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Accumu Vol.10

バリ紀行

京都コンピュータ学院教員 川畑 節幸

西洋文明崇拝者と揶揄されたこともある私が,南の島,バリ島へ行くことになった。友人の多くは,「バリへ行く」という私のメールを「パリ」と読み違えたらしい。そこまで私に南の島が似合わないものだろうか。ともかく私は,バリ島へ行くことになった。

インドネシア共和国にある一万七千もの島の一つがバリだ。首都ジャカルタがあるジャワ島のすぐ東隣に位置する。またその東側には,有名なロンボク海峡を隔ててロンボク島を望むことができる。南緯8度,東経115度と,典型的な熱帯モンスーン気候の島である。

バリ島へは,日本からの直行便がある。関西国際空港を発って約7時間,バリ州都デンパサールのングラ・ライ空港に到着。日本との時差はマイナス1時間であるため,到着後の違和感はない。送迎バスに半時間ほど揺られて,宿泊するJasmine Sekar Nusa Resort(http://www.indo.com/hotels/sekar_nusa/index.html)に辿り着く。

~ヌサドゥア~

バリ

滞在に利用したホテルは,バリ島の南部,ヌサドゥアというエリアにある。ガイドブックによると,ビーチに面した東側を除く三方をゲートに囲まれたこの地は,観光客および許可を受けた者以外の立ち入りが禁じられているという。

伝統的な寺院の割門(チャンディ・ブンタル)を模したこれらのゲートを境界として,その内と外で街路の様相は大きく異なっている。片や美しく舗装され,両側に広く敷かれた芝生も青々の閑静なリゾート地。一歩ゲートを出ると,民芸品店や屋台が建ち並ぶエネルギッシュな街並みとなる。

もちろん,興味が惹かれるのはゲートの外,ヴァイタリティに満ち溢れた世界の方だ。東南アジアの街外れというと警戒心を抱くかたが多いかもしれないが,昼間に店並びを散策するくらいなら危険な目に遭うことはまずない。道も広く見通しが良い上に,店主達は観光客が大事な客だということを理解している。

とある店先で綺麗なバティック(ジャワ更紗)を見つけ,中に居る店員と早速値段交渉を開始する。まず提示された値段は9万ルピア。日本円にして約千円と思えば安いような気もするが,この値で買えば次に来る日本人はもっと吹っかけられるだろう。敢えて不服そうな顔つきでおもむろに電卓を叩き,4万5千ルピアでと言い寄る。(電卓を使ったわりには単に半額にしただけだ)

バリでは,レジのない店で値札のない商品を買う際には,まず言い値の半額まで値切るのが定石。このバティックも,何度か折衝を重ねた後,結局5万ルピア(約600円)で購入することができた。後から聞いた話では,まだまだ交渉次第では値引きができるらしい。値札の付いている商品でも,デパートや免税店でもない限りディスカウントに応じてくれるはずだ。

一通りショッピングを済ませたあと,ゲート内へ戻り,ビーチへ出る。この地域にはヒルトン,シェラトン,ニッコー,ハイアット,と有名ホテルが建ち並んでいるが,これら大型ホテルのフロントビーチは人で溢れている。少し離れた場所にてひと休みすることにした。沖合まで広がる珊瑚のおかげで,波は非常に穏やかだ。

ほとんどひと気のない砂浜でくつろいでいると,物売りが近づいてきた。とても立ち入り許可を受けている者とは思えない。ビーチはゲート内ではなかったか。思い起こせば,ゲートには門番など居らず,バイクなども自由に行き来していた。立ち入り禁止というのは,いかにもリゾート然としたゲート内に対する不文律だったのだろうか。

~ネカ美術館~

バリ芸術の中心地,ウブドの北西にネカ美術館はある。絵画収集家で創設者のステジャ・ネカ氏が描かれた肖像画のみを集めたフロアがあるなど,一見成金の道楽とも思えるこの美術館だが,各展示館は系統的にきちんと分類されており,伝統的なものから現代に至るまで,一巡すればバリ絵画の歴史的な推移を理解できるような構成になっている。

入り口を抜けてすぐの展示館には,伝統的なバリ絵画が展示されている。イスラム教中心のインドネシアにおいて,唯一ヒンドゥー教を信仰するバリ島らしく,インドの古典叙事詩『マハーバーラタ』や『ラーマヤナ』の一場面を描いた作品が多い。群集や様々なモチーフが独特の遠近法により画面いっぱいに繰り広げられ,西洋絵画とは明らかに異なる画風が非常に印象的だ。

こうした伝統的なスタイルは,西洋絵画の影響によって滅びたわけではない。この展示館を進んでゆくと,現代において伝統的手法を受け継いでいる画家グループの作品群が展示されている。ただし,依然として神話世界を描いているのではなく,観光客やニュース映像を撮るカメラマンなど近代的なモチーフが取り上げられており,古典的な画風と相まって大変興味深い。

先ほど「西洋絵画の影響」と書いたが,バリにおいて,1930年代以降にそれは顕著となる。西洋人画家がバリに移住し始め,若手画家に西洋風の手法や画材の使い方などの教育を施したためだ。二番目の展示館では,バリに移住したオランダ人画家アリー・スミットと,彼に指導を受けたアカデミックなバリ人画家の作品が紹介されている。

アリー・スミット・パビリオンと名付けられたこの展示館には,スミット氏本人の作品も含め,明らかに西洋画家の影響を受けた作品群が並べられている。その作風は,印象派以降抽象画に至るまで,西洋近代絵画の流れを凝縮しており,節操がないと言えなくもない。ゴーギャン風,ゴッホ風,ルノワール風,シャガール風,などと一見して判断できるといった,未消化の感をぬぐえない作品も多い。

こうした芸術の西洋化の波が伝統文化を駆逐したわけではないことは前述した。最初の展示館では,西洋に対するものとして独自文化のアイデンティティを誇示していたが,後半の展示館では,「東西絵画の出会い」をテーマとして,文化の理想的な融合の形が提示されている。ここで主に展示されているのは,写実的な手法を用いて描かれたバリの人々の肖像画だ。なるほど,バリの美しさを伝えるには,こうした写実表現が一番適切かもしれない。

~舞踏鑑賞~

バリ

バリに滞在していると,幾度となく民族舞踏を鑑賞する機会がある。寺院の境内や古の王宮跡などに舞台が設けられることが多いが,レストランの中やショッピングモールの一角など,夕暮れ時に街を歩いていて偶然目にすることも度々だ。

バリ滞在三日目の夕食は,ケチャック・ダンスを鑑賞しながら摂った。この踊りはバリ舞踏の中でも最も有名なものであろう。物語は,ラワナ大王に王女シンタを攫われたアヨディア王国の王子ラーマが,猿の将軍ハヌマンと協力して王女を救い出すという『ラーマヤナ』のストーリー。

松明を囲んだ数十名もの男性合唱団が「チャッチャッ」と掛け声をあげながら手拍子でリズムを刻む中,舞台では物語が展開してゆく。この掛け声は猿の鳴き声を表現しており,リズムの表拍・裏拍が絶妙に絡み合うことで,ハヌマン率いる猿の大群を表現している。この力強さは,生で鑑賞した者でしか味わえないであろう。

翌日は,ウブドのプリ・サレン・アグンという王宮跡で地元舞踏団の公演を鑑賞した。前日のケチャック・ダンスの音楽は男性コーラスのみによるものであったが,今回はガムランのアンサンブルが付随していた。ガムランとは,インドネシアの伝統的な楽器を用いた合奏音楽の総称で,大小のゴング,青銅製の鉄琴,鼓のような打楽器,管楽器などから構成されている。

こうした,舞踏劇・ガムランの組み合わせはバリ芸能の典型的な形であり,村ごとに存在する舞踏団・楽団は,冠婚葬祭などの宗教的な儀式と深く結びついている。優れた技術は村の誇りとなるため,村人達は日々練習に励んでいるという。

ウブドで見た舞踏は,先述のケチャックや,『マハーバーラタ』をモチーフとしたバロン・ダンス,艶やかな女性が演じるレゴン・ダンスなどと較べてやや知名度の低いガボールと呼ばれるものだが,演者の掛け合いなどは日本の狂言に通じる部分も多く,非常に興味深かった。こうした舞踏は,ここでは毎晩出し物を変えて上演されるので,バリ滞在中には一度はウブドを訪れることをお勧めする。

~ガムラン演奏~

バリ

最終日には,ガムランの演奏を体験した。私がレッスンを受けたのは,プマデと呼ばれる鉄琴の一種で,調律された10枚の青銅の板を1本の木槌状のバチで叩く楽器だ。

10枚の板は,ドレミファ音階のファとラを抜いた,いわゆるペンタトニックが2オクターブの範囲で調律されている。これは沖縄民謡をはじめ,世界各地の民族音楽で使われる音階である。実際,指導してくれた先生は,ガムラン楽器のみを用いて,沖縄民謡を演奏してくれた。

日本で一般に見られる鉄琴・木琴の類は,2本のバチを両手で持って演奏するが,このプマデは右手にのみバチを握り,左手には何も持たない。青銅の板は一度叩くとその余韻が長い間残るため,鳴っている板を空いている左手で押さえて消音しないと,音が次々と重なって濁ってしまうからだ。

ピアノなどの鍵盤楽器に慣れ親しんでいると,この「鳴らさない鍵盤を手で押さえる」という作業に戸惑うことがある。実際,一緒にレッスンを受けた観光客の中には,右手で板を叩くと同時に左手で押さえてしまい,ガムラン独特のうねりを持った余韻の広がりを得られない場合が多く見られた。

ガムランの鉄琴には,もう一つ特徴的な奏法がある。コテカンと呼ばれるその技法は二人一組で行われ,一人が表拍を叩き続ける間に,もう一人が音の隙間を埋めるように裏拍を刻む。二台の楽器は微妙に調律が異なるため,結果としてトレモロのような効果が生まれ,独特の音空間が広がる。

ケチャのコーラスにおいてもそうだが,1台の楽器(もしくは一人の肉声)では表現不可能な細かいリズムをアンサンブルで演奏することが,バリ音楽のパワーの源となっている。頭で考えながら演奏していては,このパワーは生まれない。音楽と演奏者の魂が一体化することによってのみ,合奏音楽としてのガムランは完成する。

~最後に~

バリは,人々に様々なイメージを与える。リゾート地としてくつろぎを求めるもよし,芸術文化を鑑賞に来るもよし,米と肉を用いたインドネシア料理は日本人の口によく合う。女性にとっては,エステ,マッサージ,アロマテラピーでリラックスできるのも大きな魅力であろう。

わずか5日間の滞在では,その全てを味わうにはあまりにも時間が少なすぎた。帰国前の旅行社のアンケートに,再びバリを訪れたいと思うと答えた旅行客は大半だと思うが,僕もその中の一人となった。

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川畑 節幸
Takayuki Kawabata
  • 京都コンピュータ学院教員

上記の肩書・経歴等はアキューム発刊当時のものです。