現在,中国においては,日本語学習熱が高く,多くの大学に日本語学科が設置され,日本留学の希望を持つ若者が多数見られる。また中国の高等教育におけるコンピュータ利用は,技術教育分野では広く浸透し始めているが,外国語教育などにおいてはコンピュータの利用はまだまだ限られている。
こうした中国の状況を踏まえ,京都コンピュータ学院は,日本語教育を行う中国の大学に,日本語仕様のコンピュータの寄贈やコンピュータ教育のカリキュラム提供などの協力事業を展開してきた。さらに学生や教員の人事交流も活発化し,こうした実績に基づき天津外国語学院(1996年6月),西安外国語学院(1997年9月),首都師範大学外国語学院(1997年12月)と,次々に中国の諸大学と姉妹校提携を結ぶに至った。
さらに,1999年1月17日には,北京にある東方財経日語大学と,2000年4月25日には,天津軽工業学院(大学)と同様の姉妹校提携を締結した。特に両大学との提携の特色は「KCG特別クラス」をそれぞれの大学内に設置する点である。これは本学院の提供するカリキュラムに則り,日本語およびコンピュータの学習を集中的におこない,二年後には京都コンピュータ学院に留学するというクラスである。2000年9月,「KCG特別クラス」の新設にあわせ,学院長をはじめとする学院スタッフが両大学を訪問した。
今回,私達は,中国の大学生に京都コンピュータ学院の学科や学生作品などを紹介するため映像を多用して,マルチメディア・プレゼンテーションを行った。ちなみに「マルチメディア」は中国語では,「多媒体」という。200名ほど入れる会場は,学生たちで埋まり,熱気にあふれている。京都コンピュータ学院に対する学生たちの関心の強さが,いやというほど伝わってくる。
海外でのプレゼンテーションには種々の困難が伴うが,今回も変圧器の調子がよくないのであろうか,電源が安定せず,電源の確保に非常に苦心した。
上映を開始したが,映像の字幕にあたる下の部分が切れて投影されていない。今度は,どうやらプロジェクタの具合がよくないらしい。しばし上映を中断し,急遽,日本から持参したプロジェクタに繋ぎ直してプレゼンテーションを再開した。
その時,学生からどよめきが上がった。中断前とうって変わり,画面には,明るく鮮明な画像が映し出されていた。学生たちのどよめきは,日本の技術力に対する感嘆の現れであった。学生たちの熱気に促されるように,プレゼンテーションは快調に展開した。質疑応答の時間には,あちらからも,こちらからも発言が次々に起こり,大盛況のうちに発表を終えることができた。
天津軽工業学院(大学)では,「KCG特別クラス」の開学式が挙行された。会場となったホールの中央には,ディープ・ブルーの巨大な幕に,白字で「中国天津軽工業学院 日本国京都コンピュータ学院 合作開学典礼」と書かれ,その幕をバックにして,京都コンピュータ学院 長谷川靖子学院長が,式辞を述べた。長谷川学院長は,東洋のIT革命推進にとり,「KCG特別クラス」の果たす役割の大きさを語った。
その晩,開学を記念したコンサートが開かれた。日本側からは世界的なヴァイオリニスト浦川宣也先生(東京芸術大学教授)が参加し,天津音楽院オーケストラとの共演が行われた。
中国の琴とヴァイオリンの共演による「春の海」は,とても美しく,その麗しいハーモニーは,全ての聴衆を魅了した。
今回の訪問を通じて中国の若者たちの,最先端コンピュータ技術への関心の高さと,京都コンピュータ学院に対する憬れの強さを感じる場面に多く出会った。日本と中国は,互いに独自の文化を持ちながら,一衣帯水の関係で,影響を与え合い続けてきた。今後もそれは変わることはないであろう。コンサートの際に見られたような,中国と日本の麗しいハーモニーをさらに求めるべきである。そうした試みの一つが,今回の訪問であった。その試みは,まだ始まったばかりである。
京都コンピュータ学院は,ナイジェリアのプラトー(Plateau)州のジョス(Jos)という町にある聖オーグスチン大修道院に使用済みノートパソコンDynaBook 386を40台寄贈した(1999年8月発送)。京都のノートルダム女子大学の関連団体であるノートルダム教育修道女会京都分院のシスター・ジーンと言う方と長谷川靖子学院長との話合いの結果決まった事業である。聖オーグスチン大修道院はアフリカでのカトリック僧侶を養成するための基幹組織であり,そこで修行中の修道僧にもコンピュータ教育が必要で,寄贈コンピュータを大いに活用したいというのが先方の意向である。この寄贈事業における現地サイドの担当者がやはりノートルダム教育修道女会のシスター・シャロンという方であり,2000年7月にお礼のために本学院に立ち寄られた。しかし非常にお気の毒なことに,その後しばらくしてアフリカで亡くなられた。この支援事業では,送り先がアフリカの奥地であるということで,電話等の連絡も困難であり,コンピュータの輸送についても不便なことが多かったが,幸い事故もなく無事に到着し,同修道院では既にコンピュータ教育も軌道に乗り始めているということである。