アフリカ大陸有数の近代都市・ナイロビを首都とするケニア共和国は,第一次大戦後,ギクユ族「マウマウ団の反乱」を経て,1963年イギリスから独立。今年独立30周年を迎える。
イギリスの植民地政策により,区画整備が行われたナイロビの街には,街路樹が植えられ,公園が造られ,そして高層ビルが建ち並ぶ。今もいたる所にヨーロッパ風の建築物があり,植民地時代の名残を見せている。整然とした街並みを抜け,車で30分も行けば,地平線の果てまで続く緑のサバンナに,キリンやガゼール,ダチョウ,シマウマ,そしてライオンの姿さえ身近に見られる。
ナイロビは豊かな自然に囲まれた大都市だ。
気候は乾期。高原地帯のため涼しく,過ごしやすいが,しかし,やはり赤道直下,陽差しは強い。心地良い風に吹かれながら,ナイロビの街を散策していると,火傷のような日焼けを負ってしまう。半袖を着た人がいないのはこのためか,と赤くひりひりする肌を見ながら納得した。
講習会場はケニア政府の外郭団体,ケニアエ業研究発展協会(Kenya Industrial Research and Development Institute KIRDI -通称キルディ)である。ナイロビの郊外に位置するキルディの広い敷地は,電流が流れる鉄線で囲まれている。野生動物の侵入を防ぐためだ。初めて訪れたときにも,すぐそこに,ダチョウの走る姿が見られた。
キルディはケニアにおける工業技術研究の責任を一手に担う重要な機関である。またケニア周辺国ソマリア,エチオピア,スーダン,ウガンダ,タンザニアなどからも,研究生を受け入れる東アフリカ有数の一大研修センターでもある。その一室がコンピュータルームとして改装され,学院からの寄贈パソコンが整然と並んでいる。
今回のパソコン講習会の講師陣は,
団長
長谷川由国際教育部長
ボストン校創立を皮切りにタイ,ガーナ,ケニアなど,数々の学院主催の国際教育事業を成功させてきた。
チーフ講師
高田進先生
北海道の富良野から学院へ。国家試験対策のプロ中のプロ。先生の指導で,一種・二種合格を果たした学生は数知れない。
小久保幹根先生
情報工学科出身。コンピュータと各種メディアの関係を研究。LD・CD・DATの収集はまさに圧巻。
安井清人先生
情報工学科出身。大型機からマイコンまでをこなす。在学中に開発したオリジナルOSは今も伝説のソフトとか。
以上,学院が誇る4名である。加えて,アメリカ・MIT(マサチューセッツエ科大学)の大学院生3名(スコット,オーマ,トーマス)がボランティア講師として参加した。
受講者はケニア各地から,政府により選抜された大学教授,研究者達35名。中には,コンピュータに触れるのは初めてという人もいた。ケニアでコンピュータといえば政府機関で使用される高価な設備であり,民間レベルでは銀行や航空会社などに,少数導入されているだけだという。
講習は寄贈パソコンの各部の名称,機能とハード・ソフト両面に亘る基礎理論から始まり,学院講師の解説をMIT学生が英語に通訳するという形で進められた(ケニアは共通語がスワヒリ語,公用語は英語である)。その後,BASIC言語による具体的なプログラミング技法が教授され,講習は次々に展開された。受講者は,この講習の成績如何により,京都でのアドバンスト・コースに参加できるとあって真剣そのもの。次々に質問の手が挙がり,7人の講師は,教室をあっちへこっちへと,汗だくになりながら,慌しく立ち回り,質問に答えていった。時折,窓から涼しい風が吹き込む。熱気溢れる講習会を,まるで応援してくれているかのようだった。まさに”自然の中の”パソコン講習会といった形容のふさわしい,すばらしい講習会であった。
講習会最終日には,クロージング・セレモニーが行われた。キルディ理事長ルティ博士は挨拶の中で,今回のプロジェクトのすばらしさは,物の寄贈にではなく,人と人との交流,友情にこそあると述べ,今回の学院によるプロジェクトに深く感謝の意を表された。ケニアと学院のさらなる友好関係の発展を互いに約束し,1月4日から約2週間に亘った講習会の幕は閉じられた。
受講者と学院講師・MIT学生ボランティアとの交流は,わずか2週間という短いものであった。しかし,同じ場,同じ時を過ごし,なによりも,それによって生まれる,いわば独特な「空気」をこそ共有したものだけが得られる充足感を,彼らひとりひとりが持ち得たことは確かである。
京都コンピュータ学院の足跡は確実に記された……人々の心の中に。