梅棹忠夫氏の本を1冊紹介したい。氏は,万博公園にある国立民族学博物館の創設(1974年)以来,同館館長を務められ,本年3月任期満了退官されたばかりである。創設当初よりコンピュータの専門家も加わったこの博物館は,民族学資料というものを収集,展示する伝統的な博物館ではなく,民族学的情報の収集,展示を目的とし,さらには,いわば館全体を情報のかたまりとみなす新しい運営が行われてきた。こうした新しい博物館像を実現してこられたのが梅棹氏である。氏の言葉では,民族学博物館は博物館ではなく,博情館なのである。
著作としても,『情報産業論』(雑誌『放送朝日』1963年1月号。その主張において重なるところが多いアルビン・トフラー『第三の波』に先立つこと17年。標記叢書に所収),『知的生産の技術』(岩波新書,1969年)等,情報に関する先駆的著作を発表してこられた。これらも,ぜひ読んでもらいたい。なお『情報の文明学』の初出は,雑誌『中央公論』1988年2月号である。
氏の文章を読むと,すぐさま気づく特徴がある。漢字の少なさである。筆者自身,氏の文章を書き写すと,元の文章ではひらがなであったものまで,つい漢字にしてしまう。聞くところでは,氏は,漢字に関して,音でも訓でも読めるような場合には,あいまいさをさけるため,なるべくかなを使われるそうだ。さらに,氏は一つ一つのセンテンスを,つとめて短くされる。また,入れ子型のような,錯綜した文章をさけておられる。したがって氏の文章は読みやすい。
ところが世間では,ワープロの普及によって,文章は,見た目にきれいになったかわりに,黒くなった。つまり漢字が多過ぎるのである。さらに,センテンスが長くなり,その上,読点が少ない。技術の発達によって,読みにくい文章がふえるとは,皮肉な話である。せめて,作成中の文章の,文字数,漢字数,読点数を,ワープロ画面に表示しておけば,少しは事態が変わりはしないか,などとも考えるのだが。なにはともあれ,読みやすく,わかりやすい文章を書くことに関して,氏の文章は,おおいに参考になるだろう。
情報は一般に,意味ある(金になる)情報と,無意味な(無益な)情報に分けられ,前者のみが取り上げられる。これに対し,梅棹氏は,いわゆる無意味情報の社会的意味を考える。ちょうど,コンニャクという,いわゆる栄養分はない食品があって,食品として無意味ではないのと同様,一見無意味な情報も,別の視点からみれば意味があるのではないか。消化器系が,栄養のあるなしにかかわらず,まさに消化すべきものとしてコンニャクを求めるように,大脳は,自己が「消化」すべき情報を求める。その時,有意味・無意味という,結局のところ狭い,価値評価の枠組みにすぎぬものなどは,現実にはじきとばされているのではないか。こうして,氏はいわゆる無意味情報を,コンニャク情報と名づけて,積極的にその意味を探ろうとする。
ところで,こうした氏の発想源は何だろう。生物学を考えてみる。学問としての生物学の分類に,雑草の部はない。また役に立つ生物,害になる生物という分類もない。生物として同等に扱われる。その手続きがあってはじめて,別の(有益・有害以外の)新しい基準を作ることが可能となる。つまり,新しい価値の創造が可能となる。
あるいは,民族学を考えてみよう。10億人の民族と,たった数千人からなる民族は,いずれも一民族として扱われる。民族について,価値判断(たとえば優秀等の)を加えることはできない。それぞれの民族は,異なるけれども同等の社会的意味をもつ。梅棹氏は,生物学出身にして民族学を専攻されてきたが,そうした氏の学問経歴からも,コンニャク情報は生まれてきたのではないかと思われる。
以上,情報について,たった一つの価値基準からする二分法を越えた,情報の全体像をとらえる試みが始まる。
情報の全体像をとらえようとする時,「情報というものは,コミュニケーションとは区別しなければなるまい」。コミュニケーションには,常に送り手と受け手がいる。したがって,常に送り手の意図,目的が想定される。しかし,送り手のいない情報はたくさんある。送り手がいなければ受け手もいない。かくして,情報とコミュニケーションとを区別することによって,すべての情報を送り手の意図,目的からとらえようとする見方を防ぐことが可能となる。まさに,コミュニケーションの枠をはずせば,「世界は情報にみちているのである」。さらに,生物の「生きる」ことの根源に情報がある。そして,コミュニケーション成立のはるか以前から,1個の生物は,他の生物にとって情報であり,このことが生物の社会を作り上げている。まさしく,「世界そのものが情報である」。
環境と生物との相互作用をとらえるのが生態学である。ところで,「世界は情報にみちている」のである。電磁場が地球をおおっているように,情報の場が我々を取り巻いている。とするなら,環境としての情報と人間との関係を考える学問,つまり情報の生態学をつくることはできないか。前に,情報の社会的意味という言葉が使われていたが,「社会」という,気づかぬ内に人間中心主義的なにおい,さらには意図,目的がはいり込みそうなものに代えて,氏はもっと中性的な生態学という言葉を使う。
ついでにいえば,工学的発想にはどこまでも目的がついてまわる。「生体にせよ,機械にせよ,システムの機能を統御しているものは目的の存在である」。
梅棹氏は,人類史を三分して,農業の時代,工業の時代,情報産業の時代とする。農業の時代は,すべての価値の基準が農業生産におかれる。たとえば江戸時代の日本では,石高(コメの生産量)が価値の基準であった。工業の時代は,労働とエネルギーの時代である。そこでは農業も大量生産が可能となり,カロリー,エネルギーになおして計算される。ところが,情報産業の時代になると,情報というきわめて個別的なものが価値の基準となる(ここでいう情報産業とは,いわゆるソフト産業ではない。産業全体の性格が取り上げられているのである)。農産物も個性的な感覚的情報の担荷体となる。工業品も機能が品質であった時代から,デザイン等の「情報的価値こそが品質」となる。
ところで,なぜ工業の時代は,情報産業の時代へ移るのか。氏の考えでは,「工業それ自体の発展によって」,少品種大量生産の時代から,多品種少量生産の可能な時代となったのである。均一の規格品から,個性的な製品へ移ってゆくのである。そして情報媒体(紙・電波)についても,その大量生産の成功によって,何のためかはわからぬままに,大量の情報群が発生したのである。情報の氾濫がおこったのである。かくして,ものが情報を動かしていた工業の時代から,「需要は情報にあり,ものそれ自体は,情報をのせる台にすぎない」時代,すなわち情報産業の時代へと移りゆく。たとえば,労働力としての人間を運んだ交通機関が,いまや情報の担荷体として人間を運ぶ。その限り,いわば情報機関に性格をかえたのである。
ソフト開発の価格を人・時で決めるのは,まさに工業の時代の基準である。これに対しソフトの価格決定について,梅棹氏が『情報産業論』で提唱した有名な「お布施理論」は,情報産業の時代における新しい基準の提案であった。
「工業の時代のはじまりとともに,人類は価値のあたらしい基準を発見したように感じた」。「価値の大転換をもたらした」。しかし,それは「より根源的な価値転換の先駆形態」でしかないかもしれない。きたるべき情報の時代こそ,「根本的な価値の大転換を経験することになるであろう」。人類の文明史について,こうした見方を「文明の情報史観」と呼ぼう。まさに我々は今「人類史における価値の大変換」の時代に立っているのだ。