京都コンピュータ学院による対タイ情報教育振興事業の第1期プロジェクト(教育を目的としたパソコン350台の寄贈と,現地担当教員への技術指導)は,1990年6月にスタートし(アキューム2号に関連記事),同年10月のタイ教員22名の2週間にわたる学院留学終了で幕を閉じた。来日したタイ教員一同は,ほとんど全員初めての来日であった。彼等は様々な日本の文明,文化に触れ,生々しい感動と新鮮な刺激を受けた。昼夜にわたる勉学と技術習得は,とても2週間とは思えない程の効果をもたらしたが,それと同時に,学院生との共同生活,同じ教育環境での勉学を通して,日本・タイ親睦の友情を深めたことの意義は大きい。
また,留学期間中に彼ら一人一人の心の中に,帰国後はタイ国におけるコンピュータ教育のパイオニアとして頑張ろうという自覚と情熱が湧きおこったが,この効果は私達,学院側スタッフの当初予想しなかったものであった。
私達は,来日タイ教員たちは,必ずや本学院で習得した情報処理技術をタイ国内各地方において広め,タイ国の情報処理教育に貢献するであろうと期待し,2週間の滞在後の別れの宴を持ったのであるが,正直言って,その期待には確信はなかった。
何故なら,今回のプロジェクトをタイ国の情報処理技術教育の普及,向上に如何に有意義に役立たせていくかは,タイ国文部省の取り組み方と熱意に大きく依存していたからである。しかし,その不安は今年1991年3月に受け取ったタイ国文部省よりの報告書により一掃された。
即ち,タイ全土にわたる配置校において,学院で留学研修した教員を担当者として寄贈パソコンを用いたコンピュータ技術教育が次々とスタートしたのである。
留学教員22名に対する技術指導,コンピュータ教育者としてのパイオニア精神の鼓吹が如何に徹底してなされようともそれが各個人の域に止まっている限りにおいては,それは一房のぶどうの実りにすぎない。
それを教育システムの一環として,国の政策に組み入れられた時,それはどんなに高度の実りを約束していくか,そのねずみ算式生産能力は限りない。
タイ国文部省の報告にある如く,年間3600人に対し,コンピュータの技術習得のチャンスを与えるという政策発表である。バンコックを除く多くの地方都市において,これまでゼロだったのが,実に年間3600人もの情報処理技術者の卵の誕生である。その中の何十%かは,コンピュータの持つ可能性のすばらしさに目覚め,プロとして育っていくことであろう。まさに教育の効果である。
タイ国文部省は,私達が当初,対タイ情報教育振興事業において考えた意義と同一の意義において,今回の教育のプレゼントを,タイ国情報教育普及のため,政策として百%活用したのであった。
最終目標――タイにおけるコンピュータ技術能力の自立に向かって進み始めた最初の教育政策実施の第一歩を,どんなに私達は感激裡に祝福することだろう。
私は,この4月,自分の目でそれを確かめたくタイヘ飛んだ。バンコック教育ミュージアムセンターで勤務の,来日研修した技術者達のなつかしい顔々に迎えられた時には,私達はもう十数年来の知己であった。彼等の再会のよろこびの目の奥に,私達に対するゆるぎない信頼感があふれているのを,私は感じたのであるが,それは当初の出会い時の,親しみの情をはるかに超えたものであった。
ハイテク先進国日本からの,タイに対する技術教育のプレゼントこそ,まさに彼等の求めるものであったのだろう。「学びたい,向上していきたい」という欲求は,人間のみの持つ尊い欲求であり,その欲求が満たされる過程に生きる歓びも感激もあり,さらに人々はそれを社会の発展へ延長させていくことを欲するだろう。社会の本当の発展,真の豊かさは,まさにこの線上で実っていくことは自明の理である。
私達は1台のバンに同乗してチョンブリヘ向かった。チョンブリの社会人教育センターでは,エアコン付の教室が新設され,17台の寄贈パソコンによる講習会が,来日したプリーシヤ先生により,行われていた。
パソコン1台1台に,美しい藍染めの手織りつむぎで縫製されたカバーが用意されており,パソコンがどんなに大事に扱われているかを物語っていた。そのパソコンのために,生まれて初めて海を渡り勉強して来たのだ,そのパソコンがあるからこそ後輩を育てていけるのだ,そしてそれが自国の発展へ結びつくのだ――担当教員達にとっては,まさにそれらパソコンは,彼等の人生と一体化されたものであり,深い愛着の心で管理されていた。
1日3時間の講習,60時間で1コースを修了するように,講習会のカリキュラムは組まれている。
対象者は,高校生,大学生,ビジネスマン,公務員と幅広く,年齢もそれに応じてさまざまであるが,大半は若者で占められている。講習参加希望者は待ち行列であふれており,次のコースもその次のコースも,もう申込締切である。
講習に参加していた生徒達は,私が訪問することをすでに知っており,拍手で迎えられた。サワディ・カーと挨拶して,目と目があった時,私はそこで学んでいる初対面の生徒達は私の生徒なのだと実感し,感動した。
翌日はチェンマイを訪問したが,状況は同じであった。先生は先秋来日研修した中の一人スパゴーン先生である。その日は休日であったが,私の訪問を聞いて生徒達が集って来た。もうすでに私達は同じ一つの仲間であった。
一緒に集い,自国独自の伝統文化を披露したり,飲み食い歌い踊るという,これまでの国際親善の陳腐さに世界各国はもうみんなあきあきしている。国際親善を国際友情へと深めていくためには,まずお互いの中に必然的なつながりを確立させる必要があると思う。つまり,何によってつながるか,それを確実にふまえておかねばならない。今回はコンピュータを媒体として,教える者と教えられる者の間に,思いやりと感謝,信頼と責任という友情の最も本質的な部分が確実に根づいたのである。
チョンブリ,チェンマイをまわっている間に,私は,私達学院とパソコン配置校におけるすべての講習会参加者との間に,一つの仲間としての友情が,コンピュータ技術普及と併行して育ち,広がっていくのだと発見して驚いた。
私は,教育者としての歓びと感動に胸を熱くして,さらにこのプロジェクトを発展させる重い責任をずしりと感じて帰国したのであった。
今年1991年はポーランド,ガーナに対する情報教育振興事業がスタートする。タイと同様にうまく成功するかどうか,国それぞれの事情があるだろうが,私達は真面目に情熱をこめて取り組んでいこうと思う。