将軍塚の“百万ドルの夜景”は観光名所だ。
この近くには,京大の天文台がある。わたしが,中日新聞の科学記者をしていたとき,よく,取材に出向いたものだ。
当時の天文台長は,現在,本学院の名誉学院長をしておられる宮本正太郎氏であった。
その頃,現学院長の長谷川靖子さんは,宮本教授の指導のもとで研究生活を送っておられ,天文台に日参していたわたしと,偶然,ばったり顔を合わせたことがあった。そのときの懐かしい思い出は,いまも鮮明に心に残っている。
彼女のことは,学生時代に課外活動などを通じて,よく知っていたし,ご夫君の長谷川繁雄前学院長と連れだってキャンパスを歩いているところに,バッタリ出会い,紹介されたのがきっかけで,付き合うようになったが,卒業後は,それぞれの道を進み,会う機会もなかったのである。
しかし,わたしが弁護士から作家生活に入り京都で暮らしはじめた頃には,旧交を温める機会に恵まれている。
それにしても,なすべきことの多くを残しながら他界された長谷川繁雄前学院長には,痛惜の念を禁じ得ない。ここで,あらためて,彼の霊の冥福を祈りたい。
場所は平安神宮。ハナショウブとスイレンが同時に咲く初夏の風物を撮影したものである。
夏の盛りには,スイレンだけになってしまうので,そうなるまでの季節の変わり目が狙い時だ。
水面に広がる波紋は,この池の主である鯉のいたずらである。
ここに棲息する鯉は黒いので,なかなか目立たないが,写真の真ん中左隅をよくみれば,池の主がぼやけて黒く映っているのがわかる。
この情景は,写真家が好んで撮影するものだが,侘びを感じさせる門構えと紅葉との調和が見られる時期は,案外,短い。
そのことを思えば,これは,理想的な条件で撮影できたと言えよう。
曇り空だったのも,落ち着いた雰囲気を出すのに,かえって効果があった。
ただ,この山門は,撮影する少し前に葺き換えられたため,真新しくて,朽ちかけた風情に欠けるのが,ちょっと残念だが,やがては,苔むして,独特の風格が出てくるだろう。
周山の奥にある落ち葉神社である。
“落ち葉”と言えば,「源氏物語」に出てくる薄幸の女性“落ち葉の宮”を思い出す。
落ち葉の宮は,源氏の兄,朱雀帝の第二皇女として生まれたが,妹の三の宮に人々の注目が集まり,夫の柏木も「もろかずら落ち葉の何にひろいけむ名は睦まじきかざしなれども」-同じ姉妹でありながら,自分は,枝についた葉でなくて,落ち葉のほうを妻にしてしまった-と,心では義妹の三の宮を想い,妻である落ち葉の宮を疎ましく思っていたらしい。
柏木の死後,源氏の息子の夕霧が,落ち葉の宮のゆかしさ,上品さに憧れ,結婚を申し込むが,不幸な結婚生活に傷ついた彼女は,夕霧の愛を拒みつづける。
源氏物語の設定では,この付近の山荘に落ち葉の宮が住んでいたとされている。
ひっそりとして,人気(ひとけ)のない落ち葉神社は,枯れ葉を踏み荒らされることもなく,黄金の絨毯のように鮮やかに,黒い土を埋め尽くしていた。
金閣寺が金箔張り替えの大修復を終えたばかりの頃に撮影した。土曜日であったから,雪の金閣を撮りたいと狙っていた写真愛好家が列をなして並び,たいへんな盛況であった。
ここは,三脚持ち込み禁止なので,手持ちで撮影しなければならず,大型カメラは使えない。したがって,これも35ミリ一眼レフで撮影した。
雪の金閣寺は,やはり,華麗で荘厳である。
鷹ヶ峰から京見峠を越えて,周山へ向かう道は,北山杉に囲まれた美しい景観が見られる。
これを撮影した場所も,その一角であった。
この日は,撮影を始めてすぐに,強い風が吹き,雪が流れた。
その一瞬を狙い,白くけむった雪が北山杉の木立に,どういう風情を添えるか,できあがりを楽しみにしていた。
結果を見て,「まあ,この程度なら……」と一応,頷いてはいるものの,まだまだ不満が残る。今年こそと挑戦のかまえでいる。
勧修寺には,梅の古木がある。
ここは,人気(ひとけ)の少ない閑静な寺であり,向こうに見える銅板葺きの屋根の反り具合が,なかなか優美で,構図にアクセントをそえている。
この屋根が,はっきりと写りすぎていたら,手前の白梅の古木が迫力負けしたろう。
何を生かし,何を脇役に仕立てるか,それが写真を撮る楽しみでもある。
これは,山城・地蔵院の桜の古木で,天然記念物に指定されている。
丸山公園の桜は,いまは,二代目であるが,初代の“丸山の桜”が枝別れして,ここへ移された。つまり,初代の桜とは,兄弟分にあたる桜なのである。
桜そのものの美しさや枝の見事さに惹かれるあまり,真っ正面から写してみたいと,つい,思い勝ちだが,鐘楼を入れることによって,桜の古木が持つ鄙びた風情をとらえることにした。
この角度から見る桜が,一番,わたしの情感に訴えるものがあったようだ。
上記の肩書・経歴等はアキューム1号発刊当時のものです。