33年も前の話です。奈良県吉野郡川上村にある川上第三中学校で,私は長谷川繁雄初代学院長と出会いました。川上村は吉野杉で有名な山間の村で,春は鴬の谷渡り,夏はひぐらしの合唱,そして夜空の星はとても大きく今にもこぼれそうで思わず手で受けてしまいたくなるほどの美しさ,秋は吉野川に切り立つ屏風岩の鮮やかな紅葉,冬になると日本かもしかが水を求めて川辺りに姿を現し教室のそばにまで来るという豊かな自然に恵まれたところです。歳月は経っていても丁度今頃の季節は,澄み切った空気と新緑で体まで緑色に染まりそうな山間の風景だろうと思います。後にお聞きしたところによりますと,初代学院長は後醍醐天皇の御弔拝の行われる由緒ある吉野の歴史を味わいたくてこの山合いの中学校を選ばれたそうです。
初代学院長も私も20歳代と若く,体育大会のリレーなどでは張り切って全力疾走したこともなつかしい思い出としてあります。また,そうした活発な反面,放課後になると初代学院長は必ず音楽室でピアノの練習をされるという芸術家的な面もお持ちでした。曲目はソナタだったと記憶しております。何事にも熱心でロマンチストだった初代学院長が女生徒にとって憧れの的であったことは言うまでもありません。
初代学院長にはあまり年齢差のない気の合う同僚の先生が2人おられたのですが,教材研究の時間には,大変熱っぽく指導方法について議論され,時には大討論になってしまうこともありました。生徒に対しては,よく学びよく遊ぶことを指導され,大台ヶ原の御来迎を生徒を連れて見に行かれ,その素晴らしい感動を先生方に語られている姿も見られました。
当時は父兄と教師の信頼関係も厚く,多少の体罰は許される風潮でしたが,教師が指導上の情熱の余り,行き過ぎた体罰を生徒に与えてしまい問題となったことがありました。その時などでも,初代学院長は率先して自ら矢面に立ち問題解決のため尽力されました。父兄に学校の立場の理解を求めるとともに,生徒の身になって毎晩夜遅くまで父兄と話し合われ,より良い解決を導こうとする粘りには頭の下がる思いでした。
常に生徒の身になってまたは生徒の気持ちになって考える教育。私に教師の本当の使命を吹き込んでくださったのは初代学院長だったと言えます。長い人生のなかで何が一番素晴らしいことなのかと考えてみるとき,もしそれが心より尊敬できる人に出会うことだとするならば私にとって初代学院長との出会いはまさにそうした出会いだったと思います。
その後,私は結婚のため初代学院長より1年早く退職しましたが,風の便りにご結婚され和歌山市内で大学入試塾をされていると聞きました。初代学院長のご結婚のお相手は川上第三中学校の音楽室へお友達とふたりで遊びに来られた知的で品のよい素敵な女性でしたが,その女性が長谷川靖子現学院長です。
当時の生徒たちも今では50を数える歳となり,それぞれ立派に活躍されていますが,3年に一度は同窓会を開いてくれています。もう十数年も前の同窓会でしたが,京都コンピュータ学院という数千人の学生を預かる学校を創られた長谷川繁雄先生にお会いしました。学校を創られたとその時初めてお聞きしましたが,先生の教育にかける並々ならぬ情熱,生徒想いで愛情あふれる指導を目の当たりにしてきた私としては,しごく当然のことに思われました。
そしてお亡くなりになる前年の同窓会のことです。いつもながらの盛況で皆すっかり童心に返ってワイワイ言っていましたが,どうしたことか長谷川先生が一向に来られず生徒達も気がかりになり出しました。長谷川先生も,この同窓会をことさら楽しみにしておられ二次会から夜中のラーメン屋台までつづくことがよくあったからです。誰かが「長谷川先生どうしたんやろ」と言うと,「長谷川先生は僕らの担任の先生や」と言う声があがり,「長谷川先生はみんなの先生や」と言う声がつづきました。私は他の先生の手前もあって実は内心穏やかではありませんでした。そんな時やっと長谷川先生が姿を見せたものですから,途端に1人の男子生徒が吉野弁で「先生どしたんや」と言って抱きつき,2人とも抱き合ったまま座敷のまん中に転びました。その光景を見て女生徒のなかには感動のあまり,ハンカチで目頭をおさえるものもいて,私も胸が熱くなる思いでした。抱きついた生徒はかつての腕白坊主で,顔を見て安心したのか長谷川先生からカメラを借りてパチパチ写しました。帰り際,長谷川先生は,「おまえにやる」と言ってカメラを彼に手渡したのですが,それが結局は遺品になってしまいました。教師という立場だけでなく人柄のともなった人格者として人生の道しるべにしていた恩師を失い生徒達は今も嘆き悲しんでいます。
現在,私は京都コンピュータ学院の就職課の指導員としてお手伝いさせて頂いておりますが,そうした立場で,来校される会社の方々に多方面に渡るお話を聞かせて頂きますと,実社会で,最後に勝利するものは豊かな人間性,人柄の持ち主であると言われます。初代学院長の教育の根源は自らの人間性と全人格をかけた生徒への「愛」の1字にあったと確信します。私自身,初代学院長には及ばずとも学生への「愛」を忘れず指導に努めたいと考えています。また,本当によき出会いをさせて頂き何よりもこのすばらしい学校で心豊かな学院生活を送らせて頂いていることに感謝の気持ちで一杯です。故初代学院長の御霊に,“安らかに”。