本学院では,在日ケニア大使館の強い要請により,1992年度海外コンピュータ教育支援活動をケニア共和国に対し実施することを決定した。まず,1992年9月学院所蔵のパソコン200台をケニア政府に寄贈。1993年1月には寄贈パソコンの利用技術講習会を開催するため,学院教職員4名が首都ナイロビに渡った。
我々取材班(βカムビデオカメラ担当の小西薫先生―CGの先生―とスチールカメラ担当の私と二人だけだが)は現地講習会の記録取材をすべく,先発の学院教職員4名に続き,1月17日,日本を発った。AIR・INDIAの古い飛行機は轟音を響かせ,機体をきしませながら,15時20分定刻通り,大阪国際空港を離陸した。香港・デリー経由ボンベイ,そしてナイロビ行きに乗り継ぎという,往路約37時間の長い長い旅の始まりである。飛行機の窓からは厳冬に荒れ狂う鳴門の渦が見えた。まるで地球の穴に海水が吸い込まれているかのような力強さである。我々は期待と不安に,いつもより饒舌になっていた。
機体が安定し,シートベルトのサインか消えると,なにやらにぎやかに立ち歩く日本人の団体がいる。何の団体だろうと私は様子を窺った。その中には見覚えのある男性がいた。ウェーブした髪は長く,伸びるに任せたような髭の眼光鋭い男。喜納昌吉であった。
喜納は沖縄生まれのロック歌手で,沖肩音楽とロックを融合させ,独特な音楽世界を築き上げた日本ロック界の代表的人物である。沖縄三味線を手に大ヒットを飛ばした『ハイサイおじさん』を歌った人と言えばわかる読者も多かろう。インドへのコンサートツアーの途上とのことであった。
彼の歌に『すべての人の心に花を』(別名『花』)という名曲がある。その歌には特別,悲しみのテーマはない。しかしなんとも言いようのないさわやかな涙をさそう。歌詞と歌声そしてアコースティックギターの澄んだ音(ギタリストはヴィム・ヴェンダース監督作品『パリ・テキサス』でBGMを弾いたライークーダーだ)。それらが完全に調和し,独特なもの哀しさを創り上げている。
すべてが合理的に合理的に流れ,あらゆる行動はそれ自体としては価値がないとされ,必ずある目的をもったものとしてのみ価値が認識される。それが現代である。逆に言えば,目的の見い出せない行動や事物は存在価値がないものとして見捨てられるのが現代ではないか。そうした我々の状況に対し,あるメッセージを伝えようとしたのがこの歌ではないかと思う。
・・・・・・・
・・・・
心の中に心の中に
花を咲かそうよ
・・・・・・
曲の一節であるが,このフレーズを我々の現況に照射してみると,我々は心の貧しさを感ぜずにはいられない。物が溢れ,豊かさを世界に誇る日本であるが,本当の豊かさを感じられないままでいる我々は「いつの日か心の中に花を咲か」すことができるか。
高度情報化時代に突入し,そのハイテク技術は世界をボーダレスにした。「すべての人の心に花を」という喜納のメッセージは今や日本を超え,全世界に向けて発せられたグローバルメッセージではないか。
我々京都コンピュータ学院が,これまで実施してきた各国への情報技術教育のプレゼントは,まだ種が蒔かれた段階にすぎない。が,やがてその種が成長し,大きな花を咲かせたとき,それはどんなにすばらしいことであろうか。そして,ケニアではどんな花が咲くのであろうか。
しっかり記録しよう。私はそう心に誓い,歌を心にケニア・ナイロビの土を踏んだのであった。