フェニキアの王女エウロパは父王アゲノルの自慢の美しい娘で,世界中の若者の憧れの的でした。ある日侍女達と一緒に海辺で遊んでいたところ,どこからか真白の牛が現れてきて,彼女の側に座り込みました。その牛の背中に腰を下ろすといきなり牛は立ち上がり,エウロパを乗せて走り出しました。侍女達が追いかけるのを振り切って海に飛び込み,沖に向かって泳いでいます。エウロパは恐怖のあまり必死で牛の角をつかんでいました。やがてクレタ島にたどり着き,そこで牛は正体を現します。それは神々の主神でオリンポス山の神殿に住んでいるはずのゼウスでした。実はゼウスは好色なことでも神々の中でも随一で,正妻ヘラの目を盗み,美女であれば娘であれ人妻であれ,逃さず自分のものにしてしまいます。エウロパはクレタ島でゼウスの何番目かの妻として暮らし,彼女の名は「ヨーロッパ」の語源となり,すべてのヨーロッパ人の母となったということです。
上は木枯らしの吹く頃,澄み切った冬空,オリオンの北に輝く「おうし座」の物語である。ヨーロッパ文明の始まりはギリシアであるが,ギリシア文明の源はクレタ島を中心とするエーゲ海文明であることを考えると,この物語は文明の光が今のレバノン辺りにあったフェニキアからクレタ島を経てギリシアへ伝わったことを象徴しているようだ。おうしは荒々しく角を振りかざして突進する姿として描かれていることが多いが,実はエウロパを乗せて地中海を渡っているところである。
そのおうしの肩にあたる箇所に他の星とはやや違ったぼーっと光るものが見える。目のいい人なら数個の星が分離して見えるだろう。双眼鏡で眺めると多数の星々が視野一杯に広がっているのがわかる。これがプレアデス星団で和名を「すばる」という。歌や車の名前にも付けられて,私達にお馴染みの星だ。
「ほしはすばる・・・」とはいうまでもなく平安時代の才女,清少納言の「枕草子」の一節だ。すばるとは「すまる」,すなわち上代の人々が好んだ勾玉のことといわれ,天の首飾りとはこの星々にこそふさわしい。1999年に完成し,ハワイ島の山頂に設置されたわが国の天文界念願の世界最大級望遠鏡は「すばる望遠鏡」と名付けられた。現代の「すばる」は宇宙の果ての珠玉を探し,それをウェブ上で公開している。
中国では星は天帝に仕える役人で,すばるは昴宿といわれた。昴宿星官が孫悟空を助けて大蠍を退治するという場面が「西遊記」に登場する。ギリシア神話では巨人アトラスと海のニンフ(=妖精)プレオネの間に生まれた七人姉妹という。
プレアデス星団の主なメンバーは表の通りすべてB型星で,400光年の彼方から青白い光を放つ。全メンバーの中で最も明るいのは長姉星アルキオネで太陽の約千倍の光度で輝いている。9個の星のうちマイアとメローペはブラシで掃いたように見えるが,これは星の光が周りのガスと塵によって反射しているからだ。ガスと塵はこの二つの星の側だけでなくプレアデス全体に分布している。また分光型の末尾にeが付いている4個は,スペクトル中に輝線が見えるもので星の周囲に広がった高温ガスが付随していることを表す。しかもこれらの星は一日足らずで一回転という猛スピードで自転しているので高温ガスは土星の環のようにリング状に取り巻いているだろう。母星プレイオネは9個の星の中で最も暗いが時々ガスを噴出することで有名な変光星である。星団の年齢はメンバーの最も明るい主系列星のスペクトル型から推定でき,それによるとプレアデス星団は生まれてまだほんの数千万年(!)しか経っていない。太陽がすでに50億歳という中年星であることと比べれば,まだ若くて活発な少女なのだ。
最近,「すばる」と「浦島太郎」について興味ある話を聞いた。彼は助けた亀に連れられて,龍宮へ行き鯛や平目のもてなしを受け,乙姫様のお婿さんになったことになっている。この物語は室町時代頃にできたらしいが,日本書紀によると,彼は雄略天皇の22年(5世紀末)7月に丹波の菅川(京都府与謝郡伊根町筒川)から出発したそうだ。わずか数行の文章の最後の件に「蓬莱山に到りて,仙衆を歴りて覩る。語は別巻に在り。」とある。「蓬莱山」とは古来中国人が憧れた東海の彼方にある仙人の郷で,これがおとぎ話では「龍宮」に変わったものらしい。「仙衆・・・」については,脚注に「昴星が七人の子になって,畢星が八人の子になって,浦島を見にきた。」と書いてあり,「別巻」からの引用らしい。「別巻」とは8世紀初めにできたが,その後失われてしまった「丹後風土記」のことである。昴とはすばるであり,畢とはおうし座のα(アルデバラン)星やε星などを含む星々を指す。となると,浦島を出迎えたのは魚達ではなく星々であり,龍宮は海の底や海中の島ではなく,おうし座のどこかの星に在ったことになる。浦島は亀に乗って海へ行ったのではなく,実は宇宙船に乗ってはるか彼方の星まで旅してきたわけだ。浦島は龍宮から帰って来たら知らない人ばかりで,開けてしまった玉手箱からの白煙で一挙に歳をとってしまうが(この話は日本書紀にはない),これは宇宙旅行中ゆっくりと時間を過ごしたからと考えていいだろう。相対性理論では時間の進み方は常に同じというわけではなく,光速に近いスピードで運動する系では通常の系に比べ時間の進みが遅くなり,歳をとらない。だから宇宙旅行をして帰って来ると,地球上では何十年も何百年も経っているということが起こり得る。これを誰がいったか「ウラシマ効果」という。もっともこの言葉は日本人しか理解できないだろうが。
お爺さんになった浦島太郎の最後は不明だが,鶴となって大空へ飛び去ったという説もある。やはり彼は乙姫様の住む星へ帰って行ったのだろう。憶測・偏見に過ぎないが,浦島物語は宇宙旅行,異星文化,ウラシマ効果の貴重な体験記なのだ。
●坂本太郎,家永三郎,井上光貞,大野晋著 「日本書紀」 岩波文庫 1994
●作花一志,中西久崇著 「天文学入門」 オーム社 2001
●佐藤省三著 「天界」2001年10月号(Vo1.917号) 東亜天文学会 2001
すばる望遠鏡 http://subarutelescope.org/j_index.html
栗田直幸 http://www.ne.jp/asahi/stellar/scenes/