金融をはじめとするあらゆる業種でIT化が進み,携帯電話や自動車など私たちの身の回りの製品にもコンピュータが組み込まれています。私たちのビジネスや生活はコンピュータ抜きでは成り立たないといえるでしょう。その意味で現在,産業や社会の根幹をIT業界が支えていると言っても過言ではありません。しかしながら,IT業界の実情は外からはイメージしにくく,一般の人たちがIT業界に対して誤ったイメージを持っている場合もあります。そこで,今回は,日本のIT業界の代表的な業界団体である全国地域情報産業団体連合会(ANIA)の中村真規会長に,IT業界の現状についてお話を伺いました。
―IT業界では,どのような業務があるのか。仕事の現状をわかりやすくご説明ください。
中村 日本の社会を人間の体にたとえて説明してみましょう。人体でいえば,心臓などの器官や筋肉などを上手くコントロールするのは神経です。神経がはりめぐらされていることで,私たちは活動できるわけです。私たちの社会において,この神経にあたるのが,情報ネットワークです。ITを駆使して構築された情報ネットワークがはりめぐらされていることで,私たちの社会は成立しています。この情報ネットワークに関連する仕事が,IT業界の業務の大きな柱の一つといえます。社会の神経あるいは脊髄にかかわるような仕事です。
ただ,この仕事は重要な反面,外からはわかりにくいという特質をもっています。一時期,ITが流行になって,マスコミなどで,もてはやされたことがありました。しかし,もはやITは流行ではありません。しかし流行が去ったからといって,ITの重要性がなくなったということではありません。むしろITは,私たちが生きていくために必要不可欠なものとなっています。あまりにも,私たちの社会全体に情報ネットワークがはりめぐらされたことで逆にその重要性が見えにくくなったといえます。
例えば,銀行のオンラインシステムもITによって成立しています。オンラインシステムは,動いていて当然と思われていますので誰も驚きもしません。社会で注目されるのは,そのシステムがダウンした場合などに限られます。私の会社では,空港の管制システムに携わっていますが,もし何かあれば大惨事となりかねません。何も起こらないことが成果となります。その成果は外部から意識されにくい。このように,あまりにもITが,私たちの社会生活に必要不可欠なものとなったので,かえって普段は,それを支えているIT企業や技術者が注目されることは少なくなりました。
しかし,神経が切れると活動に支障が出るように,情報ネットワークに問題が発生すると,私たちの社会は大きなダメージを受けます。その意味で,IT業界の人間は,とても重大な責任を負っていると思います。社会活動を維持する,まさに脊髄の役割を担っていることにIT業界の人間はもっとプライドを持つべきだと思います。
次に,人体でいえば脳の前頭葉が司るような仕事があります。具体的に言えば,クリエイティブなコンテンツをつくる仕事などです。Google が目指している世界とか,「おいしい」とか「美しい」とか,そういうことを問題とする分野です。この分野は,まだこれからといえるでしょう。仕事の量の比率で言えば,前述の脊髄系の業務が10なのに対して,前頭葉系の業務は1ぐらいだと思います。ITの登場によって本当に私たちの社会生活は様変わりしたといえるわけですが,今後さらにITによって進歩が生じる分野は,人体でいえば脳にあたる部分でしょうね。
―IT業界を3K(きつい・汚い・危険)の典型のように捉える見方もあります。
中村 実際には,3Kではありません。まず,IT関連の業務は,室内でのデスクワークが中心ですから,「汚い」「危険」ということはありません。夏も冷房が効いている中で仕事するのが通常です。炎天下でいろいろな作業をする人と比べれば,作業環境として劣悪だということはありえません。「きつい」という点について言えば,IT関連企業だけがそうだというわけではないと思います。仕事が忙しくて,なかなか早く帰れないのは,日本の社会全体で見られる状況であって,IT業界特有のものではありません。
どんな仕事でも何か問題があれば,対応するために1日,2日と徹夜が続くことはあり得ます。例えば,消防関係の人であれば,災害が発生すれば動員されて何日も勤務が続くことはありますし,別段そのことで不平を言うことはないでしょう。IT業界でも,もちろん,納期前やトラブル発生時には,忙しくもなりますが,それは業種を問わず,どの分野でも生じることです。普段から,家に帰れないほど忙しいのかと言えば,少なくとも私の会社(株式会社デジック)ではそんなことはありませんし,通常のIT企業も同様です。
ただ,アニメーション作成などの,いわゆるコンテンツ系企業などのクリエイティブな仕事の場合は,少し状況が違います。デジタル分野に限らず,クリエイティブな仕事は一般的に,始めたらなかなか終われないのが特徴です。2~3日徹夜が続いて事務所の床に布団を敷いてといった事例をマスコミが好んで取り上げたりしますね。
またIT業界には,残業が多くて給料も低い,人をこきつかうような会社も中にはあります。しかし他の業種と比べて,IT業界で特にそうした企業が多いということはありません。これは若い人に伝えたいことですが,大事な仕事を選ぶ際には,きちんと様々な人から情報を仕入れて,しっかりと会社を選ぶことが重要です。
いずれにせよ,IT関連の業種が他の業種と比べて,特に「きつい」ということはありません。IT関連は,「きつい」と言ったほうが世間受けするので一部の企業の特殊な事例をマスコミがとりあげ,結果としてIT業界での仕事は「きつい」というイメージが作られているように思いますね。
―IT業界で働く人の給与待遇はいかがでしょうか。
中村 むしろ他の業界と比べて好待遇だといえます。一例として,健康保険の標準報酬月額に関して職種ごとの厚生労働省による都道府県別の比較データがあるのですが,私の会社のある北海道の例でいえばSE(システムエンジニア)は全92職種中,第14位にランキングされています。プログラマは真ん中ぐらいです。
SEが,かなり上位だということがおわかりいただけるでしょう。プログラマが真ん中ぐらいということは,どうなのかということですが,これには少し説明が必要です。ソフトウェア開発の現場では,まずプログラマを経験してから,SEになっていくというパターンが通常です。そのためプログラマは入社後数年の者が多く,全体の平均が20代,SEの場合は30代半ばの人が中心ということになります。プログラマの場合は,平均年齢が20代ということになりますので,給与が全職種の真ん中ぐらいに位置しているということは,待遇面で悪くありません。実際,平均年齢における所得比較ではシステムエンジニアは30代におけるトップの所得であり,プログラマも20代のトップです。IT関連の業種の給与待遇は,他業種と比べて恵まれているといえるでしょう。また実労働時間においても,SEは全92職種中73位,プログラマは60位であり,決して長時間労働ではありません。
―IT業界の一般的なイメージと実態との間には,かなりの開きがあるようですね。誤解も多いようです。それでは業界は,どのような人材を求めているのでしょうか。
中村 日本のIT業界におけるシステム開発の現場は,チームワークで動いています。一人の天才がいて,その天才を他の大勢が支えるといった仕組みにはなっていません。ネットワーク型といいますか,同じような能力の人間が集まってチームで仕事していくわけです。
協調性というと,自分の意思を曲げて他人に従えばいいのか,と思われかねないので,私はあまり使いたくないのです。自分の意見を相手にあわせろ,ということではないのです。協調性という言葉には,そうした誤解を招く危うさがあると思います。
最後はプロジェクトの責任をとる人間が意思決定をして,それには従わないといけないわけですが,やはり,自分の意見をしっかりと持ち,言うべきことは言って,そのうえでプロジェクトを成功させられるかが,プロジェクトのメンバーには求められます。そのためには,コミュニケーション能力が必要です。
コミュニケーション能力というのは,自分が何を言いたいのか,あるいは自分が何を分からないでいるのか,相手が何を言おうとしているのか,そういうことがわかる能力です。
ビジネスで大切なのは,交渉の場などで何が言われていたのか,そのテーマなり内容なりを理解する作業です。もしSEが,お客さんのいうことを半分しか理解できないと,半分だけのシステムになってしまいます。
他人の言っていることをきちんと理解することが重要なのですが,これが意外と難しい。同じことを3人に伝えたとしても,3人が別の理解で,別の行動をする場合も多い。私の会社でも,入社試験でヒアリング能力のテストをしています。ある事柄を3回聞かせて,何が言われているか,そのテーマなり内容なりを理解しているかを確認します。先入観や思い込みが強くては,やはりまずいです。
―コミュニケーション能力以外に求められる資質は何でしょうか。
中村 システム開発などの現場では,判断力や決断力が必要になります。新卒者を採用してみてわかるのは,そうした肝心なことが,あまり訓練されていないということです。
本来,IT関連の教育では,スポーツ系の教育で行われているような,科学的に分析して,その結果に基づいてトレーニングを重ねるといった教育が望ましいのではないかと思っています。しかし大学では,知識を教え,一応,実習の授業もあるようですが,判断力や決断力を育成するような教育は,為されていないようです。
余談ですが,判断力の訓練といえば,私の場合,社員を連れて食事に行った際に,メニューを見せて,何にするか10秒で選ばせます。ラーメンにするのか,チャーハンにするのか。10秒で選びますから,後悔することもあります。それによって私が何の訓練をさせているのかと言えば,後悔に耐える訓練です。いじいじと後悔するのではなく,自分の選択を全うする姿勢が大切です。そういう訓練を重ねておけば,自信をもって,チャーハンと頼むことができます。この例からも,おわかりのように,やろうと思えば,訓練の方法などいくらでもあるわけです。一番大切なそうした訓練が欠落している以上,残念ながら,今の学歴制度・教育制度にはあまり期待できないですね。結果として,判断力や決断力は,採用後に仕事のなかで育成することになっています。ちなみに,私の会社では大学院修了者も,4年制大学卒も,2年制や3年制の専修学校卒も初任給は同じです。給料の格差は,学歴の差ではなく,あくまでも実力の差によって生じるべきものだと考えています。そのため出発地点では,平等主義を採用しています。
―コンピュータ関連のスキルについてはいかがですか。入社時点で,かなり高い能力が必要でしょうか。
中村 もちろんコンピュータ関連のスキルは高いに越したことはありません。プログラミング言語でいえば,JavaやC,C++などのスキルがあるといいと思います。
日本人が日本語を話せるのは当然として外国語も一つぐらい喋ることができた方がいいですよね。技術者も同様で一つの言語をマスターしていても,それだけでは十分とはいえず,その道のプロフェッショナルというなら3つぐらいのプログラミング言語を使えて当然だと思います。
ただ,私が新入社員に求めるコンピュータ関連のスキルとコミュニケーション能力などの人間的なスキルのバランスを,比率で言うとすれば,コンピュータ関連のスキルが4で,コミュニケーション能力などが6でしょうね。やはり人間的スキルのほうを多少重く見ます。なぜなら,コンピュータの技術は,入社してからでも教えることができますが,人間的スキルはそうはいかない。人間的スキルの根底を支えている,その人の基本的性格は変えたり直したりするのは困難です。そのため,人間的スキルを重視しようとするのですが,その点の評価は難しいです。動作が遅いというのは,粘り強いということにもなりますし,逆に動作が迅速だというのは,おっちょこちょいということにもなる。人の性格や考え方は,長所と短所が表裏一体なので,一概にいえない。それが人間の面白さでもあるわけですが,評価は難しいです。
―IT業界には様々な分野がありますが,中村会長が,今後,将来性があると思われるのはどのような分野でしょうか。
中村 確かに,一口にIT業界と言っても,非常に幅が広いです。今後,成長が期待できる分野を,あくまでも例として二つ挙げておきたいと思います。
まずは,組込みシステムの分野です。組込みシステムとは,携帯電話や自動車などの製品に組み込まれているコンピュータシステムのことです。コンピュータと言えば,これまでは,多くの人がパソコンを思い浮かべたでしょうが,今や,私たちの身の回りの製品の多くがコンピュータ技術と無縁ではありません。
組込みシステム分野は,慢性的な人材不足と言われ続けてきましたが,今年の世界的な金融危機以降,自動車産業をはじめ,様々な製造業種において,多くの企業が業績不振に陥りました。そのあおりで,短期的な視点でいえば,組込み分野も厳しいでしょうね。
しかし,長期的に見れば将来性があります。なんと言っても日本の産業の国際競争力の源泉は製造業。その製造業と密接に関わっている組込みシステム分野は,長期的にみれば安定しています。そして,少しずつであるかもしれませんが,確実に伸びる分野だと思います。きらびやかで華やかな分野とはいい難いので,若い人たちが,この分野に積極的に興味を持つことは少ないかもしれません。でも今やコンピュータ抜きでは製造業は成立しないと言っても過言ではありません。組込みシステム関連の技術を持っている人は社会の求める人材といえます。
次にWebの分野が挙げられます。この分野は,年々,成長をしています。どの程度の成長性があるのか,実は誰もわかっていません。かなりの高い確率で,伸びていくと思います。新しい技術なので,どの方向に伸びていくのか見通せる人は少ないようですが,次の時代の波になるのは間違いないので,人材の需要もあるといえるでしょう。ITを駆使してWeb上でビジネスを展開するウェブビジネス分野は,未知の可能性があると思います。
―最後に,これから進路を考える若い人たちにメッセージをお願いします。
中村 IT業界は,日本の社会や産業を支える重要な仕事をしています。私たちは,そのことにプライドを持っています。ただ,様々な要因から,IT業界の実情が一般の方にはわかりにくくなっていて,間違ったイメージが一人歩きする場合もあります。私たちとしては,こうした点を改善し,IT業界の魅力や可能性について,もっと情報を発信していかなければならないと思っています。
若い皆さんには,社会の根幹を支え,社会をさらに発展させる可能性を持っているIT関連の仕事に興味を持っていただき,IT業界で活躍することを,ぜひ目指していただきたい。
日本のIT業界においては,関連企業が都道府県毎に情報通信産業団体を形成している。全国地域情報産業団体連合会(All Nippon Information Industry Association Federation:ANIA)は,北は北海道から南は沖縄まで全国の情報通信産業団体が会員として加盟している日本のIT業界を代表する連合会組織であり,IT関連企業約1900社が参加をしている。ANIA は,地域情報産業の振興と会員相互の活動の強化発展を促進し,それによって地域経済社会と日本経済の発展に寄与することを目的として,1989年に設立された。情報通信産業団体の交流や諸官庁との交流,各種の委員会や研究会などの活動を展開している。ANIA:http://www.ania.jp/
中村会長が代表取締役を務める株式会社デジックは,1987年8月に設立され,「お客様の役に立つ,品質の良いソフトウェアを開発する信頼がおける企業・集団であり続けること」を基本コンセプトとして事業を展開している。空港監視システム,半導体製造機システム等の監視・制御系,保健福祉総合情報システムや医療給付システム等の官公庁・公共団体向けシステムなど多岐にわたる分野のシステム開発で,高い実績を挙げている。本社所在地は,北海道札幌市。東京にも拠点を構え,分散システム開発に注力し,高い評価を得ている。株式会社デジック:http://www.dgic.co.jp/