭教育は,都市化の進行する中で大いに弱体化してきました。変貌する家族構成が,間違いなく個人主義へ向かう傾向を助長しています。しかし,社会評論家たちは,このアトム化された生活様式によって促進される個人主義は,教育の改革者たちが支持する個人主義とは違うものではないかという懸念を抱いています。
都市化と小さくて高価なアパート,そして上昇する教育費を含め生活費全体の増加は,結婚と出産に劇的な影響を与えてきました。若年層は,1972年と1999年の間に,人口比率で43%から28%まで減少し,2015年にはたったの24%になるだろうと予測されています(内閣府,2001)。
現在,高校は180万人の卒業生を送り出しています。2015年までに高校卒業生は140万人以下になると推定されています。高校卒業がより厳しくなってきているからではなく,単に高校生の数が減りつつあるという理由からです。大学等の高等教育機関の定員数は,受験資格者の総数とほとんど同じか,あるいはその総数を超えるようになるでしょう。
過去10年間の経済不況は,失業率を現時点で5%を超えるところまで引き上げています。若者の失業率はおよそその2倍で,90年代を通じて毎年上昇しています。しかし,若者の労働市場において,真の被害者は高卒者です。たいていの大卒者は現在も仕事に就くことができています。今後15年の間に,高卒者たちは高等教育機関へ全入できるのですから,仕事を探そうとする人はほとんどなくなるでしょう。そして,全体として大卒者の数が減ってゆくとすれば,職を望むほとんどすべての大卒者は,自分に差し出された二つ三つのチャンスを見つけることになるでしょう。
以上のメガトレンドは,若者たちが今日,そして将来直面することになる社会の重大な変化を指しています。今日の若者たちは,彼らがどんなことをしようと,安定した未来をもっています。ほどほどの学業でもって,高校卒業を期待できるのです。そして,大学の門戸の広さゆえに,どこかの大学に入ることを当てにできます。そして,経営者たちが必死で新入社員を探し,かつてのようにエリート大学卒業生を特別視することが少なくなるにつれ,若者たちのほうは自分の好みにあった仕事を得る合理的な見通しをもちます。こうした環境下では,若者たちは高校であれ大学であれ,過度な勉強への強迫感を感じなくなります。勉強は,興味のある範囲内で頑張るということになるでしょう。そこで教育に突き付けられる課題は,新時代の若者たちに学びたいと思わせる環境を創ることでしょう。この挑戦は家庭,学校,地域社会,そしてメディアを含むあらゆる形の教育に広げられます。
最近の教育の「諸改革」を評価する一つの方法は,前述のメガトレンドに若者たちが対処する際の手助けになっているかどうかを見ることです。いくつかの資料は,私たちを不安にさせます。子供たちの勉強時間はどんどん減っています。内閣府が2000年に行った最新の調査では,家庭での学習に2時間以上を使う子供の割合が急減し,友人たちと遊ぶのに使う時間も緩やかに減り,1人でTVを見たり,音楽を聴いたりコンピュータで遊んだりする時間が増えています。
●80年代の中ごろから塾通いは横ばい状態になり,90年代になると塾に通う生徒の割合も絶対数も下降状態が続いています。こうした塾通いの減少傾向は,教育に対する関心の低下の証拠と見ることができるでしょう。
●以前よりも多くの子供が学校を嫌い,学校を去っています。80年代から,義務教育における不登校増加の傾向が,高校中退の傾向と並んで顕著になりました。
●いじめと少年犯罪が増えています。これらの傾向は80年代に起こり,物議をかもしてきました。多くの評論家が,変貌を遂げつつある家族構成と,強まる若者たちのエゴイズムに関連付けて考えています。この傾向は90年代中ごろまでにいくらか落ち着いてきたのですが,依然として恐ろしい犯罪は起こり,誰もが心配のあまり,今日の教育のどこに問題があるのかと尋ねたくなっているのです。
他方で,良い傾向もいくつか挙げることができます。それらの中には,基本的に最近のメガトレンドの必然的な結果もありますが,より興味深いもの,さらには私たちを勇気付けてくれさえするものもあります。
●先生一人あたりの生徒の数が減りました。
●先生の大半は有能です。
●最新のIEA(国際教育到達度評価学会)の調査は,日本の教室での授業は生徒の意欲をそそる興味深いものであると指摘しています。60年代初めの第1回目の調査以来,ほとんど全ての国際的な学力調査において,日本の生徒は高い平均点を取ってきました。第3回国際数学・理科教育調査(TIMSS)において,日本の若者はびっくりするくらい均一的に高い平均点を取りました。TIMSSの特別調査は,アメリカ,ドイツ,日本の約80クラスで,教え学ぶプロセスの綿密な観察を行いました。数学教育の視察報告が最近出版され,その中では,日本の先生は暗記に頼る教育法という世評にもかかわらず,特筆すべき進歩的な技術を使っていることが述べられています。――アメリカとドイツの先生たちが,重要点を叩き込むために反復練習の手法を使おうとするのに対し,日本の先生たちは授業の中で問題を提示し,生徒たちが自分で答えを探すように仕向けるのです。研究者たちは,日本の授業は他の国よりも興味深いもの,生徒の意欲を引き出すものであると報告しています。
●日本の大学は,そのプログラムを若者にとって魅力的なものにするため,実社会との関連をより密にするものに作り直し,教育の質的向上を強調してきました。多くの評者は一致して,大学は面白いところになってきたこと,そして学生たちは過去の数十年と比べてはるかに大学生活に熱中していると言います。
●学問上の生産性も向上しています。学問研究に対する経済的な支援の増加に呼応して,日本の学者が「科学(論文)引用インデックス」に含まれる雑誌中に載った論文の割合は非常に増えてきました―1985年のおよそ7%から1999年の12%まで上り,今や35%を占めるアメリカの学者に次いで第二位の位置につけています。アメリカの学術団体は日本と比べて数倍大きいのですから,日本の学者はアメリカの学者と少なくとも同じくらいに生産的であるといえるでしょう。
私の話のまとめとして,近代と,その近代の創り出した学校の特殊な性格をいくつか,振り返ってみたいと思います。近代以前の社会では,家族が常に大切な先生でした。家族と並んで,同年代の仲間,親戚そしてさらに広い地域社会のメンバーから受ける教育がありました。前近代の地域社会の多くは,青春期の娯楽と教育の機会を提供するために,青年団を組織していました。
初期の近代的学校の創立者たちは,こうした拮抗する影響力を意識し,それらの影響力を制限するために,あるいは,若者のエネルギーを独占して学校を一つの「トータルな社会」(ゴフマン,1962)とするために種々の方法を導入しました。
●全ての子供は基本的に通学することが求められ,子供たちが通学しなければ両親は怠慢罪で告発されることもありました。
●両親とその他の部外者は,特別な場合を除き,学校の敷地内に立ち入ることは許されませんでした。
●学校という独特環境を象徴するために,子供たちには制服の着用が要求されていました。
●学校にいる時間が長くなり,放課後も子供たちを学校につなぎとめておくために宿題が出されました。
●学校は,子供たちに学校生活への愛着を持たせるために,スポーツ,音楽その他のクラブ活動という課外活動のカリキュラムを備えていました。
●ある場合には,学校は寄宿制度をもち,部外者の訪問は禁止あるいは厳しく制限されていました。
こうした生徒を囲い込む種々の慣例に対する強調の度合いは,社会によって異なります。学校という集団への参加の強調は,国家主義的な社会や後発の社会において際立っていました――革命期のフランス,19世紀後半のドイツ,そしてロシアと中国を相手に帝国建設を賭けた戦争の真っ最中であった明治時代後半の日本のように。
一つの社会の中でも,時とともにその慣例は変わってゆきました。例えば,日本においては,中国と東南アジアへ帝国主義的な野望を拡大し始めた1930年代にこうした慣例は強められました。皮肉なことに,アメリカでは生徒を学校へ囲い込むこうした慣例は,現在,過去のどの時代よりも強化されているように思えます。すなわち,登校日数は増えていき,中には1年を通しての登校を議論する学校も出てきました。また制服が増え,課外活動が拡大し,宿題が増えてきました。
近代の学校が社会に与えるインパクトは,少なくとも部分的には,学校の持つ全体主義的性格と関係があると言われることがあります。――この素朴なアイデアは,子供たちが1年間に教室で過ごす時間数のデータを集めようというひらめきの基になってきたのです。最近のOECDの調査(表1)では,この6カ国の子供たちは実際の教室での授業に,ほとんど同じ時間数を費やしています。他方で,子供たちが塾や宿題に費やす時間数には相当大きな差があります。
また,子供たちが授業(あるいは宿題)に費やす時間数は,必ずしもその質と釣り合うものではありません。ロビン・アレクサンダーは2001年に,5カ国の文化と教育についての研究成果を報告しています。それは,小学校における授業の質についての貴重な洞察を提供するものです。
アレクサンダーの研究成果の一部を紹介しますと,(簡略化の危険を承知で言えば,)日本,ロシア,そして両国に比べて程度は低いのですがフランスの先生たちも,定まった手順に従います。授業時間の長さはいつも変わりません。時間通りに始め,時間割通りに進みます。日本とロシアの先生たちは,生徒全員に平等に注意を払い,作業に多くの時間を使う点が目立ちます。日本とアメリカの先生はグループワークをさせようとする傾向があります。共通の大陸的影響を反映して,フランスとロシアの先生たちは生徒に要求する作業が最もよく似ています。そしてまた両国の先生たちは,生徒の評価について,口頭での発表によることが最も多いのに対し,日本の先生たちは筆記試験によることが最も多いのです。イギリスとアメリカの先生たちは,授業の進め方の点でより自由であり,生徒の一人一人に多くの注意を払い,生徒の評価にあたっては創造性に重きを置く点が目立ちます。
こうした教育法の違いは,それぞれの教育環境のもつ異なる文化・伝統に関連していると,アレクサンダーは主張します。これに加えて,私たちは次のことを指摘したいと思います。ロシアと日本の教室における,より焦点を絞った計画的な教育法は,「効果的な教育の形式をもって教えられ,最善を尽くすことが許されるなら,全ての子供は学ぶ力をもっている」という先生たちの信念に由来すると。この信念は,学習は生来の能力によって決定付けられている,だから個々の生徒の能力に応じて手を差し伸べることに多くの時間を割くべきだ,というイギリスやアメリカの先生たちと対照的です。また,ロシアでは口頭での発表による評価に,日本では筆記試験による評価に強く依存するのは,話し言葉の伝統と書き言葉の伝統の名残りを反映しています。
1年間の 総授業時間数 |
家庭学習の時間の 平均値 (1日) |
補習学校に通う 学生の割合 (%) |
|
フランス | 979 | 4.9 | - |
ドイツ | 921 | 4.5 | 10 |
日本 | 875 | 2.9 | 71 |
ロシア | 945 | x | 45 |
イギリス | 940 | 5.4 | 20 |
アメリカ | 980 | 4.6 | 25 |
出典: OECD, Education at a Glance, 2001,
OECD, Education at a Glance, 2002
近代の学校が子供たちの心をとらえようと努めるのに対し,子供たちのほうは,少なくとも片足は,家庭,教会,地域社会という,学校とは別の世界においていました。都市部への人口の移動に伴い,日刊新聞や通俗本などの,学校以外からの教育的な影響力が現れてきました。1930年代からラジオは先進社会において広く普及し,ダニエル・ラーナー(1958)が注意を喚起するように,1950年代までに開発途上国においても広く行き渡り,最新のニュースを伝えることで,最も重要な教育者の一人としての役割を担ってきました。現在では,新聞とラジオはTVとインターネットに凌駕されようとしています。こうして時の進みとともに,さまざまな「先生」が増えてきました。その結果,それらは近代の学校と比較して,子供たちの教育に及ぼす影響力も増してきたといえるでしょう。
こうした学校外の「先生」たちの与える影響は,ある一つの社会の中でも異なることがよくあります。一般的に,富裕層では学校外の「先生」たちへのアクセスが増します。また,子供が大きくなるにつれて,様々な学校外の影響力へのアクセスが増えます。表2は,日本の若者をサンプルにとって,年齢による主要な外部の影響力の平均突出(自己申告)を示しています(カミングス,1987,P.25)。彼らによれば,家庭の影響力は小さい頃に顕著です。小学校低学年では学校,そして友達となり,TV,新聞はその後の段階で突出します。
現代社会では,学校の外に若者の教育に影響力をもちうる多くの「先生」が存在します。こうした学校外の「先生」は,学校の競争相手とみなされることが多いのですが,それは必ずしも正しくはありません。両親は学校の課題を仕上げる手助けの役割を果たします。さらに,特に東アジアでは非常に多くの塾が作られて,子供たちの学業やその他の重要なスキルの開発の手助けをしています。日本では,今日,学齢期の子供の5人のうち4人が,正規の学校教育の期間中のどこかで,塾に通います。公立学校のシステムも,生徒の勉強の手助けをするという点で,塾の果たすかけがえのない役割をきちんと認識しています。そうした塾は韓国でも台湾でも香港でも一般的です。両親と塾とが学校の勉強を強化するように,友人や新聞や各種のメディアもまたそうであってもおかしくありません。
現代の種々の学校を比較したとき,日本の学校は伝統的社会の影響を減少させることと学校の先生を敬うことの大切さを強調する点で,際立っていました。これは歴史的に日本の教育が成功した理由の一つです。しかし今,私たちが21世紀へと進んでいくとき,教室の先生に対する尊敬を維持する必要とともに,両親,地域社会のボランティア,友人,新聞,インターネット,さらに漫画も含めて学校外の「先生」の影響力を歓迎する必要があると私はいいたいのです。子供たちの言うことに耳を傾け,彼らの先生は誰なのかを見つけなければなりません。そしてそうした先生のすべてを受け入れる新しい学習概念を開発しなければなりません。
日本では,他の社会と同様,教育改革について政府の指導を頼りにしがちです。こうして,小泉首相の新しい政府が,第三の教育革命の道筋を示してくれることを望んでいます。政府が提案する改革は,個々の学校と高等教育機関の両方に対し自治権を増してやるから,市場原理に従えという傾向にあります。その多くの改革がイギリスモデルに頼っていることは,指摘しておく価値があると思います。こうした改革は日本に真の第三次教育革命をもたらすのでしょうか,それとも竜頭蛇尾に終わるのでしょうか。
たとえ,政府が包括的な改革に成功しなくても,先生たちは日本の教育を良くするために草の根の努力をこれからも続けてゆくと私は確信しています。先生たちにとって最大のチャレンジは,ITを含む学校外の「先生」たちをまとめて,自分たちの教える手順,生徒たちの学ぶ道筋へ入れ込むことだと,私は思います。京都では,多くの先生たちが京都コンピュータ学院の提供する特別授業により,スキルの向上を図ってこられたと思います。私は京都コンピュータ学院とかかわりを持っていることを大変嬉しく思っています。学院はITを通して教育の改革を促進し続けています。
そして,私は本日,教え方,学び方の,絶えまない改良に携わる先生たちでいっぱいの聴衆の皆さんにお話しすることができたことを大変喜ばしく思っています。ありがとうございました。
(2003年9月27日)
Amano, Ikuo. 1997. “Educational Reform In Japan,” in William K. Cummings and Noel F. McGinn., edd. International Handbook of Education and Development: Preparing Schools, Students and Nations For the Twenty-First Century London: Pergamon.
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略歴:フォード財団研究員,シカゴ大学助教授,全米科学財団専門員,ハーバード大学教授,同大学国際教育センター所長,NY州立大学バッファロー校教授,同大学比較国際教育学センター所長等を経て,現在ジョージワシントン大学教育大学院国際教育学科教授。学校教育と社会変動の問題を国際比較の視点で研究してきた日本研究の第一人者。邦訳されている主な著書は,『日本の大学教授』(至誠堂・1972),『ニッポンの学校』(サイマル出版会・1980),『アメリカ大学日本校』(アルク・1990),『アメリカの教育』(弘文堂・1992)など。