『弘法大師,5,6才に成る間,泥土をもって仏の像を造り』と古代インドの物語リジャータカの流れを酌(く)む今昔物語に記されている。昔も今も,粘土細工が幼児の向学心の始まりの一例であることに変わりはない。
荒目の陶土で,口造りに特色をもち茶筅(せん)の振りやすい手作りの茶碗を窖窯で焼き締めて,観音菩薩を想いながらその音声を観ずることができるなら,非常にありがたいことである。
しかし,楽器でない茶碗と音波とは,それぞれ視覚と聴覚の対象になっている。それを,どちらか一方の感覚器官で取りあげて,物理的に関連をもたせようとすれば抵抗を覚える。
果たして,そのような宗教的な芸術性をもつ茶碗ができ,音を観ずることができるだろうか。それには,茶碗に幻想的な音を出す妙音菩薩の権化であることが期待されると同時に,観る人に視覚と聴覚の調和性が望まれる。
昔,インドで須達長者が7層の祇園精舎を建てて鐘を撞いたところ,万象が常時変転して龍宮に届くように鳴り響いたと言われている。そこに住んでいる人達は,音を聞いて鐘を想い,鐘を視ては,それから出る音を知るようになった。視覚によって鐘の響きに似た音が感じられるのは,視る人と創造された対象物との間に共通した心理的な働きによる存在(もの)があって,それが通い合う場合に限られる。音は,祭祀にはなくてはならない存在(もの)で,来世と現世との境界に置かれ,葬式の先導を笛吹隊が務めた時代もあった。物理的に,視覚でもって,来世をみるわけにはいかないが,境内に鐘が吊るされている寺は,意識の働かせ方によっては,来世と現世との境界に建てられていると思惟することができる。ここでは,古代のインド人が日常生活で感覚していた音の意味を掘りおこすことによって侘びの気持をおこさせる茶碗から,幻想的な梵音が感じ取れる意識の働きを止揚する。
一方,インド西北部高原の遊牧民の弦楽器に触れてピタゴラスが調和級数の原理を発見し,それが西へと流れ,1898年,レイレイ卿が音響学を確立している。欧州で発展した音響学は,現今,低周波音波,可聴音波,超音波及び極超音波に分類されている。極超音波の振動数は,1012サイクル程度であって,波長が非常に短いので,エネルギーの変化を音響量子の数で示し,超伝導現象に応用されている。振動数が,20,200,2000,及び20000サイクル付近の音波は,人間の感覚に対して,それぞれ異なった反応を与える。
西洋では,現象を外的世界に設定して客観的にとらえる習性が強く,東洋では,内的世界にそれを持ち込んで思惟する傾向が強く,今も昔とあまり違わない。ここでは,東洋のソクラテスと言われている龍樹菩薩の哲理に基づいて意識を働かせ,外部の世界と内的世界の双方にまたがる20サイクル付近と200サイクル付近の音についての現象を思索する。
「茶碗の音」という題名は,音を観るという言葉の意味に準拠しており,『墨絵にかきし松風の音』あるいは『鴨の声ほのかに白し』などの句にみられるように,現象を心で受けとめているものである。
1957年の夏のことである。ゲッチンゲン大学の音響研究室の諸君と一緒にパリ郊外のシャルトル寺院を訪れた。その時,正面入口の頭上に鎮座するピタゴラスの彫刻を見て以来,教会とピタゴラスとの関係についての興味が脳裏に刻まれた。またその頃,原子物理学者フォン・ワイゼッカー博士が,複素数の名付け親である哲学者デカルトの研究に没頭していたことにも魅せられ,音響学についてもその源泉を指向するようになった。ピタゴラスやデカルトの思想には,東洋的な論理が潜在しているので,このことは,パリに洋画を学びに出かけたかつての印象画家が,異国で浮世絵や版画の美を取り入れたモネやゴッホなどの油彩画に魅せられた時のその心境に似ている。
明治30年,イギリスに留学した高楠順次郎博士のウパニシャッド文学全集には,七つの擬声音,すなわち,『川のせせらぎ,牡じかの鳴き声,洗面器の音,車輪の軋(きし)む音,かえるの鳴き声,雨の音及び寝所のささやき』を無音にするように説かれている。現今,都会には,各種の発音体によって,周期の異なった音波が充満しており,広い範囲にわたって物理的に無音にすることは難しいが,それらが和合してできた音波が無音になるように人間の心理状態を保つことは不可能ではない。意識の働かせ方によって雑音を無音にすることは,大晦日に撞く108の鐘の音によって煩悩を洗い清める発想の源泉とみなされる。都市の騒音による悩みも百八煩悩の一つに数えられる。衆賢(しゅけん)の順正(じゅんしょう)論では,煩悩は,随眠(ずいめん)と同意に解釈され,随逐眠臥の略語とみなされ,世親(せしん)は苦しみのおこる素と定義している。山内得立博士は,随眠を単に現象の心理面を表すものでなく,さらに根底にあって傾動する存在(もの)と述べておられる(哲学研究:第543号)。
老子や龍樹は,存在の背後にある本質は,虚無や虚偽でなく邪念のない虚なるものとしている。-1の平方根で表示される虚数は,三次方程式が解かれたときに現れ,実根,虚根の名付け親がデカルトであることは広く知られている。情を秘めている陶芸とメロディーとハーモニーを生命とする音楽芸術は,視覚と聴覚をそれぞれ窓口として,人間精神によって創造されると言われるが,双方の芸術の背後には,共通して存在の根底に触れて傾動する要因が存在する。
古代のインドでは,声として発生するものが音であって,器物が衝突して発するものを音響と呼んで区別している。音波は外界の対象であり音は聴覚と連携している脳細胞によって認識されたものである。
対象が知覚されるのは,認識の成立によるものである。楽器から出る音響を聞いて音を認識し,そしてその音色を知覚して演奏者の表現力の豊かさを知ることができる。伎楽や,密教思想の始まりは,古代インドで,言語や文字,音韻について研究した声明(しょうみょう)に端を発している。これは,隋,唐の時代に中国に伝わった悉曇(しったん)学のことである。現今,仏前で歌詠する梵唱は,小野妹子によって伝えられたと言われている。
「説文解字」によれば碗は元来,仏前に供える飯器であって,鎌倉時代に禅寺で飯器で茶を点(た)てたのが喫茶に用いられるようになった始まりと言われている。それまでは,飲食用には,やま茶碗や木椀が用いられている。茶の栽培は,明恵上人の奨励によって各地に茶畑ができ喫茶の習慣が定着したが,それまでは,桑の葉が薬用を兼ねて使用されていた。仏前に供える飯盛器は梵鐘に似ており,茶道を日常生活に取り入れた京都・大徳寺には,天目茶碗や井戸茶碗がみられる。乱世の頃,文人達は難を避けて,京都府下田辺市にある一休寺で,一休宗純から侘茶の大切さを聞いたと言われる。その中に,村田珠光もいたことであろう。一休宗純の侘茶は,不易を求めて流行とすることに尽きるようである。不易は元来,因縁生滅する無常の現実を直視する仏の根本的態度であって,古代インドで法(だるま)と呼んでいた永遠の真理のことである。流行は,流転の相を意味し,古代インドでは,生死の繰り返しのことであって,サンサーラ,すなわち,死生観を顕示したもので輪廻と言われる。微視世界の波動力学を樹立した物理学者シュレーディンガー博士の晩年の世界観に,認識作用の対象としてこのような境(きょう)がみられる(「わが世界観」ケンブリッジ大学出版)。
耳に聞こえにくい振動数の少ない音波,すなわち,低周波音波について,物心両面にまたがってそれがもっている意味を考察する。文芸作品の中で,自然科学の法則にかなって物理現象が巧みに描写されて内在意識を呼びおこしている例として,川端康成の「山の音」をあげることができる。「山の音」に出てくる音波は,波長が長く,地震波の縦波より波長の短い脈動波である。川端さんは,耳に感ずるぎりぎりの低い周波数をもつ音波に対して恐怖を覚えている。媒質の振動は,生物に微妙な影響を及ぼすものである。笛の音は,盗賊の足をすくませたり,コブラに首をふらせたりすることは広く知られているが,夫婦喧嘩の絶えない家庭の幼児は,言葉の発生が遅れるということは,あまり知られていない。「山の音」には,唸りの現象も描写されている。唸りというのは,二つの音波の波長が少し違う場合に合成されてできる。地震の際,揺れる前に感ずる地鳴りは,この種の合成音波である。妊産婦が,自分に固有の脈動波と振動数の少し違う外部の脈動波を知覚したとき,胎児は,母親から唸りを感受するかもしれない。
川端さんが意識したと思われる低周波音波は,かつて,スカンジナビヤ半島の岸壁に打ち寄せる波浪によって生じた振動が,遠く離れたゲッチンゲン大学の地震計に記録されて以来,各地で研究が続けられている。人の耳には聞こえにくい12サイクル以下の音波に,なまずやうさぎの聴覚のように低周波音波に敏感な反応を示す生物もいる。可聴音波に関する限り,各種の人工捕音器に較べ人間の耳は最も秀れた捕音器であり,蝸牛内での音波の振動は,100億以上とも言われている細胞をもつ脳の聴皮質の末端神経に速やかに伝送される。人体に固有の脳波としては,振動数が7サイクル以下のデルタ波の他に約8サイクルから約12サイクルの振動数をもつアルファ波及び約17サイクルから約30サイクルのベータ波が存在する。川端さんが「山の音」で恐怖を覚えたのは,ベータ波に近い自然に発生した低周波音波とみられる。ベータ波の波形が突然乱れると癲癇(てんかん)の症状がおこるが,坐禅を組んでいる際にはアルファ波が顕著に現れる。川端さんは,幻想の世界では,色が音であり,音が色であると表現している。色彩感覚は脳波に影響を及ぼすので,都会の建築物に色彩の考慮がはらわれると,人々にとってはありがたいことである。低周波音波は,風の強いときにしばしば発生している。直径20センチメートルの物体に1秒間に10メートルの風があたると,その背後に発生した渦によって,10サイクルの音波が発生し,30メートルの風速であれば,30サイクルの音波ができる。音波の振動数を知って風速が知れるということである。この原理は,レイレイ卿のエオルス音の実験式に基づいている。この種の低周波音波を消すには,物体の背後にできる渦を消滅させる。
なお,地面を伝わってくる低周波音波を消すには,刳(く)る石など緩衝材が適当である。川端さんの内在意識を刺激して恐怖を感じさせた低周波音波は,海洋学の分野で古くから研究が進められている。音波の道筋は,幾何光学の屈折の法則に基づいているので,海面下の垂直温度分布を知ることによって描かれるので音の溝を確認することができる。この種の音波は,海底油田の探索や台風襲来の予知,さらに北極海の潜航航路の選定などに応用される。
自然界には,2000サイクルに近い振動数をもつ音波が最も多く存在しており,人間の聴覚もそれに最も鋭敏に感ずるようになっている。古池に飛び込む蛙の水音もおよそ2000サイクルに近いと思われる。200サイクルに近い振動数をもつ音波については,一般に特別な注目が注がれていない。しかし,この種の基本振動数をもつ梵鐘には,宗教的空間では,諸行無常の響きが潜在し,存在と時間を意識させる。梵鐘から出る響きは,蝸牛管の中の膜を通って聴覚神経を刺激し,知覚を呼びおこして音の意味がとらえられる働きをする。
紀元535年,世親は,阿毘達磨倶舎(あびだつまくしゃ)論を著し,無常というのは,不易な真理を内蔵する象であって時を意味していると述べており,道元(どうげん)は,1253年に54才で亡くなったのであるが,若い頃,栄西(えいさい)に学び,宋より帰国して京都深草の興聖寺で修業し,越前で永平寺を開き,仏法の真髄に迫り,「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」を著し,その『有(う)時』の項で,時が存在であり,存在もそれ自身,『時である』と述べている。日常の生活は,時間を独立させ,三次元のユークリッド空間の中で,ニュートン力学を基盤にして営まれている。この空間は,線の終端を点と定義し,存在の窮極の領域を点で代表させている。現代数学では,物理的な空間と違い空間には距離がない。物理学者は,素粒子の窮極構造の質量の解明に挑んでいる。龍樹は,紀元200年前後の人であるが,「中論」で,空集合に実体はなく存在の理法が相依相対の姿で併存していると思惟している。
ここでは,心理と物理の双方を同時に包含している空間の中で音の現象を考察する。存在を心理的にみれば因縁の相に依存し,物理的にみると物質の生起は互いに依存し合い相補性原理が成り立っている。この場合,因縁生起が略され,縁起という言語が生まれている。
この縁起は,日常用語,すなわち縁起をかつぐという意味ではなく,存在の理法のことである。物理学では,流転する存在は,波動関数で示され,それらを構成している粒子のあり方の無秩序の度合いを示すエトロピーが最大値をとるまで万物は変遷する。縁起に基づいて鐘の音を聞くと音の流れと意識の流れが同時に知覚できる。現今,原子時計が開発され精度が高められているが,古代インドでは,時間と時を異質なものとしており,時は,心理的な存在で,今の意識が働いて現象を感覚している。
古代インドの詩人が,牝牛の鳴き声を真似て発声し詩を朗詠したのは,牝牛が当時,妙音天であり,美しい音声の持ち主とされていたからである。妙音の語源は,サンスクリット語の復合詞のガドガダスバラであり,古代インドの医学書では,胃が故障をおこしている際の鼻声である。この鼻声が中国で,なぜ妙音と訳されたのかはわからない。
牛の鳴き声の基本振動数は,梵鐘のそれに似ているので牝牛が妙音天になったと推察される。京都の妙心寺と太宰府の観世音寺にある同形の鐘のもつ基本振動数は,共に129サイクルである。牝牛の鳴き声を内に秘めた梵鐘は,インドからシルクロードを東進して渡来し,仏に供える飯盛器が茶器となり,鎌倉時代から室町時代を経て桃山時代になり,手捏の茶碗が梵鐘の声を観る人に呼びおこさせるようになったと推察することができる。
牝牛の鳴く声が聞こえるように思われる茶碗はどのようにして造られるのだろうか。
古代のインド人は日常生活に必要な原素として,地,火,風及び水をあげている。茶碗の焼成もこれらの4原素に依存する。地は茶碗の素材である土,火は薪の燃焼,風は酸素,水は水素に該当している。還元焼成の終わりの時期に,炉内に水蒸気が充満する場合,作品の色調は著しく玄妙になる。