最近,ファジイと共に神経回路網(ニューラルネットあるいは単にニューロ)という言葉が新聞,テレビなどに頻繁に登場し多くの注目を集めています。特に大手の家電やコンピュータメーカーなどが新しいニューロチップ,ニューロエミュレータ,ニューロコンピュータやロボットを開発したなどのニュースが新聞で大きく取り上げられたり,また,光ニューロなる新方式のコンピュータで文字が読めるなど,企業間の研究開発が熾烈をきわめている雰囲気が巷間に伝わってきます。半導体技術の凄まじい発展に伴いセンサー,コンピュータ,アクチュエータが一体化されたハード商品の開発に力を注ぐ企業の研究開発に刺激をうけ,ニューロや脳の研究を専門にしている研究者以外の工学関係技術者も興味を持ち,新しいニューロを製作したり,ニューロを使って何かをしようという試みが盛んに行われつつあります。本稿では,ニューロの研究の歴史や詳しい理論は別の専門書に譲るとして,ニューロについて著者がいかに出会い,研究にどのように使っているかを紹介し,また,ニューロに対し抱いている思いについて述べたいと思います。
まず,ニューロというものへ初めて興味を喚起して頂いたのは本学院情報科学研究所長上野季夫先生です。先生が4年くらい前でしたか,私にT・コホーネン先生の連想記憶の本のことをお話になり,「貴方の大学でも心理学の教室にはその本がありますよ。お調べになってごらんなさい。」との教えを頂きました。私もそれが如何なるものか分かりませんでしたが,とにかく図書館へ行き,心理学の分野で調べてみますと確かにその本があり,取りあえず借りてまいりました。ニューロヘの興味はそれを契機として次第に高まり文献や書籍を買い調べ,それを使って制御なり,パターン認識の研究をやりたいと思っていました。ところで,私のいる大分では進出企業と大学でシステム制御に関する研究会を作っており,その頃,企業側の発案でニューロの勉強会をやろうという話が待ち上がり,それも時宜を得たものでした。勉強会のなかで,会員企業である新日鉄大分製作所の技術者の方から高炉の制御のパターン認識にニューロを使い非常に良好な結果を得ているというお話をお聞きし大変興味を覚え,まずニューロとは一体どのようなものだろうかと勉強を始めました。本には,脳と神経に学ぶ,すなわち,それをお手本にしているというような事が書いてありましたが,まだ勉強を始めたばかりの段階ではいきなり式が出てまいりましても良く理解出来ない有様でした。そのような状況が一年ぐらい続きましたでしょうか,ニューロに接していますと何か良くは分からないが段々それに慣れてまいり,簡単な3層ニューロのシミュレーション実験がベーシック言語で行えるようになりました。このようにしてニューロとの出会いをいたしました。
つぎにニューロについて簡単に説明します。脳は巨大な数の神経細胞(ニューロン)が結合して出来た大規模なシステムで,人間の場合,脳のニューロンの数は約100億から200億と言われております。ニューロンは図1に示すように複雑な形をしており,全体が一続きの細胞膜で囲まれた単一の細胞で,その本体の周辺から何本かの枝のような突起が出ています。各ニューロンは細胞体と呼ばれる本体の部分,樹状突起(づじょうとっき)と呼ばれる本体から樹状に突き出た多数の突起からなる入力部分,及び軸索(じくさく)と呼ばれる1本の長い繊維からなる出力部分から成り立っています。軸索の部分は途中で何本にも枝分れして,それらの末端は多数個の他のニューロンの樹状突起につながっており,この結合部はシナプスと呼ばれています。1つのニューロンの情報は軸索からシナプスを介して他のニューロンの樹状突起へと伝えられ,1つのニューロンは多いものでは数万本の軸索と結合しこれらから情報を受け取っています。このように脳の中では多数のニューロンが複雑に結合し情報処理を行っています。その情報処理はニューロンが同時に動作するいわゆる高度な並列分散処理であり,その処理システムは階層構造をしています。人間の脳の学習過程は多層構造から成っています。すなわち,シナプスの変化に相当する日常の学習,ニューロンの結合網の変化に相当する発達段階の学習,遺伝子の変化に相当する進化段階の学習といったような3つの段階です。ニューロはこの人間のニューロンモデルを用いた人工のシステムを総称して使われています。ニューロは脳の情報処理システムを手本にしており「あいまいさ」を待った情報の処理,例えば「文字を読む」とか「パターンを識別する」などの処理に適しており,さらには色々な分野への応用が現在行われつつあります。このような情報処理は従来のノイマン型のコンピュータでは困難であり,ニューロコンピュータはそれらの処理に適していると言われています。脳の情報処理がそうであったようにニューロも人工ニューロンが同時に分散して動作する高度な並列処理機械とみなすことができます。また,ニューロは学習能力や外部環境に合うように自己組織化する能力,換言すれば,自分自身を調整する能力を有し,学習方式として脳の学習方式に似たものが考えられています。
では,ニューロの人工モデルについて説明しましょう。人工ニューロンは図1に示したニューロンの模式図に基づいて図2に示す多入力1出力のモデルで記述されます。この人工ニューロンモデルの情報処理について説明します。図では話を簡単にするため,3入カ1出力の人工ニューロンモデルを示しています。まず始めに,他の3つのニューロンからの出力がそれぞれ1,0,1とします。これが当該ニューロンの人力となります。いまそれぞれのシナプスの重みが0.5,0.3,0.1と仮定します。人工ニューロンモデルの情報処理は以下のようにして行われます。それぞれ3つの入力値にそれぞれ対応する重みが乗ぜられ加え合わされて和が0.6となります。その値に対するシグモイド関数の値がニューロンの出力となり,次に結合したいくつかのニューロンの入力となります。このニューロンモデルが層構造をなして1つのニューロを構成することになります。
図2に示された人工ニューロンモデルがいくつかの層をなしているニューロの働きについて簡単に述べます。良く知られた3層ニューロとして1958年に心理学者のローゼンブラット氏らによって提案されたパーセプトロンがあり,それを図3に示しています。パーセプトロンにおいて第1層目はセンサーユニット,第2層は連想ユニット,第3層は応答ユニットと呼ばれており,第2層の連想ユニットと第3層の応答ユニットは全て結合されているが,第1層のセンサーユニットと第2層はランダムに結合しているのが特徴です。学習はパーセプトロンアルゴリズムと呼ばれる学習則により行われます。パーセプトロンでは入力信号と出力信号の関係が線形分離可能なものしか正しく動作しないという大きな欠点を持っています。その例として排他的な論理和の学習はうまくいきません。
そこで線形分離可能でないものも学習できる3層ニューロで,出力誤差を1層前の中間層にフィードバックする逆誤差伝播法と呼ばれる学習則が1986年カリフォルニア大学のラメルハート氏らによって提案されました。この3層ニューロの第1層は入力層,第2層が中間層(かくれ層),第3層が出力層と呼ばれ図4に示すように人力層,中間層,出力層のニューロンはランダムではなく全て結合されています。このニューロはパーセプトロンの欠点を取り除き,極めて実用性が高く現在最も良く用いられています。このニューロは適応的に3層間のニューロンのシナプスの重みを変化させることにより入力パターンを出力パターンに変換し,色々な情報処理を行います。その際教師がいる場合といない場合の2つの場合に分けられます。3層ニューロを利用する場合,その情報処理をハードで行いコンピュータの機能を持たせてニューロコンピュータとしたり,ソフトで行いその結果で機器を動かすといった色々な利用形態が考えられます。特に自動制御ではニューロを利用することにより種々の新しいハードウェアが開発できるものと思われます。例えば,炊飯器などに利用する場合,お米の種類や炊く量が変わりますので,あらかじめその炊き方を学習しておきそれをチップ化し御飯を炊くといったような使い方です。これはニューロを炊飯制御のコントローラとして使う方法です。その他色々な分野でニューロが利用されています。例えば,抵当証券の審査(ネスター),消費者ローンクレジット審査(NHC),油田層の評価(NHC),音楽和音の自動生成(日電),証券分野のポートフォリオ(日立),医用診断への応用(東芝)など例をあげれば枚挙にいとまがありません。
ニューロの利用法として現在著者の研究室で行っている栗の等級判別や文字認識について簡単に紹介します。図5に5つの等級の栗の写真を示しています。写真の右下から1,2等級右上から3,4,5等級と栗が形状別に並べられています。初めのうちはこの栗の等級判別に面積を用いていましたが,面積ですと形の判別はよく出来ず計算時間がかかります。作業所では現在人が目視で選別を行っており,自動化するには人が行っている情報処理と似た選別を行う機器が必要です。そのためには栗の5種類のパターンを学習し記憶したものと比較分類し機器を動かす技術の開発が望まれます。栗の5つの等級のモデルパターン図形を図6に示します。
1つの栗のモデルのパターン図形をCCDカメラに取り込みます。すでに栗の5種類のモデルパターン図形について角度を変えて60通りの図形の学習を行ったニューロに入力しパターン判別を行います。学習法として逆誤差伝播法を用いました。その結果認識率は満足いくものでした。パターン2の認識率は他の残りのパターンと較べ多少劣っていましたがこの形状に起因するものと考えられます。参考のため栗のモデルパターン1の画像処理を行っている様子をモニタ上に表示した写真を図7に示します。
文字認識については集積回路(IC)上に刻印された文字がかすれたり,にじんだりした文字を判別するためニューロを利用しています。Oから9とAからZまでの36文字の文字認識を行うニューロを開発しました。学習法は逆誤差伝播法を用いていますが学習のやり方は栗の場合と異なっています。人が学習する場合,複雑な数学や文字は覚えるまで何度も学習し,それを何回も復習するという方法を普通とりますが,それと同じやり方で学習を行っています。このように学習したニューロを用いると認識率を100%に近づけられることが分かりました。
与えられた題目が神経回路網理論による自動制御でしたが,内容が異なってしまい,主としてパターン認識のことについて筆者の研究室で行っている研究の一端を御紹介申し上げることになってしまいました。ニューロを自動制御にいかに使うかについては,チップ化も含めたハードウェアの設計をCAD等を用いて行いたいという希望を持っています。
ニューロは学習機能を有しアルゴリズムではなくパターンの変換(マッピング)によって問題を解くという情報処理を行っており,すぐれた機能を数多く有しています。また人間の脳についてはかなり分かっている部分もありますが,分からない点もまだ数多く有り,それらが解明されればさらに新しい事実が明らかとなり,それが工学技術へ強烈なインパクトを与えるものと期待されます。ニューロは他の技術と融合し新しい技術を生みだし発展し,新技術革新の波が起こる可能性を秘めています。また,軟かな技術として人間の生活に役立ってくれるものと期待しています。ニューロのみならず医学と工学が互いに刺激し合い生体の機能が解明されることにより,工学技術の向上や医療の改善がなされることを願っています。
最後に,筆者をニューロヘの研究にお導き頂き,また日頃よりご指導頂いています上野季夫先生に深く感謝申し上げますと共に学院の皆様方に厚く御礼申し上げます。