京都に凄い会社がある。キュー・ゲームス。決して大企業ではない。社員数も30名,規模でいえば小さいといえるし,一般的な知名度も高いとはいえない。しかし少数精鋭で,世界最先端の技術を研究開発し,誰もが驚くような成果を挙げている。KCGの卒業生が,勤務していることもあり,今回,京都市中京区にあるキュー・ゲームスを訪問させていただいた。どれほど凄い会社なのかリポートしたい。
キュー・ゲームスの代表取締役は1972年,イギリス生まれのディラン・カスバート(Dylan Cuthbert)氏。カスバート氏は,世界でも有数の天才プログラマとして有名である。
元々,技術に強い関心を持っていたカスバート氏は,子供の頃からコンピュータに興味を持ち,プログラミングを行っていた。16歳で,ゲームメーカーのアルゴノートゲームズPLCにプログラマとして就職。その在籍中に,2Dゲームソフトしか扱えなかった任天堂のゲームボーイの環境で3Dのコンテンツを実行してみせた。これには,任天堂の開発陣も驚愕した。それがきっかけとなり,アルゴノートと任天堂との契約により来日し,任天堂で働くことになった。そのとき,ディラン氏は17歳だった。
その後ディラン氏は,ソニー・コンピュータエンターテインメントなどで経験を重ね,2001年9月,京都で有限会社キュー・ゲームスを立ち上げた。
キュー・ゲームスの事業内容は,ゲームソフトの開発と次世代ゲーム機についてのR&D(Research and Development:研究開発)である。この会社の凄さは,少数精鋭でゲーム機の未来を切り拓いていることにある。もちろん,現在研究している内容は機密なのでわからないが,同社の成果を一例だけ挙げると,2006年11月に発売されたPS3では,OS用メニューグラフィック,及びミュージックビジュアライザーの開発を担当している。PS3を起動させると最初に出てくるあの波の画面を開発したのが,このキュー・ゲームスなのである。それを聞くと多くの人は驚くに違いない。
同社は,独自のポリシーに基づきゲーム開発を行っている。スタジオディレクター吉田謙太郎氏と開発マネージャー富永彰一氏にゲームソフトに関するお話を伺った。
―2001年の設立以来,これまでに様々なゲームソフトを開発されていますね。例えば,「デジドライブ」という作品は,とてもアート感覚に溢れるゲームですよね。音も,映像も,見ているだけで美しい。
富永 ありがとうございます。アーティスティックな作品と言われるの嬉しいです。この作品は,あえて単純な点と形だけで世界を構成し,鮮やかな色彩とサウンドを際立たせるように狙っています。私たちは,この作品を通じて,ゲームの原点に立ち返ろうと考えたのです。面白いゲームというのは,実はシンプルな画面でも成立します。最近は,派手なグラフィックスを駆使した作品が多いですが,この作品では,あえて余分なものを極力そぎ落としていきたいと考えました。そうすることで,原点に返ろうと思ったのです。
―その後,キュー・ゲームスでは,ニンテンドーDS用のソフト,「スターフォックスコマンド」の開発なども手がけられていますね。
富永 これは3Dのシューティングゲームですが,特徴としては,タッチペンでタッチスクリーン上に触れることで,戦闘機の進路を変えることができるようになっています。右にスライドさせると機体が右に,左にスライドさせると左に,そして上下にタッチペンをスライドさせることで,機首を上下させることができます。その後もニンテンドーDS用のソフトの開発は継続して行っています。それ以外に,2007年から,PS3用のソフトを「Pixel Junk」というレーベル名で独自に開発して発表しています。
―「Pixel Junk」について教えてください。
吉田 「Pixel Junk」シリーズは,弊社の独自のブランドで,PS3のネットワークサービスプレイステーションストアで販売されるダウンロード配信専用ゲームです。
2007年9月20日から配信を開始しています。
以前であれば,パッケージ制作や流通経路の確保など,ゲーム制作には様々な事項をクリアしなければなりませんでした。。でも,ゲームのネット配信が可能となり,われわれのような少人数の会社でも,自社ブランドでのゲームを発表することが可能となりました。もちろん,ゲームのネット配信という形態は,まだ始まったばかりで,マーケットがどのように反応するのか,未知数の部分もあります。われわれとしては,これまでゲームをしたことのない層にも,手軽に遊んでもらえるように,値段も安く設定しました。少人数かつ短期間で作成することにより,制作コストを低く抑え,低価格を実現したのです。それによって,新規マーケットの開拓ということにチャレンジしていきたいと思っています。
―ゲームとしての特色はどのようなものですか。
吉田 一言でいうと,ワイドTV,フルHDを活用しながら,8ビットなフィーリングの2Dゲームのような感覚で楽しむゲームです。ハードの性能が向上すると,それにあわせて,どうしてもグラフィックスに凝ったりしてしまい,重厚長大なものになりがちです。別にそれが悪いわけではないですが,もっとカジュアルなゲームがあってもいいと思うのです。ハードの性能が低かった頃には,2Dゲームしか作れなかったわけですが,高性能なハードを使って,2Dゲーム感覚のゲームソフトを作ったらどうなるんだろう?とわれわれは考えました。一種の逆転の発想です。
―キュー・ゲームス独自のポリシーを感じますね。
富永 われわれは常に新しいことにチャレンジしたいと思っています。マンネリになったら,そうでないことをしたいのです。クリエイティブな集団でありたいです。
Pixel Junkシリーズは,6タイトルを計画し,順次発表していく予定です。これまでなかったような変わったタイトルもありますので,どうか期待してください。
現在,キュー・ゲームスでは,KCGの卒業生が二人勤務している。そのうちの一人,村上 慧さん(メディア情報学科ゲーム開発コース・2007年3月卒)は,小学生の頃からゲームを作りたいという夢を抱き,京都市立洛陽工業高校を卒業した後,KCGに入学。高校時代からプログラミングをしていた彼は,どんどん自分で勉強を深め,周りの友人にC言語を教えるといった学生生活を送った。KCGの授業では,一般教育科目の「心理学」が面白かったという。卒業年次の2月頃に就職活動を始めたが,卒業研究で作成した作品がキュー・ゲームスのプログラマの目にとまり採用された。就職活動で受験したのは,キュー・ゲームス一社のみだという。キュー・ゲームスは,社長のほかにも,日本以外の国籍のスタッフが多く,国際的な雰囲気に満ちていて,英語と日本語を織り交ぜながら,コミュニケーションしている。「社内で英会話教室が開かれていて参加しています。毎日が勉強です」と目を輝かせながら,村上さんは言った。
もう一人の卒業生,福田篤史さんは,高校卒業後,医学部を目指したが,将来の目標をゲームプログラマに変更,友人の誘いもあってKCGに入学。「KCGは先生方も熱心で技術力も高いです。業界のクリエイターの方に企画書を見ていただく機会もあったりして実践的に学べました。業界のベテランよりも技術的に詳しい先生もいて,卒業してからも指導を仰ぎたいと思うほどです」。福田さんは,実はキュー・ゲームスの社員ではない。KCG卒業後,教員の推薦でゲーム会社に就職し,現在は,東京にあるゲーム会社,ポリゴンマジック株式会社の社員である。同社からの出向で,キュー・ゲームスで勤務している。「キュー・ゲームスはとても自由な雰囲気で,ファーストネームで呼び合ったりして,日本の企業とはちょっと違う感じです」と福田さんは言う。
確かに,キュー・ゲームスのオフィスは独特で,机の配置もプロジェクトごとに動かせるように工夫されている。スタッフ用の椅子は,一つ15万円するという。考えてみれば,一日の大半をそこに座って過ごすのであるから,質のよい椅子を用意するのは,理に適っている。通されたミーティングルームの机も,ミーティング以外のときは,卓球台に早変わりするという。これも考えてみれば,とても合理的だ。オフィスの設計は,社長であるカスバート氏が自ら行ったという。一言でいうと,とてもクリエイティブな空間という印象だ。印象的なのは,スタッフ同士が,緊密かつ自然にコミュニケーションをとりながら,仕事を行っていることだ。これが,世界最先端の技術が生まれる現場なのである。そして,その現場でKCGの卒業生が活躍をしている。
コンピュータ関連分野の場合,少数精鋭で,世界最先端の技術を駆使し,誰もが驚くような成果を挙げているキュー・ゲームスのような企業が存在する。だからこの分野では,知名度や規模で会社の良し悪しを判断してはいけない。
この日,カスバート氏は,オフィスの中であちらの机,こちらの机と動きながら,スタッフとコミュニケーションをとっていた。スタジオディレクターの吉田さんの言ったセリフがとても印象的だった。「ディランは,プログラミングが楽しくてしょうがないのです。プログラミング以外のことは,できればしたくないぐらい」