思えば,出来の悪い学生を研究室の一員として4年間:卒研を2年間,内地研修を1+α年間,ご許可いただきました。本人不出来のため,ご指導も申し訳ない結果で,今でも右往左往の状況です。それでも,「萩原研究室」出身を名乗らせていただき,多士済々の人脈も助けていただいております。不甲斐無さと同時に,改めてその有り難さを感じる今日この頃です。学生時代,「計算機システム」の講義を拝聴し,その素晴らしさをご教授いただき,「計算機アーキテクチャ=マイクロプログラミング」と感じ入って,萩原研究室の門をくぐらせていただいたのは,35年も前になりました。当時の萩原研のスタッフは,渡邉先生,富田先生,柴山先生(卒研2年目には助手に着任なさいました)という黄金期で…研究室対抗ソフトボールも結構強かったし…周囲の皆さんも輝いておられました。研究室活動では,今で言う不登校学生の走りでしたが,久美浜での海水浴,研究室のコンパ,一番怖い,研究室内定期発表と思い出が走馬灯のように巡ります。卒業研究発表の後,研究室の学生を前にされて,「みんな,お疲れさん。頑張った人も,それほどでもない人も…」と仰ってから,当方の顔をご覧になって,「ぷっ」とお笑いになったのを昨日のことのように思い出しました。本当に有り難うございました。心からご冥福をお祈り申し上げます。