1994年10月,ワルシャワにポーランド日本情報大学が誕生した。この大学の設立は,ポーランドのコンピュータ技術開発財団の副理事長ノバツキ博士が中心となって進められた。本学院が,ノバツキ氏より大学設立協力要請を受けたのは,1992年11月である。私はこの要請に応じて,その後,数回ポーランドへ飛び,ノバツキ氏と共に,資金獲得,施設獲得のために奔走したが,努力の甲斐があって,日本政府の食糧援助見返り資金の一部が下付され,国有地を学校用地に,またワルシャワ教育委員会より建物が提供された。当時,日本政府の見返り資金の調整の権限はポーランド閣僚評議府欧州統合・国際協力担当大臣ビエレッキ氏(元首相)が有していた。私は,ワルシャワ滞在中に,大臣とのインタビューの機会を持つことができたのであるが,この席には日本大使館より小林公使,原一等書記官も同席くださった。『このインタビューによりあなたの発言とパーソナリティを評価して,大臣は資金下付を決断された』と後日,サメツキ総局長より聞かされ,感動した。
その後,何回か予算修正を受けたが,最終案は,日本政府の承認を経て,受理された。1994年10月の大学オープンに向けて,同年2月より,JICA専門家として本学院東保光彦氏が派遣され,カリキュラム作成,機械設置などの準備に,ポ日両国の関係学者たちと尽力した
オープニングセレモニーは大学の開校日,1994年10月3日に挙行された。パヴラック首相,ウジャック教育大臣,ヴォルスキー欧州統合・国際協力担当大臣(ビエレッキ大臣の後任)兵藤全権大使,JICAオーストリア事務所(東欧圏統括)中村所長,ほかポ日関係者約90名が出席した。
この大学は三年制の大学であり,卒業生にはリツェンツィアト(技士)の学位が与えられる。本学院で履修した科目の単位は,この大学で大幅に認められることにになっており,またこの大学からワルシャワ工科大学へ編入も可能である。情報系の専門科目の他に,日本語や日本文化の講義も設けられている。現在,本学院の東保氏は講義・実習を受け持っており,好評である。私達はこの大学に日本人留学生のコースを設け,同じ科目を日本語でも受講し得るよう,計画中である。
ところで,この大学設立運動のため,私はポーランドへ数回飛んだのであるが,1991年に本学院が実施したコンピュータ教育支援活動のことは,ポーランドの関係政府高官達の間に広く知られており,本学院への評価と信頼は大きく,『京都コンピュータ学院が日本の民間側として,新大学をサポートするならば…』という思考において資金交付,施設提供,その他の協力が決断されたと聞かされる度に,私は胸があつくなった。私達は,最初のボランティア,ポーランドコンピュータ教育支援活動がベースにあって,その延長上に,ポ日両国政府の理解と協力を得て,ポーランド日本情報大学が誕生したことを,心から喜ばずにはいられない。それにしても,現実面で一番お忙しく働かれたノバツキ氏は,新大学学長に就任されたのであるが,2年間に亘る大変なご尽力に対し,万雷の拍手を贈りたいと思う。
本学院は,この大学に対して今後,教員派遣,機材寄贈,学生交流などにおいて協力しあっていく所存である。
上記の肩書・経歴等はアキューム22-23号発刊当時のものです。