「とにかくお忙しい方で,3泊4日待たされたこともありました。東京から慌てて飛んで行ったので宿も取ってなく,閉口しましたよ。今ではいい思い出ですけどね」。針貝哲英さんは,京都コンピュータ学院が1979年,超大型コンピュータ「UNIVAC1106TSS」を導入した際,ユニバック側の窓口役だった。このほど京都市内を訪れ,長谷川靖子学院長と作花一志副学院長と懇談。実に四半世紀ぶりの再会とあって,長谷川繁雄初代学院長をしのびながら,思い出話に花を咲かせた。
「最先端の大型設備を導入して,最先端のコンピュータ教育を展開したい」。初代学院長と長谷川靖子・現学院長が夢実現への熱い思いを胸に抱き,東京のユニバック社の門をたたいたのが78年9月。情報化時代が本格的に幕を開けようとしたころだ。当時,若手営業部員だった針貝さんは,二人のあまりに熱心な話しぶりに心を打たれたことが,今でも脳裏に焼きついているという。「当時,私立大学でTSSを導入していたのは慶応と東海だけ。しかもお二人は24時間,学生に開放する,とおっしゃる。私もこの素晴らしい夢と志を同じくして,何とかプロジェクトを成功させなくては,と強く思いました」と針貝さんは振り返る。
その後,お互いの行き来が活発になる。「アポイントを取ったはずなのに,待てど暮らせど(初代)学院長が来ない。何をしているのだろうと思って尋ねてみると,職員の方と語り合っているって言うんです。それが延々3時間も,4時間も…,日付が変わろうが,夜が明けようが…」と針貝さん。「挙句の果てには,『(アポイント)今日だったっけ』と言われる始末。最初のころは,ただただ驚くばかりでした。じきに慣れてしまいましたけどね」と笑う。ただ,このようなことが繰り返されるうちに,初代学院長の心の底にある,教育者としての情熱と,優しさを見て取っていたという。
79年2月。10トントラック2台が高野の大型計算機センターに到着。「9月には学生に開放したい。だから3月には職員の研修を始めなければならない」(初代学院長)との要請もあり,慌しく設置作業が始まった。「搬入のミスで,カードリーダーやプリンターが見当たらないなど,今思えば笑ってしまうようなハプニングもありましたが,やはり導入してコンピュータのたくさんのランプがチカチカするのを見たら,感無量でした」と振り返る。
その後,初代学院長や教職員,学生らと米国のユニバック社を見学に訪れたことも忘れられないという。「(初代学院長が)ハワイの真珠湾を見た際,とたんに静かになったのが印象的でした。物思いにふけったようで,とても話しかけられるような状態じゃなかった」という。「宿泊先のホテルで,二人が口論になったこともありましてね。何が理由だったのかな。忘れましたけど,今ではよい思い出の1ページです」と笑う。
「時間がないので,(初代学院長が)結婚式に向かう電車の中で話をさせていただいたこともある」「当時はもちろん携帯電話なんてなかった。(初代学院長が)高速をぶっ飛ばしてやってきて,20分だけ話をして,すっ飛んで帰られたこともあった」など,さまざまなエピソードを披露。「バイタリティーの塊のような方だった。でもそんなに早くに…。私も来年,その歳になるんですよ」。針貝さんは,しみじみと語った。
(現在,株式会社ICブレインズ取締役)