私の住むニューヨークの名物,イエロータクシーの運転手に,バングラデシュ人も少なくありません。この夏,バングラデシュに行くことを伝えると「母国に来てもらえるなんて光栄だ。ダッカには親戚がたくさんいるから,ぜひ連絡をとって」と勧められたり,また国歌を歌って聞かせてくれるドライバーにも出会いました。その中でも一番印象的だったのは,大学に通いながら働いているという学生ドライバーで,謙遜なのか本心なのか「僕は,あんな国には帰りたくないね」と。理由を聞くと「あの国は,誰もが怠け者なんだ。だから国はずっと貧しいままなんだ」。
バングラデシュは,インドとミャンマーと国境を接する人口約1億5千万,そのうち8割から9割がイスラム教を信仰する国です。ドライバーの言うとおり,国連開発計画(UNDP)によると,バングラデシュの人間開発指標は,全世界177ヵ国のうち139位で「開発が遅れている国」の一つと言えるかもしれません(1) 。しかし,私が降り立った首都ダッカは,活気に溢れていました。朝と夕方の通勤ラッシュ時間帯は,カラフルに装飾されたリキシャー(人力車)が街中を競うようにかけ抜け,また伝統衣装シャルワ・カミーズを着た女性が行き交い,街はとても色鮮やかでにぎやかです。 ダッカでは,一日約40万のリキシャーが走ると言われています。そして休日には,街のあちこちからクリケットに熱中する子どもたちのはしゃぎ声が聞こえてきます。
(1)日本は7位。上位3カ国は,ノルウェー,スウェーデン,カナダ。
2007年夏,私は,5月下旬から8月中旬までの3ヵ月間,ダッカにて,ユニセフ(UNICEF=国連児童基金)事務所で,インターンシップをする機会に恵まれました。教育セクションに配属され,正規の学校に通っていない労働に従事する子どもたちを対象としたプロジェクトを担当しました。バングラデシュでは,7歳から14歳までの790万人の子どもたちが働いています。そのうち京都市人口とほぼ同数の150万人が,ダッカを含む6つの都市で働いています。都市部で働く10歳から14歳までの子どもたちを対象に,バングラデシュ政府は“Basic Education for Hard-to-Reach Urban Working Children Project”と呼ばれる基礎教育の機会を提供しており,ユニセフは技術面でサポートしています。私は,政府担当者やユニセフの上司,同僚にお願いをし,同プロジェクトが運営するラーニングセンターになるべく足を運ぶようにしました。
現在,ダッカには約2000のラーニングセンター(2) があり,週6日,1日2時間半,25人の子どもたちがひとつのセンターで,ベンガル語,英語,算数などを学んでいます。子どもたちは,授業を終えると仕事へ戻ります。女の子の多くは,家事手伝いとして,男の子は,車の修理工,仕立屋見習い,レストラン,市場,溶接工場などで,夜遅くまで,ときには深夜12時まで働きます。11歳のベイビーと12歳のタスリマの仕事は「レンガ割り」です。文字通り,赤茶色のレンガブロックを朝から晩まで,ハンマーで叩き細かくなるまで砕きます。ポッダ(ガンジス),ジョムナ,メグナの大河の下流に位置するバングラデシュは,国全体がデルタであるといっても過言ではありません。そのため,セメントの材料となる石が少なく,細かく砕いたレンガを道路の舗装やビルの建設に使います。屋根のないレンガ集積場で,毎日30度を超す気温の中,強い日差しを浴びながら,ベイビーとタスリマは文句一つ言わず家族と共に働いていました。
(2)バングラデシュ政府とユニセフは,2009年までに20万人の子どもたちを対象とした8000のラーニングセンターを開校する予定です。
ダッカの街中では,まだ15歳にも満たない子どもたちが,レモンやグアバ,アイスキャンディー,雑誌や新聞,それに新しく出版されたばかりの「ハリーポッター」を大きな声を張り上げ道行く人へ売っています。外国人である私を見つけると,どこで習ったのか英語で丁寧に自己紹介をはじめたり,良い客を見つけたとばかり法外な高い値段でしつこく迫ってきます。子どもたちと私の我慢くらべです。「買ってよ」という子どもたちに私は「買わない」と一点張り。そして私がいつまでもお財布を取り出さないことがわかると「あっかんべえー」をして立ち去ります。本来ならば,彼らに同情するべき場面かもしれませんが,私は,毎日一生懸命大人に交じって働く彼らのそんな子どもらしい一面を見ると,嬉しくなりました。
ラーニングセンターに通う子どもたちの知識やスキルも実に豊かです。叔父さんのお店を手伝う11歳のリトンは,商品の値段を全て暗記しています。10歳のシャイフルは,私が彼の家の近くのレストランに行くたびに,本当はそのレストランではなく隣のお店に雇われているはずですが,どこからともなく現れて,お水やお茶をサービスしてくれます。また,兄弟姉妹が多い家庭で育った彼らは,幼い子どもの面倒を見るのがとても上手です。趣味は「小さな子どもたちと遊ぶこと」という12歳のルベルは「そうそうそれでね,毎日遊んでいたら,その子たち,うちに住みついたんだ。だから,今はみんな一緒に住んでいる」とのこと。彼らの人を思いやる気持ちや行動,また寛容さは,想像を絶します。また,毎日必ず妹ノポンをセンターに連れてくる12歳のシャミヌアは,ある日,いつもは裸のノポンを,サリーを真似たのか自分のスカーフでぐるぐる巻きにし,こっそり何かを指示。普段全く私になつかないノポンですが,その日「サリー」を身にまとった彼女は,グアバを手渡しに来てくれました。遠くからその一部始終を眺めていたシャミヌアは,そんな妹を思いっ切り褒め,一方私はそんな彼女たちの姿に,ただ驚かされ,心温められました。
子どもたちに「ラーニングセンターは好き?」と聞くと「うん,学ぶことこそ僕らの未来だから」と,しっかりとした答えが返ってきます。家事手伝いとして働く11歳のファジャナは「お店で買い物をしたときに,お釣りを騙されてとられそうになったことが,以前はよくあったけれど,今は,もう計算ができるから大丈夫なの」と言ってくれました。さらに,彼らに将来の夢を聞いてみると「たくさんの人を助けたいから医者になりたい」,「学校の先生になるんだ。それでね,他の子どもたちにも文字や算数を教えてあげるんだ」,「絵を描くのが好きだから,アーティスト」,「私は,警察官」,「僕は,自分でお店を持ちたいんだ」など,頼もしい答えが返ってきます。ある男の子は「サウジアラビアに出稼ぎに行きたい」と。彼の言葉は,ニューヨークのタクシードライバーを私に思い出させました。
あのドライバーが言うように,たしかに,わずかな給料で家計を支える子どもたちが何百万人もいるという現実,「経済的な」貧しさは,ダッカの至るところで見受けられます。しかし,私がこの夏出会ったダッカの子どもたちは,実に豊かな知識とスキル,そして厳しい日常の中でも遊び心と思いやりを決して忘れない逞しさ,心豊かさを持っていました。また,幼い弟妹を腕に抱えながら,ときには疲労の残る表情を見せながらも,一生懸命にラーニングセンターに通う彼らの姿からは,「学校」で学ぶということに対する誇りを強く感じました。バングラデシュのような「開発の遅れている」国の「働く子どもたち」は,国際社会からすぐに「貧しい」というレッテルを貼られ,彼らの置かれている状況は「貧困」「開発途上」「社会問題」としてのみしばしば扱われがちですが,彼らの持つ「豊かさ」こそ,注目され賛美されるべきだと私は思います。