江見このたび京都コンピュータ学院卒・京都情報大学院大学修了の中口孝雄先生が京都大学で博士号を取得されました。KCGグループの学生・校友は,その大半が情報産業界を中心に社会の第一線で活躍をしていますが,学術研究を志す人も少なくありません。今後,第2,第3の中口さんが誕生することを期待して,本日は中口先生からお話をお聞きしたいと思います。
まず,中口先生のご経歴を私から簡単にご紹介します。1993年に京都コンピュータ学院鴨川校国際情報処理科に入学して95年に卒業した後,同情報科学科3年次に編入学して96年に卒業。京都コンピュータ学院で講師として後輩の指導をする傍ら,民間企業で勤務をしておられました。2004年,京都情報大学院大学開学にあわせて第1期生として応用情報技術研究科に社会人学生として入学されました。2006年に修了し,同時にNTTアドバンステクノロジ株式会社に転職,2014年同社を退社後,京都大学大学院情報学研究科社会情報学専攻の研究員となられました。研究員を務める傍ら,2016年に同専攻の博士後期課程の学生となられました。翌2017年4月に母校である京都情報大学院大学の助教となり,同年9月に博士号を取得,10月から京都情報大学院大学准教授に昇任されました。
江見中口先生に博士課程での研究内容をお聞きしたいのですが,先生は,京都大学の石田亨先生の研究室に所属して研究して来られましたね。
中口はい。私がお世話になった石田亨先生の研究室では,言語グリッドというものを研究・運営し,多言語コミュニケーションの支援を行ってきました。言語グリッドとは,多言語辞書や翻訳ソフトウェアなどの言語資源を,インターネット上で利用可能な言語サービスとして蓄積し,共有,利用するための多言語サービス基盤です。社会が国際化していくなかで,多言語コミュニケーション,異文化コラボレーションが活発となりますが,その際に,いかにして言葉の壁を乗り越えるかという課題があります。この点,言語研究者の方々の努力で多言語コミュニケーションを支援する材料は,少しずつ揃ってきています。しかし,そうした資源を使って実際の支援をするまでの間には,実際には大きなギャップが存在しています。例えば,データフォーマットが異なるとか,プログラムの呼び出し方が全然違うとか,対応するOSが異なるなど,統一した利用方法が確立されていませんでした。その問題に対応するのが言語グリッドであり,石田研究室ではその研究に10年ほど前から取り組んでいます。
言語グリッドの研究で,中口先生が携わられたのは,どのような研究ですか。
中口私の研究題目は,「多言語コミュニケーションのための分散型サービス基盤の研究」です。言語グリッドは,多言語コミュニケーションを実現するためのサービスを提供する「サービス基盤」と捉えることが可能です。サービス基盤はサービスの名前や分類,呼び出しインタフェースやサービスの提供アドレス(URL)などの情報を保持し,サービス呼び出しを仲介してアクセス制御機能を提供します。私の研究では,このサービス基盤を複数接続した,より大規模なサービス基盤を実現することをテーマにしています。言語グリッドプロジェクトでは,当初地域性をアジアに限定してそこで課題となっている言語を扱っていましたが,同じ問題意識は,言うまでもなくアジア以外の様々な地域にも存在します。しかし,すべての地域をカバーする大規模なシステムは,一つの組織がコントロールできる範囲を超えます。そのため,それぞれの取り組みで集めた資源をつなぐ,分散型のシステムが必要で,それを自らの研究テーマとしました。
システム同士をつなぐというのは,具体的に言うと,どのような感じですか。
中口例えばベトナムでベトナム語と英語の翻訳機が開発されているとします。それに対して日本で日本語と英語のものが開発されているとします。そして,仮にベトナム語と日本語の翻訳機が未開発だとした場合,日本語・英語のシステムと,ベトナム語・英語のシステムをつなぐわけです。また一つの翻訳システムでは,すべての分野のボキャブラリーが網羅されていないことがあります。ある分野のボキャブラリーは充実しているが,別分野での活動に際しては,ボキャブラリーが不足することがあります。そういうときは,形態素解析を行って翻訳できない専門用語を抽出し,特定分野にフォーカスした辞書を使って置き換えるなど,複数の言語処理プログラムや辞書データを組み合わせたりします。
中口先生の研究において,学位につながった研究の中心はどのあたりにありますか。
中口中心はサービス基盤の拠点をつなぐところです。拠点をつなぐためには,その提供条件を明らかにするモデルが必要となります。私はそのモデルを提案して,そのモデルどおりに動かすための実装・運営までを行いました。サービス基盤を運営する組織のサービス提供形態のユースケースを整理して,双方向提供を示す対称律,サービスを連鎖的に他の運営組織にも提供することを示す推移律を用いてモデル化しました。対称律と推移律の組み合わせで我々の知っているケースはすべて網羅できましたので,そのモデルを用いてサービス基盤間の情報共有とサービス実行の中継を行い,分散型のサービス基盤を実現しました。
石田亨先生が,中口さんを頼りにしていて,「彼がいなければこんなシステムはできなかった」とおっしゃっていたのは私もよく覚えています。こういうプロジェクトを実際のシステムとして実現させたということは,大変なことだと思いますね。
江見中口先生が,高校卒業後に進学先として京都コンピュータ学院を選んだのはどういう理由からですか。
中口私は,高校時代にコンピュータにはまって,コンピュータのことばかりやっていて,大学受験は全く考えていませんでした。コンピュータで使う数学などはできたのですが,そのほかの受験で必要な一般的な知識がない状態でした。当時は,情報を学べる大学はほとんどありませんでした。情報を学ぶのであれば専修学校という状況で,いくつか専修学校があるなかで,最も自由な雰囲気を感じた京都コンピュータ学院を選択しました。
江見日本の大学の受験システムからは,少し外れていたわけですね。
中口そうですね。
敷かれたレールを歩くだけではなくて,そこから外れた形で面白いことをやるというのは,これはいいと思いますよ。ふつうの発想を超えたものが生まれる可能性があります。キラリとした才能を持っている人はあちこちにいますが,そうした才能が日本の受験システムでは,評価されない場合もあります。中口先生のケースは,そういう才能を本学が拾いあげ,大事に育てることができた典型例ですね。本当に素晴らしいことだと思います。
中口入学後は,国際情報処理科だったのでアメリカ研修があり,ボストンでMITの学生と出会って,非公式にMITの講義を受けたりもしました。当時,インターネットの黎明期で,Mosaicというブラウザができたばかりで,見せてもらったりしました。
インターネットの黎明期を体験できたのは,幸運でしたね。
中口はい。インターネットで世界はつながっていて,こんなグラフィカルなページが見ることができるのだと感動したのを覚えています。そうした最先端のものが研究の現場で生まれることを知りました。このときに学術研究にも興味がわき,研究者に対する憧れを抱きました。
江見中口先生は,けいはんな学研都市の国際電気通信基礎技術研究所(ATR)での勤務経験もお持ちですね。
中口はい。私が京都コンピュータ学院で非常勤講師をしているときに,大谷君という学生がいて,彼が先にATRで開発系のアルバイトを始め,客員研究技術員になり,彼の紹介で1998年4月から2000年9月までの間,ATRの人間情報通信研究所(HIP)の客員研究技術員として勤務しました。
江見ATRでアルバイトをしている学生がいるというのが凄いですね。大谷さんは,今は何をされているのですか。
中口彼はその後,任天堂に就職しました。
ATRでの客員研究技術員を務めた後は,どうなされたのですか。
中口その後,私は,2001年10月に株式会社アントラッドの主任研究員となり,未踏ソフトウェア創造事業の採択テーマに関する開発に従事していました。同社に在籍中の2004年に京都情報大学院大学に第1期生として入学をしました。入学後,石田亨先生の授業を受ける機会がありました。社会情報学に関する非常に興味深い話で,大変面白かったので,同期生を連れて,京大まで先生の研究室に遊びに行かせていただきました。その直後に,石田先生は,ウェブを通じて,アントラッドで私が携わっていたプロジェクトについてもお知りになり,中口という名前を見て,どこかで見た名前だなと思ったそうです。それで「この前,研究室に遊びに来た彼か」ということになったそうです。石田先生は,言語グリッドに関する研究のためにエンジニアを探していたそうで,そのご縁で言語グリッドの研究のお手伝いをさせていただくことになり,そこでの研究内容を京都情報大学院大学での修士論文としました。
その頃から,石田先生とはつながりがあったわけですね。
江見中口先生が京都情報大学院大学に入学された際は,初代学長の萩原宏先生がおられましたね。萩原先生は,京都コンピュータ学院で漢詩の授業を担当され,「漢詩はソフトウェアである」とよくおっしゃっておられました。石田亨先生は,萩原宏先生のお弟子さんですね。萩原初代学長に関して何か思い出はありませんか。
中口私は幸いにして首席で修了となり,卒業式で萩原学長から直々に表彰状をいただきました。これが一番の思い出ですね。萩原学長の講義を受ける機会もありました。大型計算機の時代を正につくってこられた方なので,授業では,ハードウェアの話もあって,「もしメインフレームのなかを触ることがある場合は,右手で触れなさい,もし感電したとき,左手だと心臓に近いから」というお話を聞いたりしましたね。
それはリアリティのある話ですね。
江見京都情報大学院大学は,萩原先生や茨木先生のような,アカデミアを代表する超一流の先生が一方でおられ,産業界で著名な方も先生でおられるというのがいいですね。
中口私は博士号を取得する過程で,博士がどういうものか,思い知らされました。取得が近づくに連れ,いよいよ取得が近づいてきたという嬉しさとともに,今の自分の状態で他の先生方と同じ土俵に立たされるのかという不安も生まれ,非常に複雑な気分になりました。
中口先生のために言っておくと,学位を認める基準は,大学によって相当違います。高く評価される学会で発表したかどうか,論文をジャーナルに掲載したかどうか,そうした基準が京大というのは一番高い。それをクリアして来られたわけですから,それは自信をもっていいと思いますよ。
江見博士号取得までに体を壊す人も少なくない。私も博士を取得して最初にしたのは胃の検査でした。中口先生の今後の研究についてお聞きしたいのですが,多言語化の問題では,例えば,私はEラーニングの国際化という課題に取り組んでいるのですが,ある言語のコンテンツを別の言語に直訳しようとしてもできない部分が出てきます。やはり文化的なコンテクストの違いの問題が残ります。これをどう超えるか。
中口多言語コミュニケーションが実現すると,これまで言語の壁があったので接することの少なかった文化同士が,接触する機会が増え,逆に文化的な差異によるコンフリクトが増加する可能性があります。
これまで私が学位を出した件数は,数十件になりますが,その人たちに必ず言うことがあります。博士号はゴールではなくて,スタートポイントだということです。これまであなたが勉強してきたことは,いわば研究者として生きていくための最低限の経験を積んだということです。それぞれ自分の発想で勉強してきているのだけれど,やはりそれは上の指導教員がそれなりに方向を決めてくださっていたわけです。博士を取得した後は,これまでの研究は,ご破算にして新しいことをしなさい,自分が蓄積した知識と経験をもって本当に自分がこれをやりたいということをみつけなさいと言うようにしています。
中口私も別途自分のテーマを何にするかは考えなければならないと思っています。私の座右の銘で,「巨匠に挑戦しないとその人を尊敬していることにならない」という言葉があります。これまで指導をいただいた石田先生に挑戦する気持ちで,石田先生から,「なるほど,新しいことをやっているな」と言ってもらえるようなことをしないといけないと思います。絶対に超えることは,できないと思いますが,それを目指してやっていかないといけないと思います。
江見中口先生は,10月に京都情報大学院大学の准教授となられましたが,母校での教育・研究活動についてはどのようにお考えですか。
中口はい,私自身が応用情報技術研究科を修了しましたが,その後の研究では情報学の分野で研究を進めて来ました。改めて応用情報学という分野がどのようなものかという点から学びなおしたいと考えています。
以前は情報系の人材が不足していると言うと,プログラミング人材が不足しているという意味でしたが,最近では必ずしもそうではありません。現在では,プログラム言語も多様化が進み,プログラミングも楽になっていますよね。例えばウェブページを作るという目的にしたら,それ専用の言語があってパラメータの値を入れたら動く,データ型など考える必要がないわけですよね。細かい原理的なことを知らなくても,プログラムできるようになっています。むしろ,そうした技術を何に適用するかが問題となっており,これには発想力が必要です。現在,不足しているのは,ICTの技術を理解し,それを応用する人材です。そうした人材を育成するのが本学であり,ICTの技術を何に適用して何をつくるかを扱うのが応用情報学です。今,本学でも農業とか,海洋とか,医療とかいろいろコースを設置していますが,そういう広いスペクトルを有しているということはものすごくよいことだと思いますね。農業なんて以前の情報学では扱わなかったでしょう。
中口江見先生が取り組んでおられる,農業の技能の伝承を,ICTを駆使して行うという研究は,まさに典型例ですね。
以前の情報系の人からはそういう発想は出てこないわけです。広い応用分野が本学で教育されているのは大変によいことだと思っています。
中口私は,京都コンピュータ学院・京都情報大学院大学で,自由に学びたいことが学べました。学生同士で教えあう雰囲気があったのもいいですね。
江見それは本学の良い文化ですね。学生が自発的に学習コミュニティを形成して,その中で,学生同士で教えあい,切磋琢磨する雰囲気があります。
中口私は,そうした本学の良い文化を大切にしながら,微力ではありますが,母校の発展のために少しでも貢献したいと思います。今回の博士号取得はそのための出発点としたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。