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Accumu Vol.9

海外コンピュータ教育支援活動 スリランカ

京都コンピュータ学院 情報科学研究所 植田 浩司

スリランカ

京都コンピュータ学院の海外コンピュータ教育支援活動(IDCE)の一環でスリランカの七つの高校へパソコン100台を寄贈した。今回は約2週間の予定で,そのパソコンでのプログラミングの講習を行いに旧首都コロンボへいった。本学院からは学院長はじめ3名の講師を含む7名が参加した。

式典

スリランカ
スリランカ

パソコンが寄贈されたのはアーナンダ,ビシャカ,ナーランダ,デヴィ・バリカ,マハナマ,アーナンダ・バリカ,シリマボという高校。ビシャカと,後ろにバリカと名のつく二つの学校は女子校だそうだ。

寄贈式には学院長はじめ,学院スタッフ6名が参加した。スリランカからは科学技術省大臣,教育省副大臣,また,アーサー・C・クラークセンター所長,副所長も参列された。女子学生が見事な日本語でお礼のスピーチをされたのには感心した。スピーチが済むと,大きな燭台に置かれたローソクに火を点す,点灯式が行われた。これは聖火のようなものだろう。その後女子学生によるスリランカの伝統的な踊りが披露された。

講習

スリランカ

講習会に集まった人々は主に高校の先生で,コンピュータを教えることになる科学や数学の先生だ。みなさん非常に熱心で,講義をしている間ときおりうなずきながら,じっとこちらを見つめている。講義をする教室は冷房がきいており,といってもかなり年代もののクーラーがモータの音をブーンとうならせているので,すこし気になった。講習内容は寄贈したパソコンの使い方,およびBASICとC言語でのプログラミングだ。パソコンは20台用意されていたが,参加した先生たちは26人だったので,2人で1台を共有するグループもできてしまったがさほど問題ではなかった。しかし,20台のパソコンをひとつの電圧変換トランスでまかなったため,その許容量が十分でなかったのか,教室に焦げ臭い匂いがしてくることが時々あった。実は今回講習会が行われたアーナンダ高校に寄贈されたのは10台で,後の10台は他の寄贈先の高校からわざわざこのために移動してきたそうだ。アーナンダ高校はこの国では一番の高校だそうだ。講習は途中で休憩と食事をはさんで午前,午後あわせておよそ6時間続く。

スリランカ

休憩や食事ではこちらが恐縮するほど気をつかってくれ,ジュースや紅茶を用意してくれた。さすがに本場だけあってセイロン・ティーは格別においしい。昼食はほとんど毎日同じメニューでチキンライスだった。あまり毎日おなじものだと飽きるからと,一度車でインド料理のレストランへいった。違った食事もまたいいものだが,この時驚いたのは席に通されるとき,冷房の効いていない部屋と効いている部屋では別料金がとられることだ。いくらかは知らないが,冷房は贅沢なのだと,普段冷房があたりまえになっている日本人の私には教訓になった。

アーサー・C・クラークセンター

そもそもこの国へパソコンが寄贈されたのは,天体望遠鏡が京都大学を通じてアーサー・C・クラークセンターへ寄贈されたのがきっかけであった。SF小説が好きな人はおそらくこの名前に聞き覚えがあることだろう。有名な「2001年宇宙の旅」の作者でもある氏が私費を投じて作られた研究施設で,後に政府機関となったところである。望遠鏡の寄贈式の時,岡山県の美星天文台台長・京都大学名誉教授小暮智一先生が本学院でのIDCE活動のことを話題にされたところ,ここの副所長が興味を持たれ,本学院へコンタクトを取ってこられたのが始まりだ。副所長,アルビス氏にはその後私たちも大変お世話になった。

このセンターではスリランカの産業・工業に貢献すべく,近代技術を自らの手にするため,技術移転に関する研究とトレーニングを行っている。望遠鏡,電話の交換システム,交通信号機などを自作しているところを見学することができた。

街と人々と生活

スリランカ

スリランカといえばセイロン・ティーである。とにかくこちらの人はなにかにつけ紅茶をよく飲む。セイロン・ティーはとても香りがよく,味わい深い。日本の喫茶店ででてくる紅茶とは雲泥の差がある。紅茶は小さ目のティーポットにかなり濃くつくり,それを自分のカップに少量うつし,お湯で好きな濃さに薄めて飲む。ミルクもポットに暖めてあり,砂糖を入れ,ミルクティーで飲むのが一般的のようだ。

食事はとても辛い。カレーが中心だが,日本のカレーライスとは違い,チキンや,野菜などスパイスで調理され別々の器に盛られる。それをライスやホッパーという米粉で作ったそうめんのようなものといっしょに食べる。特に辛さは控えめにしてあると言っていたが,食べていると辛さのため汗が噴き出る。

街には所々に牛がいる。野生ではなく,誰かが所有しているものだろうが,放し飼い状態で,道路のロータリーの中央でのんびり草を食んでいる。ごみ捨て場でごみをあさっている牛もいた。ここでは決められたごみ捨て場はあるにはあるが,ごみ収集には来ないそうだ。溜まったごみはこの牛が食べてくれるのだろうか?

車で町を走るとたまに道路脇にある共同の水道で女性が洗濯をしていたり,水浴をする光景を目にすることがあった。服を着たまま頭から水をかぶっていた。男性はみなロングスカートのようにカラフルな布を腰に巻いている。実は私もおみやげに買ったのだが,ただの一枚の布切れで,両端を縫いあわせ,筒状にする。そして筒の中に体を入れ,体に巻きつけ,余ったところを体の前で結び固定する。結ぶときにひだを作り,タックのようにするのがコツだ。そうすると歩きやすい。

スリランカ

スリランカは果物の国。たくさんの種類の果物が採れる。店先や,道端の露店で黄色,オレンジ,緑のフルーツが色も鮮やかに並んでいる。とくにマンゴーは格別においしい。あるとき観光客と見たためか,マンゴーを試食させてくれた。それも人数分4個も。その場で山賊が持っていそうな大きなナイフで適当な大きさに切ってくれた。

スリランカには今も民族紛争があり,ときどき爆弾テロのニュースが世界に流れる。町の主要なところには兵隊がマシンガンを持って警備しており,道路にも所々兵隊のチェックポイントが設けてある。

スリランカと仏教

スリランカ

仏教はこの国では生活のあらゆるところに深く結びついている。私たちが訪れたアーナンダ高校にも大きな仏像が鎮座していた。学校には必ず僧侶がおり,毎朝この仏像の前で全校生徒とともにお経を唱えるところから学校の一日が始まる。このアーナンダという校名もおそらく釈迦の弟子「阿難(アナン)」からとったものと思われる。

アルビス氏の親族の家で法事が行われるのを見たことがある。僧侶が10人ほど招待されていた。ひととおりお経をあげた後,僧侶は椅子に座り,家人が料理を盛った器を僧侶の前まで運ぶ。驚いたのは家人は皆ひざ立ちで歩かなければならないことだ。自分の頭を常に僧侶より低い位置に保つためだ。また,靴や靴下も脱がなければならない。ある時ホームステイ先のホストに近所のお寺に連れていってもらった時もやはり車を降りたところで靴下を脱ぎ,砂の上を本堂まで歩かなければならなかった。

古跡 「シーギリヤ」

スリランカ

およそ1500年前にこの地の王が築いたという遺跡がある。父を殺し,弟からの復讐を恐れた王は他から攻め入られないよう高さ180mもある巨大な岩のその頂上に城を築いた。いまでは煉瓦の石積みしかみられないが,当時の優雅さを想像することができる。180mもある岩の上なのにプールのようなため池がある。地下水が湧き出たものだそうだが,しかし,どのようにしてこの高さまで水が上がってくるのかは七不思議の一つだそうだ。王が座る椅子は中をくり貫いた空洞の石でできており,中に水をいれる。その水が蒸発するとき熱を奪うので,椅子はいつもひんやりと気持ちがいい。よく考えられたクーラーである。頂上からあたりを見回すとこれより高いところはなく,一面森と草原が広がっている。昔も,今も,まさに天空の城だ。

この城がある「シーギリヤ・ロック」の側面には「シーギリヤ・レディ」とよばれる色鮮やかな壁画がある(本号表紙絵)。いまでは18人の美女しか確認できないが,かつては500人ほど描かれており,そのほとんどが浸食で失われたそうだ。

キャンディ「仏歯寺」

スリランカ

仏陀の歯が奉られているといわれる寺がある町,キャンディ。コロンボより少し高地にあり,幾分すごしやすく,町もきれいで穏やかな印象を受けた。スリランカの軽井沢のようなものだろう。ここは年に一度,100頭ものきれいに装飾を施した象がまちをねりあるくペラヘラ祭りという,仏教の大きなお祭りがあることで世界的にも知られている。この時にはスリランカ中から人々が集まるそうだ。

キャンディへの途中,ジャングルの中で親と離れ離れになった小象を保護する「象の孤児園」というところで象が水浴びをしているところを間近に見ることができた。

ゴール

コロンボから南へ車で4時間,海沿いの道を行くとゴールというリゾート地がある。インド洋が青くとても美しく,海に突き出た小さな半島はイギリス統治下だったころの要塞でその中に街が作られた。街は小奇麗で,しゃれたレストランや,お土産屋が並ぶ。途中ウミガメの産卵場所として有名で,産み落とされた卵を人工的にふ化させ,ある程度まで飼育して海に放つことで,絶滅の危機にあるウミガメを保護する活動を行っている施設を見学した。

ホームステイ

スリランカに滞在中はアルビス氏の友人のデパール氏という,日本のGSバッテリーの輸入代理店の社長の家に滞在させてもらっていた。裕福な家庭で,我々をとても温かく迎えてくれた。子供たちは少し人見知りをしていたが,帰るころにはなついてくれた。彼の使用人は真っ赤なトヨタのピックアップを運転し,いつも我々をおよそ30分かけ郊外のヌゲゴダからコロンボの中心にある学校まで送ってくれた。英語が話せないので身振り手振りだが,お土産を買いに連れていってくれたりした。彼の車はいつもピカピカで,暇さえあれば洗車していた。

終わりに

今回の講習会も盛大に行われた。参加した先生方から大変感謝され,成功を収める事ができた。スリランカの人々は,みなとても親切で温かく接してくれたので,我々もリラックスして授業を行う事ができた。これからもスリランカとは交流が続くだろう。コンピュータ技術をスリランカへ伝える事ができ,また,この記事を通して日本のみなさんにスリランカの事を少しでも知ってもらうことができたなら,私も国際交流の一端を担うことができてうれしく思う。

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植田 浩司
Koji Ueda
  • 京都情報大学院大学教授
  • 関西大学工学部卒業
  • 関西大学大学院工学研究科修士課程修了(機械工学専攻)
  • 工学修士
  • (米国)ロチェスター工科大学大学院修士課程修了(コンピュータサイエンス専攻)
  • 元松下電工株式会社勤務
  • JICA専門家(対モザンビーク共和国)

上記の肩書・経歴等はアキューム24号発刊当時のものです。