浄瑠璃の一流派,常磐津節は元禄の頃京都に興った浄瑠璃,一中節から派生した流儀である。一中節は京阪神を中心に活躍していたが,後に京都から江戸に移される。そして豊後節(ぶんごぶし)として好評を博すが,江戸幕府により禁止され,また京都に戻る。しかしその門弟であった文字太夫は,江戸に残り,常磐津と改名,常磐津節を創始した。常磐津節はその分流である富本節やそのまた分流の清元節を含め豊後系浄瑠璃と呼ばれ,京浄瑠璃特有の温雅な節回し,演奏で舞踊の伴奏に適すと言われる。当初は男女の道行を扱った世話物が芸風として多いが,文化・文政の頃より歌舞伎の舞踊劇と結びつき大成功を収め,邦楽における地位を確立した。現代でも清元,長唄,義太夫などと並び日本を代表する伝統芸能の一つである。
その常磐津節を発祥の地である京都で伝え,守り抜いている常磐津都喜蔵さんにお話を伺った。聞き手は本学院洛北校牧野澄夫校長である。
牧 野 まず,常磐津というのはどういうものかということをお聞きしたいのですが。
都喜蔵 いろんな邦楽の流派がございますけれど,常磐津は長唄,清元とともに三大流派の一つと言われています。常磐津の活躍の場は三つありまして,一つは,歌舞伎の出語りで,これが一番の中心になるわけですが,役者衆の所作事に山台と言いまして,毛氈の台の上に乗って演奏するものです。それから演奏自体を聞かせる素語り。そしてお芝居や舞踊の演奏,主に舞踊劇,つまり踊りでも劇的な要素が強くてお芝居との中間的なものですね,その伴奏と語りの部分を占めるのが常磐津節です。
牧 野 常磐津の現状というのはいかがですか。
都喜蔵 常磐津節というのは節が重要無形文化財,昭和56年ですが,文化庁から指定されています。それは義太夫節についで古いということで,義太夫節がまず最初に指定されましてね。まあ個人ではなくてその流儀の語りというかそのものがね。それで二番目が常磐津だったのです。それがいいのか,悪いのか,だんだん助けの手をさしのべてもらわないといけない状態だからそうなのか,どうなのか分からないですけれど。
牧 野 最初に,おばあさんが東京から京都へ移ってこられたというお話でしたけれど,先生が常磐津をおやりになるきっかけですね。その辺のところをお聞かせいただけたらと思うのですが。
都喜蔵 うちが常磐津を初めて,私で三代目なんですが,うちのおばあさんが最初に始めましてね。常磐津はもともと東京で生まれたものですから,東京の方ではしょっちゅうお芝居やなんかでやりますのでかなり知られていて,関西ではまだ馴染みが薄うございますが。私のおばあさんもやはり初めは東京でやっていたんですね。おやじもそうだったんですが。で,その頃京都の祇園の検番へも出稽古で毎月教えにきていたらしいのですが,大正の震災にあいまして東京は焼野原。で,結局疎開先というものがなかったですから,門人が大勢いる京都へ移ってきたんですね。その頃土着の京都の常磐津のお師匠さんというのはほとんどいなかったらしいです。今の歌舞練場の前の家が私が育った家なのですけれども,ほんとうにもう狭いところで,どこにいてもおやじのお稽古している音が聞こえるところでした。実際にお稽古してもらったのは,小学1年くらいですか,私はわりに遅かったのですが。それより,常磐津の音をしょっちゅう聞いていた,そういうことで自然に入っていきました。何かそれをやるのが当然だという感じでね。ですからもう大学最後の時でも,就職はぜんぜん探そうともしませんでした。それから,おやじが三人兄弟で一番上だったんですが,おやじがお三味線の方で,次のおじさんが太夫。だいたい,お三味線と語りと,専門に分かれるので,どちらかを選ばないといけないのですが,語りの場合浄瑠璃系統では太夫がつきます。これは義太夫でも,清元でも一緒です。それから一番下のおじさんがやっぱりまた三味線。そしておばさんもというように家族がみんなそれぞれ常磐津節をやっていまして。ところが子供は私だけでしてね。あとのおじさんたちは子供がいなかった。そのこともこの世界を継がなければいけないとどこかで思っていたのか,自然にこの道に入りました。
牧 野 そのお稽古は毎日おやりになったのですか。
都喜蔵 例えば,初めにおやじに習ったり,その次おじさんに習ったり,それから,取立て師匠につくのですけれども,その日数で言えば,ひと月のうちに6日か7日くらいの稽古日数だったと思います。それで,1日30分足らずじゃなかったですかね。前へ座ってのお稽古自体は。でも,とてもそれだけでは駄目なのでほとんどは聞いて覚える,待っている間に人様のお稽古を聞いて,その間にそれもそのまま覚えてしまう。つまり聞き覚えですね。そうすると10人のお稽古を聞いていれば,10倍,自分のものになるという,そういうことがお稽古でしたね。なかなか卵の間はすぐにお稽古してはもらえませんで,誰もいない時にお稽古してもらうという状態で。今になって考えるとそのように聞く時間を与えた方が本当に身につくのですね。実際あのお師匠さんの前へ行って教えてもらうというのはわからないものですね。言われていることがすぐ呑込めないもので,案外脇にいるとそれがわかるのですね。すんなり入っていけるはずのところでちょっと硬くなるとか,何かこう意識してしまうとすんなり入っていけないとか。だから,お師匠さんと面と向かっての稽古自体はそんな長くやったものではない。
牧 野 そうですね。勉強する場合,多分何でも1対1がいいとは限らないわけで,習う人間が複数いるというのもプラスになることがあるのですね。
都喜蔵 そうですね。確かに1対1という場合は何かこう与えられるのを待つというようなことがございますでしょ。ところがあの脇で聞いていると与えられないのですよ。自分からこう向かっていかないとわからない。で,やっぱり,身につくのは自分から自主的に聞くというか,聞こうとする姿勢でしょうし,それをちゃんとやはり昔のお稽古というのは,今のようないわゆる合理的な教え方ではなくて,教えるやり方をしていたように思いますねえ。だから今では,自分の番を待っている人が遅いと文句を言ったりすることがありますが。
牧 野 先生がほかの人にしている話を聞くよりも,自分の時にどうしようかばっかり考えているのですよね。だから,待っていられない。
都喜蔵 そうなんです。それをもう少し枠を広げて考えられないのですね。今は時代のテンポが速いために,ゆっくり,昔みたいに,子どもの自主的にやろうとするところを待ってやれないというか,待っていると,人様に遅れるということで親が待てないのですね,これが一番子どもの教育に悪いとわかっていながら,やっているのが,現状でしょうね。
牧 野 ところで浄瑠璃の節回しはいろいろ人によって異なり決まっているのは言葉だけだと聞いたことがあるのですが。
都喜蔵 はい,歌詞は決まっています。ただ表現方法がある意味でどうにでもできるようなのが邦楽の中でも浄瑠璃系統の特徴です。簡単に言えば上方と江戸はアクセントが逆ですけれどでもその細い所の表現方法でも,決まったところがないので,何かを表現しようとすれば,ある人は3文字ありましたら高くでて,低くでてまた高くでるとか,ある人は高く高く低くでるとか。あるいはメリハリというのが一番重要なのですけれど,強弱をどうつけるか,太夫というか語り手に任せられます。それをいろいろ自分の解釈でその歌詞を読んで自分でその表現を出すというか,そういうふうにしていくのですね。だからおもしろい。個性だとかその人の持っているいろいろなものが感覚的にそこに入り,おもしろいものができるんですね。
都喜蔵 どの分野でも,私いつも考えてるんですけれど,バイオリズムというのがございますね。知性と肉体と感性。職業で言えば,もちろん重複する場合があると思うのですけれど,どちらかと言うとその三つの内のどれかにあたるんじゃないかと。スポーツなら肉体ですし。コンピュータの方ではかなり知性的なものが,大部分を占めると思うんですけれども。私たちで言えば感性ですね。
牧 野 コンピュータの場合はですね,プログラムを作るというのは一応は人間の知性的な働きということになるんですけれども。ところが実は,プログラムを作るためには,コツと言いますかね,その単に知性的な働きだけじゃなくって,プラスアルファ,それが必要のようですね。
都喜蔵 そうなんです。私の申しあげようと思ったのもそこであってね。結局私たちも感性だけではなく知性的なものも入れていかないといけませんし。ですからコンピュータのお仕事でもかなり感性的なね,人間の持ってる,そういったものがやっぱりかなり重要じゃないかとご推察するんですが。
牧 野 そうですね。ですから,うちは10年ほど前からクラシックの音楽会もやってるんです。多分いやがった人でも,卒業して10年も経った人の中には,また別の印象を持つ人も出てきていると思うのですけれどもね。今言われました,いわゆる知性と感性というものが,本当は音楽の中ではくっついているわけで。そこの所が,何とか解ってもらえたらと思うんですが。非常にこれは難しいことでしてね。
都喜蔵 やっぱりそういう潤滑油的なものが,人間的なものが,かなり大事じゃないかと思いますね。私たちに足りないのは,その違う方の面のね,要するに肉体的なものなんですが。やはり動きのイメージを持っていないと語りにならないわけでして。動き自体が読めないと,ただ習ったままやっていたって中味の無い浄瑠璃になりますね。どの方面でも相応に連絡し合わないと本当のものにはなっていかない。ご一緒ですね。
牧 野 そうでなかったら何にしたって,まず面白くないだろうと思うんですね。
都喜蔵 そうですね。ですから対照的なものこそ求めないといけないんじゃないかと思いますですね。
牧 野 ところで音楽というものは,やはり感情の表現ということになると思うのですが。自分の気持ちをぴったり表現している音楽がいいというふうに若い人は考えるんだと思うんです。しかしこの気持ちっていうのは本当は非常に深いものなんですよね。ところが,あまりに底が深いために,結局のところ,どう表現してみたらいいのかも解らないんですよね。
都喜蔵 つまり表現の道具がないのですね。寂しい時代です。やっぱり,昔の人だったら,自分の感情を豊かに表現する手段としての邦楽ももう少し身近にありましたので,自分の気持ちを口ずさんでみたりできたのでしょうが。
牧 野 特に若い人は感情表現の言葉も非常に少ないようです。本当は違うんだけれども,なんかみんな同じ言葉,数少ない言葉でしか表現できない。
都喜蔵 ですから,さっきの道具が,言葉の上でも足りないというか。豊かに表現することを学んでないのでしょうね。
牧 野 そうです。先程の感情,この感情というのは非常につまらんことのように考えられてきた。そして学校の教育の中で感情表現は点数にならないんですよね。だから,それ以外のことばっかりやらされてきている。ところが,人間が生きて行く上で一番大事なことなんですよね。
都喜蔵 そうですね。感情の動物というぐらいに,気持ちはいろいろ幅のあるもので。
牧 野 それを数少ない言葉でしか表現できなくなってきている。もっと言いますと,自分がそれだけ深いものを持っているということさえも気が付かないでいる。しかし,これは多分コンプレックスとしてあるんでしょう。
都喜蔵 そうでしょう。潜在的にはある筈なんですけれどね。表現方法が,本当にその手段が,今,無くなりつつあるんですね。日本語なんていうのはかなり,よく聞くことなんですけれども,表現方法が英語やなんかに比べて豊かですね。昔から,今までの日本人のこしらえてきた日本語というのは。例えば京都の言葉は,いろんな意味に取れるというか,活字に書いては表現できないぐらいに,ニュアンスが変わるものです。それが段々標準語が普通になったために,もう昔ほど意味のふくらみがなくなったように思いますね。
牧 野 この常磐津の言葉というのは,パターン化されていてみんな分かったわけですね,昔は。
都喜蔵 はい。
牧 野 ところが今ではもう分からなくなってきた。みんなが分かった時代には決まりきったことを言っているというので,面白くないという意見も出てきたと思うんですけれども。ところがその後,それに代わるものが全然無くなってしまって,今じゃ今度は反対に,昔は決まりきったというふうに見えていたものが非常に新鮮になってきたと思うんですけれどもね。但しそれは習わないと分かりませんからね。
都喜蔵 自分の表現もそうですし,常磐津の台詞一つでもですね,相手の気持ちを探りながら言っていくことがよく言葉の中にも出てくる。ところが,相手の言うことじゃなくて,自分の言うことさえも今の若い人は足りないというか,どう表現したらいいか分からないというか。そういう意味では,浄瑠璃の台詞一つでも,なんか宝物みたいに。いいことやらして貰ってるなって感じられます。
牧 野 お琴の宮城道雄さんの随筆を最近読みまして,あの方の文章を読んでますと言葉が本来,音であるというのが本当によくわかるんですね。それで我々は目に頼りすぎているのではと感じたのですが。
都喜蔵 そうですね。音楽というのはおっしゃるとおり音ですから。視覚というのがかなり邪魔しているところがありますね。常磐津のお稽古でも譜はある程度必要なのですが,見て弾けるようになるにはね。しかしそれは手段であって常磐津の本当の目的とするところじゃない。台詞の抑揚とか台詞と台詞との間とかね,これも実は音楽なんですが,譜や節付けにとらわれると,唄で最も重要な,結局呼吸法なんですが,それがよくできないで感情も何も表せないのですね。聴いている方に訴えるものがでてきませんね。
牧 野 そのためにどんな勉強しなきゃいけないとか,こうやったらいいとか簡単に言うわけにいかないと思うんですが。
都喜蔵 よく私は稽古でお弟子さんにこう言われるんです。昨日教えてもらったことと今日と違うと。私はそれでいろいろな方法があります。一つじゃないですよと言うんです。今日やる時に,その人は昨日と同じことをやってないことは気が付かないんですね。昨日は低いところが出たからこうしたらどうですかと言ったんです。今日,高いところが出ればこうしたらどうですかと言う。でも,アマチュアの人は,低い高いということが今日と昨日と違うということが,分からないんですね。ですから,毎日違ってきているというか。それが面白いんだし,それが分かって欲しいと言うんですけれども。ワンパターンでやってるのでは,とても生きた浄瑠璃にはならない。感情っていうのはそういうふうに決められないものですし。まず,どういう方法でも,それを感じてそれを出してくださいと。だけど出し方は,こうした方がもっと良くなるんじゃないですかということは言うんです。
牧 野 そういう意味では,本当の感情教育ですね。
牧 野 今の時代,芸が身を助けるということはもう言わなくなりましたからね,これだけ効率だけを考える社会になってきましたら。
都喜蔵 しかし身を助けると言えば,常磐津は感情表現の宝庫なのですから,例えばどっかの会社の方がお稽古をされますと,役にたつことがあると思います。やっぱり人間対人間の接し方ですし,そこに感情を表現しますしね,会社関係でも人と人との関係ですから。ですからその意味ではかなり使って頂くというか,非常に良い使い方があると思うんです。一番大事なことをやってると思うんです。
牧 野 そうですね。広く言えば,例えば,こうして喋る時でも,喋り方によったらすっと相手の心に入る場合もあり,その音の調子とか全部含めましてね,喋り方によったら,反発しかしないという場合もあると思いますね。
都喜蔵 病院の院長さんに,神戸の方でお稽古してるんですが。その方もよく医師会で講演されるんですけれども,普通にだらだらやってるとどうしても聞いてくれないと。浄瑠璃のお稽古をしてもらって,その間の取り方,例えば関の扉というのがお得意というかお好きでね。関の扉というのは天明の名曲なんですけれど,よく歌舞伎でも上演されますが。例えばそれの台詞を稽古してますと,講演する時に使えると言うんですね。
牧 野 そりゃそうでしょうね。
都喜蔵 だらだらだらだら言ってるより,全然空間開けるんですって。そういうその間合いを考えると人の心を掴むっていうか,聞いてくれるって言うんですね。そのコツみたいなものに凄く共通点があるみたいですね。そうやって音楽が実際の社会に使われるということは,私は大変ね,やらして頂いてやりがい,生きがいがあると思いますね。
少し入っただけで四条通りの喧騒が嘘のような昔ながらの家並の続く祇園の稽古場で伝統芸能についてお話を伺った。単に生計をたてることではなく,かけがえのない自分の人生として「身」を考えるとき,「芸は身を助ける」という文句は新しい意味を持つのではないか。単なる気晴らしを越えた趣味の大切さを痛感した。――牧野