異なったもの同士が一堂に会しているのを見ると,その実態とは裏腹に,そこにはない別の何かを想像させられることがよくある。
例えば,さんま焼き,落ち葉,澄んだ空,食欲,真っ赤な色,これら5つを一度に目にした時,それらを全くバラバラに認知するのではなく,反対に,統合して「秋」というひとつのイメージを想像する人は多いだろう。
日々の営みの中で,我々は知らぬうちに,これに類する経験をよくしている。さっき聞いたことと今見たこと,今まで気になっていたことと今話したこと,というのが不意に結び付いてハタと気付く,というようなことなどはその代表例だ。
このように,我々が日々触れているモノやコトは,我々の頭の中で全く個々別々に孤立して在ることは少なく,むしろ勝手に結び付いたり混合したりして新しい情報を生み出していることが多い。
それはまるで物質と物質が化学反応して新種の物質を発生させるようなおもむきである。
だからこれを「モノ・コトの化学反応」と呼んでしまおう。
このことを数式のように表わしてみると,以下のようになると思う。
モノ・コトA×モノ・コトB×モノ・コトC×……=新しい情報
*注 ここでは,×は乗算を意味するのではなく「モノ・コトが化学反応する」を意味するものとする。
ところで,新しい情報を生み出すということは,言い換えれば新しい着想を得るとか,アイデアや構想が湧くとか,イメージが浮かぶ,という出来事が起こるということである。
それはつまり新しい建築物,新しいシステム,新しい料理,新しいファッション,新しい音楽,新しい映画などの創造の第一歩となる出来事である。
とすればこの「モノ・コトの化学反応」を意識的に起こすことを,我々はもっと考えてみる必要があるのではないだろうか?
アートの分野では,この「モノ・コトの化学反応」が積極的に利用され,ひとつの表現手法として確立している。
コラージュと言われる手法がそれだ。
これは,20世紀の代表的芸術運動シュールレアリズム(=超現実主義)の実践者であるシュールレアリストたちが好んで使った手法である。
新聞や雑誌や写真などの切り抜きを貼り合わせてひとつの新しい意味や世界を創出しようとするこの手法は,もともとピカソやブラックによって始められた「パピエ・コレ」という手法(当時は,壁紙や広告の切れ端,切手などを画面に張り付けてイメージを構成した)に始まると言われる。
ピカソたちは,こうした切り抜きが本来在った文脈から切り離されて別の切り抜きや絵と会した時,それらと共同して全く新たな文脈を生み出す,つまり
切り抜きA×切り抜きB×切り抜きC×……=新たな文脈
という「モノ・コトの化学反応」に着眼し,それを自己の精神の表出に応用しようと試みたわけだ。
こうした前衛芸術家たちの姿勢にならって,我々も「モノ・コトの化学反応」を役立てたいものである。
さて,それではどのように役立てればよいだろうか?
昨今,厳しい不況のさ中にあって,いろいろと問題を抱える人が多くなってきた。
学生ならば就職できない,社会人ならばリストラにひっかかりそうだ等々,悩んでいる人がたくさんいる。
こうした人たちは,なんとか突破口を見出そうと日々必死の試行錯誤を繰り返していることだろう(と他人ごとのように言ってる場合ではないのだが……)。
ところで,こんな中で真っ先に思いつく”突破口″とは何だろう。
学生なら単位をわざと落として就職活動仕切直し,大学院に進学もしくは留学して景気回復待ち,などのいわゆる就職浪人。
社会人なら資格取得,思い切ったところで退職金を多めにもらってそれを資金にフランチャイズ加盟し独立開業,などといったところだろうか。
なるほどこれらはそれなりに理にかなっているようである。
しかし,ただ仕切直しても,進学しても,結局は今までの延長,ということになりかねない。
大ざっぱに見てしまえば,今と大した違いは見られないだろう。
少なくともその違いを汲み取るほど丁寧には,人事担当者は”もてなし”てくれないのじゃないだろうか?
また,たとえ大手にフランチャイズ加盟したとしても,独立開業には違いないのだ。開業して軌道に乗せて,しかも安定した糧を得るには,運もセンスも並では足りないはずだ。
資格取得にしても,簡単に取れる資格には身分を維持したり転職を有利にするような効果はそれほど期待できない。
そもそも資格を持っていようがいまいが,人事担当者にはそれほど重要な問題ではないだろう。有資格=採用などという話は,そうめったにあるものではない。
こうしたことから何が言えるか?
要するに,今までの延長や付焼刃では”突破口”には足りないということだ―当たり前といえば当たり前だが……。
それではどうしたらいいか?
何とかもう一工夫して「差」を付けなければならない。
並以上の何かを身につけ,それをアピールしなければならない。
そこで,こんなことを考えてみてはいかがだろう。
自分×モノ・コトA×モノ・コトB×モノ・コトC×……=突破口
自分の何に注目して,A,B,C……にそれぞれ何を持ってくるか?それによって”突破口”はいろいろなバラエティーを示すだろう。
実際には次のような作業をしてみてはどうだろう?
自分の持てる技能,知識,好きなもの,目標,希望,欲望,財産などを一つずつ記したトランプのようなカードを作る。同様に,新聞や雑誌やテレビなどを見て,自分が好きなものや自分に関係あるもの以外で目についたことばやイメージを適当に拾ってひとつずつ記したカードも作る。
《自分に関するカード》と《拾ったことばのカード》を別々にシャッフルして前に置き,自分に関するカードの山の一番上のカードを1枚取ってそれを1番左手に置き,その右となりに《拾ったことばのカード》の山の1番上のカードを1枚取って置く。
さて,それら2つを同時に見ると何が見えてくるだろうか?
何も見えない,ですましてはいけない。
必ず何かを”見よう”と努力するのだ。
それは,例えばこんな具合にだ。
家政学×コンピュータ=被服の分野にコンピュータを活用→装いコーディネートシステム。工場へのオーダーも店頭からできる洋服売り場用システムの開発。
児童教育学×コンピュータ=児童教育の分野にコンピュータを活用→新しい知育ソフトの開発,育児支援システムの開発。
見えたことは白紙のカードに書いて重ねていく。
最初のうちは2枚ずつ,慣れてきたら《拾ったことばのカード》の山から2枚取るようにして3枚ずつ,さらに,見えたことを記したカードがたまったら,それもシャッフルして参加させるなど,あれこれやっているうちにいろんなイマジネーションが湧き,すばらしい”突破口”が見つかるかもしれない?
先の例では,右に並べるカードを「コンピュータ」とした。実はこのことには意味がある。みなさんにまず,これと同様の試みをしてもらいたいのだ。
あなた×コンピュータ
というのを是非考えてみてほしい。
昨今マルチメディアなる画期的?な方針がもてはやされるようになり,コンピュータもそうした方針に基づいて,その形や内容や活かし方を工夫すべきだというムードが高まってきている。
そんなわけで近頃あれやこれやとその構想が発表されるようになったのだが,いかんせんこのことを考えているのが相変わらずコンピュータ屋さんとビジネスマンばかりなので,以前と変わりばえのするものはたいして出てこない感が強い。つまり,
コンピュータ屋さん×コンピュータ×マルチメディア=結局のところワープロ,表計算,データベース,ゲーム
ビジネスマン×コンピュータ×マルチメディア=結局のところワープロ,表計算,データベース,ゲーム
というように,この「モノ・コトの化学反応」はかなり煮詰まってしまっていて,結局のところワープロ,表計算,データベース,ゲームの域から出られないようなのだ。
しかしながらコンピュータと言えば,まだまだこれからもいろいろな広がりを見せてほしい期待の分野だ。
できることならコンピュータ屋さんやビジネスマンやマニアだけが喜んで終わるものではなく,おかあさんもおばあさんもおじいさんもおねえさんもみんなが喜べるものになってほしい。
このあたりで煮詰まって欲しくない。
だからこうした状態をなんとか”突破”したい。
そうするには,コンピュータ屋さんやビジネスマンとはちがう方面からコンピュータにアプローチするのが一番だと思う。
先だって「ぱそ」という雑誌を読んでいたら,こんな話が目についた。
「そのうち役者は,体だけぐるぐるって写して,声もある程度,感情の違うアイウエオを入れておけば,あとは役者はひとつのデータとして登録されるものになって,生きた人間が演じるドラマがアニメのようにできちゃうかもしれないわけ。……生地だけじゃダメ。感情を(コンピュータに…筆者註)入れておかないと。いつか文学的な感情も機械が解明,整理すると思うから,あとはCGをやって,自分を写し取っておけば,桃井かおりは一等最初のコンピュータ女優になるかもしれないわけ。死んだ後にも,新作ができたり,早めに始めたんだから,10年か20年分はインプットしておきたいわよね……」。
これは,桃井かおりという女優が「ぱそ」からインタビューを受けて,将来のコンピュータについて語った話である。これは,
女性×俳優×コンピュータ
という「モノ・コトの化学反応」の産物である。
こいつは”突破″している。
この話は,明らかにワープロや表計算やデータベースとは違うコンピュータを語っている。
コンピュータの新しい世界が開ける予感がビンビン感じられる。
このように,コンピュータやビジネスマンとは別の方面からコンピュータを考えれば,”突破”する話がどんどん飛び出してくるのではないだろうか?
コンピュータにはもっと夢が見たい。
だから,
あなた×コンピュータ
これに是非トライしてほしい。
そしてあなたが発見したコンピュータの話を聞かせてほしい。もっというならそれを実現してほしい。
そしてもし,それを実現するための力が欲しい,そう思ったら,学院に来ればいいじゃないか。