松井博也氏(情報科学科1981年卒)。現在「株式会社CSK西日本事業本部eソリューション営業部技術推進課グループ長」として活躍している。松井氏がコンピュータを知ったのは,中学時代。宇宙飛行への興味から本を読みあさるうちに,その存在に出合った。
京都市出身ということもあり,舞鶴高等専門学校卒業後,迷わず京都コンピュータ学院に進学したという。「学院は目的のある者に確実にチャンスを与えてくれる場所でした。当時,中型コンピュータTOSBAC3400が校舎に設置されており,学びたい人は,どんどん学べる環境にありました。入学後1年にも満たないうちに第2種情報処理技術者試験に合格しました。また積極的に学生生活を楽しもうと思い,バレーボール部を創部したり,学院祭の実行委員などもやりました。」と学院での生活を振り返る。
学院卒業後,「業界の最大手で自らの力を試したい」という気持ちから,CSK(旧称コンピュータサービス株式会社)に入社。入社当時に電車の車軸受けの分解用ロボットを開発したことが,今でも印象深いという。ロボットというと,普通は何かを組み立てるものである。「分解用ロボットというのは,その時初めて聞きました。自分としては,誰もやっていないことに挑戦するのが好きなので,この仕事は面白かったですね。」組み立て用ロボットの場合は,手順を決めて,その通りにプログラムを組めばいいが,分解用はそうはいかなかった。分解する車軸受けが15年以上前のものだとネジが標準化されておらず,手順を設定しても思うように分解することができない。こうした難問をひとつずつ解決していくことにやりがいを感じたという。
松井氏は1993年,様々なアプリケーションの組合せをテストする部門である「オープンシステムテストセンター」のセンター長に大抜擢された。
センター長としての松井氏は,誰もやっていないことを実践した。「『三大データベース・バトル』と銘打って,オラクル,サイベース,インフォミックスという三大データベースを,同じ項目について,性能を比較検討する試みをしたこともあります。こうした試みは,初めてのものであり,業界でも評判になりました。」
松井氏は,現在「eソリューション営業部技術推進課グループ長」として社内の専門技術者の育成に携わっている。
これからの技術者はコミュニケーション能力が重要になると松井氏はいう。「自分にできることと,できないことを,きちんと説明できることが必要です。そして自分のできることには全力を尽くす。」
かつて松井氏は業務の傍ら,社内有志のサークルであるAI研究会に参加。ここでの活動を通じて,いろいろな人と話すことの重要性に気づいたという。「もともと人がシステムをつくっているのだから,単に技術を極めるだけではなく,視野を広げることが重要なのだと気づいたのです。それ以来自分としては人と人をつなぐプロデューサのような仕事をしたいと思うようになりました。」
現在,松井氏は社外にも様々な顔を持っている。例えば「日本学術振興会産学協力研究委員会インターネット技術第163委員会運営委員」。同委員会は大学教員を中心に構成され,次世代のインターネット技術の研究を行っている。他にも「大阪府研究開発型企業振興協議会幹事」,「ソフトビジネス委員会運営委員長」,「財団法人関西情報・産業活性化センター検討委員」,「桃山学院大学非常勤講師(2000年)」,「大阪ガス高等技術スクール特別講師」…etc
これらの活動は,松井氏にとっては,正に「人と人をつなぐ」ことの実践でもある。
松井氏の夢は「情報技術の活用を通じて,すべての人が豊かになり,平和な社会の実現に貢献すること」である。
今「デジタルデバイド」が問題とされているが,松井氏は理想の情報化社会とは必ずしも誰もがパソコンを使いこなせる社会を意味しないという。「自動車」を例に松井氏は次のように述べる。
「日本はモータリゼーションの進んだ国ですが,誰もが車の免許を持っているわけではありません。しかし誰もが車の恩恵を受けることはできますよね。理想の情報化社会実現のために重要なのは,誰もがコンピュータの恩恵を受けることのできる体制を整えることだと思います。持たざる者へのケアが重要だと思いますね。」
この松井氏の言葉は,コンピュータ業界の次代のリーダーとしての自信と責任感に満ちていた。