1979年,京都大学の萩原研究室に勤めたのが先生にお出会いした最初でした。それから約10年,先生のお隣の部屋で過ごすことになりました。とても雑談や冗談を楽しまれる先生でした。ゆっくりとした話しぶりと身体の深い所から声を出されていて,いつも落ち着いた感じでした。中国の文学や歴史に造詣が深く,漢文にことのほか心を寄せておられて,多分退職されたら悠悠自適,好きなことをするぞと考えておられたのだと思います。退官の頃に漢詩を習いに行かれ,私も誘われましたが,私は子育てに忙しくお断りしました。今思えば,あの時に無理をしてでもご一緒していれば,ずっとお側に居たことだろうなと思います。おうちの玄関に掲げておられる漢詩の拓本は中国に行かれた時に買い求めて来られたものでとてもお気に入りでした。先生のつぶやきで印象的なのが,「教授は講義がないといいんだけどなあ。講義さえなければなあ…」と。「よほどお嫌いなんですね」と応じると「講義は僕は苦手で嫌なんだがなあ。しょうがないなあ」と。表立たないのですが人に対してはいつも深く考えられたうえでのお心遣いで,私の場合は庇って頂いていたのだと思います。亡くなられた今もそのお心が遍在してその中に私たちは居るのかもしれません。有難うございました。
合掌